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人間のオスは本能的には何に欲情するのか?

noname#160718の回答

noname#160718
noname#160718
回答No.19

 Jagar39です。  私もようやく何を知りたいのか判ってきました。  でも・・・あり得ないことを考察するのは難しいし、する意味もあまり見いだせないのでは?  生まれ落ちたまま、何の刺激も与えずに春期発動(ヒトで言えば思春期)まで育てること自体が不可能です。全ての本能は学習や条件付けによって修飾されるわけですから、ヒトに限らず動物のほとんど全ての行動は「後天的」になってしまいます。 >パブロフの犬の例で言うと、食欲が先天的で、ヨダレを流すのは「ベルの音」という学習、つまり後天的なものが行動のきっかけになってると言えますよね。  食欲というのは、血糖値が下がったときに不快感(飢餓感)を感じるという、単なる生理的反応ですよね。  「食欲」、つまり「何か口に入れればこの不快感が収まる」ということですら、赤ん坊の時に口に含んだ乳首を"反射的に"吸ったら飢餓感が収まった、という後天的条件付けの結果かもしれない、ということを否定はし切れないでしょう。  何の後天的刺激も受けずに育った個体は、自分の飢餓感と目の前の食物を結びつけることができるのでしょうか?  「何の後天的刺激も受けずに育つ」ということがあり得ないことですし、そもそも本能自体が「後天的に修飾される」ことを前提にプログラムされているものならば(当然そうだと思います)、「何の刺激も受けずに育った個体」が示す行動が「本来の本能行動」ということができるのか?という疑問も多大にあります。  原始的な時代にだって、その時代、環境での後天的刺激はあって、それによって本能行動は調節されてきたのでしょうから、質問文からそこまでは読み取れませんでした。 >ベルの音が鳴ったときに餌が出てこなければそういう学習はないはずですし、ベルの音が鳴らなくても先天的に腹は減ります  本当に「生まれてから何の後天的学習をせずに育った個体」は、腹は減ってもエサを見てヨダレを垂らすかは疑問です。また、「腹が減る」というのは「本能」というより単なる生理的反応に過ぎないような気がしますが・・・殴られれば痛い、というのと同レベルです。  ああ、そうであれば「殴られれば防御姿勢を取る」のは、純粋に「先天的行動」かもしれないですね。  ん~、でも、防御するのは「2発目があるぞ」という予見に基づくわけですし、その予見が後天的学習なしに可能かどうかは微妙です。だから本当に「何の後天的刺激も受けずに」育った人あるいは動物は、殴られても2発目に対する防御行動は取らないかもしれない。3発目には防御するかもしれませんが、それは既に質問者さんの定義では「後天的」な行動ですよね。 >ただ、食わなければ死ぬという食欲と、満たさなくても死ぬことはない性欲とでは、なんとなく性質が違うような気もします。  個体の死と生殖できないのは、少なくとも進化的には同等でしょう。  個体が「食べることが判らない」ことで飢え死にしても、「生殖の仕方が判らない」ことで生殖できなくても、「遺伝子を継代することができなかった」点では同じです。なので進化論的に見た性質は同じだと思います。 >性欲についてはきっかけはすべて後天的?とまで思えるようになってきました  そうでしょうね。性欲に限らず、ほとんど全ての行動も含めて。  例えばある時期の赤ん坊が何でも口に入れてしまうのは「本能的」だと私も含めて大多数の人が思っているでしょうが、それも出生直後からの「口に含まされたもの(乳首)を吸ったら不快感(飢餓感)が解消された」という学習効果がなくてもあり得るのか・・・どうでしょうね?  まあ口に含んだモノを「吸う」というのは、正味掛け値なしの「本能行動」と言っても良いのかもしれませんが。 >学習無くして、後天的なものをすべて省いたとき、性欲を動かす先天的な条件を知りたいんです。  臭いは間違いなくあるでしょう。ほとんど全てのほ乳類で「臭い」は主要な「欲情導入スイッチ」として働いていますから、人間では働かないと考える理由はないでしょう。  乳房も、遺伝的にプログラムされているとは思います。女に限らず男もですが、二次性徴で形成される「男の、あるいは女の」身体的特徴は、いずれも「異性を本能的に刺激する形態」であるはずです。男だけが筋肉質になったりヒゲが生えたり、女の乳房だけが膨らんだりする「生存的な必然性」はないのですから。  ですが、ヒトの複雑化した社会では無条件に欲情してしまうと不都合なことも多々あります。なので、「この状況では欲情してはいけない」といったネガティブな条件付けも多数必要です。抑制的な状況から「欲情してもいい、あるいはすべき」状況になったときに、スイッチを切り替えることも条件付けしなければならないでしょう。それはその社会の状態が大きく関わるわけですから。  「幼児期を密接な関係で過ごした異性には「欲情」するな」というネガティブスイッチも用意されているところを見ると、この条件付けは複雑怪奇なようですよね。  単独生活が基本で繁殖期しかオスとメスが出会わない、というような動物では、「とにかくメスの臭いを嗅げば欲情しろ!」というようなシンプルなプログラムで良いのでしょうが、社会性がある動物では複雑な制御が必要になるのは必定でしょう。  その制御の大部分は「後天的な学習」に頼るしかないのでは。でないと「遺伝的な進化」より遙かに早い社会の進化に追いつけませんから。  後天的な学習による条件付けの対応幅の広さ、というのも遺伝的にプログラムされているのでしょうが、それも含めて「本能」であると、私は考えます。  例えば、チンパンジーのオス同士が「順位制」を形成するのは、誰もが「本能」だと考えるでしょう。遺伝的にほとんど交流がない群でも似たり寄ったりの社会を作ることからも、順位制が彼らの本能であることは疑いの余地がないでしょう。  でも、順位制を決める行動そのものは、紛れもなく学習行動そのものです。  つまり、あまりに「先天的」に拘るのは、「本能」というものの本質を見失う恐れがあるのでは?ということです。  ですから、「学習無くして、後天的なものをすべて省いたとき、性欲を動かす先天的な条件を知りたいんです」のが質問だとすれば、「そんなものは判らない」というのが答えだと思います。  そもそも後天的刺激を全て省いたとき、第二次性徴がまともに起きるか(つまり「欲情可能な状態」になるか)さえ、判らないのでは?第二次性徴が起きる原動力も、要するに脳内のホルモン等の伝達物質によるのですから、「後天的な刺激」なしに完全に動作できるのかどうか、誰も判りません。  原点の質問文に戻ると、 >本能的な部分では人間のオスって何に対して欲情するものなんでしょうか?  では、メスの体臭や乳房や尻を代表とする「メスらしい体つき」がそうだ、と思います。  特に乳房は、「性的器官」として進化しているらしい特徴があることから、強力なスイッチになっていると考えます。 >背徳感など持ち合わせていなかった原始的な時代に、人間はどうやって欲情して繁殖してきたんでしょうか?  それぞれの「社会」の環境に応じて細かなスイッチは異なったでしょうが、やはり体臭と女性の体つきはいつの世にも欲情スイッチになっていたと思いますよ。それぞれ後天的に修飾されていたでしょうが。

noname#250246
質問者

お礼

では、やはり質問の回答的には「わからない」ということなんですね。 先天的なことだけを考えれば「性欲がある」というような機能的な説明しかできないのかもしれませんね。 ありがとうございました。

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