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管理不要社会にするためには

私も回答したこのカテでのある質問が削除され、以下のようなメール連絡を受け取りました。 --------------------------------------------------- 質疑内容を確認させていただきましたところ、意見表明(意見募集)や議論などを目的とした投稿のようでございましたので、… ---------------------------------------------------- 「意見や議論」を含まない哲学質疑など見たこともありませんし、通報されたら削除しとくのが無難だろうとしか考えられない担当者の存在が改めて浮き彫りになりました。 『意見や議論』なしに哲学カテでの質疑ができるはずは無いので、こんな理由で削除するなら哲学カテが存在する意味がないでしょう。 以上は意見の表明ではなく質問のための前提状況を示したものです。(念のため) 【質問】 上記のように、現実社会においても、治安の維持や波風が立たないことを目的として過剰な管理が様々な集合体で行われることがしばしばあります。 管理側の立場が全くわからないわけではないのですが、管理行為が(結果として)過剰である場合、人間の内面を不必要に萎縮させてしまう場合も多いように思われます。 集合体として人間が暮らしている以上、今のところ多かれ少なかれ「管理」の必要性はあるわけでしょう。 しかし、仮に管理不要の社会を目指すとすれば、個人の立場としてはどのような姿勢が求められることになるでしょうか。  

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.14

>「自分も生き残れる程度に(自分が認識したものを)他者と共有しよう」という意志というか意思というのか、こういったものが醸成されることになる論理というか契機といったようなもの ここから先は、深いのではないでしょうか。 でいきなりですが、突き詰めると、誰を守り、誰を殺すかに突き当たります。 家族、子供を殺され、自分も殺されようとしているとき、 相手を殺さずにいられるかということです。究極の排他。 これが、戦争論、徴兵制、自殺、死刑廃止存続論、移民難民問題とも深く関係します。 自分が生きるとは他を殺すこと?どこまでなら許容される。 自国民?親族?親?子供? (そういった意味でドイツ法の良心的兵役拒否権は特異的ですよね。) その判断がどこまでかは重要ではなくて、だからこそ、必要なのは、つきなみですが感性、思考力、知力、そして、注意深さ、俊敏さでだと思うんですね。個人としては、自分の排他性を常に監視し、改め、行動に反映していくということになるんですが・・ あとは、我々は、既に多くの失敗を繰り返してきた訳で、二度と失敗を繰り返さないという 視点ですね。今の行動が将来の失敗にならないように注意深く行動すると言うことです。 そういう意味で今の北朝鮮の行動に対する対策はおかしいでしょう。 ミサイルを撃とうとしている国に、防衛体制を取るのは当たり前としても もし、日本船舶に被害が出たら、青森県内に着弾したら、直ちにどうするのか なぜ、想定しておかないんでしょうかね。発表しないだけなんでしょうか? 事が起こってから検討するんでしょうかね?散発的なテロ対策とは違いますからね。 誰をどんな風に守ろうとしているか、どんな場合なら殺して良いとするのかです。 まぁ、それはそれとして、ここで他者を社会にしてしまいますが、こう思うんですね。 社会は、各個人の行動の総体なのですが、ある特定の個人の行動は、その社会を変えると同時にその個人も変化させているというダイナミズムがあると言うことです。 「みんなの社会」なんて言い方は、ちょっと違っていて、みんなに共通する社会など単独ではどこにも存在しておらず、各個人の中にこそ、それぞれの社会が存在しているということです。 麻生太郎の社会、振り込め詐欺師が見る社会、ホームレスの人が見る社会は、同じものを差していても全く異なっていると言うことです。いずれも同じ社会なのに、全く異なる色をしています。 繰り返しますが、社会は、各個人の中にあって、個人の行動はそれを変化させ、個人が変化すると言うことで、共有しようとする行動こそが、その社会を変えてしまうということです。 それは、その影響が認識される範囲で全体のダイナミズムの敏感さが鋭く追随します。 右か左かの選択の選択肢にとらわれて過ぎるのではなくて、 過去の多くの失敗から、ものごとが起こる前に想定し、事を防止し、起こった後 も俊敏に動くことです。 とりとめのない話になりましたけど、そうすることにより、失敗を経験しつつも、 血塗られた過去を繰り返してはいけないという方向を見失わなければ、ゆっくりとでも 全体が変わり、ここで言われる管理の必要性が薄くなってゆくように思います。 PS ここは議論完全禁止ではないと思いますよ。 前提としてここは質問と回答の形式で会員の方同士の助け合いによる情報交換です。 規定によれば、 質問について  議論喚起を目的として議題を掲げる質問をしてはならない。 回答について  回答者同士のやりとりや議論を回答してはならない。 回答について  質問に対する回答として成立しない内容を回答してはならない。 補足欄、お礼欄での議論についての規定がされてませんし、質問者から回答者への反論が禁止されているとは読めません。 したがって、議論していけないのは質問者ではなくて、回答者ということなのですが、 ポイントは「議論を回答してはならない。」です。 議論(考えを述べて論じあうこと。)を回答してはならないのですから、 回答者側から、質問者に補足要求でない逆質問したり、質問者からの回答を待つような 記載をしてはならないということでしょう。 質問には必ず論点があって、いくつかの説から答えを探る場合、議論をしなかったら 質問者がこのサイトから得るべき答えはでません。 回答を得るための論理的探索が許容されていなければこのサイトの趣旨に反することに なるでしょう。

