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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:なぜ進化の過程で苦しまずに死ねる機能を手にしたのか)

進化の過程で苦しまずに死ねる機能の理由と重要性

thegenusの回答

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.48

EBMが言葉遊びと言ったのは、EBMの取り組んでいる内容が、言葉遊びに過ぎないということではなくて、EBMを持ち出した人が、言葉遊びしているという意味ですよ。だってEBMと言っただけで、EBMに基づいた肝心の説明をしていないんだから。 (No.46) >「人間が「家畜化されている」=「人為淘汰されている」というのは、文学的な比喩としてなら別に止めはしませんが、生物学的な認識としてはまったく的外れです。」 まずパクリの話題ばっかりです。「文学的な比喩」とか、いいから、自分の発言責任に注意シナよ。終わりにすると言ったのはうやむやか。その他のトンデモ科学発言も。 大学卒業したんでしょ。頼みますよ。人間は非常に管理されているでしょう。 産めとか、結婚しろとか、子供手当てとか……(笑) 学会費とか(笑) 主体性のない人には主体性が分からないのです。管理されている自覚がないのです。その民度の低さが「管理社会」を作ったのです。家畜的な人生の自覚がないから、もっと管理をしてくれなんですよね。それが管理である事もピンと来ない。日本人に自我、シナ人に人権みたいな価値でしょう。有ると権威がきめれば自分には有ると思っている主観。肩書き主観。 無教養すぎますね。学会は、自分の研究の仕方を教えてもらうところじゃないですよ、獣医先生。気の毒に。上等な研究指導も受けられなかった人なのでしょう。なるほど、獣医師と自己顕示するはずですわ。 生物学的認識として「性格」が正しいのかよ(笑) 繁殖に有利不利をつくる管理社会じゃないのか(笑) 自分の性欲が動物的なだけじゃないの?ルソーも動物的だったな。 人間社会を自然にするなよ! ”家畜は、家畜化されている自覚がないんですよ”家畜化されたサラリーマンもそうです(笑)典型的な中流意識ですね。 知識と肩書きがあれば人間のつもりなのでしょう。家畜的に繁殖しておきながらね。 遺伝子支配と主体性の問題が恣意的ですねえ。その自覚もないのです。賢い人ではありません。 すべて無自覚。パクリの自覚もないというのは韓国の捏造研究者かね。 科学原理主義的なこの手のおばかさんには家畜的なヒトが多いのです。自分の言葉がないのです。おうむがえしですね。 『自然選択の意味が分かってるのですか?』Jagar獣医師大先生。 動物と人と、自然と人間文明が、ぐっちゃぐっちゃですよ。 やはり動物学系は、啓蒙されていないね。 ルソーは啓蒙主義ではないからね。自然に帰れって、自分の欲望が自然に帰っていただけのトンデモ先生ですから。同じ倫理観のトンデモ信者が評価と分類をしている愚昧ですね。自然科学も同様です。獣医師いわく、心理学が生物学とか(笑)あきれるね。 (No.46) >「むしろ現在は「人為淘汰」的な淘汰圧はほとんどなくなった時代と言えるでしょう。」 で、自然淘汰の方が昔と変わらないのですか(笑) 次から次からトンデモ認識、きりないよ。半分以下のレス数しかしていない私一人では、これでも、ほんの一部しか指摘できていません。気付かない傍観者が多いということでしょうか。いつになったら終わりにするという発言の責任をとるんだろう。 (No.45) >「 いずれにしろそれは中世ヨーロッパ限定の話であって、普遍的な話ではないと認識しています。  まあ、政治や社会制度そのものが宗教に立脚していた時代では、全てが宗教と結びついていたので、科学も宗教の補強となっていたことは否定はしません。」 "まあ"「否定はしません」(笑)否定できるかどうかを教えて欲しいね。 宗教に支配されていたと言いたげですが。分かっていない人だなあ。先入観が強い。馬鹿は決め付ける。まさに二元論者ですよ。対立していたわけではないのですよ。いわば学会が宗教界の内にあったのですよ。いつの時代も学会は宗教的なんだよ。宗教嫌いの学会好きというはお子様ランチです。 科学と宗教は対立関係じゃないですよ。そして宗教権威を補強する気がないのに仕方なく補強してしまうことになったという成行きでもないの!宗教がなかったら「今の科学」なんてないよ。おっさん的無教養だな。