- ベストアンサー
《公地公民制》とは 民主制への道程か?
莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)の回答
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
自分の言語観念で一生懸命理解しようとしております。 要するに、割拠権力、治外法権、不輸租権(課税徴収という統治権の排除)の歴史経験を経ながらの、そういう権力の制限、否定、集約の経験。 これは日本と日本人心性に大きな影響をしていると存じます(少し横道の事項)。 上記のことは確かに日本の民主主義の根付きと展開に特徴を与えてきていると存じます。 権力集約の動きは、大化の改新、明治維新、そしてGHQの占領ということに何か類似と共通性がりますね。 直属的権力(職場で言えば直属上司の横暴権力)を削いだり、枠に嵌めてくれる結果と効果になるこういう改革は、一番下の人民にはありがたいこともあったかもしれませんね。 そういうことが、いわゆる民主主義的な状況を醸し出したかもしれませんね。 そういうことで、民主主義の道程といえるかも知れませんが、一般の観念にはたいへん慣れない、独創的着想だと思います。 そういう観点から評価分析する事は先ず、最初はたくさんの異論・反論が既成観念から出されるでしょう。今後の展開を期待します。
関連するQ&A
- 氏姓制度から、どうして公地公民になったのですか?
今、歴史の勉強(中学2年)をしているのですが、その中で分からないところがあるので、教えてください。 大化の改新のところで、参考書には、 「氏姓制度の場合は、皇族や豪族が、それぞれ土地と人民を支配していたが、天皇中心の体制をつくるためには、 全国の土地・人民を、国が直接支配する公地公民の制をとる必要があった」 と書いてあるのですが、天皇中心の体制(中央集権国家のこと?)をつくるのに、 どうして土地・人民を皇族や豪族が支配していてはダメで、 国が直接支配しないといけないのかが、分かりません。 どなたか分かる方がいれば、ぜひ教えてください。 それでは、よろしくお願いします。
- 締切済み
- 歴史
- 律令体制における私有民について
日本史の勉強をしていて、よく分からない所があったので教えてください。 律令体制下において、国家は公地公民を原則としていたのに、 なぜ五色の賤に、私有の家人・私奴婢が存在するのですか? 公地公民とは、土地や人民の私的所有をなくすということではないのですか?? それとも、公地公民を掲げながらも、中央・地方豪族のような有権者は、 ある程度の私有地・私有民を所持することが認められていたということなのでしょうか?? そうなると、私有地・私有民の所有が制限されたのは、誰だったのでしょうか?? 混乱してきてしまいました…… どなたか分かりやすく教えて頂けたら幸いです(>_<) よろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 天皇はどこから来たのですか?
国分寺跡の「公地公民」は、天皇を祭り上げ中央集権の国家建設するためのものでしたが、それまでいた日本古来の地方豪族はこれにより天皇、朝廷に従うようになったのですか?
- 締切済み
- 考古学・人類学
- 国内歴史上の5大出来事(事件)
歴史上で世の中がコロっと変った5つの出来事(事件)を挙げてみました 1 大化の改新(645年) 蘇我氏など豪族支配から天皇中心の政治に 2 鎌倉幕府の成立(1192年) 武家社会の始まり 3 本能寺の変(1582年) 最高権力者が倒されやがて豊臣、徳川時代へと続く 4 明治維新(1867年) 武家社会の終焉 5 終戦(1945年) こんな感じでいいでしょうか? 追加や削除などがあればお願いします
- ベストアンサー
- 歴史
- 《アフリカ的段階》について おしえてください。
《アフリカ的段階》について おしえてください。 ◆ (『アフリカ的段階について』 ヘーゲルを解剖学した世界観?) ~~~~ http://y-bat.txt-nifty.com/doyo/2009/01/post-8de9.html マルクスはインド・ヨーロッパ語圏の外にアジア的共同体を見出したが、吉本〔隆明〕はそのアジア的段階より前の段階としてアフリカを見出している。 (α) そこには殺生与奪権を独占し自由に行使できる王がいる。 (β) しかし、民衆は豊穣と生活の保障と引き換えに王(権力)を認知しているのであって、不作や疫病があれば王は民に殺されてしまう。 (γ) 生命の等価交換(という原始的なシステム)の上に成り立っていた頃の世界がそこにはある。 (δ) 民衆(個人と共同性)と王(権力と象徴)は等価なのだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ そもそもの――吉本による――定義からおしえてもらわねばならないのですが 次のように問いたいと思いますので よろしくお願い致します。 (1) 我が国の《公地公民制≒天皇家による家産国家制》と どう同じでどう違うか? cf. 【Q:《公地公民制》とは 民主制への道程か?】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5967888.html (2) すなわちもし 公地公民制が遠く民主制への道程であったとしたら 案外その《公:おほやけ》という考え方においては (δ): 民衆(個人と共同性)と王(権力と象徴)は等価なのだ。 