hakobulu
質問者

お礼

(つづき) >社会は、各個人の中にあって、個人の行動はそれを変化させ、 :ただ、おそらく、 >個人が変化すると言うことで、共有しようとする行動 :を現実のものとすることがなかなか難しく、 >その社会を変えてしまう :までにはなかなか至らなかったり、時間がかかったりするのかもしれませんね。 >過去の多くの失敗から、ものごとが起こる前に想定し、事を防止し、起こった後 も俊敏に動くことです。 :そうですね。 ただ、難しいなと思うのですが、たとえば今日の相撲で朝青龍が突き飛ばした相手が砂被りにいた審判に当たって、その審判はひっくり返ってしまったんですよ。 素人の人でもあのへんには座っていますから、もし老人とかか弱い女性なんかに当たって大怪我したり、死亡したりする可能性も全く無いとは言えないと思います。 この場合、「起こる前に想定できなかった」ということになるわけですが、そうすると、現時点においては柵を設けるとか何かの対策が必要になるでしょう。 しかし、無粋なこととして、仮に提案してもおそらく受け付けてはもらえないと思います。 何かが起きる前にどこまで想定するのか、ということと合わせて、想定したことが将来的に起きる確率と現在の既得権益とも言える何らかの益とを天秤にかけることになります。 どこまでが許容範囲と言えるのでしょうね。 >全体のダイナミズム :も個人の集積結果なのでしょうし、難しいですね。 とりあえず、「>自分の排他性を常に監視」するという点が、しっくりきました。 日常の風景に引き寄せつつ、もう少し具体的に掘り下げられるといいが、と感じています。 他の要素も教えていただけるかもしれず、もうしばらく開けながら考えてみます。 お気づきの点がありましたらまたよろしくお願いいたします。       

hakobulu
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 #7で、 >人間には、目に見えたもの、自分が認識したものを自分のものにしたいという非常に強い基本的欲求があります。そこには、必然的に排他性があります。 :とおっしゃっておられますよね。 素人としては、こちらのほうの排他性は良くわかったような気がしたのですが、 >家族、子供を殺され、自分も殺されようとしているとき、 相手を殺さずにいられるかということです。究極の排他。 :ですか。 前者と後者の違いは、排他に正当性があるか否かということになるでしょうか。 そして、その正当性に対する認識がどのようなものであるか、ということによって排他の適用される範囲も変化してくる・・・。 >個人としては、自分の排他性を常に監視し、改め、行動に反映していく :のが実際的手法になる、ということになるわけですね。 今自分が選択しようとしている言動が排他であるのかどうか。 そうであるとするならば、その排他は本当に必要なことであるのかどうか。 と問い続けるということにもなるでしょうか。 そうすると、#7でおっしゃっていた、 >人間には、目に見えたもの、自分が認識したものを自分のものにしたいという非常に強い基本的欲求があり、 >そこには、必然的に排他性が :ある、ということを、『私の属性として』認識することがむしろ必要になるのかもしれませんね。 さらに具体性を持たせるには何が必要になるのか・・・。 >あとは、我々は、既に多くの失敗を繰り返してきた訳で、二度と失敗を繰り返さないという 視点ですね。今の行動が将来の失敗にならないように注意深く行動すると言うことです。 :こちらのほうは難しいですねえ。 失敗しようとしてする場合は少ないでしょうから、失敗の要素があるはずですし、しかも殆どは無意識領域にその要因はあるように思われるからです。 場合によりけりですが、注意深く行動することによって逆に招来してしまうといったようなことも往々にしてありますしね。 >もし、日本船舶に被害が出たら、青森県内に着弾したら、直ちにどうするのか :全くですよね。 一定の高度以下に侵入すれば迎撃できるという自信があるのでしょう。 >社会は、各個人の行動の総体なのですが、ある特定の個人の行動は、その社会を変えると社会は、各個人の行動の総体なのですが、ある特定の個人の行動は、その社会を変えると同時にその個人も変化させているというダイナミズムがあると言うことです。ダイナミズムがあると言うことです。 :なるほど。 「>同時にその個人も変化させている」という視点には気付きませんでした。

