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働きたくない

noname#208901の回答

noname#208901
noname#208901
回答No.11

ん~。哲学と宗教が混じった問題だと思うんですよね。 人は何のために生まれてきたのか。ということなどを 考えた場合、その人が幸せになるためには、犯罪などを 侵さない限りでその人のやりたいことをするのです。 拙論を述べます。 私は他の解答にも書いたことがありますが、人の幸せ っていうのは、自分の心の中で感じ、周りからは見え ないものです。周りから外見上そういう状態をばかにされ たり、さげすまれたりしてダメージを受けると、それを 受けている状態は幸せではなくなるため、それから 逃れるためにそうしないように動くという行動が取られる ようになりますね。だから周りが認めてあげないと 幸せというのも訪れなくなります。 だって、「周りから幸せだと認められるように生きるように なってしまいますから、その人の人生ではなくなって しまう」という結果に帰着するからです。気にするな。って 言われても大多数の人間が無理なんじゃないですかねw お前そんなんだと将来馬鹿にされるぞ?負けて悔しくないのか? 情けない野郎だ。まぁ我々の時代を引っ張ってきたこれらの言葉。 これ実は非常に怖い言葉で、使い時、使い方、使う相手、を間違えると 別に「そうやって生きていきたくもないのにそう生きなければならない ような気に」させる言葉なんですよね。そうでなければ単なる ストレス原因となります。 例えば↑の言葉を一番気にかける負けず嫌いタイプ。負けず嫌いは 負けることが嫌でとにかく頑張ります。周りからその姿を称賛される 事も多いでしょう。ですが負けず嫌いの多くが持っている心境というの は実は、「負けたくない対象が、自分に対して持っている情報を 書き換えてやりたい。もし自分の気に入った情報、満足のいく情報 を持っているというのであれば、それを維持したい」という個人の 欲望が正体なんです。だから、面白いことに、ばれなければ張ったり だけ言って終わる奴もいますよw。 どうせ調べられないしばれないだろうというところで自分を大きく 見せて、それでOKっていう人もいます。ごまかしあいですね。 それは↑の負けず嫌いっていう存在を端的に表現していますし、 本質をついた行動ではないでしょうか^^ なにはともあれ 人間はどんなに頑張っても、屋根の上で寝てる猫のような 生活はできないのです。皮肉なもんですよね。 猫の世界にも縄張り争いや喧嘩なんかもありますけどね。 人間ほど激しいものじゃないかもね。 正直言って、世の中のほとんどの人があなた甘えてる。 という解答をよせますよ。でも私はあなたはそう見られる っていうのを見越して質問なさったんだろうと思います。 話を戻して、あなたがその絵描きや創作とかを行わずに 過ごした場合、おそらくあなたは非常につまらない人生を送る ことになるでしょう。それ以外で楽しめることがないのであれば 同じことです。「夢中になれるものがいつか君をすげぇヤツに するんだ」(ドラゴンボールの歌)ではないですが、人は、 何年生きるか。よりもどう生きるか。が非常に重要なわけです。 例えば100歳まで生きたとしても、寝たきりでチューブで体を つながれ、身動きの取れない老人として長いこと生き続ける というのは、はたして幸せでしょうか。 こんなの幸せだとは思えないっすね。傍から見てて。 口はひっじょーーに悪いし、必死で介護されている方にも 申し訳ないですが、生にしがみついている 部分が見えます。むしろ今まで働いた分医療費に取られて しまって、は?って感じにもなりませんか。痴呆老人も 似たような感じになりますね。 20万稼いだとしても10万を医療費に飛ばすのは簡単です。 労働がすべて。それからもらえる給料がすべてと言うのなら 話が早いですが、意外と使いたくないもんに回ってるもんです。 坂本竜馬は日本のために自分の命を燃やしました。彼は 幸せだったと思います。わずか36~8歳?という短い 命だったでしょうけれどもね。その当時は長寿なほうだったの かな。。。 やりたいことが見つかった人間であるのだから、やりたいことも 見つからず流されて生きるよりもいいのではないでしょうか。 坂本竜馬も25歳になっても親から仕送りをうけ、自分で稼いだことは ほとんどなかったとか。でも尊敬されているのは彼を認める人と それだけの結果があったからでしょう。では逆に何も残らなければ? ・・・。そしてドラマを根拠にしたいい方ですが、彼は枠にとらわれず その時禁じられていたキリスト教やなんかもやっぱりこだわらず、 義狭の精神を持ち、そして多くの人を幸せにしました。 坂本竜馬だったら貴方にこういうとおもいます。自分のやりたいことを やればええがじゃってね。彼がいなければ今頃日本は植民地 後の日本だったはずです。しかもおそらくロシアあたりに やられてたんじゃないかな。今になっても北方領土返して くれないのに日本が植民地になったらかなりやばかったですよ。 親が言う幸せっていうのは、あなたにとっての幸せじゃないです。 周りがいう幸せっていうのも大体は外れています。 この喧争に満ちた社会の中、苦しんで嫌になってでも我慢しなくちゃ いけなくて、それで苦しんで死にたいと思ったり鬱になったりして 甘えるなと言われそして頑張って立って、周りから見たら 「おしん」ですか?とか言われるまで動かないと認められなくて で、気づいたら老人になっていた。貴方はこうなることが 怖いんじゃないんですかね。これは貴方の人生ではなく、 周りの目に翻弄された結末といえるかもしれません。 ぶっちゃけ言ってしまうと、「自分の幸せ・行き方」を逃した人生を 振り返ると私たちはある意味労働力として 生まれてきた。感もかなり強い世の中に見えると思いますよ。 いつの時代もそうですけどね。そうまでして人って生きなければ いけないんでしょうか。 社会っていうのは他人との共生の場です。他人とのつながりを 切り捨てて生きていくことはおよそ不可能です。で、あなたは 人間嫌いなんですよね。かなり苦痛だと思います。 さて、世間一般の人の立場に立って話を進めますと、こういう 嫌なことも、耐えてやればやがて好きになる。克服できる。 ということをいっているのです。そしてそれから逃げているから 甘えている。と言われる。やがてその嫌なことでも立ち向かえば 次第に好きになったり、他にもやりたいことや充実したことが 発見できるようになるため、頑張らない事は逃げている。 ということになるのです。意外と進めば簡単だった。という こともありますからね。 確かに今は「生きていくこと」が物凄い 重たく受け取られる風潮がありますし、実際重たいです。 生きていくことの「つらさ」、自殺。生活保護。 殺人事件、幼児虐待、パワハラ、婦女暴行、変質者、 政界の混乱、大災害という、実は未来のイメージを暗くし、 人々から希望を奪っているんじゃないかっていうくらい 人生の「暗」の部分が全面に出ています。「明」の部分 ばかりを知らされ、何も知らずに幸せに死んだ方が いいんじゃないかと思うくらいに。 ↑の負けず嫌いではないですが、もし負けず嫌い、が活きると すれば、「自分が嫌だと思っていることから逃げずに立ち向かい 好きなものに変換させていく」のが一番まっとうな負けず嫌いで、 ↑の他者の情報を気にする負けず嫌いはあんまいい負けず嫌い とは言えません。大体前者のタイプが多く、周りは前者を後者と 見て尊敬することもあるみたいですね。重なりあう部分があるから でしょう。あるいは耐え続けていることにその人の「強さ」という ものを見るのでしょう。 だけど負け続けなかった結果、いい結果に終わるということもある。 だからこそ人はこういう人生に肯定的であり、それなりの 説得力があったのでしょう。 さて、どちらがいいんでしょうか。貴方が自分の幸せを取るので あれば、あなたは創作の道を進めばいい。手塚修は卓袱台 一台部屋4畳半の何もないところから漫画家人生を始めた そうです。 ここは逆を言って、今は仕事を考えず、もう創作ではやっては いけないなってほどのめりこんで見るとどうでしょうかね。 そうして気づいたら別の道の可能性はなくなっていた。という 結果に行きつくこともあれ、そのもともとの可能性に幸せを 見いだせないんだったら、そこで死んでもOKじゃないですか。 え?なんて言った?って思うかもですが、私は人のことだから こそ簡単に死んでもいいって言えるとは思うんですが、 正直言って、好きなことせずに生きている人は、↑のように 負けず嫌いの延長とかね。過去の傷から出発したりとかね。 自分のプライドを守るため。とか子供からかっこ悪いって 思われたくない。とか立派な人に見られたい。異性にもてたい とか。 かっこいいから。とかそのこと自体が好き、というよりも、 やはり周りからの関係性の中で進んでいる人が多いです。 彼らを突き動かしているのは実は好きなこと。だったから ではなく自己満足と欲望だった。という皮肉な結果に 終わることもあるんです。しかしそれはそうとは言わせない 社会でしょうけどね。またドラマから。ですが三菱を立てた 岩崎弥太郎はコンプレックスをばねにしてましたねぇ。 だからこれだけ言っておきますね。自分を信じなさ~い。 ここに負けず嫌いを生かしなさい。もうほんと悟りっぽい こといっているかもしれません。 仏陀は王子様なのにすべてを捨てて出て行ったくらい ですからね!自分を信じた人の頂点じゃないでしょうかねw。

