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日蓮聖人の教えを学びたい。

日蓮聖人の教えを学びたい。 南無妙法蓮華経を唱題したい。 しかしそれには他宗他教を排斥しなければならない。 私は他の宗派、宗教を邪教だと思いたくない。 こんな自分は日蓮仏法で幸せになる事は出来ないのでしょうか?

  • nahan
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みんなの回答

回答No.13

ペンギンは、氷上で群れをなし、穏やかに暮らしているように見えるが、エサの小魚をとる時は命懸け。海中には、どんな 天敵が待ち構えているか分からない。水辺で列をなし、あたかも譲り合うように足踏みする。 そんな停滞感を破り、まず飛び込む一匹が「ファースト・ペンギン」だ。これを目にした仲間たちは、せきを切ったように 一斉に飛び込む。一匹目は当然アザラシやシャチに襲われる危険性が高い。 だが、この一匹目がいるからこそ、群れ全体は生き永らえる。 「ファースト・ペンギン」は英語の慣用句でもあり、恐れを知らずに未知の分野に挑む人を指す。 脳科学者の茂木健一郎氏によると、ペンギンは飛び込む瞬間、不安、恐怖、喜びなどの感情がフル回転するという。 人間も、決断、判断を迫られ、不確実な未来に立ち向かうことで脳は発達する、と。 「不確実」、もっといえば、「不可能」とさえ思えることにも、『何事か成就せざるべき』(御書1124P) との強い確信で立ち向かい、道なき道を切り開くのが信仰者の真骨頂。 挑戦している時こそが成長があり、充実があり、したがって幸福がある。・・・「名字の言」(鉄)より ◎目標に向かって、苦難に挑戦している人には、表現はむつかしいが、何か輝きがある。そういう人は結構周りにいるものです。見てても感動がある。 私も挑戦しているものがあるが、始める前は前者のように、覚悟を決めるに非常に勇気を奮い起こす必要があった。周りから精神的に追い込まれるより、自ら挑戦する方が楽である。 勇気、決意から始まり、その持続の代償は”楽”。・・・・あと何年かかるかことか・・・(jyusen) 「間断なき前進また前進、仏とは闘い続けること」(先)・・・とのこと。

回答No.12

金閣寺放火事件は昭和25年7月のこと。犯人は若い寺の僧侶であった。言わずと知れた三島由紀夫の「金閣寺」は、 同事件に材を取った小説。一方犯人と同郷だった作家・水上勉氏にも「金閣寺炎上」と題する一冊がある。こちらは綿密に 取材を重ねて著したノンフィクションである。後者を開くと、当時の仏教界の実態がよくわかる。 寺は多額の拝観料に潤い、住職は酒に溺れ、花街に遊ぶ日々。欲望にまみれた寺の内情を見て、犯人は僧として生きることが嫌になってしまったのではないか、と水上氏は推測している。 敗戦下、国民の生活は苦しかった。ところが坊主は、のうのうと暮らしている。民主化へと向かう時代にあって、庶民を食い物 にする既成宗教界への反発は、必至であったろう。 昭和27年民衆運動の新たなうねりが、本格的にスタートした。「2月闘争である」。 「宗教のための人間」から「人間のための宗教」へ 日本の戦後史における、この人間復興運動の時代的意義は大きい。今、世界広布の新時代を迎えた。 平和創出への、一大民衆運動の開幕である。 国籍・人種を超えて、笑顔と励ましの連帯が広がる。その史的意義は尊い。・・・<名字の言>より