そういう学のない人のお布施が学会費だろ。ありがたい、ありがたい、という衆生の集まりでしょ。 次の大矛盾も、私以外に指摘する人がいないのでしょうか。 (No.45) >「 今も昔も、「宗教を必要としない人」は一定の頻度でいたと思いますが、進化的に多数派にはなれないのでしょう。 > なぜなら、宗教は社会の人間同士の結びつきを強くする効果があって、「宗教を持つ集団」は「持たない集団」より強くなり得るからです。」 (No.45のお礼)この意見に対して、質問者さんが。 >「説得力があります。」 なぜ説得力があると一致したのでしょう。この獣医師の意見は、ドーキンスと最も反対の考え方なのですよ。ドーキンスとは反対意見だから説得力が出たんじゃないの? どうしようもないよ。ドーキンス並の思考力を得られたかのような口ぶりの獣医大先生は、ドーキンスと反対意見じゃないか(笑)なぜか?自分で考えた話だから、ジが出た(笑)ドーキンスを信仰して、反対者を非難して、著書を読んで、人にも勧めて、絶賛して……いるのに、考え方が正反対です。?倒錯型ですね。盗作だし。 私は、前から指摘し続けているでしょ。引用している部分が科学者ふぜいで、本性は宗教的な思考だと。 当たり前ですが、著者の意見の引用している時だけなんですよ。分かります?だから権威を手放せないわけ。中身がないから。 宗教活動は遺伝子に規定されているんですか?宗教集団は競争力で生き残りが決まるんですか?どっち? 話がバラバラです。引用して得られた、既製の単品の中でしか、まとまらないひとなのです。自分の思想を完成させる能力も習慣もない専門家業者です。 お子さんに罪はありません。親を選べません。何も教えずに、黙って「利己的な遺伝子」を勧めるのがいいですよ。間違いが遺伝しないで済みます。 (No.45) >「それらの知見が蓄積すれば、ビルの「正しい形」を導くことができる、ということです。」 そう思うのも信仰です。トンデモ先生は導けたと主張する傾向があります。 やはり全ての科学者が科学者ではないということですね。その肩書きが信用できるほど、確率的に高くないね。むしろリスクだよ。 質問者さんの伝えている事が分かっていないのですよ。それが分かるでしょ、質問者さん。 お山の大将にも分かるようにざっくり言うと、観測しかできないということですよ。その一面的な観測を正しい立体形と言っているのが、獣医師先生なのです。常設査読委員らしいのです。素晴らしい雑誌になるでしょうね。これでは第三者的査定能力もなく、結論先にありきで、その形が正しいと権威にすがって決めているのです。説得力不在。それとも同業者はもっと酷いのかね。酒飲んで政治している馬鹿ばっかりで、毛が2、3本少ないお山の大将が下読み担当技官に大抜擢ですか。動物学界はエデンの農村だな。賢者のいない小世界。 (No.45) >「 口蹄疫の殺処分でも人間は相当な緊迫感を持ちます。事実、人間にとっても危険ですから。宮崎で30万頭近くの殺処分をする中で重大な怪我人が3人ほどで済んだのは僥倖と言って良いくらいです。」 戦場という比喩は危険な作業場ということではありません。それは文学的にも止めてほしいね。危険ならば戦場……命が一番、死にたくないから、戦争反対という幼稚な心理を感じますね。戦争は死ぬかもしれないという幼稚な出来事ではないのです。戦場の雰囲気などと、よく言えますよ。大した場って。 牛を殺して戦場というのは、兵士たちに失礼です。死んだ人間にも失礼です。戦死者と殺処分を並べているのが非常識です。さすが獣医です。そういう人格に日本政府は独占的な資格を与えて保護しています。 家畜と人が同じ次元になっている。やばいです。 戦場のたとえを使う前提は、人命を奪うかもしれない作業を、人が人に対して行っている場合です。それでこそ、たとえが中身を伴ってくるでしょう。戦場と言ってしまえるのは、イルカと魚を同一視するレベルの短絡的観察者です。そういう専門家の報告です。 牛の死から、他の牛の心理や、戦場にまで飛躍するのは、動物物語です。視聴率がとれます。今の日本は、平和ボケを越える動物ボケ社会ですね。その宗教的社会の中ではインチキ坊主が支持を得られるのです。人畜が同じなわけないだろ。文明の退化だね。ますます違ってくるべきだろ。 戦争が起きて、医者不足になったら、獣医が人を治療し始めるのでしょうか。それは最悪の「戦場」ですね。 (No.44) >「自分の中で緻密な論理構成ができていない話では当然他人を納得させることはできませんが、それ以前にその話はたいていの場合「科学的に間違っている」可能性が高いです。」 説得力があります。