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その他の回答 (70)

  • NoRuku
  • ベストアンサー率20% (1/5)
回答No.31

個人がすべて同じ方向に向いていれば言葉の上では可能でしょう 現実は有り得ませんがね 夢物語に少し参加してみます。 もしそれが可能だったとすれば、人としての魅力である個性も必要なしということにもならないですか? 質問者さんはムカっときて(困り度が赤になってるので)質問されたんでしょうけど、それを考えただけでも管理はいると思いますよ そのように人それぞれ個性があるから考え方もいろいろある訳で、そうなればそれぞれの集合体で一つのルールを作って管理しないとばらばらになってしまいますからね それに、ここの回答なりを見ましたが質問内容に無理があるのかここを利用している私にはあまり良い気はしなかったですね ここでの過剰管理を訴えているのであれば、私のようにこのような議論を嫌う人がいるということで管理は必要でしょう ここは哲学でもありQ&Aなんですから)

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 参加していただき感謝いたします。 >もしそれが可能だったとすれば、人としての魅力である個性も必要なしということにもならないですか? :おっしゃるとおりです。 何事もバランスは大事だろうと思います。 それゆえに難しいのでしょうね。 >そのように人それぞれ個性があるから考え方もいろいろある訳で、 :全くそのとおりですね。 >そうなればそれぞれの集合体で一つのルールを作って管理しないとばらばらになってしまいますからね :「そうなれば」というのは、「個性があるのだから」ということになると思うのですが、「個性があるとルールが必要になる」となぜお思いになるでしょうか。 >質問内容に無理があるのか :そうお感じになりましたか。 >ここを利用している私にはあまり良い気はしなかったですね :それはどうも大変失礼しました。 ただ、 >ここでの過剰管理を訴えている :わけではなく、そのことに関しては本題のあくまで前提というか二義的な問題です。 そこに固執していただく必要は全くありません。 しかし、 >私のようにこのような議論を嫌う人がいるということで管理は必要でしょう :というご意見は大変参考になりました。 そこで非常に重要なことをお願いすることになりますが、 『どうして「>あまり良い気はしなかった」のか』 『どのようなあたりが嫌う理由になったのか』 について、もう少し具体的に詳しく教えていただけないでしょうか。 好きなように書いてくださって構いません。 お手数でしょうが、しばらく開けてますから、お時間のあるときにでもぜひ忌憚のないご意見を再度お示しください。 >ここは哲学でもありQ&Aなんですから :全くおっしゃるとおりですね。  

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noname#82286
noname#82286
回答No.30

 補足よまさせていただきました、なるほどという感じでした、色々勘違いもあったようで失礼いたしました。  それで、その補足の客観ですが客観=他者、管理側に対するとうことではなかったんですね、そうですかどうも質問文みていると、その傾向も示唆して欲しいのかなと勘違していました、まあ途中でわかりましたが客観はあくまで主観の内ですから、今回の客観というのは主観的なモチベーションによる接触という意味です、なので主観が接触する側です、これは抜きに出来ないでしょう、この辺はご了承下さい。  no32の続き、気になったのが>あくまで自らの問題として引き寄せ、主観的視点から言うと、「私」はなぜ不満を持つのだろうか・・・>これですが、一つは主観認識の正条理性と主観の接触側の相当なズレによる自己不満が感情不満につながるのではないかと思うんですよ、いわゆる日常感の不条理なズレによる苦渋感情です、二つ目にご自身の仰るエス、もうすこし僕的にいうと感情の不満足があるように思います、この不満足を置き換えるように主観的心理構造が変化するということが>「私」はなぜ不満を持つのだろうか・・・>という答えの一部になるのではないでしょうかね?この辺はいかがお考えですか?