回答No.11

Q1日蓮聖人の教えを学びたい。→今はNETともある。やる気次第→今まで質問がないですねもう(2年?)。→学びたいは嘘ですか? Q2南無妙法蓮華経を唱題したい。→どこででもできます。心の中でも良い。どうですか?悪く染まった八識(潜在意識)を浄化または叩き潰すエネルギーです。しっかり真剣に行う。平和は一人一人の命の変革でなる。五濁悪世ですよ今は。シリアの内戦での子供等への残虐死、北朝鮮のこと知らない?、毒入りコーラ事件、青酸カリ事件、毒入りカレー事件、一家凄惨事件、海賊、おれおれ詐欺など、きりがない、自分さえよかったらよいという思いはすべて悪。その自分の弱い、汚れたこころを叩き潰すのが本当の宗教である。・・・それには親のように指導してくれる師匠が必要。 Q3しかしそれには他宗他教を排斥しなければならない。→じゃ、日蓮仏法と他のキリスト教、新興宗教、浄土宗、真言宗、禅宗、イスラム教他全部排斥せず頑張ってください。→何も知らないまた、わかっていないので、もっと勉強することですね。 →私は教えたくてうずうずしています。何が聞きたいのでしょうか?具体的にまた質問してね? Q4私は他の宗派、宗教を邪教だと思いたくない。→別に今思わなくてよい。 Q5こんな自分は日蓮仏法で幸せになる事は出来ないのでしょうか?→できますが、今は不幸なのですか? 投稿してから2年近く、nahanさんから何も質問ないので自分で質問します。 (質問1) 1、内外相対とは内道と外道ですが、外道とはなんですか?→外道は仏法以外のこと。 2、仏教で説く、神さん(鬼子母神、十羅刹女、七福神、天照大神など)だけを拝みたいが、力はありますか。→それだけでは全くない。 3、色心不二論とはなんですか? 4、依正不二論とはなんですか? 5、十界論とはなんですか? 6、十界互具論とはなんですか? 7、九識論とはなんですか? 8、一念三千論とはなんですか? 9、因果倶時論とはなんですか? 答えは時間がないので簡単に答えてください。→わかりました。答えは、すべてあなたの生命の内部ことで、過去世の死んではまた生まれる生死流転状態から、たまたま現世に生まれてきた、あなたの生命を説いた、一部分ですが仏法の生命論です。(全てに渡ってメールで解決する内容ではないことを伝えておきます)・・・創価学会に入る勇気が必要です。これが最短距離。入っていやならすぐ止めりゃ良い。信仰の自由だよ。 (質問2) 1、寄付は絶対する必要はありますか?→必要全くなし。しなくて良い。入信間もない人、貧乏で入信した人も全くする必要なし。広布基金を勧められる場合がもしあったとしてもしないことです。 要は、信仰によって歓喜し、功徳を頂きその結果、自ら進んで、”世界平和に使ってください”となった真心が出た時ですよ。 では又次回      

回答No.10

大聖人様は、一念三千 の 観道 得たり とは 謂えども 法謗を 責めずんば 得道 あり難し。と申されました。また今の世は末法の時代で、正像の時代の様に他の 低い教えを一旦は受け止める『摂受』の時代ではありません。正像の時代と違い、悪人と善人 悪法と正法、権経と実経、等が、入り乱れ、区別が つきにくい、現代社会に於いて、正法を後世に、受け継いでいくには、摂受では、無理です。故に、この時代には、折伏しか無いのです。 まず『習うよりなれろ』長くやってれば、自ずと慣れて馴染んで行きます。信心の確信を高めて、絶対退転しなければ OKです。あとは、幹部や仲間に、話を聴いて貰いましょう。以上。

