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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:死ぬのが怖いです)

死の恐怖について

このQ&Aのポイント
  • 死ぬのが怖いです。死によって永遠に消滅し、何も思考できなくなることが怖すぎます。
  • 具体的に病気になって意識が失われていく様子を想像すると、恐怖を感じて震えが止まりません。
  • 死の恐怖を乗り越える方法はありますか?皆さんは死の恐怖を感じないのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.11

72歳、男性です。 私は、昨年の秋に、開腹手術を受け、術後の経過が良くなく、一時は死を覚悟した事がありました。 その時、「死ぬ」ということに関して、いろいろな感情を味わいました。 一つは、妻と別れる悲しさでした。 もう二度と会えないのだと思うと、どうしようもない寂しさと悲しさに襲われました。 いくら会いたいと望んでも、もう決して二度と妻の顔を見ることは出来ない。その寂しさ、悲しさ。 そして、若い頃、私の我がまま、私の横暴な振る舞いによって、妻を悲しませ、苦しませて来たことへの「すまなかった」という思い。と同時に、苦労をかけてきた妻への感謝の気持ちでした。 二つ目は、私の周りの人達はまだ楽しくにぎやかに生きているのに、自分だけが、たった一人で、楽しいこの世と別れて、トボトボと知らない世界へ入っていかねばならない、という寂しさ、悔しさでした。 三つ目は、死んだ後、自分は一体どうなるのだろうか、という不安と恐怖でした。 死が怖いと思ったのは、三番目に感じた感情でした。 一つ目の寂しさ・悲しさを感じてから、だったら、せめて、あと何年生きられるか分からないが、命ある限り、精一杯、妻を大事にしよう、と思ったものでした。 二番目の事は、私の力で変えることの出来ない、どうしようもない事なのだし、最後は誰もが通らねばならない道であって、避けて通ることの出来ない、仕方のないことなのだから、粛々と、運命に従って、通って行くしかない、と覚悟を決めました。 人は一人で生まれて来て、一人で死んで行く。それが定めなのです。その定めを受け入れるしかないのです。 受け入れるしかないのだとしたら、あわてず、さわがず、落ちついて、従容として、死んで行くべきだと思いました。 三番目の死後の世界に関する恐怖。 死後の世界については、いろんな説があります。 死んでしまえば、なにもかもなくなって、それでおしまい、という説。 死ぬと肉体は滅びるが魂は滅びずに残り続けるという説。 魂は、天国や地獄に行くという説。 魂は、生まれ変わり死に変わりして、輪廻転生を繰り返す、という説。 いろいろあり、どれが本当なのか、分かりません。・・・誰も経験した事はないのですから。 でも、もし、本当に地獄があるとすると、それが一番怖いことです。 でも、もし神がいるとして、この大自然・大宇宙の美しさを見るとき、こんなに美しい大自然・大宇宙を神が創ったとすれば、そんなにも美しい大自然・大宇宙を創った神は美しいもの・善なるものに違いなく、決して我々を悪いようにはしないだろう、と思うのです。 大自然・大宇宙を創った神への信頼感が生まれて来ています。 我々は、この大宇宙の一部なのですから、この大自然・大宇宙に守られている。 この世でも、死んでからでも。 最近は、そう考えるようになり、以前よりは、死の恐怖は薄らいで来ています。 『中村天風 心を鍛える言葉』(岬龍一郎著、PHP文庫)に、中村天風の言葉として、『陽気であれ。そして、全てに感謝せよ。そして、天命に安住せよ。』という言葉があります。 私の好きな言葉です。気持ちが暗くなる時、いつもこの言葉を思い出すようにしています。 あなたもこういう気持ちになれば、怖い事はなくなると思います。 そういう気持ちになるかどうかは、あなたの決心にかかっているだけです。 あなたが決心さえすれば、そういう気持ちになる事は出来ます。 死は避けることは出来ません。 避ける事が出来ないのだとしたら、それをくよくよ考えて恐怖心の中で生きるより、生きている間の時間を大切にして、人生を、精一杯・楽しく生きる方が、幸せだと思います。 そして、死ぬときが来れば、淡々として、死を受け入れるのです。 それしかないのではないでしょうか。 気持ちを明るく持って、楽しく生きて行ってくださいね。 何かのお役に立てば幸いです。

noname#190252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 すごく心に響くお言葉で、読んでて涙が出ました。 いろんな経験を重ねてきた方にしか書けない、 なんというか本物の空気のようなものを感じました。 何か気持ちが切り変えられそうな気がします。 紹介いただいた本も読んでみようと思います。 私の様な者のために、こんなにいいお話をして下さり ほんとうにありがとうございました。

