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自分に頼る家族と自分の命と仕事

答えを求めて困っています。 人を信じる事、人の不足を思わない、利益を求めないなど、 運気を引きよせ、他人のために尽くし、他人が笑いかけてくれるような人になろうと頑張ってきました。うまくいっていたつもりでした。 しかし、ここにきて大きな壁に激突しました。 それは「家族と仕事」です。 ある日、数多くの事故を引き起こす航空会社が管理した航空機に乗ってくれ。 という命令。 数多くの事故を引き起こす航空会社は自分の会社とは切っても切れない間柄。 これからも付き合っていかなければならない分野です。 そういうとき、成功の哲学における「他人を信じる」でパイロット達を信じるか。 ということです。 自分の成功のために家族を不安にさせるのか。 「自分が自分の命を軽んじれば家族は高い確率で不幸になります。」 命をかけて仕事をする。その一線を越えるか越えないか。 自分が乗らなければ他人が乗ります。 その人の事はどうでもよいのか? 人を信じること。他人を守ること。 家族を守ること。 どうすればいいのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • gocogacu
  • ベストアンサー率23% (79/341)
回答No.8

貴方は、何に対して心配しているのでしょう。 飛行機が落ちる前提で物事をみつめているような気がします。 その飛行機には、貴方一人だけ乗るのですか? 他の乗組員や乗客はいないのですか? もし、落ちる飛行機であるなら、運行許可は降りないと思います。 外国人が日本は地震国で危ないから旅行するのは、止めようという発想に似ていますね。 ネガティブ発想が貴方を迷わせている気がします。 ただし、貴方の本音は違うところにあるのかもしれません。 「仕事に対しての不安でしょう。」 成功しなければいけないというプレッシャーが、そうさせているのではないでしょうか? もっとリラックスしてください。 神は見放しませんよ。 あなたに勇気と希望を与えてくれますよ。

yuki0826
質問者

補足

>飛行機が落ちる前提で物事をみつめているような気がします。 私はそこまで悲観してはいません。 ただ家族はいつかそういう日が来る「仕事の一線」だと見ています。 しかし、私はそう見ていません。 落ちるかも知れないとは思っていますが。 落ちれば死は回避不可能とも思っていますが。 >その飛行機には、貴方一人だけ乗るのですか? そこを、家族に、「全員で乗ると思ってくれ。」といわれました。 だからといって家族を説得するだけの材料も見つからない。 家族を軽んずることなど考えていないからです。 この一線をどう見るべきか。

その他の回答 (8)

  • saltmax
  • ベストアンサー率39% (2997/7598)
回答No.9

>やはり、一般社員にもそれは背負うべきことなのですか? 自分の働く会社は、たとえ平社員でも「自分のつくった会社だ」と いうことですか? 会社に明らかな違法行為や明らかな整備規定違反があるとか あるいは、能力不足や安全意識の低下があって必要な基準に達していないなどの 所属する従業員が搭乗を拒否するような危険な状態にあるのなら 信念に従って匿名でも全て告発してください。 http://www.3yuki.com/2.html 社会に対する義務だと思います。 その様なコンプライアンス徹底されていない企業は 事故が無くても生き残れないと思います。

yuki0826
質問者

お礼

ありがとうございます。 でも、そこまで強い力を使う必要性は感じませんし、 また、わたしは同じ会社の人を裏切る気もありません。 もしかしたら他の人は次の職に就けないかもしれません。 そこまでは考えていません。

  • ken8759
  • ベストアンサー率21% (8/37)
回答No.7

大変真面目な方の用に思いますが、まずは自分に出来ることをされてみては如何でしょうか?今の状態はお付き合いのある航空会社への事故に対する不安感が膨張し、不安要素が次々と頭の中をよぎっている感じに見受けられます。ではその不安要素たる事故に対して改善処置や原因究明等、航空会社に に対し報告書提出を打診されてみては如何でしょうか。この状況は早々に改善しないと相互の会社にとって信用問題に発展しかねない重要な事項であると会社に申したてることです。自分の出来ることをまずはおこなうことで 不安要素は解決されると思います。会社を辞めるか否かはそれからでも決断出来ることだと思います。どうか頑張って下さい。

yuki0826
質問者

補足

すばらしい回答ありがとうございます。 真面目かどうかは自分にはわかりませんが。 それは平社員でもするべき事項なのでしょうか。 それは上司に牙をむくことにはなりませんか? 上司を求めには答えていますが、自ら白刃をたてたことがありません。 ようするに組織に牙をむいて 「自ら動く」ということをやっていません。 階級は関係ないのですか? それとも、助ける気持ちで提案するのですか?