ss1010
質問者

補足

回答ありがとうございます。 「おしん」ですか?には笑ってしまいました。でもその通りです。 自分はそんな人生が送れるほど強くは無いので、それを求められると 強烈に絶望を感じます。その生き方を実行出来て、それを当たり前とする多くの人々にも。 私も人生に可能性を見出せないならさっさと死ぬべきと考えています。 怖くてその場は自殺できなくても、希望を見出せない以上近いうちに確実に破滅するでしょう。詰みですね。 katiguse07さんの回答を読んだ後にもう一度自分の質問を見返して思ったのですが、 どうも根本にあるのは自分に対する不信のようです。 私は作家になりたい、自分の求める生の喜びを手に入れたい、そういった人生を送りたい。 そう思う一方で、今のこの私の渇望は全て若さ故の思い込み、世間知らずの甘え、欺瞞なのではないか。 少し歳を取って冷静になれば、それらは全てひっくり返ってしまうのではないか、 自分の判断や感情に従って上手く行ったことがあっただろうか? 一切が誤りで嘘なのではないか、自分は全く信用してはいけないのではないか。 私の思考、苦悩、希望、喜び、感覚、それらは果たして本物か?現実に通用する信用に足るものか?全て自分の都合の良いように改変した嘘ではないのか? そんな恐れが何事においても脳裏の中心に居座っているのです。 それが現在のどっちつかずの姿勢、目の前の仕事に対する強迫観念に現れているのかもしれません。 もう少しよく考えてみます。

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