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子供の競技活動について悩んでいます
- 子供たちの競技活動について悩んでいます。試合前の言葉を通じて勝ちやレギュラーを強要してしまっていることに気づきました。子供たちには多くの経験を通じて成長してほしいと思っていますが、私の言葉が逆効果になってしまっているようです。
- 私自身も気持ちの切り替えが難しく、同じことを繰り返してしまっています。子供たちをダメにしてしまうのではないかと心配しています。どうかアドバイスをいただけないでしょうか。
- 子供たちの競技活動を通じて楽しんでもらいたいと思っていますが、自分の劣等感が影響してしまっているようです。子供たちには成果を求めず、経験を大切にする考え方を伝えるべきなのか悩んでいます。
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“勝ち方”や、“勝つためのコツ”を教えてあげるなら子供たちは喜ぶと思います。 そのコツとは、勝とうとしていい成績を残そうとしてなんでもかんでも背負い込ませてしまって『重くさせる』事ではなく、余計な肩の荷を下ろすコツといったものを聞かせてあげて『軽くさせる』事だったりします。 あとは勝手に本人が頑張りますし、勝つことも勝手に本人が望みます。 当人たちもそれが“役に立つもの”で“自分の為を思ってくれてる”ことで、そして何よりもそれを聞く事で『自分が軽くなる』のであれば喜んでそれを受け入れ聞き入れるでしょし、それを受け入れ聞いた事で『軽くなる・勝利が近くなる・ゴールが見えてくる・やりとげた楽しい感覚が想像できてそれが楽しいものであると理解できる)』のであれば、俄然やる気が出たりします。 でも反対に、それが『ただしんどく大変なものになるだけ』だったり、『あれもそれもこれもしないといけない』事になってたり、『それを言われても何の役に立たない』ものだったり『そんなもの判りきってる』事だったら… つまり“余計なものを背負わされ”て、それで自分が『重くなる』ものであったなら… つまり自分はそこまでも望んでないものを強制された時、子供でなくてもやる気はなくなります。 単純な話…貴方の言葉や態度が彼らにとって『重くなる』ものの場合、彼らは楽しめなくなります。 でも反対に、貴方の言葉や態度が彼らにとって『軽くなる』ものの場合、彼らはその競技を楽しめるようにもなり、そして勝利が近くなります。 今の貴方がそのどちらをしているのかを考えればいいかと思うんです。 もちろん余計な手助けはいらないかと思うんです。 でも、自分が劣等感を持って育った場合、自分が得ようとして得られなかったものを子供たちに得させようと思ってしまっている場合、“子供たちが感じている以上”に過去の自分の経験らをすべて含んで自分の中で『とても大きなもの』となっているものに見合った…それに対峙する為にと当人にとって重く強い言葉をついかけてしまいます。 なにしろずっと貴方自身も“これを乗り越えなきゃ…”なんてそんなスタンスで思ってきたのですから。 それはつまり当人たちが今見えていたり思ってる以上のものを貴方が見せてしまいそれを背負わせてしまっていたりするわけです。 “もっとがんばらなきゃ”とか“それじゃダメだ”“あそこでもっと気合い入れて”“今回はとても大事な試合だぞ”“負けない気持ちが大事だぞ”だとか… でもそんな言葉聞いても当人たちは『重くなる』だけだったりします。 自分が今対峙しているもの以上のものを背負わされるからです。 そりゃ『重く』なります。 結果的にそれらの言葉はどんなに『子供たちの為』『貴方たちの為だから』とか『勝つために』という大義名分を掲げていようが、実質は彼らの為ではなく、彼らを使って自分が欲しいものや自分のできなかった事を晴らそうとしてるだけの言葉や行為だったりします。 大事な事は彼らに『力を発揮させる』事…つまり彼らの体や心を『軽くする事』なんです。 頑張ってその勝負に対峙しようとしてる彼らを褒め、試合で頑張ってた所を賞賛し、思い悩む部分を引き出して聞いてその悩みを分かちあってあげたり、そうやって本人なりに辛かったりしんどい事にも立ち向かう彼らを褒め讃えて、そうやって立ち向かう彼らの存在自体や行為や気持ちを喜んであげたり、負けたとしても“あそこは良かった”“最後は失敗したがこうやって進めてたとこはとても良かった”と、結果に埋もれてしまいがちな彼らの頑張りに光をあて認め受け入れ喜んであげる事で彼らがその事に 『楽しめるように』なりもする。 それが結果的には彼らを『軽く』する事に繋がったりします。 結果は現実。 