noname#142902
質問者

お礼

<EBMを持ち出した人が、言葉遊びしているという意味ですよ。 そういう意味でしたか。たまには言葉遊びも必要と彼女は考えたのでは? ただの議論ではなくて道草も必要、と。 <ルソーも動物的だったな。 そういえば彼も散々子供を作って孤児院送りにした問題人間でした。少年時代に性犯罪で逮捕される人などそうはいません。 <で、自然淘汰の方が昔と変わらないのですか(笑) 日本では乳児の死亡が殆ど無くなり、病気と言う自然淘汰はほぼ無くなったと言えそうです。 (No.45) >「 今も昔も、「宗教を必要としない人」は一定の頻度でいたと思いますが、進化的に多数派にはなれないのでしょう。 > なぜなら、宗教は社会の人間同士の結びつきを強くする効果があって、「宗教を持つ集団」は「持たない集団」より強くなり得るからです。」 (No.45のお礼)この意見に対して、質問者さんが。 >「説得力があります。」 <なぜ説得力があると一致したのでしょう。 <この獣医師の意見は、ドーキンスと最も反対の考え方なのですよ。 <ドーキンスとは反対意見だから説得力が出たんじゃないの? そうですね。彼の上の発言は自然淘汰ではありません。利己的な遺伝子という自然淘汰ではなく、宗教による人為淘汰を示していますね。 <宗教活動は遺伝子に規定されているんですか? <宗教集団は競争力で生き残りが決まるんですか?どっち? 回答NO.13「信仰心を生むような精神構造は遺伝子によって規定されているでしょう。」だそうです。一方で宗教を持った人が生き残るとも書いています。卵が先か鶏が先か。 <質問者さんの伝えている事が分かっていないのですよ。 <それが分かるでしょ、質問者さん。 何となく分かる気もします。 <それとも同業者はもっと酷いのかね。 酷くなくて立派な方もいますが……。ただ、基本的に彼らは本当の意味での挫折を知らないとは思います。獣医というのは偏差値的からみてもエリートといえます。その様なエリートの人、大学教授という、大学院まで出られた人達。官僚にしろ音楽家にしろ、大体の人間は普通の人生に比べたら幸福です。獣医学部に入れるような環境を持っている人がそもそもどれ位いるでしょうか。大学院まで行ける富裕層はどれ位いるのでしょうか。音楽を幼い頃から学べる富裕層も限られるでしょう。楽器も楽譜も基本的には高価です。楽器や楽譜は中古でも値崩れしません。よって上流の人々が苦労を普通よりも知らないのは仕方ないですし、それによる悪影響があるのも仕方が無いと思います。以前、新聞でどこかの教授の人生体験を読みました。海外に留学したものの日本に帰ってきて希望する研究を出来なかったのを『挫折』と書いています。私はそれで悲しくなりました。挫折と言うのは親がいなかったり、自己破産したりしたり、不治の病だったり、事故に遭って半身不随になったことを言うのです。ホームレス中学生のようなものを挫折と言います。そもそも留学するほど恵まれた環境の人間がどれ位いるでしょうか? 以前、70歳の牧師が「なぜこんなに良い人達が刑務所にいるのだろう」と書いていたのを読んでも悲しくなりました。逆に彼はなぜそのことも分からないのでしょうか。なぜ受刑者の気持ちが分からずに70歳まで生きられたのでしょうか。不思議です。牧師というのは神学校を出なければいけません。私自身色々な牧師に会っていますが、殆どが富裕層出身です。私は彼らを責められないとは思っています。その環境ですら仕方が無いのですから。   <牛を殺して戦場というのは、兵士たちに失礼です。死んだ人間にも失礼です。 そうですね。『気を抜くとすぐに自分が死ぬ』のが戦場です。自分の危険度が圧倒的に違うと思います。そして牛を殺すのは自分の命が助かるのが前提ですが、戦場ではむしろ逆で『自分が殺される』のが前提となってきます。そういう覚悟で臨む場が、戦場です。小野田少尉も書いています。『ああ、自分の命も20歳までだったか……』と。 <戦場のたとえを使う前提は、 <人命を奪うかもしれない作業を、人が人に対して行っている場合です。 そして気を抜くとすぐに問答無用で自分が死ぬと言うことです。そして死を前提にするのが普通の戦場です。自分の死が前提にならない牛の処分は戦場を考えるなら甘いといえます。

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