と同じ内容を志向しているようにも思われるが どうか? (3) すなわち アフリカ的段階では 明らかに歴史を先取りしてすでに暴君のごとき民衆を想定しているように見える。 (β) しかし、民衆は豊穣と生活の保障と引き換えに王(権力)を認知しているのであって、不作や疫病があれば王は民に殺されてしまう。 と。だとすれば 日本の古代国家は アフリカ型にくらべれば 《対話型》である。 対話型をえらんだ結果 われわれ市民は なめられてしまったか。何もかもを巻き上げられっぱなしであった。 ちなみに 中国ではむしろかなりアフリカ型の《暴君型》に近い。 ■ (孟子:尽心章句) ~~~~~~~~ 人民がもっとも重要で 土地の神と穀物の神である社稷はこれに次ぎ 君主はもっとも軽い。 だから衆民の人望を得ると天子になり 天子のお気に入ると諸侯になり 諸侯のお気に入ると太夫になる。 諸侯が社稷つまり国家を危機に陥れると 退位させられる。肥え太った獣を犠牲とし 清浄なお供えをささげ決まった時期に祭祀しているのに 干害・水害がおこったならば 社稷の神自体を新しい神に変える。 (尽心章句 下 貝塚茂樹訳) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 吉本隆明は わたしは途中から嫌になって読まなくなっていますので 横着なかたちではありますが おしえてください。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 閉鎖された登記の不動産(土地)の所有者について
親の代から更地で保有している土地に家を建てる計画があるため、隣接地の登記簿を確認したところ、土地区画整理法の換地処分による不換地の理由で、隣接地の登記が閉鎖されていました。この閉鎖された登記の不動産(土地)の所有者は誰になるのでしょうか?国県市になるのでしょうか?前の所有者は放棄したとのことなのでしょうか? この隣接地を通らないと道路に出れないため、家を建てた後に、通行上、問題にならないか懸念しており質問しております。 宜しくお願いします。
- 締切済み
- その他(行政・福祉)
お礼
クリヤさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ そういう観点から評価分析する事は先ず、最初はたくさんの異論・反論が既成観念から出されるでしょう。今後の展開を期待します。 ☆ とにもかくにも ふと浮かんだ考えだったんですが お一人の賛成票をいただいておりますし それでは しばらく《異論・反論》を俟ちたいと思います。そうします。 少しづつ何を考えようとしたのか分かってくるという始末ですが ひとつは要するに 《公=天皇〔家〕》ということがらです。 用語としてわたしは 《スサノヲ》を市民とし《わたくし》としていますが それに対しては《アマテラス》が公民であり《おほやけ》です。 あるいはまた スサノヲ語を何でも話す人間語とし アマテラス語をそこから抽象した概念をもとにして推論を組み立てる科学語・普遍客観語と見立て さらにあるいは 幅広い人間語に対しては人格語として捉えています。人格語は 品行方正で規則を守り わるく言えば四角四面・しゃくし定規にもなり得ます。 そこで要するに 《公》という一点もしくはひとつの極に集中したということは 一方では《天皇家》というヒトが当てられていますから ゆるい見方として《家産国家》というたぐいに成り得ますが 他方ではその思考から言って 人間の・答責性をともなった自由ということがらに近づくというのも実際であったろう。こう思われます。 でも少々物言いを持つのですが クリヤさんは むしろ賛成票を投じるかに思われるほど その例示をしておられます。わざと引用してみますと ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 要するに、割拠権力、治外法権、不輸租権(課税徴収という統治権の排除)の歴史経験を経ながらの、そういう権力の制限、否定、集約の経験。 これは日本と日本人心性に大きな影響をしていると存じます(少し横道の事項)。 上記のことは確かに日本の民主主義の根付きと展開に特徴を与えてきていると存じます。 権力集約の動きは、大化の改新、明治維新、そしてGHQの占領ということに何か類似と共通性がありますね。 直属的権力(職場で言えば直属上司の横暴権力)を削いだり、枠に嵌めてくれる結果と効果になるこういう改革は、一番下の人民にはありがたいこともあったかもしれませんね。 そういうことが、いわゆる民主主義的な状況を醸し出したかもしれませんね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわちこれを承けて まづは ★ そういうことで、民主主義の道程といえるかも知れませんが、 ☆ と継いだあとに ★ 一般の観念にはたいへん慣れない、独創的着想だと思います。 ☆ と結んでおられます。 つまり ご自身の中では 《異論・反論》が見当たらないといったことでしょうか? でも慎重にということでしょうか? いわば理念としての公地公民制――それは いわゆる天皇制とともに志向された――の歴史経験は たとえば千五百年を経て 民主制として 開花した。理念としての歴史経験だけによっても 効果があった。こういう見立てであり――これも ひとつの――史観です。いかがでしょう?