• 締切済み

大英帝国がなぜ繁栄したのか教えてください

Mokuzo100nennの回答

回答No.1

私も長らく疑問に思っていたのですが、実際にイギリスに行って食事をしたときに、ピンときました。 イギリスは食事があまりに不味いので、世界中の植民地に渡った英国人はどんな食糧事情でも祖国よりマシ、ってことでその地に根を張り頑張ったのです。 反対に、日本は食事が美味しいので、海外に渡った日本人が一旗揚げると、故郷に錦をかざってしまうので、世界制服ができないのですね。 イギリスと日本は同じ島国ですが、この点が彼我の差だったのだと確信している今日この頃です。

関連するQ&A

  • 大英帝国のプリンス・プリンセスに?

     おはようございます皆様。ゴールデンウィークも中間を過ぎて私は少々飽きてきましたが、いかがお過ごしでしょうか(^^ゞ  さて日本にはこのようにGW「黄金週間」とも言いますが、海の彼方、ユニオンジャックの国グレートブリテン、大英帝国ではどうなのでしょうね(^o^)  えっ今度はイギリスの長期休暇の事で質問なのかって(^^ゞ!! いえいえ違いますよ、かの大英帝国の王室関係の事です。  まあ、勘の良い人なら分かるでしょうが、もし(ここから質問ですよ)あなたが 大英帝国の王室の一員、例えば、皇太子や妃殿下の立場で、一日休暇ができたとしたらどんな過ごし方をしますか?  私ならって考えましたけど、ボキャブラリー不足で何にも思い浮かびませんでした。(^^ゞ  皆様の「妄想」に富んだ回答をお待ちしています。    Jack

  • 帝国主義進出

    大英帝国について質問です。この帝国がアヘンを中国に輸出し始めた年代(アヘン戦争が起こった年代でも良いですが)は、インドを植民地化した時代より前のことでしょうか? もしそうなら、そのアヘンの時代は帝国主義の時代とは言わないのでしょうか? イギリス以外の国も含め、帝国主義がいつから現れてきたのか教えてください。

  • 植民地経営ってそんなにもうかるの?

    17~20世紀初頭まで、列強はアフリカ、アジア、アメリカを植民地にしまくりました。特に大植民地帝国であった大英帝国が世界をリードする金と、そのおかげで力を得たと言われています。私の疑問は、そんなに世界各国に植民地をつくって、本当に儲かるのかということです。 例えば、イギリス。インドを植民地にして、そこで採った綿花で衣服や靴下を作って、中国人やヨーロッパ人に買わせ、儲けたと言います。お茶もそう聞きます。しかし、今みたいに流通が発達していない時代で、そんなに売れますかね? 中国人なんて、洋服や靴下を着用する習慣あったんですか?庶民が買わなきゃ利益なんてたかが知れてますよね?お茶も自分の国で採れますし。まして、奥地(たとえば四川とか)まで売りに行くのはコストばかりかかって、儲からない気がします。盗賊も横行してそうだし。どうなんでしょう? 大英帝国はその後、第一次世界大戦の4年間?で、それまで数百年蓄えた資産をすべて使い切り、その十倍近い借金が残ったと聞きます。数百年でその貯えなら、本当は儲かってなかったんじゃないですか? 続いて、日本に対する疑問。大日本帝国は、満州など中国大陸に進出しました。その目的は、地下資源であったり、農業であったり、市場囲い込みであったり、ソ連からの防衛であったりと言われています。ソ連からの防衛はともかく、地下資源があるなら、第二次世界大戦で、他の国と揉めること(石油売ってくれとか、鉄鋼売ってくれなど)もないような気がするのですが。戦争中、満州の地下資源て本当に役立ってたんですか?農業も寒くて稲が育たなそうだし、どうせなら台湾でやればいいじゃないですか?市場にしても、そんなに貧しい国民が物を買うんですか? よく聞くのは、中独が戦前まで同盟していて、ナチスが日本と結んで、中国と連携を破棄した時、ドイツ商人が、満州よりも中国(長城以南)の資源の方がよっぽどおいしいと言って残念がったらしいです。 そんなに中国って資源があるんですか?アフリカとか中東の方がいっぱいありそうじゃありませんか?どうなんでしょう?帝国主義時代の最後の方の列強の植民地への注目って、もはやアフリカより中国だったのですか? 補足質問:何で列強は今まで散々ひどい手を使って植民地を拡げてきたのに、日本の満州は認めなかったのですか?利権がらみ?それとも単純にもうそうゆう手を使っていい時代ではなかった? 以上、長々とすみませんが、よろしくご鞭撻ください。

