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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:なぜ進化の過程で苦しまずに死ねる機能を手にしたのか)

進化の過程で苦しまずに死ねる機能の理由と重要性

mrsamamaの回答

  • mrsamama
  • ベストアンサー率41% (35/84)
回答No.53

mrsamamaです。 やはりすべてお分かりになっていらっしゃったのですね… まったく軽々しく口開くもんじゃないよ、と冷汗しきり、という感じです。 私は仏陀の言葉はしらないのですが、 キリスト教でも「苦しいときは神が近くにいる」と言いますよね。 「そばで励ましてくれているから頑張れ」という意味だと思っていたのですが、 「神が目をかけた者の道は険しい」という意味なのかもしれないな…と そういうことを「わかってきた」と言うのか、 「なんでも都合よく、自分の言い訳に使う」と言うのか、よくわかりませんが。 励ましてくれているというのは、万人向けの解釈で、 その中の一握りに、本当にこの言葉を向けられた人がいるのだろうと思います。 ずっと前の方のやりとりに、「動物は殺されることがわかっている?」 という話が出ていましたよね。 私は、生命が脅かされているとき、感じ取らない方が不思議だと思います。 それをどの器官が、どういう機序で…と言い始めると すごく狭い「人智百科事典」に頼るしかなくなって答えも見つからないけれど。 転じて、 受精卵が胚に成長するごく初期の段階で、脳の元となる神経管が形成されるので、 今「記憶のストック場所」とされている大脳辺縁系は その時点ですでに、とりあえず元基という形でできてきています。 赤ちゃんが泣いておさまらないときに、母親の心拍音を聞かせると落ち着く、ということは、 赤ちゃんには胎児時代の記憶があるということですよね。 こういう時点の記憶は、純粋な感覚記憶であるに違いないので、 快感・不快感、のような漠然とした印象を、胎児も持つわけです。 生物にとって生命の危機が最大唯一の危機なわけだから、 胎児が恐怖(?)と言っていいのか、とにかく危機感を感じるのは 当ったり前じゃないか!…と私には思えます。 人間がいかに意識的に「意識や思考」を取り払って洞察しても、 どうしても「動物は死を《察知》し、《覚悟》しているかのように見える」 と記述してしまうし、それを読むとまたさらに「思考の賜物」的印象を得てしまう… 「ひざまづく」という言葉を想起した時点で、 どれほどたくさんの印象やイメージがその人の記憶から引き出されているか、 結果としてどれくらい「ニンゲン臭い」イメージを創り上げているか、 文字で伝える情報っていうのは、とてもリスクの高いものだと思います。 脳は最近のマスコミと同じくらい、純粋さを失ってるのかもしれません(笑)。 と、同時に、「ひざまづく」行為がどう発祥してきたのか、 動物が自然にやる動作を、人間があとから意味づけして 「敬意」という形式にしてしまったから、「動物がやるわけないでしょ」 ―――となってしまったようなことって、他にもあるのかもしれませんよね。 どれほど自らが「思考」に毒されているか気づかずに定義や議論をするのって、 私はずいぶんヒトって無神経で、悪気ないけど傲慢だよな、って思います。 改めて質問を読んでみると、 「苦しまずに死ぬことは進化に必要なのか?」ということがありましたよね。 ウミガメの産卵なんか見ていても、ツルっと埋めそうなのにえらく大変そうな様子で、 産卵、出産には、たぶん「何がしかの助け」が必要だったのではないでしょうか。 進化しようとする本能を本能として奔放に進め、広げていくとしたら、 ネックになる「産みの苦しみ」を取り去る必要があった? もしかしたら、オピオイドの始まりは「出産報償」で、死ぬときも利用するのはオマケかな。 私は2度の出産で、ほとんど痛い思いをしたことがないんです。 あの時点で気づいていれば、医師に「採血してオピオイド濃度を測ってくれ」とか 言えたのにな…私は、かなり動物的な部分が強く残った、直感型なのですよ。 だから「だって、わかっちゃうんだもん」という視野もあります。 ただ、そういう考え方は、現代の価値観ではまるで評価されません。 実際、ほとんどの医師と話していると、彼らの科学擁護は強迫観念的にも思えます。 彼らはツールとして医学(科学)を使うので、 コトバひとつでその信頼性を崩されることを、本能くらい深層で拒むのでしょうね。 しかし本にしてしまった―――かなりのバッシングも覚悟の上ですけど、 医師はダメでも生物学の先生たちはけっこう乗ってくれるところが やっぱり医者って、単なる商売に過ぎないなぁ、と感じます。 私が、お金や人間関係を取り上げられて、代わりに天から預かったものとは、 感性を表現するための「言語表現力」なのかもしれません。 超自然とカテゴリーされる種々雑多なもろもろは、ある指摘によれば 「感性を持つ人は表現力がなく、表現が出来る人は感性がない」 ゆえに、いつまでも市民権を得られない。 感性を持ち、なおかつ意味づけと表現できる言語力が必要だ、と読んだことがあります。 私の役目はそれなのかな…?と思います。 あなたのような方に興味をもっていただいたのは、大変ありがたいことです。 しかし、細かい論証をバサバサ切り捨てた思考の遊びと言われかねない雑文が、 あなたくらいの洞察や知識に耐えるかどうか…はなはだ心許ないものですよ、実際。 8月の予定でしたが、装丁に時間をかけたいらしく、刊行は9月になるようで、 三五館という出版社のHPを見れば、9月の新刊で出るでしょう。 「とらんすがいあ~ぜ」がタイトルになると思います。 出版社の意図で、地震災害や生活の見直しという色が多少ついてしまいましたが、 同じタイトルのHPを持っているので、こちらは純粋に私もので公開しています。 そこからヤフーアドレスですが、メールコンタクトもできるようになっています。 この本は私が東洋医の立場で書いたものですが、HPから 別のネットマガジンで連載した内容がごらんいただけます。 興味をもっていただけたのは大変嬉しく感じておりますが、 ガッカリさせてしまう気もして、どうかな?と思いつつ、お知らせいたします。 何度も何度も、余計な口をはさんでしまい、失礼をいたしました。 ご縁がありましたことを喜んでいます。これが価値あって発展しますように…。