そこにある悔しさを分かち合い、そこにあるはずの喜びをもっと大きくしてあげる事で“力を発揮する”“自分を発揮する”事にちゅうちょなくできるようになるかとも思います。 その現実にある厳しさもあるがまま味わわせてあげればいいのでは… 貴方は監督でもなければコーチでもないしプレーヤーでもありません。 『魚を与えると1日を過ごせるが、魚の取り方を教えたなら一生過ごせる』とも言いますからついつい“魚の取り方を『教えよう』”としてしまいます。 ですが“教えよう”とすると彼らには重荷にもなり…そもそもそれらは教えられるものではなくただ『見て、悟り、学ぶ』ものだったりします。 例え彼らの味方であろうが、彼らの親であるならその分を超えてしまわないよう…親が出来る事、本来の役目だけに集中するよう…気を付けられればいいのでは…と思います。
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- rokometto
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子どもは大人の作品でも所有物でもありません。 一人の人間だと考えてはいかがでしょうか。 私が親なら「反省はしても後悔する試合はするな」って言います。
お礼
その通りですよね…。 わかっているつもりなのに一人の人間として接していない自分がとても情けないです。 反省はしても後悔する試合はするな… もう余計なことは言わずにこの一言で充分ですよね。 ご回答ありがとうございました。
私的見解ですが 個人競技・団体競技ともに試合ともなれば それは勝負事、勝ち負けの世界です 要はあなたが強要している発言で お子さんが試合に向かう時にモチベーションが 揚がるならOKじゃないですかね 試合は見れても試合に手を貸すことは出来ませんから 監督やコーチにはなれませんからね 私も息子3人がそれぞれ サッカー・自転車・格闘技やってますが かなり厳しいことを言いますよ でも試合で失敗した事や チャレンジして駄目だったことは 絶対に指摘しません 勝負事の厳しさを教えるのはいいと思いますよ 世間で言うような綺麗事なんか通用しませんからね ただ監督の領域に入り発言するのはタブーでしょうね がんばってください あなたのお子さんですあなたが一番の理解者ですよ それでは
お礼
私の言っていることで息子たちのモチベーションは下がっている様に感じます。 そう感じて更に私は言い訳染みた余計なことを言ってしまい… それが否定的な言い方になってしまったり…と 情けない限りです。 一番の理解者であるべき私が息子たちを苦しめてはダメですよね。 今度こそ変わりたいと思います。 ご回答ありがとうございました。
- 0621p
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勝利やレギュラーに対して、決してプレッシャーを与えたり、親のために、などと思わせてはいけません。 本人が「勝ちたい」と思えば勝てば良いし、「レギュラーになりたい」と思えばなれば良いのです。そしてそのために頑張れば良いのです。勝ちたいとかレギュラーになりたいとか思っていないなら、辞めてもいいんじゃないですかね。 しかし子供の場合は、自分だけでは甘えてしまうところもあります。 一つの方法としては、試合が近付くにつれて「頑張れ」「勝て」などと少しずつプレッシャーをかけてやります。試合前にはプレッシャーでちょっと緊張しているくらいが良いかもしれません。 そして試合前に 「そんなに緊張しなくても良い。勝たなくてはいけない、と思っていないか?そんな事思う必要はない。そもそも勝たなくてはいけないと思うほどオマエは強いのか?」 「勝たなくてはいけない、なんて思わなくていいから、ちょっと肩の力を抜きなさい。笑ってもいいよ。」 「ただ、一つだけ大事なことは、オマエは勝ちたいのか?本当に勝ちたいのか?」 「本当に勝ちたいと思うなら勝って来なさい。大事なのはオマエの勝ちたいという気持ちだけ、勝たなくてはいけないなんて思うな。」 つまり、少しプレッシャーをかけて緊張感を持たせておいて、試合前にプレッシャーを感じないように楽にしてあげる、って感じです。
お礼
息子たちが「勝ちたい」と思うことが大切ですよね。 私はきっと「勝たなければいけない」と息子たちに感じさせてしまっていると思います。 自分のしていることが間違っているとわかっているのに 繰り返してしまう自分が情けないです。 ご助言…とても参考になりとても勉強になりました。 ご回答ありがとうございました。
- blazin