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >その傾向も示唆して欲しいのかなと勘違していました、 :いえいえ、勘違いではありません。 そのことについての見解も参考にさせていただいています。 ただ、それだけに終始しては根本の解決にはつながらないだろうな、と思ったので質問文のような内容になったわけです。 >いわゆる日常感の不条理なズレによる苦渋感情です、 :まあ、そういうことでしょうが、そのズレを埋めるに足る哲学は無いだろうか、という質問ですね。 各々がそれぞれ感じるところの不条理性を主張するだけでは糸口がつかめないかな、と思ったわけです。 自らの「>感情の不満足」についてフィードバックし、自らの問題として思考するための足がかり探しと考えていただくと良いと思います。    

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noname#82286
noname#82286
回答No.29

>あくまで自らの問題として引き寄せ、主観的視点から言うと、「私」はなぜ不満を持つのだろうか、それをどのように捌き処理すると、管理という無用の必要悪の出現を阻止することができるだろうか、ということになると思います。>  これなんですが、普遍的な回答になりますが不条理なズレによるものではないかと思います、いわゆる苦渋を帯びるような神経経路を形成される行為によって、起こるわけですから、主観的にはそれ以外の経路神経変化が望ましいのではないでしょうか?なので見極めに続いてですがやはりキャパというかそのような妥協という姿勢が必要になるのではないでしょうか?

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >いわゆる苦渋を帯びるような神経経路を形成される行為によって、起こるわけですから、主観的にはそれ以外の経路神経変化が望ましいのではないでしょうか? :そのとおりと思います。 >なので見極めに続いてですがやはりキャパというかそのような妥協という姿勢が必要になるのではないでしょうか? :そうなんですが、なるべく納得して妥協できればそれに越したことはないでしょうね。

