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親鸞聖人

地獄一定 について、教えて頂けると、幸いです。

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  • mmky
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回答No.2

鎌倉時代は仏教の教えそのものがわからなくなってきた時代ですね。 優秀な若者が叡山や高野山で学んでも悟りそのものがなにか判らなくなっていたのですね。 仏教が形式に流れ始めた時代であるともいえますね。その中から新しい方向が生まれ、その一つが念仏ですね。法然の起こした念仏は当然、形式を重んじる他宗派から攻撃されたわけです。日蓮などは辛らつで、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」といってますね。日蓮本人の悟りもおぼつかないのにこれほどですから、他はさして余りありますね。 念仏などやっていれば無間地獄に落ちるというのですからひどいものです。仏教では無間地獄というのは一番長くて出てこれない地獄という意味なのです。まあ、地獄の中でも最悪の地獄という意味ですね。 さて、親鸞は法然の念仏を信じることにしたのですね。それが親鸞の信心ですね。 親鸞の信心は、「私は法然の念仏を信じる、それで無間地獄に落ちようがかまわない。」という信心なのです。「註:凡人の考える阿弥陀仏にすがれば助かるということではないのですね。」 そこに「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」があるのですね。 巷では念仏など信じると無間地獄に落ちるというが、私は法然上人の念仏を信じるそれだけで、それが地獄であるならばそこに住んでいるとでもいいたかったのでしょう。 仏教的にはほめられたものではありませんが「信仰、信心」というものはそういうものなのですね。 究極の信仰者の姿ともいえますね。これが無心、無我の信仰・信心の一つの形態でもあるのですね。 日蓮によれば禅天魔ですが、禅の悟り、「しんじんとつらく」、心が体から抜け落ちるという意味ですが、それに近い無我観が感じられますね。 仏教には悟りの門がたくさんありますが、その中で入りやすいが一番出るのが難しいものが信仰の門ですね。これを信解脱の法門といいますが親鸞は信解脱の法門を卒業したことは間違いないことですね。 何かが得られる、何か良いことがある、死んだら天国に行く・・・だから信じるではないのですね。 親鸞の信心はあくまでも修行僧としての信心ですね。だから親鸞の信心は一代限りとご自身で言っている通りですね。でも親鸞の姿は信仰者のお手本ですね。

ugg06006
質問者

お礼

釈尊の御言葉にも、「生まれ変われる輪廻を捨てて、苦しみもまた、消滅するであろう」とは、国境を越えて、人間の考えることは不変だと、つくづく、思います。 来世は、どうなるか分からない。 たとえ、この世の全てを握ったとしても、来世の保障はないという、ある種の怯えがあると思います。 命の尊厳が分かるのは、人間だけですね。 ロボットは、人工知能を得たとはいえ、死生観はないです。 殺生せずには、命を繋いでゆけない人間だから、人間以外の生物にも思いをよせたりするのでしょう。 人間には、死は免れないのですから・・・・。

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  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.1

もっと詳しい方が回答をされるかもしれないという前提で、私の理解している狭い範囲で回答してみたいと思います。 私の知っているのは 『歎異抄』 の 「地獄は一定住みかぞかし」 という文句だけです。 私の理解では、これは、「私は、どう転んでも罪を犯さずに生きることは出来ない」 という自覚から出発しているのではないかと思っています。 仏教は宗教ですから、本来 「戒律」 というものがあります。僧になるということは、俗を捨てて聖の世界に身を置くことで、ですから俗人とは違って、より厳格な戒律があり、僧であって戒律を破ることは大罪となります。 元々は僧である親鸞は、僧でありながら、俗人と変らぬ自分を自覚します。修行したり経文を学んだり読経したりしても、特別な存在に変身できない自分を意識します。 何のために修行するかといえば、輪廻転生から解脱することが目的です。 俗人の罪を清めてあげるはずの自分が、俗人と同じ欲望に苛まれてどうにもならぬ。もはや、いくら努力してもこの境遇を脱することができぬ。さりとて、俗を捨てた身であり、「普通の人に戻りますよ」 なんてことは出来ません。社会的にも、それでは生きていけません。 そういう迷いの果てに法然上人の専修念仏に出会うわけですが、とにかく罪から逃れられない身は地獄に堕ちるしかないというのが、仏教の思想のようです (ただし、針地獄だの血の池だの、そういうのは分りやすくするために表された方便でないかとは思いますから、次元の違う地獄かもしれませんけれども)。 とにかく、仏教の思想としては、罪を清めることが出来ないのならば、地獄に行くしかないわけです。 そのこと、つまり悟りを開くどころか、俗人とまるで変らぬ己を鑑みた親鸞は、「自分は地獄に行くしかない身だ」 と観念するわけです。 それが 「地獄は一定住みかぞかし」 ということではないか、と私は理解しています。 自分はどう転んでも、仏になるような素晴らしい仏力などといったものは得られまいな、では地獄に行くしかないのだ、という自覚です。 その自覚の上に念仏というものがある。阿弥陀如来の誓願というものがある。 地獄に行くのが嫌だから念仏するというのではなくて、本来地獄に行くべき身だ、という自覚の上に念仏がある。 それでも救われるという信仰を得るわけですが、その底には 「地獄一定」 という自覚があるわけです。 私の理解はざっとこのようなものですが、素人考えなので、あるいは正式な考え方とは違っているかもしれません。

ugg06006
質問者

お礼

長文に渡る、返信ありがとうございます。 親鸞さんと言えば、非僧非俗が有名ですが、親鸞さんが地獄もまた、住みかぞかし だったか、とにかく、お念仏を唱えれば、阿弥陀如来の救いがあるのだ、と、おっしゃられていたかと、記憶があります。もし、違ったら、訂正よろしくお願いします。いずれにしても、親鸞さんの真意は分かりかねますが、妻帯し、子を儲けることは、当時の仏教の戒律からして、掟破りだったのは事実でしょう。それから、親鸞さんは今とあっては、教科書に掲載される人物ですが、昔は、名僧の一人にも数えなれなかったと聞きました。親鸞さんが注目されるようになったのは、近代以降らしいですね。 ご丁寧な解説、誠にありがとうございました。ところで、貴公は、小生に返信してくださるくらいですから、人生に多大な契機がおありなのでしょうか? 立ち入ったことなので、おっしゃられる必要性はないですが、貴公の人生の岐路に、歎異抄を紐解くほどの人生の危機ともうしましょうか、何かおありになったのでしょうか。匿名性ですので、もしよろしければ、歎異抄を開かずにはいられなかった、貴公の半生に何かが襲ったのでしょうか? 小生、つくづく、今生も救われなければ、来世もまた、救われない身なのかもしれぬと、思いは複雑です。 幸いにして、刑法に触れた経緯はないのですが。半生を振り返るに当たって、罪深いことを随分してきた、と。 今は、遠い昔になりますが、ある事故に巻き込まれて、一命を落としかねない生命危機があり、その時は、本当に、自分は死ぬのだ、という危機が半生の岐路にありました。 自分は仏から見放されて救われ難い、罪深い人間なのだ、と、深く人生回顧しました。 四苦八苦とは、仏教用語ですが、人生本当に、四苦八苦です。

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