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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:原発の哲学的考察)

原発の哲学的考察

wiz0621の回答

  • wiz0621
  • ベストアンサー率42% (182/430)
回答No.8

これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重があるということが関係するかと思いますし、ゆえに これは優れて経済的、つまり全く同じ意味ではありますが哲学的な設問の範疇かと思います。 仮に個々の命の価値が等価値であった場合。 2万人の命の価値と1億、そして60億の命の価値を比較すればどうなるか。 当然個々が等価値なのですから、その価値の総和は より数が多い方が高くなるのです。 一方でこの初等算術を現実と照らし合わせたときに、 特に切り捨てられる少数者はもちろん違和感を感じることでしょう。 彼らの違和感の正体は前提の間違いに起因します。 すなわちこの簡単な数式が正しくない、あるいはその全てを救うべきである というのであれば、命の価値は等価値であるという 根本を変える必要があるのです。 人の精神の働きは常に価値の評価を行うのであり、 特に道徳律に支配された実社会においてはリスクの大きい側を "弱者"とし、同時にそれを道徳と呼称し生命の価値、 救済の必要性を大きく見積もる傾向が見て取れます。 その一部への救済を優先的に行おうとする行為の中に、 高価値の人命、すなわち"弱者"が誕生するのです。 貧困国から富裕国への善意の救援という矛盾はこうして成立します。 我々が生きる文明生活という市場に要求される姿勢は、 絶対的な価値を持つ命という架空の存在に拘り 空虚な算術的比較を繰り返すことではなく、 命の価値が常に変動するという事実を受け入れ、 その相場を見極めることであるのです。 そして人間の価値評価は、当然ながら他の人間に対してのみに留まるものではありません。 価値は変動するのならば、やはりリスクに対して相対的に算定される存在である コストの算定も、やはり新たに判明したリスクの評価(当然ながら震災に限らず) によって変更されるでしょうね。 つまりそういった価値基準が変更されてはじめて、 人は新たなコスト負担を正当な対価として認識できるのではないでしょうか。

noname#194996
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >>これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重があるということが関係するかと思いますし、ゆえに これは優れて経済的、つまり全く同じ意味ではありますが哲学的な設問の範疇かと思います。 これですね。私は以前の関係スレに、(危険ではあるが”低コストの”)原発は当面エネルギーの逼迫に悩むインドやら中国、アフリカなどの大型開発途上国にどんどんつくり、先進国は原発を停めて緊急避難的に(高価な)石油やガスを使っていく、という提案があったことを指して、どこでも危険なものは危険なものとして、ダブルスタンダードは避けるべきではないかと釘をさしたわけです。 この一見安直な(世界的視野で資源問題を解決するための、ある意味人種差別的な)提案を回答者様は、悪くはないので、もう一度積極的に見直すべきだ、と仰りたいのでしょうか。 >2万人の命の価値と1億、そして60億の命の価値 これは実に悩ましい問題です。 どこかにも書きましたが、国土防衛に自衛隊がいのちを張って前線に立つのは職業意識であり義務ではありますが、敵前逃亡を妨げる法律はあるのでしょうか。戦前の兵士はそこで撃たれても当然だったのです。 フクシマでの前線で私の抱いた不条理的感想でした。

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