回答No.9

只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき、真実なり甚深なり是を信受すべし 万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、 代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得云々 正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて 三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一切衆生の父なり無間地獄の苦を救う故なり 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は求男求女を満足して父母の成仏決定するなり云云 如来の智慧を信ずるは即ち妙法なり所謂南無妙法蓮華経の智慧なり 所詮法華経の行者は男女共に長者なり、文句の五に委しく釈せり、末法当今の長者と申すは日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者、無上宝聚不求自得の長者に非ずや 此の宝乗の宝は七宝の大車なり、七宝即ち頭上の七穴・七穴即ち末法の要法・南無妙法蓮華経是なり、 此の題目の五字、我等衆生の為には、三途の河にては船となり、紅蓮地獄にては寒さをのぞき、焦熱地獄にては凉風となり 此の智慧とは南無妙法蓮華経なり、聡達とは本有無作三身なりと云う事なり、元品の無明の大良薬は南無妙法蓮華経なり、 智とは一切衆生の力なり、慧とは一切衆生の言語音声なり 所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る外に六万八千の功徳の法門之れ無きなり云云 信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり、是を天真独朗の即身成仏と名く 末代濁悪世の愚人は念仏等の難行・易行等をば抛つて一向に法華経の題目を南無妙法蓮華経と唱え給うべし 法華経の行者の心もしらず題目計りを唱うるが諸宗の智者におどされて退心をおこすは瑚がいと申せし太子が趙高におどされ・ ころされしが如し。南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり 飢渇は大貪よりをこり・やくびやうは・ぐちよりをこり・合戦は瞋恚よりをこる 此くの如く心得て南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処疑なかるべし 日蓮守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も師子王に・をとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり、 又此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや、鬼子母神・十羅刹女・ 法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり、さいはいは愛染の如く・・・云々 一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云 悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり。 此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり 所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候、悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん・・・云々 行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし、南無妙法蓮華経 此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや 此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん 妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり 只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき、真実なり甚深なり是を信受すべし (日蓮大聖人の御書より一部分抜粋)

回答No.8

法華経は「経の王」です。王とは、他を否定するのではなく、一切を生かしていく立場です。 日蓮大聖人曰く 「所詮・万法は己心に収まりて一塵もかけず九山・八海も我が身に備わりて日月・衆星も己心にあり、 然りといえども盲目の者の鏡に影を浮かべるに見えず・嬰児の水火を恐れざるが如し、外典の外道 ・内典の小乗・権大乗経等は皆己心の法を片端片端戸説きて候なり、然りといえども法華経の如く説かず」と。 法華経以外の哲学は、生命の法の「片端片端」すなわち部分観を説いたにすぎない。 それらは「部分的真理」ではあっても、それを中心とすることは、生命全体を蘇生させることのはならない。 かえって、歪を生じてしまう。これに対し、法華経はそれらを統一し、きちんと位置づけ、生かしていく「根源の一法」を 説いているのです。それが「法華経の智慧」です。 法華経の寿量品には、「良医の智慧聡達にして、明らかに方薬に練し、善く衆病を治す」・・・云々とある 名医の如く、法華経の智慧は、苦しみ悩む人々を救う。その智慧で救われた人々は、「常懐悲感。心遂醒悟」 とあり、即ち深く苦悩していたけれども、「心遂に醒悟しぬ」-心が目覚めて、救われたと。 それはどういう智慧だったのか。 そう簡単に言えないが、結論だけ言えば、「自分は永遠の昔から仏であり、永遠の未来まで仏である」という 真理を悟ったのです。そういったところで、「なるほど、わかりました」と急に開けるものでもない。 この真理を万人にわかりやすく説かんとしたのが、法華経であり、万人が事実の上で体得できるようにされたのが、 「末法の法華経の行者」日蓮大聖人なのです。ともあれ、法華経は、無力感を打ち破る宇宙大の「心の秘法」を教えている。 宇宙の大生命を呼吸しながら、はつらつと生きる人生を教えている。自己変革という真の大冒険を教えている。 法華経には、万人を平和へと包み込む大きさがある。絢爛たる文化と芸術の薫りがある。いつでも「常楽我浄」で生き どこでも「我此土安穏」で生きられる大境涯を開かせる。 法華経には、邪悪と戦う正義のドラマがある。疲れた人を励ます温かさがある。恐れを取り除く勇気の鼓動がある。 三世(過去・現在・未来)を自在に遊戯する歓喜の合唱がある、自由の飛翔がある。燦々たる光があり、花があり、緑があり、 音楽があり、絵画がり、映画がある。 最高の心理学があり、人生があり、平和学がある。「健康の」根本の軌道がある。「心が変われば一切が変わる」という 宇宙的真理にめざめさせてくれる。 個人主義の「荒地」でもなければ、全体主義の「牢獄」でもない-ーー  人々が補い合い、励ましあって生きる、慈悲の浄土を現出させる力がある。共産主義も資本主義も、人間を手段にしてきたが 、人間が目的となり、人間が主人となり、人間が王者となるーーー根本の人間主義が「経の王」法華経にはある。 ともあれ」、大切なのは「智慧」である。智慧を体得することです。 智慧と知識の関係は今後論じていくことになるが、あるイギリスの思想家は書いています。 「知識がありながら智慧がないよりも、知識はなくとも智慧がある方が良い。それはちょうど、鉱山をもちながら富がないよりも、鉱山はなく富があるほうがよいのと同じである」(チャールズ・C・コルトン) 知識も智慧も両方あるのが理想ですが、根本は智慧である。目的は「幸福」であり、知識だけでは「幸福は」ないからです。 そして知識は伝達できても、智慧は伝達できない。自分が体得するしかないのです。 実はそこに、法華経が「師弟」という全人格的関係を強調する一つの理由もあるのです。