noname#142902
質問者

お礼

<やはりすべてお分かりになっていらっしゃったのですね… これは私に対してですか? 有難うございます。しかし全てを分かっていると自分で思い込んでしまうと傲慢になってしまいます。成長とは基本的には過去の自分の否定です。ですのでこの言葉は嬉しく思いますが、その気持ちだけ頂いて、これからも自分を鍛えていく所存です。 <「神が目をかけた者の道は険しい」 かわいい子には旅をさせないといけませんね。教育者としても見込みの無い人には厳しくしません。疲れるだけですので。そういう意味では厳しい人生を送る方が神に愛されている、とも解釈できそうですね。 <「なんでも都合よく、自分の言い訳に使う」 誰かを積極的に苦しめるのではなく、自らを助ける言葉ならば都合よく使って良いと私は考えています。 神がもし私達を敢えて谷底に落としているのならば、これ位の都合の良さ、言い訳ぐらいは多めに見てもらえるでしょう。 <ずっと前の方のやりとりに、「動物は殺されることがわかっている?」という話が出ていましたよね。 私も第6感で感じ取っている、というのがあると思います。宇宙はダークエネルギーが74%、ダークマターが22%、可視物質が4%の割合で構成されていると言われています。逆に言えば現代の医学は4%の可視物質についてしか研究していません。ダークマター、言い換えて暗黒物質はそもそも充分に観測できていません、ダークエネルギーも同様です。と、いうことは現代の学問はたった4%のデータを基に全てを決めようとしているとも言えそうですね。正直、ソクラテスの無知の知を覆せる程の学問は私は知りません。あ、「われ思う、故にわれあり」位でしょうか。よって科学信仰、学問信仰の現代は(?)と思う面もあります。学問は基本的には「芸術」ですので。絵で何かを完璧に教えられないように、学問でも全てを完璧に分かることは無理ではないでしょうか。正直言って私は生物を生物たら占めているのはダークエネルギーやダークマターだと思っています。生物は物とは違います。可視物質が生物の身体を構成していても、魂はダークエネルギーやダークマターだと思います。あなたのホームページに霊の話がありましたが、霊などの魂が宇宙の残りの96%と私は考えています。ちなみに私の敬愛する本多信一氏が死の床で不思議な光景を見ました。傍に飾られていた花と医者・看護婦の身体が輝いていたのです。彼は嘘を書く人ではありません。詳細は彼について調べてみてください。彼の著書は名著ばかりです。私も非常にお世話になりました。ですので、生物はその様に気があると私は思います。 <ほとんどの医師と話していると、彼らの科学擁護は強迫観念的にも思えます。 <彼らはツールとして医学(科学)を使うのでコトバひとつでその信頼性を崩されることを、 <本能くらい深層で拒むのでしょうね。 彼らは自分に受け入れられないものを否定して、自らを肯定しているのです。医者は大変です。医者になるまでの学習量は膨大です。(私もそれをやったので知っています。本当に大変です。)しかも医者は医学部で、同年代の若者が遊んでいるのを尻目に必死に勉強しています。いえ、医学部に入るまでも他人が遊んでいるのを尻目に勉強の日々だったはずです。そうなれば彼らが自分を肯定するために他人を否定するのも頷けるとは思いませんか? <やっぱり医者って、単なる商売に過ぎないなぁ、と感じます。 病気についてしっかりと説明しないで薬だけ出すのが普通ですからね。しかし医者は医者なりに色々と大変です。研修も大変ですし、最近は専門医制度まで導入されました。医者の世界もどんどん厳しくなってきています。知人の医者でも自殺した方もいます。医者は奴隷だと私は考えます。それ程、厳しい仕事です。 <文字で伝える情報っていうのは、とてもリスクの高いものだと思います。 確かにそうですね。一方で丁寧に伝えれば相手に伝わりやすい良い道具とも思います。 <私はずいぶんヒトって無神経で、悪気ないけど傲慢だよな、って思います。 傲慢になることで自分を肯定して自分を守って、自分の心を慰めているのでしょう。自分が立派と思えば、自己肯定感が育まれて心の傷が減るでしょうから。この世は苦しみに溢れています。仏陀の言うとおりです。この苦の娑婆ならば、人間が醜くなるのも当たり前だと私は思います。 <私が、お金や人間関係を取り上げられて、代わりに天から預かったものとは、 <感性を表現するための「言語表現力」なのかもしれません。 私にそれを適応するならば「慈悲」や「同情」だと思います。 <あなたくらいの洞察や知識に耐えるかどうか…はなはだ心許ないものですよ、実際。 私が洞察や知識を沢山持っているかというと私は分かりません。逆に自分の洞察や知識が優れていると思うと、そこが傲慢の始まりになってしまいます。だから常に謙虚に生きて生きたいと思っています。しかし何度も褒めてくださって有難うございます。 前のお礼から色々と調べました。オピオイドが死後の幻覚を作っているかどうか。モルヒネやアヘンなどによって引き起こされる幻覚について調べても、実は大した幻覚ではありません。モルヒネやアヘンなどもオピオイド受容体に作用します。もし、死後の幻覚がオピオイドによって引き起こされると仮定した時、モルヒネやアヘンを大量に摂取すれば同等の幻覚を見るはずです。しかし私の知る限り、その様な記録はありません。そもそも人体は幻覚が簡単には起こりません。アイソレーション・タンクや刺青クリスチャンという本を参照しても、せいぜい「幻聴」や「人の姿を見る」にとどまっています。と、なるとオピオイドだけで臨死体験ほどの幻覚が発生するのは疑い深いです。もし、死後にオピオイドが大量に出たとしても、オピオイドだけでは身体の防御反応で臨死体験ほどの幻覚は見ないと思います。 ホームページ、拝見しました。モーツァルトが疲れない、という記事で成る程と思いました。私も小室さんが売れた理由に同じものを感じています。小室哲哉さんの歌、たとえば「恋しさとせつなさと心強さと」を考えて見ましょう。(もし知らなかったらyoutubeで聞いてみてください。名曲です。私が人生で一番好きな曲です。)その曲はバックの音楽がうるさいだけで、メロディーラインは非常に単純です。楽譜を参照すると「単純」と言ってもいいかもしれません。しかし彼の旋律も自然で自己主張していません。むしろ、日常会話とかけ離れていません。「恋しさと~」と口ずさめる感じです。今思うと、彼の歌も素直でしたね。ちなみにベートーベンは私は尊敬しています。彼は苦労人だからです。しかし苦労しているからこそ曲にその苦労まで現れてしまったのかもしれません。 <このスナオさこそ、天衣無縫ということなのかもしれない。 テニスの王子様という漫画ではラストで最強のテニス選手を「天衣無縫」で「楽しむテニス」の主人公が破っています。テニスの王子様の42巻、お勧めです。世間では割とたたかれることもありますが。漫画も勉強に使えます。バガボンドなどは非常に真理を付いています。お勧めです。あとはスラムダンクの完全版でないほうの8巻もお勧めです。安西先生、いい人です。 <何度も何度も、余計な口をはさんでしまい、失礼をいたしました。 余計どころか、どの回答も非常に含蓄が多く、とても学ぶべき所がありました。ホームページも本当に色々と勉強になりました。この度は何度も示唆に富む回答、誠に有難うございました。 <ご縁がありましたことを喜んでいます。これが価値あって発展しますように…。 私も嬉しく思っています。しかし今、親戚がごたごたしているので人付き合いをしている暇が無いというのも事実ではあります。悲しいのですが……。80年代は良い時代でしたが、今は色々と大変です。しかしこの言葉、有難うございました。

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