  • “帝国”を統治する政治体制について質問です。 

    “帝国”という称号を持つ国家と“帝国”を統治する政治体制について質問です。 “帝国”とは、ウィキペディアによると、以下の2つの意味で使用されている。 1.皇帝が支配・統治する国家。 支配者の君主号による国家の呼称の1つで、類似の呼称には王国、公国、大公国、首長国などがある。 2.複数の地域や民族を含む広大な地域を支配する国家。 などを指す。 さらに“帝国”の特徴を挙げると、 1.広大な領土を持ち、圧倒的な経済力を保有する。 2.海外に多くの植民地を持ち、奴隷制を敷いている。 3.強大な軍事力を保有し、その強大な軍事力で他国を圧倒する。 4.他国を凌ぐ程の科学技術を持つ。 5.国内は市民・貴族・皇族といった階級社会を持つ。 6.国内には多くの民族と様々な宗教を持つ。 7.元老院といった議会がある。 といった特徴があるが、ここで質問です。 人類の歴史において、帝国という称号を持つ国家はあったが、しかし、その多くは ・内戦(例:民衆の蜂起に倒れた歴代中華王朝) ・異民族の侵入(例:古代ローマ帝国末期) ・市民革命による国家転覆(例:ルイ王朝フランスのフランス革命、ボリシェヴィキ革命によるロマノフ王朝の終焉) ・民族の分離独立による国家の解体(例:オーストリア・ハンガリー帝国) ・植民地の独立による経済・財政の破綻(例:大英帝国) ・硬直化した官僚組織による衰退(例:旧ソ連) といった末路を辿ってきた。 では、もし現代に帝国という称号を持つ国家が誕生し、先の帝国の特徴を持ち、千年あるいは永遠に栄える帝国を支える政治体制を作るとする。 その際、帝国の政治体制の三つの内、 1.軍部が権力を掌握する軍部独裁政権(例:アルゼンチンの軍事政権) 2.一つの政党が権力を掌握する一党独裁政権(例:ナチス・ドイツのナチス党・旧ソ連のソビエト共産党) 3.皇族の世襲あるいは貴族の選挙による専制君主制(例:日本国・神聖ローマ帝国の選帝侯) どれが合理的な統治体制で、千年あるいは永遠に栄える帝国を支える政治体制が一番適しているのでしょうか?

  • 質問

    イギリス本国と13の植民地について質問です。 イギリス本国は13の植民地に入植してから、印紙法で税を課そうとするまでの間、13の植民地に住む人々を結構自由にさせていましたよね? それはなぜですか? 自国の植民地なら規制をかけたり、法や力で抑えつけようとするような気がしますが…

  • 焼肉の一人前

    焼肉の一人前の量は、何を基準にしてるんでしょうか? 僕は、少なくとも3人前?は食べますが、カレーライスやカツ丼を3人前も食べたことはありません。 バカバカしい質問かも知れませんが、ご意見をお聞かせください。

  • 検索キーワードの優先順位は?

    いまさらなんですが、初歩的な質問です。 よろしくお願いします。 一般的な話として、インターネットでのキーワード検索では、複数のキーワードを入れる場合は、スペースをはさんでキーワードを入力しますよね。合ってますか?(汗) 質問1 このキーワードは「and」検索ですか、「or」検索ですか。 質問2 「or」検索として、入力するキーワードに優先順位はあるのですか。 頭の入力キーワードが優先されるとか。 要は検索する際の効率的なキーワードの入れ方を教えて頂きたいのです。 例えば、名古屋でカレーライスが食べたい、という検索は、 「名古屋 カレーライス」と「カレーライス 名古屋」では違いますか? この場合、名古屋で食べるので、他の地区のカレーライスが出てきても意味がありません。逆に名古屋の別の食べ物が出てきたら参考になります。 一方、カレーライスが食べたくて、名古屋でなくてもヒットしたらよい場合もありますよね。名古屋に近ければベターという様な。 上記の2通りで、検索の仕方を変えるとよい、などのテクニックを教えて下さい。