  • saltmax
  • ベストアンサー率39% (2997/7598)
回答No.6

航空会社によって事故率は違いますよね。 http://allabout.co.jp/travel/airticket/closeup/CU20050520A/ 機種によっても事故率は違いますよね。 http://allabout.co.jp/travel/airticket/closeup/CU20050614A/ 飛行回数にもよりますが。 整備基準も異なるでしょうし、 EUやアメリカでも要求基準は違うでしょう。 発展途上国の会社に先進国と同じ基準を適用することは難しいでしょうし 特定の機種を使うなという制限も困難なので 貴方の思いはわかりますが サービスを提供する側の人が そのサービスを怖くて利用できないというのは 利用者に対して信義にもとる行いではないですか。 自腹で他の航空会社を利用すればいいという問題でもないと思いますので 転職をお勧めします。

yuki0826
質問者

お礼

サービスを提供する側の人が そのサービスを怖くて利用できないというのは 利用者に対して信義にもとる行いではないですか。 ごもっともです。 やはり、一般社員にもそれは背負うべきことなのですか? 自分の働く会社は、たとえ平社員でも「自分のつくった会社だ」と いうことですか?

  • iwashi01
  • ベストアンサー率17% (187/1047)
回答No.5

んん? 普通の旅客機の事故率は自動車で道路を走って交通事故に遭う確率よりは格段に低いはずですが。 そんなに事故率の高い航空会社があるのですか? 事故率はどれぐらいなのですか? ぜひ教えてください。 まあ、自分が危険だと思うなら乗らなくて正解なのですよ。

  • xjr400
  • ベストアンサー率45% (201/438)
回答No.4

こんにちは。 私は会社の経営者です。 自分の身に置き換えると・・・家族と会社と社員ですかね。 会社が無ければ自分も食っていけない。 やるからには成功したいが、やるだけ損と感じたらさっさと辞めたい。 社会に評価される会社にしたい。 という自分だけの価値観がまず前提になる。 この時点で、結構な矛盾が混在しています。 その次に。 支えてくれる家族が喜ぶ顔を見たい。 金銭的充足、精神的充足、そのバランスは保ちつつ高めたい。 でも無理して身体を壊して逆に迷惑をかけるのは嫌だ。 と、さらに矛盾を抱えた価値観を膨らませ、毎日働く。 健康に関るほどの過労働を強いてまで、会社の運営に身を削るか。 自分の身を大切にして社員に無理をさせるか。 会社のため、とどこまで言っていいか、言わねばならないか。 今融資を受ければ、ほぼ確実に会社は存続する。 社員や社員の家族の事を考えれば、「ほぼ確実」に賭けたい。 しかし自分の家族を考えれば「もしかしたら返せない」借金はしたくない。 だから今の自分のボーダーラインはココ。 これを超えたら、例え周りに何を言われても絶対に断る。 これを超えなければ、家族に理解を得て真剣に取り組む。 結婚したら、子供が出来たら、会社がどうなったら、自分がこうなったら。 その時その時、ボーダーラインは変化する。 そのラインが余りにもおかしいと、家族や仲間から反発の声が上がる。 それを聞いて直すかどうか、また自分の価値観と戦う。 その繰り返しです。 命を賭けて働くか、公私の充実を最優先に人生を送るか。 それも人それぞれのボーダーラインがあるでしょう。 仕事をサボってデートに行けば上司に怒られる。 しかしデートをすっぽかして彼女に怒られるのもいやだ。 なんて低レベルな話は最初から眼中に入れません。 いつかドンパチがあるかもしれない警察官とか自衛官とか。 火の中に入って行かなきゃならない消防士とか。 移れば死ぬような病気を扱う医療関係者さんとか。 たかが普通の土建屋でも倒れるまで働く頑張り屋さんとか(自画自賛)。 命を賭けて働いている人はたくさんいますよ! その人達は「使命感」「達成感」側にラインがずれているのかもしれない。 家族や仲間と軋轢もあるかもしれない。 でも自分の価値観を信じてやっているのでしょう。 結局、それしかないと思います。 他人に迷惑を掛けるのもイヤだが、家族が悲しむ方がもっとイヤだ。 それが今のあなたの答えなら、それが正しいのです。 あなたにとって。 そして、それほど真剣な選択ならば、誰もあなたを責めはしないでしょう。

