他人に責任を転嫁する人が増えてきた傾向の原因は?

このQ&Aのポイント
  • 最近は他人に責任転嫁し「私は絶対に悪くない!」と主張する日本人が急増してきた気がしますが、なぜでしょうか?(クレーマー、給食費を払わない親たち、公共マナーを注意した人を逆恨みしてぶん殴る若者、そのほかたくさん)
  • 日本もアメリカのように訴訟社会、自分の権利を主張した者勝ち、という世の中になってきたのでしょうか?これから日本で暮らしていくには「多少の無理を通しても自分の要求を通し、少しでもトクしたほうが勝ち」という漫画「ドラえもん」のジャイアンのような”図太い生き方が正しい”ということになるのでしょうか?(そんな社会はいやだ)
  • それとも「気がする」だけで昔からこういう人はたくさんいたのでしょうか?
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他人に責任を転嫁する人が増えてきた傾向の原因は?

最近は他人に責任転嫁し「私は絶対に悪くない!」と主張する日本人が急増してきた気がしますが、なぜでしょうか? (クレーマー、給食費を払わない親たち、公共マナーを注意した人を逆恨みしてぶん殴る若者、そのほかたくさん) 日本もアメリカのように訴訟社会、自分の権利を主張した者勝ち、という世の中になってきたのでしょうか? これから日本で暮らしていくには「多少の無理を通しても自分の要求を通し、少しでもトクしたほうが勝ち」という漫画「ドラえもん」のジャイアンのような”図太い生き方が正しい”ということになるのでしょうか?(そんな社会はいやだ) それとも「気がする」だけで昔からこういう人はたくさんいたのでしょうか?

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  • sirousagi1
  • ベストアンサー率35% (717/2007)
回答No.8

「原因」の究明には、とても興味をそそられます。 ゲームのリセット感覚といいますか当事者意識が無かったりしているようですね。 心理面から現代の日本人は、道行く他人を「石ころ」のように想定しておくそうです。関わりから遠ざかりたいと考える人が多くなっているらしいです。 昭和50年代前半には、こんなにも変な状況が蔓延したような世の中ではなかった気がします。 思うに(私的見解として) 昭和54年前後に中学生の「校内暴力」の問題が全国に広がったと記憶しています。その頃あたりからが変化の兆しであったのかもしれません。 私もその頃の年代に近いんですけど、当時の親同士の噂話からですが、私よりも下の学年では事あるごとに親が口をはさむ「バカ親」の出没を聞いた覚えがあります。 この両者が混じりあって、現在までに向けて着々と進化していたようです。でも何がそうさせたのかの起因は不明です。 昔は子供を見て「親の顔が見てみたい」と皮肉でいいましたが、 現在では「なるほど、この親あっての子供だ」と、皮肉にも冗談にもならない状況にあります。 連鎖を考慮する上で、現在までに「子」←「親」←「祖父母」と悪くも時勢に合わせて増幅しながら伝承してきたようです。 実際に、平成12年頃には、「モンスターチルドレン」なんてのが社会問題として挙がりましたが、例えば昭和54年に渦中だった16歳が平成12年には37歳です。その子供たちが12歳前後になっているだろうなんて偶然すぎます。 >図太い生き方 注意されて、「他人に迷惑をかけていない」と発言する輩が大勢出ましたが、お前らのその態度自体が迷惑行為ってことを解らせてやりたい気持ちもあります。 世間体(世間の目)という言葉が欠落している辞書しかしらない人達や恥を知らない人達が多数横行している現在の日本はどうかしてしまったようで悲しくも思います。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 迷惑行為は困り者ですよね。 でもそういった連中が大手を振って歩いていて、さも「無茶な権利でも要求した者が勝ち。無理が通れば道理が引っ込む」 となってる今の世を憂います。

その他の回答 (9)

  • eld3399
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回答No.10

今も昔もという感じがします。例えば親の育て方が悪いなど。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 それも原因かもしれませんね。