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その他の回答 (16)

回答No.6

>どうしたらこの怖さを乗り越えられますか? →ご家族や気の許せるご友人に話してみてはいかがでしょうか。 一緒に乗り越えられるかもしれません。 >皆さんは死の恐怖を感じないのでしょうか? →私は感じません。しかし、誰しも病気で心が弱っているときに、 あなたの言う恐怖を少しでも感じているのかもしれません。 >私が変なだけ? →『変』の定義は人ぞれぞれです。 死よりも恐ろしいのは、意識があるにも関わらず、 意思を伝えられない・体が動かせない状態ではないでしょうか。 あなたの不安が解消される日が訪れるとよいですね。

noname#190252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >死よりも恐ろしいのは、意識があるにも関わらず、 >意思を伝えられない・体が動かせない状態ではないでしょうか。 これは怖いですね。 空間が切り取られた棺桶に閉じ込められたまま、精神と命をじわじわと削り取られていくようです。 想像すると震えがきます。 人に相談したくはあるのですが、 私が感じている死の恐怖の本質がうまく言葉で説明できないのと、 頭がおかしい人だと思われたくないので、うまく相談できません。 不安が解消される日・・・それはまさに私の命が終わる時なのではないでしょうか。 それともそんな日は未来永劫来ることは無いのかも・・・ う~ん考えすぎるのやめよう。怖くなってくる。 回答ありがとうございました。

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noname#196134
noname#196134
回答No.5

誰も死んで生き帰った人はいないので分かりません。 生き返ったと言う人は仮死状態で死んではいないんですね。 世の中答えが出る問題と答えが出ない問題があります。 答えが出ない問題をいくら考えても時間の無駄なんですね。

noname#190252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 答えが出ない問題、そうですよね。 昔、死語の世界とか神とかそういうものにすがったこともありますが、 頭のどこかでそんなのあるわけない。 脳が止まったらそこで終わりだ、とか考えてしまいます。 でもやはり分からないと言えば分からないし答えは出ないので、 なるべく考えないようにします。

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noname#154561
noname#154561
回答No.4

死を恐れない人は殆ど居ません。 恐ろしさを理解していない人は大勢いるけれど。 でも、眠りを恐れる人は殆どいません。 目覚めることを知っているから? 毎日のことなので考えたこともないでしょう。 死そのものは眠りと同じ、苦しみも痛みも ありません。 それを感じる自分が消滅するの だから。 死に向かい合って生きることに苦痛がある。 恐れを感じ、滅び行く肉体は苦痛に満ちる。 死が恐ろしいのではなくて、必ず死ぬ、という 生に閉じ込められている感覚が恐怖なのです。 私自身も死へ向かう恐怖は勿論ありますが、 心の持ちように一つの見解は持っています。 生死は明滅する光のようなものです。 死ぬ覚悟、というものは中々私達凡人には 得られませんが、死に際して慌てない準備は 出来ます。 遣り残したこと、消し忘れたファイル、口座や 暗証番号などの個人情報の整理、仕事、恋愛、 結婚、子育て、様々なやりたいこと、すべきこと。 死ぬ前にこれだけはやっとかなきゃ、ということを 自覚することです。 死が怖いから、何をしても無意味だとぼんやりすると、 暇になって益々死について考えるようになり、益々 何もやる気が出なくなります。 必ず死ぬなら、死について恐れる為に考えることが 時間の無駄であることも理解できるでしょう。 死について考えてしまうなら、必ずセットで 死ぬ前にしなければならないこと、したいことを リアルに考える習慣をつけることです。 リアル、というのは こんなこといいな、できたら いいな、ではなくて、いついつまでに具体的に このようにしてやろう、という意思を持つ、と 言うことです。 達人になれば、一瞬一瞬を生きる意志を持って 生きることが出来るようになるといいます。 死、という言葉やイメージではなく、生きる活動の 向こう側の、セピア色の未来として見透す感覚を 掴むことを目指してください。 それが出来るようになると、全く、世界の見え方が 変わってくるんですよ。 苦痛は怖くても、死そのものは怖くなくなってきます。 今日を、今を、生きることばかり考えるようになるんです。 望むように死ぬことが出来るとは限りませんが、私自身は 「十分に生きた。年老いてとても疲れたよ。もう安らぎたい」と 時計が止まるように死ねたら・・・と願います。 「ピンピンコロリ」を要求される、推定年金支給年齢が70歳とも 75歳とも言われる私達。 どのみち、精一杯死ぬまで働かなければならないこの身です。 夕暮れのように私の死が訪れれば、素晴らしいことです。 あなたの心にも変化が訪れますよ。、 必ずね。 大丈夫、それはそんなに大した問題じゃないから。 生きることに比べれば、ね。 にゃご。

