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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:《公地公民制》とは 民主制への道程か?)

《公地公民制》とは 民主制への道程か?

莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)の回答

回答No.2

 ANo.1:大化の改新の公地公民がいわゆる、仰せの家産国家を創成したかどうかは疑問だとする判断もあるでしょうね。  本来公地公民であったのが有名無実になってきた。それを復旧するのだという所謂る、過去に正しい事があって、それへの回復だという、改革の正当化・正統化の理論根拠化もあったとぞんじます。  そしてでは何処まで実を復旧回復できたか、疑問でありますね。  そして第三に戦乱や武士の政権の実質支配と朝廷の祭祀権威化ということもありますね。  所謂る再確認であるという、公地公民は家産国家への移行か戦後の民主主義に通じるか。というご趣旨でしょうか?  家産制にもならなかったし、それに質問の題目としての民主制との通底というのは、観想的には奇抜すぎるかと存じますが。  民主制は今更申し上げるまでもなく、個たる人間意志の最終価値を根拠とする、意志の自由と尊厳からの被統治と統治の同一性を確保する擬制ですね。  それは更なる擬制として、人権、平等などを伴うものですね。選挙などの意志表明に権威と根拠を求める政治体制ですね。  公地公民はそういうものを目指してもいないし、主張もしていない。  朝廷の者だという事でしょう。では家産制はどうかというと、そうもなっていないですよね。  だから、戦後民主主義とは関係も連携もないし、理論や考え方としても通じるものはないと存じますが。  何か冷水をぶっ掛けるみたいですが(冷水にもならない生半可な歴史知識ですが)。    では事実として公地公民により、農民たちの立場や権利は強化されたか?向上したか?  そういう効果があったか?そのことは実は私も想ったのですが、日常の直接支配者や権力者の力を抑制してくれることになったことの歴史事実は見出せませんでした。  恰も、小さな職場で独裁横暴な上司がその個性で牛耳っていて、トップの意志やメッセージを活用して下っ端がどこまで防御できるかという事情にも似ていますが。  当時この布令を実際の農民たちがどこまで知ることができたか。  あて先は農民か、現地の支配権力か。豪族や皇族か。  単なる号令でしかなかったか。  だから無意味なご高察になると、残念に想うのですが、私の歴史知識の浅さかそれとも、ご質問の誤読かも知れません。 

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  史実としてよりは 思想として どう歴史を眺めるか。この点は おこわり書きをし得たかと思いますが まだまだ趣旨悦明には舌足らずがあったようです。  繰り返しますが 史実がどうであったか・あるいは史実として見るとどういう捉え方が出来るか こういった観点ではなく そうではなく むしろ史実からいくらかは浮いてしまったとしても 或る程度すでに形作られている(いた)思潮といった観点 これを基にして問います。  要するに 日本国の正史に載った大化の改新なわけです。どれだけの史実性あるいはつまりその実現の度合い これらについては見方において薄められて来ているようなんですが それでも或る種の仕方で捉えるなら 人びとの目指すところとしての思想を表わしたかとも考えられます。  そういう意味で 捉えたものです。  しかも おっしゃるように武家政権の時代もあったわけですが 明治以降は ともかくも《家産国家》の様相を帯びて来ていたのではないですか? 戦時中の政策の一環としてでも たとえば国民は天皇の赤子であったわけです。赤子ではあっても 軍隊においては人は馬よりも値打ちがなく扱いも酷かったとも言いますが 全体としての意味では 人も物も土地もすべては君主の財産であったのではないでしょうか?  そしてそれは 昔にさかのぼれば公地公民制に行き着くであろうし その後を見れば 敗戦を境に新しい憲法のもとでは その公地公民=家産国家制が溶けた。と見たわけです。    ではなぜ 公地公民制と民主制がつながるか? ですがこれは いわゆる地域の豪族が土地と領民を私有するのではなく そうではなくそのような段階を一次元高いところへ揚げて棄てた。つまり中央集権制のもとに公地公民制という〔ここでは あくまで〕思想へと次元を挙げた。  そしてこの天皇家の一極集中的な所有(その私有でもあり社会として公有のようにも見える)という思想を経たからこそ 主権が一人ひとりの市民に有るとする民主制へと移行し得た。つまり外から上から与えられたものであったとしても その民主制が 実際に動き出した。のではないか? と考えたのです。  素朴に家族や部族があつまって生活する社会のあり方から 次元をひとつ挙げてしかもその国家の中央政府の権力にすべてを集中するという段階を経たからこそ 民主制への移行がなめらかに進められた。のではないか? と思ったのでした。  ちょっとややこしかったですね。  アメリカは ヨーロッパの歴史を引き継ぐとみれば この中央集権的なそして家産制といった国家形態をも経て来ているわけですが アメリカ一国の歴史から見ると 別だとなるかも知れない。  家産国家は 或る意味で 社会主義国家のようでもあります。独裁制のあり方が 家産制とはずいぶん違うでしょうが 中央集権的な一極集中を《公》という概念のもとに行なう場合には 究極の私有であると同時に 公有といった様相を見せると考えられるのではないか?  だとすれば そこから民主制へ移行するのもやさしいかも知れない。  でも 社会主義国家の場合の公地公民制は どうも徹底していないのかも知れない。もしくは徹底しているとすれば その徹底のさせ方が どこかで間違いを犯していたかも知れない。  アメリカは その地での建国からの歴史だけを見れば 公地公民制を思想として持たなかった。  要するに ソ連や中国を一方に アメリカを他方に それぞれ睨みつつ 日本は 民主制への移行を何の憂いも気負いもなく進めて行ける。のではないか? と問おうとしていたのでした。  舌足らずの段 切におゆるしのほどをお願いいたします。

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