回答No.9

本当に増えたのでしょうか? 私は、ただ、そういうものを取り上げる機会が増えただけで、実際に増えたのとは違うように思います。 >「クレーマー」 これは、言葉がなかっただけでは? 昔から理不尽なことを言う人はいました。 >「給食費未納」 これは、別に増えていません。 昨年12月に発表された給食費未納率ですが、金額ベースで0.6%、生徒数ベースで1.2%です。このとき、新聞記事では増えた、と騒いでいましたが、その前回が金額ベースで0.5%、生徒数ベースで1%ですから、ほぼ一緒と言えます。 それ以前については調べられていません。 全国の小中学校の親の、99%は真面目に給食費を払っていて、金額ベースで99.4%ですから、全部払えなかった人も、できるだけ払おう、としていることがわかります。99%の人が払っていて、しかし、給食費が足りない、なんていうのは、むしろ、給食費が100%払われることを前提にしたシステムに問題があると言えます。 (給食費問題が出たのは、モラルの問題より、給食費の計算方法が厳密な実費徴収になったことで、余裕がなくなってしまったのが原因です。昔も、未納者自体はいました) >公共マナーを注意した人を逆恨みしてぶん殴る若者 若者による犯罪というのは、人口比においても減少をしています。 現在の日本では、20代の若者より、60代の人の方が、殺人率が高いのです。電鉄会社のまとめた駅員に対する暴力事件件数でも50代くらいが最も多い、となっています。 ただ、これは、別に高齢者の暴力事件が多い、というよりは、若い世代が犯罪を起こさなくなっていること、が原因です。 なぜ、そういう風に思えるのか、というと、人間の記憶というのは曖昧なものだからです。 人間というのは、自分に直接関係がなかったりするようなもの、というのはすぐに頭から消えてしまいます。 例えば、今から10年前に起こった凶悪犯罪を10件挙げなさい、と言われても頭を抱えてしまうことでそう。当時は、かなりセンセーショナルに報道されたはずなのに。記憶とは、そのくらい曖昧なものです。 一方、現在の出来事というのは、リアルタイムで報じられたりしていることですから、細かいところまでわかります。 そうすると、都合良くカットされたりしている記憶と、リアルタイムの今を比較して、今は……という気分になってしまうのです。 それと、もう一つは、社会の注目が増したことで、「統計上の件数が増えた」というものもあります。 わかりやすいのが、児童虐待の問題です。 児童虐待は02年から09年にかけて、児童相談所への通報件数が40倍に激増しました。これに、極めてわがままな親が起こした事件のセンセーショナルな報道が重なることで、「今の親は……」という人がいます。 完全なる間違いです。 02年から09年ですから、期間はわずかに8年です。当時、1歳の子供を持つ親は8歳の子供を親になったに過ぎません。つまり、殆どの親は同じ人間です。 もし、これが「本当に」皆が虐待したようになったのなら、突然、多くの親の人格が変わった、などが起こっているはずですが、そんなことはないでしょう。となると、これは、統計の性格によるもの、と考えるべきものです。 児童虐待に関して言えば、報道などもあって多くの人が「いけないことだ」と認識し、疑わしいときは児童相談所などに連絡をするようになりました。それが、通報件数激増の正体です。 言い換えると、これまでは、虐待が疑われても見逃されてきた、ということです。 実際、警察統計によると、親によって殺害される未成年者というのは、減少しています。 つまり、こういう記憶というものの癖と、統計の性質による増加を、ある意味では素直に、「他責的な人間の増加だ」という風に結びつけてしまうことで、ムードが蔓延してしまっている、ということだと思います。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 マスコミの報道の仕方に問題があるのかもしれませんね。

noname#246942
noname#246942
回答No.7

「赤信号 みんなで渡れば怖くない」と言う事です。 ジャイアンはまだいいですよ? ちゃんと自分の意志で決めている事ですからね。 だから、「ジャイアン」のキャラを確立出来る。 要は「スネ夫」が増えて来たと言う事です。 周りがやっているなら自分だって損はしたくないわ。。。(給食費未納問題) ムカつく奴は殴る!見た?俺ってスゲーだろ?チキンじゃないぜ!。。。(マナー注意者を殴る若者) 全部、周りに影響されている事だと思いますね。 本当に、自分が最初の発起人だったらやっているか?と考えれば、必ず変に人の目を意識しているが故の行動だと思うんですよね~。 だから「自分の意志」とは違うと思います。 実に格好悪いですね。 こんな世の中ですので、簡単に他人を信じれなくもなるのは分かります。 ただ、「私は絶対に悪くない!」と主張する時だけ、都合良く「他人のせい」にはされたくありませんね。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに周りに影響されてやっているのは格好悪いですね

  • KappNets
  • ベストアンサー率27% (1557/5688)
回答No.6

戦前はもの言えば唇寒しであったようですが、戦後、自由にものを言えるようになった結果、逆に振れて、理不尽な自己主張がまかり通るようになったようです。目立つ悪い例が「モンスターペアレント」(何でも学校・教師が悪いと責めたり要求したりする)と「親の死を隠して年金を詐取する」風潮です。公園などで他人の子供をしかると親が食って掛かって来ると言う話しも聞きますが、やはり(子供は自分のもの、公園で何をしても自分の勝手)根は肥大化した権利意識ですね。 適度に批判しながらも引くところで引くという、互いの立場を見る、人間的なマナー、道徳が必要ですよね。他党を責めるばかりの国会議員の物言いも「モンスター」的で国民の悪い模範になっている気がします。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 でも戦前にもどるのもいやですね。