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.28

kigurumiです。 >違法利率で営業する街金だってそのぐらいのこと言いますよ。^^; ええ、でもサインしてしまったら、合意したとみなされます。 裁判で「合意していないのにサインした」と言っても通用しません。 免責のケースもありますよ。 サインした人が未成年、認知症や知的障害者、別のことが書いてあるのに、「この契約書にはこんなことが書いてある。私を信用して読まずにサインしなさい」と虚をつかれた、あるいは脅されてサインせざるをえなかったと認められた場合は、契約の無効が言い渡されることもあります。 「理解する能力はあったがめんどくさくって読まなかった」など、やるべき義務を怠りながら、権利は主張する なんてこと、世の中には通らないんです。 でも、家を買う契約書ならちゃんと読むが、こういったサイトの契約は読まない? ええ、実は私も読んどりません(しーーーっです しーーっ) だけど、良心的なサイトだってことは、はっきりわかります。 >総意とは個人の見解の集積でしょう。 うーん ちょっと違う。 例えばAグループとBグループが会合を持つことになったとする。 御互い 意見を出さなければいけないわけで、それぞれ話をまとめ、代表意見を決めて会議に臨むとする。 Aグループ :「寿司はやっぱりトロ」「いくらが最高」「えんがわが一番」「いや かっぱまきがさっぱりしていて一番」 といろんな意見が出るわけです。 Aグループを代表する意見としてthe bestを選ぶために、多数決を取るわけです。 100人で多数決を取って、一番票が多いものを、Aグループの意見ってするわけです。 たまごが一番だって思っている人が「Aグループの意見はトロってのは絶対に許せん。たまごにしろ」って決まった後ゴネちゃダメなんです。 決まるまでは火花を散らして戦い、決まったらそれに従う。 これが民主主義における多数決による総意の決定の仕方。 異なる価値観を持つ一つの集団をとりまとめる、平和的な解決方法。 アメリカの大統領選もこういう方式じゃなかったでしたっけ? ね? 総意は個人の見解の<集積>とはちょっと違うでしょ? >そのうち誰かが決めるものでも、契約を掲げたものに絶対的な権限があるものでもないと思いますが、いかがでしょうか。 認識の違いだと思うんですね。 掲示板に書かれた文章。 私の認識では、私が書いた文章であっても、所有者はこのサイトであって、私のものじゃあない。 従ってここに書かれた文章を公共の誰でも見れるところに掲示していた場合の責任は、私にあるのではなく、このサイトの最高責任者。 例えばここのサイトは個人に対して誹謗中傷をする書き込みは、削除される<場合>もある、ではなく削除しますと言っている。 実は、あの削除された投稿には、この削除に該当するやってはいけない が入っていた。 私に対する返信に入っていた。 個人の人格を否定し、個人を中傷する言葉がしっかりと入っていた。 例えば2ch。 ある動物病院は病院の悪評を書かれた。 2chに削除を求めたが、2chはそれに応じず、見る人が増えた。 いつまでも掲示されていたので、その病院にペットを連れていった人も見ることとなり、動物病院による被害を受けた人々もそのカテに投稿し、結果 動物病院はリアルでの評判も落ち、顧客が減り、経営が破綻した。 まず動物病院は、IPの開示を2chに求めた。 2chが応じないと、削除をしなかった2chのせいで、リアルに被害が及んだとして、2chを訴えた。 確か、動物病院側が勝訴したと思います。 で、ここで個人に対する誹謗中傷をする書き込みを、公の誰でもが見れる掲示板に掲示しつづけた場合、被害を受けた人が精神的に傷つき働けなくなった場合、被害者はこのサイトに投稿をした人の個人情報を公開を、ある職業の人(警察ではない)を通して求めることができる。(民事ですから警察不介入なので) サイトは、正当な手順を踏まれた以上、義務としてIPを公開しなければならない。 そうなると、誹謗中傷された人もこのサイトが削除しなかったため、重度になり、ふざけて書いたにせよ個人に対する誹謗中傷をやった人も、裁判に訴えられるというケースも出てくるわけです。 中傷された人も、中傷をした人も削除することで、被害の拡大を防げる。 もししなければ、書き込みで裁判ざたがよく出るサイトとして、このサイトの質や価値が低下するわけです。 すなわち、ここに参加している参加者の評判・質・価値も低下してしまうわけです。 削除せずに公共も場に掲示し続けたため、こんなにまで多くの人が被害にあうわけです。 これで、公共の利益からしても、削除したほうがいい ということが、おわかりいただけたと思います。 「人の投稿を勝手に処分するなー」って言ってもダメ。 投稿ボタンを押した段階で、所有権はサイトに移動するから。 サイトがそれをどうするか決める責任を負う。 あの投稿には、個人中傷以外ももう一つ削除に該当する項目があった。 って、ここまで会話してきて、深く掘り下げた結果、サイトが削除する理由を思い出すことができました。 知ってたけど、今回すぐに出てこなかった。 いやー 話を煮詰めてみるもんですねぇ~。 こう考えると、削除は良心に沿った行動でしょ? だからこのサイトは良心的だって私思うのかも。 >すでにご覧になったかもしれませんが、#14さんの >「個人としては、自分の排他性を常に監視し、改め、行動に反映していくということになる」という見解に今のところある程度共感していまして、 >つまり、人間が本来持っている排他性のゆえに管理が必要にならざるを得ない、ということだと思われます。 排他・・・ うーん あの質問者自身排他的でしたけどね。 質問者は私に対して排他的行動に出ましたが、このサイトの削除はみんなを守るためであって、排除ではない。 >その後者の(わずかな)可能性を浮かび上がらせ、するほうもされるほうも不毛の(制御という意味での)管理を不要にすることはできないだろうか。 私は、私に対する誹謗中傷の書き込みされましたが、、笑ってしまったくらいですから、私は被害を受けていない。 ところが中には、リアルの誰なのか第三者がわからなくても、まぎれもなく自分に対する中傷だとわかり、リアルでダメージを受けてしまう人もいると思うんですね。 で、旧約聖書の愛の概念。 「人を許せ なぜなら自分が許されるために」 どういうことか。 例えば過失で隣人の家畜に怪我させたり死なせてしまったとします。 祈りの時間であっても、まず隣人の元にいって、せいいっぱい謝罪し誠意を見せる。 怒っていた隣人は それをされたら許さなければならない。 許したら裁判に訴えません。 裁判で罪だと決定するまでは、罪を犯したことにならない。 被害を受けた隣人は、加害者側の誠意に対して納得したので、裁判に持ち込まない。 どうして謝罪された側は許さなければならないとしているのか。 もし逆の立場にたったとき、自分が誠心誠意謝れば許してもらえるから。 他人を許すと、今度は自分も許される。 だから、他人を許しなさいってこと。 つまり、<情けは人のためならず> これが旧約での他愛の原理。 これはイスラエル人という一つの共同体内での教えであって、イスラエル人はそれ以外の民族に対しては、他愛の義務が無いので、イエスなんてエリコの住民 皆殺しにして、土地奪ったってなってますが、それに対して なんて過去の人はひどいことをしたのだ って思っていないと思います。 >多数の支持する価値観は常に変化し。あるいは逆転するものですよね。 >その契機はどこにあるとお考えでしょうか。 例えば一つには敗戦。 例えば情報を操作されると、特定の情報しか入ってこないですよね。 すると限られた情報だけで集団の正義は決まってしまう。 ある人が集団にこう思って欲しいと思ったら、特定の情報しか集団は知りえないようにする。 そうすれば、ある人の目的通りにしか、集団は思わなくなる。 でも 人々の周りに壁を作って、特定の情報しか受け取れないようにしていたある人が死ねば、垣根はとっぱらわれ、今まで入ってこなかった情報も入ってくるわけです。 すると、自由に情報を手に入れられる人々は、今までの情報と、外から新たに入ってきた情報 どっちが正しいのかと考え、情報操作をされていたため、真実がゆがめられていたと判断すれば、コロっと変れるわけです。 >しかし、「>規約に同意したにもかかわらず」ということを盾に取るのは、逆に「>独裁」を表明してしまうことになると思います。 規約は参加者を守るために存在している。 法律が人々を守るために存在しているのと一緒。