  • 大英帝国とドイツ帝国

    もし、ビスマルクが妥協し、ある程度、自由主義を認めてフリードリッヒ3世が長生きしていたら、イギリスとドイツは戦争しなくてもやっていけたでしょうか?

  • ワシントンについてまとめてみました。

    アメリカ。ワシントンについてまとめてみました。世界史は苦手なので、間違ってるかもしれません。もし間違いございましたら、一部分でもいいので、どうかご指摘のほど、お願いいたします。感想等でもうれしいです。よろしくお願いたします。 銃声がこだまする。 風穴を開けられた兵士たちは、次々と倒れていく。 1750年ごろ。 植民地をめぐって、フランスとイギリスは対立していた。 フランスは今のカナダからミシシッピ川に至る広い地域を治めていた。 一方、イギリスは大西洋岸の細長い土地に13の植民を築いていた。 両国の目的は、勢力の拡大であった。 「すぐにここから立ち退くように」 イギリスからの手紙を持ってきたのは、身長180もある大男だった。彼はまだ未開の地だったアメリカの野を走り、草をかきわけ、急流をいかだで下り、ようやくにしてここまでたどり着いたのだった。 彼こそが後のアメリカ大統領ワシントンその人だった。 書面を読んだフランス側は一笑に付した。 とうてい飲める内容ではない。 戦争が始まった。 フランス軍はインディアンを仲間に取りこみイギリスと戦ったので、この戦争はフレンチ・インディアン戦争と呼ばれた(7年戦争ともいう)。 荒野の中、イギリス軍は隊列を組んで行進してくる。 「隊列を崩しましょう。このままではやられてしまいます」 ワシントンは指揮官に忠言したが、彼は意見を聞かなかった。栄光あるイギリス軍は美しくなければならない。我が大英帝国軍人はいかなる時でも誇り高き存在なのだ。 列を崩さず整然と行進するイギリス軍は絶好の標的だった。木の陰から撃たれる銃により目の前の兵士たちは次々と倒れていく。 イギリスは負けた。 その後、何年にもわたり、戦争は繰り広げられた。 幾多の戦闘の末、勝利したのはイギリスだった。 パリ条約が結ばれ、ミシシッピ川より東にある全てのフランス領やカナダがイギリスのものとなった。 さて、ここ植民地13州では。 「おい、聞いたか?また新たな税金がかけられるそうだ。今度は印紙にまで税金がかけられるそうだ」(印紙とは、新聞、卒業証書、商業手形、法律文書などのことです) 「冗談じゃない。イギリスは一体オレたちを何だと思っているんだ」 「イギリスは俺たち植民地の人間を本国議会に出席させないくせに、税だけは取ろうとしやがる」 「そうさ、こいつは悪法だ。『代表なくして課税なし』だ!(=議会に代表を送れないのに、課税をするなんてふざけるなって意味)」 植民地からの怒りに驚いたイギリスは印紙法を取りやめにしたが、その代わりに茶などのの品物に税をかけてきた。 ある晩のこと。 ボストン港のイギリスの商船(=東インド会社の船)に不振な男たちが乗りこんだ。インディアン…いや、違う。インディアンに扮した植民地の人間だった。 「おい、全部捨てちまえ」 彼らは木箱をかつぐと手当たり次第に海へと投げ捨てた。ボストン港は赤く染まった。 彼らは積荷の紅茶を全部海に投げ込んだのだった。この事件をボストン茶会事件といいます。 「不当な法律を取り消してください」 植民地の人間はイギリスに頼んだ。しかし時のイギリス国王ジョージ3世は言い放った。 「これは大英帝国への反逆だ。いいか、力で屈服させるんだ。植民地をイギリスに服従させるんだ」 ‘どうして、イギリスは分かってくれないんだ’ 「もはや戦争は避けられない。戦争に勝つしか、我々が自由になるすべはない」 人々は決意した。 ついにイギリス軍と植民地軍との戦争がおこった。