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《公地公民制》とは 民主制への道程か?
莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)の回答
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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bragelonneさん、かの人権の問題は謙遜して多少長く勉強してきた者の関心でしたが、解答欄投稿ができないものでした。 今回のご質問ですが、あの敗戦ですが革命という見かたを為されるのでしょうかね。 権力がひっくり返り、新たな統治原理と権力が天津神の如く現出しまたが、これはいうなれば被支配の関与しない正に天の革命ですね。西欧の市民革命も、そうでもあるし、ソ連のボリシェヴィキ革命だって結局はエリート階級の革命ですしね。 本当の“声なき声”の階級は関与してないですね。 明治維新は下層武士かも知れないが、まぁ政権交替ですね。鳩山さんから菅さんとかへの。 かの進駐軍とかがやったことの評価のことですかね。 農地や小作人の問題、入会権の問題、山林地主の問題、多々残存する事はありますが、旧権力の基盤というか構造の一部を破壊した事は、大変革ですね。 いろんな既得権力が残存しましたが。 小作人は小作人でいましたよ。いろんな隠れがあったのですね。つい最近までこの私の住いの近くには小崎人がいて、その子もやはりそうなんです。所属はそうなんです。 我が家も茨城では多大の農地の解放があったとのことです。 有島武郎なんかもそんな小説がありましたか。 構造的には上からの変革という意味で、公地公民と班田収受そして敗戦の農地解放は似ていますね。 そして、いろんな権力が一方で温存されているのではないかと存じます。 だからどちらも革命ではあっても、片手落ちのところはあったと存じます。 市民革命も、声なき声はのこされたきたのでしょうね。 そういう意味では、進駐軍の農地解放などや公地公民はやはり革命なんでしょうね。 歴史ってつらいですね。
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