回答No.7

人間を無力にしてしまうものは、”もう駄目だ”!というあきらめにある。 それは、自らの手で、自分に秘められた可能性の扉を閉ざし、精神を 閉じ込めてしまうことにほかならない。あきらめこそが、敗北の因である。 信仰とは、絶望の闇を破り、わが胸中に、生命の旭日を登らせてゆく 力である。「山本伸一」

回答No.6

nokkudayoです。 追記しときます。 日蓮大聖人曰く「末法の正法とは南妙法蓮華経なり、此の五字は一切衆生をたぼらかさぬ秘法なり、 正法を天下一同に信仰せば此の国安穏ならむ、されば玄義に云わく「若し此の法に依れば即ち天下泰平」と、 此の法とは法華経なり法華経を信仰せば天下安全たらむ事疑有る可からざるなり。」 です。

回答No.5

学会員です。 >日蓮聖人の教えを学びたい。・・・・@すばらしいことです。 >南無妙法蓮華経を唱題したい。・・・・@これもすばらしいです。 >しかしそれには他宗他教を排斥しなければならない。・・・@容認し難いのは、日蓮仏法をあまり知らないからです。 >私は他の宗派、宗教を邪教だと思いたくない。・・・・@貴方の優しさはすばらしい。しかし間違った宗教の怖さを知らないからです。 >こんな自分は日蓮仏法で幸せになる事は出来ないのでしょうか?・・・@今のままで、幸せになります現在は勿論、来世に亘って幸せです。実践すれば段々とわかってきます。それが日蓮仏法というものです。 (幸せになる条件) 1.創価学会の指導通り、先輩に付き切って実践することにあります。 2.あとはありません。 (実践の仕方) 1.朝夕の勤行唱題を毎日欠かさず実行する。 2.お題目を唱えるときは、真剣にする。功徳は絶対に出る、又今の願い事が絶対かなうと信じて唱えます。   ここが重要なのです。   信心を止めさせようという魔の働きが必ず出てきます。外からも内からもです。(日蓮仏法曰くであります)   法華経仏法用語に、”勇猛精進”とあります。 ”勇”とは勇んで行動すること。(お題目を上げて祈って行動する。勇気が出る状態になります) ”猛”とは智慧の限り尽くすこと。(お題目を上げると智慧が湧きます。知識ではなく智慧です。(知識は自分で勉強した事や経験など)此の智慧とは仏の生命のことで、日蓮大聖人の生命、いわゆるお題目を上げている本人の生命のこと。すなわち 簡単にいいますと、世間の事象の本質を鋭く見極め、自在にリードしていける生命のこと。又知識を自然と有効に使いきっていけると。・・・これが又不思議。(これだけではありません) ”精”とは、不純な混じり気を入れない(誠実一路) ”進”とは、間断なき前進また前進(仏の生命とは、戦い続けること) 従って、祈り方は 何があっても題目を朗々と唱え、勇敢に粘り強く、へこたれずに前進していくことだ いい気になって油断すれば失敗する。 苦難を避ける心に魔が増長するのである。 「強情な祈り」「最高の作戦」「最高の行動」こそ絶対勝利の要諦である。戦いは「必ず勝つ」と決めた方が勝つ 「断じて勝つ」と我が一念を定める事だ そう決めて祈れば、勇気と智慧が湧く 大聖人のご祈念は、しっぽりと濡れた木をこすってでも なお火を出させてみせる またカラカラに乾いている砂漠のような 大地から水を迸り出させてみせる このように私は強盛に祈っているのだと おしたためになっている。 御本尊に対する祈りというのものは、一大事の時にはこのようなものでなければならぬとお示しになっているのです 最後はまじめに執念を持って戦い切った方が勝つのだ。