ここにアメリカ独立戦争の火蓋が切られたのだった。 その頃、コモンセンスという本が民衆の間ではやっていた。 「おい、お前何を読んでいるんだ?」 「コモンセンスさ。俺たちにとって独立は必要なことなんだ。俺たちが戦うのは自由のためなんだ」 トマス・ペインによって書かれたこの本は人々を勇気付け、独立の気運を作り上げた。 初代最高司令官にはワシントンが任命された。 ジェファーソンが独立宣言の原案を考え、そして、1776年7月6日、独立宣言がなされた。 すべての国民は生まれながらにして平等であり、生命、自由、幸福を追求する権利を持っていると信ずる」と。 その月、イギリス軍の大船団がニューヨークへと姿を現した。 海を埋め尽くす大艦隊。 あまりにも歴然とした戦力差。ワシントンは一時撤退し巻き返しをはかった。その後、アメリカ軍は苦戦しながらも戦いを進めた。冬がやってきた。 衣服も武器も薬も足りない。 志願兵は帰ってしまう。 「一体、どうしたらいいんだ」 ワシントンは頭を悩ませた。 一方、その頃、ベンジャミン・フランクリンは、フランスで交渉をしていた。 「イギリスはフランスの長年の敵。今こそ、イギリスに打ち勝ついい機会ではありませんか」 ワシントンが頭を悩ませているとき、吉報が届いた。 フランスと植民地との軍事協定が結ばれたのだった。 フランス艦隊がやってきた。大艦隊を引き連れて。 アメリカ、フランスの連合軍がイギリス軍を包囲し追い詰めた。 ついにイギリス軍が白旗をあげた。 これより植民地13州は「アメリカ合衆国」という国名を名乗ることになる。 1783年、パリ条約でアメリカ合衆国の独立は、正式に認められた。 イギリスはミシシッピ以東の地をアメリカに譲り、13の州はひとつの連合国家としての歩みを始めた。そしてワシントンは初代の大統領になった。 ワシントンは2期、大統領をつとめたあと、3期のすすめを断りのちに引退した。ワシントンは故郷バージニアに戻り、3年後世を去った。首都は彼の名にちなみ「ワシントン」と命名された。 (注)ジェファーソンは、独立宣言を下書きした政治家。1800年の選挙で、彼は3代目の大統領に選ばれる。このころ、ヨーロッパ中をまきこむナポレオン戦争がはじまっており、彼はどの国にも味方しない中立の立場をとり、国内を安定させる努力をした。フランスよりルイジアナを購入し、国土も2倍に広げた。 以上です。よろしくお願いいたします

  • 命令系が浮かんで炭水化物を大量食いした

    広汎性発達障害の要素が大きいと診断されて、抗精神病薬とランドセンを服薬しています。 最近、頓服の服用が多くなっています。 リビングで温めたお茶を2階の自室に持っていく時に「早く食べろ」「もっと食べろ」という考えが勝手に思い出されるのがあり、とらわれているのかいないのか、よくわからないことがありました。 そういうきっかけでカレーライスを大量に食べてしまいました。 カレーライスの量やカロリーはわかりませんが、ご飯だけで300g以上は行っていたと思います。 質問1)「早く食べろ」などの考えが勝手に浮かんだのは感覚過敏のストレスと関連づいていました。 こういうことは統合失調症限定ですか?それとも違うんですか?【答え:前者・後者のどっちですか??】 質問2)とらわれているのかいないのか良く分からない。 とらわれ=過敏な刺激で「早く食べろ」「もっと食べろ」という考えが勝手に浮かんで、大量に食べたり、やけ食いをした。 とらわれ=頭に浮かんだ考えに振り回されてしまう=したがってしまう=【答え:はい・いいえ】 どなたか答えてください。 カレーライスを一人前よりはるかに多く食べたのが有るのか無いのかよくわかりませんが、有るんだと思ってます。