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期待される事はしんどい事では無いんだよ。 競技としてやっている以上。 パフォーマンスを披露する機会もある。 結果として順位を付けて「今」を確認する時もあると。 ただ、その「為」に通っている訳じゃ無い。 本人たちが「やりたい」と。 やりたい事を「やっている」彼らは。 既に一定の充足感を「得て」いるんだよね? 貴方の向き合い方は。 既に得ている子供たちに対して。 もっと得るものを「探せ」というアプローチなんだよ。 あたかも「試合」に出る事が目標で。 そこでの頑張りがあって「こそ」だと。 優しく見守るスタンスが。 いつの間にか彼らよりも「先」に行ってしまって。 彼らの自由意思「より」も貴方が「たって」しまっているんだよね? 貴方に言われなくたって。 息子さんたちも結果が出れば嬉しいし、 真っ先に貴方に報告したい筈だよ。 それも醍醐味の一つだから。 それでお母さんが笑顔になるなら。 自分たちもやっていて良かったなと思えるじゃない? ただね、 「一つ」なんだよ。 全てじゃない。 多くの中の一つに。 結果として導ける自分の大切さもある。 今のお母さんである「貴方」から伝わるメッセージって 凄く「細い」んだよ。 勝つ事、レギュラーになる事、評価を得る事。 その部分「ばかり」言ってくる。 僕たちなりには楽しく「やっている」と。 そういう僕たちの笑顔は既にどうでも良くなって。 やるならもっと頑張れ、上手くやれ、人よりも上に行けと。 普段の楽しいプロセスの延長に評価や結果があるのではなくて。 あくまで結果があってこそ、そこで認められてこそ 今やっている事に意味があるんだよと。 貴方の叱咤は「逆向き」なんだよね? だから試合前に既に息苦しくなる。 結果が出ないと意味が無いんだと。 彼らはそう思って苦しくなる。足元が無くなる感じ。 適度な叱咤はあっても良いんだよ。 試合前ならね。 ただ、それが彼らに心地の良いナビになっていないと。 今までよく頑張って来たよねと。 お母さんはいつも見ているよと。 ここまで丁寧に頑張って来たんだから。 いつもの自分たちを大切にして。 今出来る精一杯が出せると良いよねと。 結果云々は本人たちが受け止めた「後」に。 貴方なりに丁寧に受け止めてあげる部分でしょ? 多少の一喜一憂位あってもいい。 自分の子供なんだから。 ただ、その一喜一憂が。 あたかも現実の彼ら「そのもの」の評価のように受け止めない。 一番身近な貴方がそういう目線を送ってしまったら。 単なる習い事に限らず、 これから何をするのであっても。 お子さんたちは貴方の「目」に怯えるよ? お子さんはとても繊細。 貴方がそこまで結果に拘るなら。 お母さんの「為」に~と。 自分たちの楽しもうとする気持ちを脇に置いて。 言い換えれば自らの「成長」を脇に置いて。 貴方の為に小さく細く身を削って頑張ろうとするんだよ。 それって貴方が求めたい「息子さんたち」? 試合前は基本的に声を掛けずらい。 気を遣うのも当たり前。 だったら無理に掛けない。 自己満足になりやすい状態が「わかっている」んだから。 貴方には気の利いた言葉は導けない。 それは貴方の否定ではなくて、 貴方は力みを伝えてしまうタイプでしょ? 試合前は。 どれだけ彼らを「解して」あげられるか? ガス抜きをしてあげられるか? それが家族の存在なんだよ。 一番大事な部分なんだよ。 貴方が自然体でいてくれたら。 それだけで彼らは頑張れるんじゃない? 言われなくても。 僕らなりに頑張ってこようと。 お母さんと楽しい話がしたいと。 今日の出来事を話したいと。 彼らから貴方に繋がってくるんだと思う。 それが「親子」でしょ? もっと深呼吸だよ。 こうして書き込める貴方には「自覚」があるんだから。 貴方も彼らと一緒に「成長」していかないとね☆
お礼
本当に…私の言っていることは「逆向き」だと思います。 母として優しく見守ることが出来ていない自分が情けないです。 ご助言…とても参考になり勉強になりました。 息子たちの為にも 変わりたいと思います。 ご回答ありがとうございました。
お礼
本当に…本当にその通りですよね。 私のかける言葉は『重くなる』ものばかりだと思います。 自分の経験で得たものを…息子たちがこれから感じて学ぶべきことまで 私が言葉で伝えようとしてしまっていました。 私のしていることが間違っている自覚はありましたが どうすることがいいのかがわかりませんでした。 ご助言…とても参考になりとても勉強になりました。 今の私には『軽くする』力はないかもしれませんが 余計なことは言わずにせめて『重くなる』ことのないようにしていきたいと思います。 ご回答ありがとうございました。