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「よく生きる」とはどういうことか

tumaritou1の回答

回答No.19

どんなにきれいな言葉や、完全武装された理論を貴方の前に持ってきたとしても、貴方は納得出来ないと思います、何故なら貴方の問い掛けは『あなた自身からの問い掛け』だからです。 貴方のもう一つの意識からの問い掛けが、貴方の疑問となっているからです。『人生とはなんだろううか?死ぬとは?生きるとは?』と云う疑問も全て『自身の内部からの問い掛けです。』 言葉を変えて言うならば『自身の心の矛盾、或は対立、或は分裂』がこの疑問を投げかけています。この解決方法の一つが宗教の門を叩く事のなかには在ると感じます。 ですが今の宗教はどれを選ぶにしても、理論武装が逞しくなっています、おまけに古い言葉や、外国語を翻訳したものが大部分を占めていると感じます。 おまけにその宗教を守っている専門家でさえ、一生掛かってもお経の意味が判らない人も多いと感じています。 例えば『仏教』一つをとっても、分り難くなっています。ですが、禅宗の場合には違う趣を感じます。お釈迦様が味わった『悟りの境地』を代々『以心伝心』或は『単伝』と云う形で伝えて来たからです。 禅には素人ですが、恐怖症の完治をした経験から、禅の何たるかが少し説明できると思いますので、私流の説明をしたいと思います。 不安恐怖症の症状を感じている時と、『人生の意味』を疑問に感じている事は、意識する事の内容が違うにしても、『心的には同じです』或は精神的な内容と云う言い方でも良いと思います。 人間には意識が二つ在ります。その二つの意識が出会う事を『見性』したと言います。言い方を替えるなら『自分自身を知る』という事になります。その過程と結果を『禅の歴史』と言っています。従って禅に関する歴史を学ぶ事は、悟りを開いた人の契機を学ぶ事になります。そしてその結果がその人を如何いう風に変えたかも書いてあります。 不安や疑問を抱いた人が、師匠の元を訪れて、如何いう風にして自身の『疑問や不安』を解消してゆくのかが書いてあります。その問題が解決する事を『生死の問題が解決した、或は一生の大事が終わる。』と云う言い方をしています。それは『不安や疑問を抱かせていた者が、内在していたと云う意味になります』そうして、その問題が解決したと云う意味は『心の矛盾が解消した。』と云う意味になります。 つまり、人生が何だか、『生も死も』自分なりに納得できたと云う意味になります。私なりの解釈を書いてみたいと思います。二つの意識の片方は、自我意識です、顕在意識という事になります。分別で出来ている脳という事になります。分別と言う事は理論と云う意味ですが、理論武装した結果が『言葉』という事になります。ですが言葉で考える内は『自分が半分しか理解出来ていない事』を意味しています。 何故ならばもう一つの意識は言葉を持たないからです。もう一つの意識は脳の機能から言うならば、生命活動そのものを預かっています、感情を湧き上がらせる事もその機能の一つです。その者の事を『仏性』と言います。言い方を替えるなら『命そのものの働き』と置き換えても可能と感じます。 従って湧きあがる不安や、疑問とは、『自我意識VS自身の命の働き』という事になります。心に湧きあがる不安や疑問とは、自身の意識と自身の生命力が戦っている事を意味しています。この事をV,Eフランクルは『内在する識られざる神』と言っています。 悩みを悩む事、疑問に挑戦する事、心を病む事、神経症になる事、或は自律神経失調症になる事とは、内なる識られざる神と戦っている事を意味しています。言い方を替えるなら『心の矛盾』の中にいる事を意味しています。 判り難い話をしていますが、もうもう一つの意識とは『無意識』を司っています。ホルモンの調節や心肺、或は生命活動全てを取り仕切っています。おまけに『意識』も在ります。自我意識が受ける圧迫感や、違和感や、疑問なども感じさせています。 人間が生まれた時から、或は生まれる前から活動している者です。何も習わなくとも『全てを知っている者』です。赤ん坊が何も習わなくとも不安や安心を知っていたり、泣いたり笑ったりする事が出来るのも全てがその者のお陰です。『一切衆生悉有仏性』と言う訳です。 道元が誰も『仏性』を持っているのに、誰も判らないのは何故?と云う疑問から仏門に入ったことは知られています。そうして中国の天童山にて、悟りを開いて帰国しました。多くの書物を書いて弟子を悩ませています。その中の一つに『仏道を学ぶ事は、自分を習う事。自分を習う事は、自分を忘れる事、....』と書き記しています。 自分を忘れると云う意味は『無意識の自分に任せる事』と云う意味になります。人間は一日に、何百回も『自我意識で居たり。』『無意識の自分になったり』を繰り返しています。分る事を、至道と言います。

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