yuki0826
質問者

お礼

マトをついた意見ありがとうございます。 少し見えてきました。 わたしはその自分のボーダーラインが家族のボーダーラインと違うとこに 迷いが発生しているのですね。 自分一人なら「勇気」だけの問題で片付くことが。 家族が介入することで「自分が背負ったもの」を知覚したのでしょう。 そこに勝る天秤が、「平社員」「会社を左右する事?」「今の安全レベルで信じられる会社?」など重りが軽く、また家族の願い、現状、万が一が起こった場合のリスクが上乗せされて、自分の「他人を信じて穏やかな心で仕事をする」に負けてしまっています。 ただ、ここが限界点なのか。 信念のボーダーラインはまだ奥にある。 そういう状況です。

yuki0826
質問者

補足

結婚したら、子供が出来たら、会社がどうなったら、自分がこうなったら。 その時その時、ボーダーラインは変化する。 そのラインが余りにもおかしいと、家族や仲間から反発の声が上がる。 それを聞いて直すかどうか、また自分の価値観と戦う。 その繰り返しです。 正直 ここまで考え方の近い人から回答が来るとは思いませんでした。 私の性格が回答者様と近い以上、価値観との戦いは 避けられないものなんでしょうか。 ただ、今のわたしにはなんとなく、それすら理解できる答えが何か まだ世の中には眠っていそうな気がしてなりません。 そしてそれを軸にまた階段を上がり、 まだ未知の世界での葛藤がありそうな気がするんです。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.3

飛行機に乗るくらいのことですから、そんな大層な問題じゃないと思いますけど・・・。 乗り物なんて、乗りたくなけりゃ、乗らなければいいでしょう。 他人から、無理矢理乗せられるモノじゃないです。 それと、そこまで深刻に考えちゃう人なら、「この飛行機に乗らなきゃダメ」とか、そもそも飛行機に乗る機会が多い仕事を選んじゃダメでしょう。 深く考えるトコが違うと思います。

  • elmore400
  • ベストアンサー率29% (15/51)
回答No.2

あなたの腹がどこにあるか、どこに据えられているのかだと 思います。どのような仕事をされているか分かりませんが、 飛行機に乗ることで「命云々」は大袈裟なようにも感じます。 事故が多い航空会社に、それを知らずに乗っている多くの方の 命もないがしろにされているということなのでしょうか。

yuki0826
質問者

補足

>飛行機に乗ることで「命云々」は大袈裟なようにも感じます。 私もそう思います。 だが身内の価値観は違います。 そしてその身内が、その会社の安全を軽んじていたことの数々を知っています。 しかもそのレベルは体験レベルです。 同じ人を信じるなら家族を信じてほしい。という言葉。 大衆の価値観。 そして自分の哲学 自分の未熟さに答えを見失っています。

  • ahah14
  • ベストアンサー率23% (402/1679)
回答No.1

どのようなお仕事をされているのか分からないのですが、 飛行機の整備をしている兄から、 「飛行機が落ちるより、交通事故の方が全然確率が高い」 と聞きました。 整備不良の飛行機に分かっていて乗れと言うわけではないんですよね。 家族を守って下さい。 不安なら転職を・・・

yuki0826
質問者

補足

確実に整備不良の飛行機というわけではないです。 だから上司も乗ります。 だけど拒否しました。 だけど心の奥で「俺の判断は胸を張って正しかった!」 とは言えません。 なぜなのか。

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