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「自律的に生きる」=「他律的に生きない」ということか?

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

回答No.15

 ★★ (No.1補足欄) ~~~~~~~~~    > 会社で自律的すぎたため、異動することになりました。  を正確に表現しますと、    「会社で自発的価値観により独断先行して利益を出すことがねたまれ、上司連中から別の事業所に飛ばされることになりました」です。  真に自律的に生きるのが困難なので、このような質問をさせて頂きました。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この補足説明を受けられた方も その文章の解明につとめておられますが 並行してわたしも探究したいと考えました。  (1) 《自発的価値観》――たしかに独自の価値観というものは ひとによってはありますが 《自発的》という言葉を飾ることはあまりないでしょう。価値観の実行を《自発的》におこなっているという意味なのでしょうか?  (2) もしそうだとすれば 《自律的》は そういう実践のあり方を言うと考えますが その点はどうですか?  (3) ただし確かにその実践が 《独断専行》になるというのであれば それは《自律的》というにはふさわしくないでしょう。程度によって 軽い勇み足である場合も含まれるでしょうが 組織において・もしくは共同作業である場合 自分の分担をわきまえていないのであれば そのぶん自律的ではありません。  (4) 利益を出すことについて そのこと自体が 社会からの要請や強制という意味で 他律的だと考えるということなのですか? その点は ここでは問うていませんか?  (5) いづれの行動にせよその結果 ひとからねたまれ おまけに自分の処遇にまで影響が出た--この点について 問うているのですか? 上下関係における《他律性》が問題だということなのでしょうか?  (6) 《真に自律的に生きる》とはいったいどういう意味なのでしょう? その《真に》というところです。  (7) けれども 《真に自律的に生きるのが困難なので》と述べておられます。ということは・つまり《困難だ》という認識もはっきりしているということは 或る程度はその事例などに即して ご自分でも分析やらをなさっていると思われますが どうでしょう? つまり そのあたりの分析などをみなさんの前に明らかにして 問い求めるのがよいかと考えます。  ★★ (No.3補足欄) 原始共産制から3千年かけて、人間はヒト型進化(自律的)からアリ型進化(他律的)へと移行しており  ☆ どうもこの種の歴史観が いったい何を言おうとしているのか 分かりかねています。  (8) シュメールの社会は すでに統治する者とされる者との二階建て構造になっていたはずです。紀元前四千年ないし三千年のころです。  (9) 《原始共産制》は たしかに現代でも家族のあいだに見られるというような説明をなさっていたと思いますが もしそうだとすれば 問題は原始時代のことではないように思われます。  (10) 家族のあいだで 互いに責任を分かち合って社会的な共生の中核をかたちづくっていると考えるのであれば それとしてひとは自律的に生きています。のではないでしょうか?  (11) ひととほかの生物とは 基本的に違うと見なければならないでしょう。アリにアリ社会として生きるほかに選択肢はありません。そのようなことは考えたこともないでしょう。それに対してひとは たとえ例えば奴隷になっていたとしても その他律性について考えることをおこないます。  (12) 《ヒト型進化(自律的)からアリ型進化(他律的)へと移行しており》とはいったい何のことですか? ヒトがアリになることはあり得ません。仮りになったとしても そのことを知るというのが 人間です。自律性の芽はつねにあります。  (13) 竜馬の土佐の武士二分制度ではありませんが 身分制は理論的に なくなっています。かつては 身分の制約を超えるためには その身を犠牲にするという一段階・一世代を経なければならなかったわけですが その他律性は わたしたちは超えて来たのではないですか?  ★ (趣旨説明) 真に「自律的に生きる」には何がポイントになるであろうか?  ☆ 以上の主題ないし論点について一つひとつきちんと考えること。そして ほかの人たちとの考え方における交通を絶やさないこと。これが ポイントになると考えますが いかがでしょう?

OtamaFJ
質問者

補足

>ヒトがアリになることはあり得ません。 ありえます。現に異星人の中にはそうした進化をした種族もいます。

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