回答No.5

責任転嫁の人が増えてきた傾向と掛けて、サプライチェーン進展の代償と解く。 村の木を切って、自分と隣組で家を作っていた時代には、住宅瑕疵担保保証制度は要らんかった。 いま、住宅のサプライチェーンが地球を一周して、フィンランドの材木をアメリカの化学糊で接着した集成材をつかって、家をつくる、しかも森に囲まれた郊外の住宅地で、、、(笑)。 その結果、シックハウス症候群が発生すれば、自分の問題はなくて、ハウスメーカーの問題だと考えるようになった。 家の周りの木を使おうとしない自分には問題がなく、サプライチェーンを駆使してローコスト住宅を建ててくれた「ハウスメーカーに全責任があるのじゃ!」 自分で子供の服を作ることなんぞ「昔の習慣」になっちまった。 それどころか、街の縫製工場で作った服さえ見向きもせず、わざわざサプライチェーンを駆使して中国内陸部の貧しい農民の子供を安く雇って一日10時間もミシンを踏ませる連中の服を買って、子供に着せる。 子供に着せた服の縫い目が解れた? 自分の子供の服を作るのを止めた自分ではなく、サプライチェーンを駆使して安い服を提供してくれた会社が悪いのじゃ! 「”高速小売”会社に全責任があるのじゃ!」 家族の食を裏庭で飼育し、自分で屠殺し、自分で料理するのは、とうの昔の話。 いま、サプライチェーンを駆使してオーストラリアあたりの動物の肉をつかった”高速食品”が人気。史上最高の売り上げだと。 で、そのうち、自分の体重が肥満になったのは、”高速食品”が提供したハンバーガーサンドの肉に脂分が多いからだ。 「自分が肥満になったのは、すべて“高速食品”企業の責任だ!」 昔から、責任転嫁したがる人はいらしたでしょうが、自分で自分の子供の躾をしていた時代に、子供の躾が悪いことを学校の教員の責任には出来なかったでしょうな。 人生が、ますますサプライチェーン依存に成ってゆくと、問題が起きた時にはまずサプライチェーンの先にいる見えない人達の問題だと感じ、見えない人を訴えられないから、サプライチェーンを構築して、利用して、商品やサービスを届けてくれた人を責める人が増えるでしょう。 一方、少数の知恵者たちは、自らの問題と考え、自給自足、地産池消が可能な分野を維持し、拡大しようとする。 その結果、村の山は生き返り、木造住宅建設は村の大工を潤し、町の縫製工場で個別一品生産のお洒落な子供服が作られうようになり、自分達の食は安心・安全は自家製が最高と考えられるようになる。 99%のサプライチェーン依存症と1%の自主独立派の二極分化の世界になるのではないでしょうか。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、一理ありますね。

  • ID10T5
  • ベストアンサー率31% (732/2313)
回答No.4

子供を叱る大人が減ったからだと思います。 昔はよその子供でも悪いことをすれば大人が叱りました。でも今はそんなことをしたらその子供の親から抗議されます。 日本では子供は小さい頃は叱らずに育てろということになってます。 大きくなったら叱ってもよいのですが、そんなことをしたら子供から仕返しを受けてボコボコにされますから、怖くて叱れません。体力では勝てませんから。 そうやって叱られず我慢することを学ばない子供が育ちます。そういう子供が大人になって今に至る、ということでしょう。 アメリカの子供はよその大人には叱られませんが、自分の親には叱られます。日本よりかなりマシです。 日本はひどい国になってしまいましたね。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かにひどい国になってきているとおもいます。

  • Oby_st
  • ベストアンサー率11% (26/233)
回答No.3

単純に、そういった理不尽なケースを知る機会が増えただけでは? クレーマーとか給食費を払わない親とか、"事件性"でいうと軽微なものですからね。 インターネットがない昔は、そういったものまでいちいち取り上げる余裕なんてないでしょう。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 軽微な事件まで報道されるようになった、ということですね。

  • nasi000
  • ベストアンサー率19% (100/514)
回答No.2

自由の代償

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 代償なんですね。

  • usbus
  • ベストアンサー率22% (156/692)
回答No.1

むしろ昔のほうが多かったと思います。 よく言われてるのはバブル期の人間。 プライドが高く、自分の非を認めようとしない人が多い傾向があります。 会社の上司で経験してる人も多いはず。 今でもそういう人達ってそこそこの年齢の人が多いですよね? 2009年4月18日 ... コンビニエンスストアの店内での喫煙を注意された男性店長を殴ったとして、千葉中央署は18日、傷害の現行犯で、千葉市中央区の会社員の男(39)を逮捕した。 2006年12月6日 ... 喫煙していたのを注意されたことに腹を立て女性と乳児を殴ったとして、伊勢佐木署は5日、傷害の現行犯で、横浜市中区扇町、ビル清掃員、岡部清容疑者(60)を逮捕した。 2010年2月1日 ... 【千葉】病院敷地内でのタバコを注意され立腹、職員を殴った54歳土木作業員を逮捕 もちろん若者のケースもありますが。 あと政治家なんかもほとんどはバブル期を体験した中年たちです。 バブル期はワガママが許される時代だったからあまり問題にならなかっただけで、 図太い神経を持ったジャイアンは昔からいたんです。 現代の若者は草食系が増えていると言われているように、 全体の総数としてはマナーの悪い人は減っていると思います。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 昔からいたんですね。

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