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人が人を超えるとき(SFチック)

littlekissの回答

回答No.7

overthisgrayskyさん、こんにちは。 ちょうど昨日です、しばらく会っていない学生時代の友人から電話が入り互いの近況なり昔話なりあれやこれやと長々と話しふけりました。 電話をかけてきてくれたのは、わたしの旧来からの女友達(親友)。女同士の会話、恋の話もひとつやふたつ会話の中にはあがってきます。少々、色気のある話もチラホラ。 おっと、前置きはこのぐらいにしてっと、 いえねぇ、昨日少々色っぽい話をしていたせいか、この質問を目にして恋愛から語れないものかと。ちょこっと、トンチンカンな回答になるかとは思いますがご容赦ください。 ********************************************************************* 「人間がこの先自らを滅ぼさずに世界を継続でき」 「科学(特に生命科学)がこのまま発展し続ければ」 「人間は必ず人間以上のものを作ろうとすると思います」 「宗教や倫理で押さえつけてみても」 「あこがれ」 「自らを超えるものを作ってしまうのではないでしょうか。 」 「(従来の)人間はどう対応する(べき)と思いますか?」 ******************************************************************** すこしいいですか? 人間がこの先「自らを滅ぼさず」に世界を継続できるのかという疑問がわきます。 たとえばわたしに置き換えてこの問いを我が身に投げかけます。 これまで生きてきた中で、誰かを好きになり恋したこともあります。こころ焦がれるほど好きになった相手はただ一人か?と、尋ねられれば、「いいえ」と答えると思います。誰かを好きになり、恋焦がれ、こころ奪われたとき、そこには、誰かを好きになり、誰かに恋焦がれ、誰かにこころ奪われているわたしがいるわけです。人がひとりづつにもって生まれた時間。その時間を消化している。時間の使い道は他にも使えるのだけれど、そのとき、その時間、どこにどう時間を注ぐかをわたし自身が選択している。「自らを滅ぼす」時間の使い道が自らの身を滅ぼしているのかいないのか、先立ってわかることではないのではないでしょうか?ただ、いえるのは、人の持つ時間、砂時計がサラサラと上から下へ向けてこぼれ落ちるように少しずつ、少しづつ片方が減り、もう片方が増えていっている。しかし、その全体の砂の量は何も変わっていない。 あとづけで、自らのとった選択の結果をみて、自己にとって有意義であれば「自らを滅ぼした」とはならず、逆に自己にとって有意義でなかったとなれば「自らを滅ぼした」となるのではないでしょうか?この時点で、軸は自己ということになりますかね。 『自己中心』という言葉がときに身勝手極まりない人のたとえにも用いられたりもしますが、選択の結果を見ている我がいるわけで、その基軸となるのも他の誰でもなく自己を中心とした我でもあるもあるのではないでしょうか。人格って、パソコンで上書きするように自らに手を加えまた、保存し、また、手を加え、上書きし、保存する、その都度、自らの選択によって自己を構築していっているのではないでしょうか?このような過程を踏むのも反省なり後悔なりが加味されてのこと。一人づつにもってうまれた時間を用いて、自己を中心としない人がこの世にいるのか?などという疑問もふとたち現れたりもします。自己を中心としない人がもしいるとするのなら、それはもう人ではなく自動制御のロボットではないかと。プログラム、埋め込まれたプログラムに沿ってのみ行動する。反省、後悔、などなくその後に選ぶ選択はあらかじめ用意されている。恋の告白、こればっかりはその後の展開が読めない。四角四面にこうなったらこうなるものでもない。ひょんなことから恋が芽生えるということもある。人の不思議。。。 ちょっと、ひと息、 恋ごころに鍵かける。たまにこれやるんですわたし。 恋していないというのではないんですよ、これもひとつの選択なのかもしれません。いま、何をしなくっちゃなんないかなとなったとき、身はひとつ、あれもこれもしたいことやりたいこと、また、おもうことはたぁ-くさんありますが、とはいってもこの身はひとつ。やれることできることっていっても限られてきちゃいます。恋おおき夢見る夢子ちゃん要素をおおくもったこのわたしを長年見てきた友人はときにいいます。「どうしたん」動き出さないわたしに。この「どうしたん」は、ある意味、恋ごころに鍵かけているのも見越したうえでの言葉。目の前にある問題をやりすごして、恋はしていられないというのが本音のわたし。目の前にある問題から逃げない、どんなに時間がかかっても恋ごころをなくさないように恋ごころに鍵かけるのは。友人の言葉は、わたしが抱えている問題に手こづっていることを承知して気づかっておくってくれる言葉。「どうしたん」なんでもないような言葉で、煮詰まっていたわたしにふっと、息継ぎすること呼び起こしてくれる。ひと息つけます。さてさて、目の前にある問題をどこから手をつけようかひと呼吸おけば少し見えてきます。まっしぐらで駆け抜けると、ときに、何も見えなくなる。あわや、大事な自分自身と他者の存在までおろそかにしてしまいかねない。そこで、理性というヤツがポンポンと肩を叩き「ぼちぼちいこうや」とばかりにたち現れて語りかけてくる。所詮人です、できることといえばたかがしれてます。たかがしれてるちっぽけなものやこと、コツコツちっぽけなことやものを考えたり、おもったり、打ち込んだりすることをたかがしれているとばかりにときに投げ出したくもなる。その「たかが」にも時間はある。たかがしれてるちっぽけなものやことなのかもしれないけど、コツコツちっぽけなことやものを考えたり、おもったり、打ち込んだりすることがその実、目の前の問題を解決するいちばんの手がかりではないかと。 恋の回想、一つ一つの恋そこから学んだエッセンス。 次の恋にいかすべく、いつ花開くかわからないけれど、 潤いを保っていきたいとそう願うおもいだけは抱きつづけたい。

overthisgraysky
質問者

お礼

何かに例えて考えるというのは僕も好きです。 でもこの例えは僕には難しいような。。。 自分の歩く道が滅びへの道かそうでないかは後になってみなければ分からない。 優れたものに「恋」しつつも、少しずつ目の前のことからこつこつやっていきましょう。 ってことですかね? そんな考え方もとても素敵だと思います。 なんかあったかい気分になれます。 素敵な回答ありがとうございました。

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