noname#190252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 一時期、眠るのも怖くて無理に起き続けて倒れたことがあります。 まあ結局倒れて寝たんですけど。 >「十分に生きた。年老いてとても疲れたよ。もう安らぎたい」 セピア色・・・・これです。 こういうのを想像するのがたまらなく怖いんです。 例えば、道を歩いてて、錆びて朽ちかけたカーブミラーに一瞬自分が映っただけでも 今、私は映ってはいるが、今後、この道を通らなければ永遠にこの鏡が私を映し出すことは無い。 そして私が死ねばこの鏡にかつて私が映っていたことを知る者もいなくなる。 誰にも知られぬまま、やがて地球は終わりを迎え崩壊していく町、荒野の中で、 最後に残ったあのカーブミラーが、きしみ、金属の悲鳴を上げ・・・ そして・・・割れて・・・・崩れた。 そして世界が終る・・・・ とか考えてしまうんです。まさにセピア色で。 寂しくて涙が出ます。 やっぱりおかしいですよね、私。 心に変化が訪れますかね。 そう願います。 こんなに長文の回答、ほんとうにどうもありがとうございました。 感謝します。

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  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.3

意識がなくなることが怖い?だったら夜寝られませんね。 寝ている間に自分で意識を意識的にコントロールできませんよね。 授業中に居眠りすらできませんな

noname#190252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 それが永遠になるのが怖いんです。 私は常に何者かでありたいんです。 土や砂の粒になるなんていやです。

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回答No.2

1人でそのような事を考え出すと、想像が止まらなくなりますよ。 すでに止まらなくなっているようですが、 自己暗示に掛かって、精神的な病気の深みにはまっていくと思います。 なるべく明るい人といるか、カウンセリングをおすすめします。 しばらく1人は避けたほうがいいかと。

noname#190252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね。 なるべく考えないようにします。

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noname#159030
noname#159030
回答No.1

死ぬことを恐れない人はいないよ。 でも、本当に怖いのは生きること。 逆に楽しいのもね。 言っておくが死んだ時点で意識はないからね。 生き物の意識は体が機能しなくなった段階で意識は 存在しないから。 ふざけたこと考えないの。未来を作り出すことだけを考えなさい。 死ぬのは、早い・遅いはあるがいつかは死ぬんだから。 多分、死に直面したことないでしょうね。 死を見た人は、死が怖いなんてものじゃないって知ってるから。 残されたものが、それ以上の辛さを味わうということも。 残るもののことも考えなさい。

noname#190252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 死に直面したことは無いです。 入院中に点滴が早すぎてショックになったことはありますが、 軽かったので死ぬというほどじゃなかった。 死んでしまおうか~は本気じゃないです。 そう考えちゃうこともある、というだけで、やる気は無いです。 変なこと書いてごめんなさい。

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