此れが鉄則である。 この条件で願いごとは、早く解決します。初心者の方はまづ初心の功徳という結果が即出ます。 要は、仏とは闘い続ける事、決してあきらめない、お題目を1日1時間以上をとりあえずの目標として 自分の目標や悩み事にぶつかっていくことであります。 たなからぼたもち信心では決してありません。この修行が、堅固な自分、決して何事にも負けない 自分になる方程式であります。不健康が健康になってきます。又、頭も賢くなってきます。この湧現した生命力は、怖いもの知らず、慈悲深く、本当に日蓮大聖人と 同じ生命になっていきます。「弱い人間だから、信心するのと違うの!」・・・とんでもございません 本当に弱い人間は信心しません、いや続きません、すぐ止めますよ。そんな甘い楽な信心は、大聖人の仏法ではありません。責める、戦う実践の信心です。 この苦しき戦いに、挑戦する人に、仏法でいう”諸天善神”が守ってくれるわけです。何も怖いものはない。 あるのは、今まで経験したことない無上の喜びだけです。従って、また頑張りたくなるのです。 自然と友人にも教えたくなってくるのです。何も無理に他人に教えることは要らないのです、又簡単にわかるはずがない。  まず自分が本当の法華経の行者の如くの信心することです。そうすればわかってきます。何もかもがです。全く不思議です。    取りあえずの回答としては、  釈尊曰く、「四十余年、未だ真実を顕さず」と法華経を説く前に行っています。またそれ以前は方便の教えとして  説かれた説法です。方便は末法では功力がなく法華経によりなさい。と 釈尊はいっています。  此の功徳功力のない方便の教えを広めたのが、過去の坊さんです。  そこで日蓮大聖人は四箇の格言により、鎌倉での辻説法等から、迫害されたのです。なにも自分勝手に言ったのではなく、 御釈迦様の言った通り  法華経の通り言っただけなのです。この迫害も経文の通りであるのです。  今の時代は命に及ぶ迫害はありません。    今のあちこちの戦争、テロ、また国内ではロクな犯罪が多い、恥ずかしい犯罪が多い、残虐な犯罪も多い。  可哀そうではありませんか。大聖人曰く「汝須らく一身の安堵を思わば まず四表の静謐を祈らんものか」・・・と  お待ちしています。一緒にガンバローよ。  nahanさんへ     

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1677)
回答No.4

創価学会 壮年部の者です。 >こんな自分は日蓮仏法で幸せになる事は出来ないのでしょうか? 何をどう信じ、どう行動するかにも因ります。 >日蓮聖人の教えを学びたい。 >南無妙法蓮華経を唱題したい。 貴方が、何故そう思うのか、その思考にいたった 経緯や根拠というものは質問には書いてありません。 この辺りがハッキリしないと、納得いく回答は 得られないと思います。 日蓮大聖人と南無妙法蓮華経ということが 質問には書いてあり、「幸せにはなる事は出来ない のでしょうか?」と書いてあれば、逆に言えば『日蓮大 聖人の南無妙法蓮華経を唱えれば幸せになれる』と 言う事までは、貴方の中で解決できているのだと思 います。 また、日蓮仏法の根幹は、信・行・学です。結論を出 す前に、もう少し貴方の情報がほしいところです。

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