hakobulu
質問者

お礼

(つづき) >私は、私に対する誹謗中傷の書き込みされましたが、、笑ってしまったくらいですから、私は被害を受けていない。 :そうでしたか。 私もそうではないかと思ってたのですが、安心しました。 よかったよかった。^^ >ところが中には、リアルの誰なのか第三者がわからなくても、まぎれもなく自分に対する中傷だとわかり、リアルでダメージを受けてしまう人もいると思うんですね。 :この場合は犯罪でしょうね。 お手てが後ろになる。 >つまり、<情けは人のためならず> これが旧約での他愛の原理。 :やはり聖書はいいこと言いますね。 >イスラエル人はそれ以外の民族に対しては、他愛の義務が無いので、 :ありゃあ、そうなんですか。 先に褒めて損しました。^^; >法律が人々を守るために存在しているのと一緒。 :法律は国民の声によって改正されることもあります。 嫌なら外国へ出て行けというのは暴論におそらくなるでしょうね。 違反しても良いという意味ではありません。 違反者は逮捕されます。 ですが、違反かどうかの精査は、法律だからという点を金科玉条にせずに常になされるべきではないか、と思うわけです。 >すると、自由に情報を手に入れられる人々は、今までの情報と、外から新たに入ってきた情報 どっちが正しいのかと考え、情報操作をされていたため、真実がゆがめられていたと判断すれば、コロっと変れるわけです。 :外圧が無いと変われないということでしょうか? 以下は質問の骨子でもあるのですが、つまり、もっともお聞きしたい点に引き戻させていただきますが、 『自らの思考、あるいは哲学によって、その変革をもたらすことは可能でしょうか。 もし可能だとお考えであれば、どのような手法があると思われますか?』 論点を絞りたいので、この点を中心に、個人の内面変革のための手法とでもいった観点からご意見を伺えれば有難いと思います。 まだ、しばらく開けてますのでお時間のある時にでも。  

hakobulu
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 不躾な返信よりできてないのに辛抱強くおつき合いいただき恐縮です。 >「理解する能力はあったがめんどくさくって読まなかった」など、やるべき義務を怠りながら、権利は主張する なんてこと、世の中には通らないんです。 :私のことそのまんまですが、きびしいですね。^^; 当たり前って言えば当たり前なんですが。 昨今話題の派遣切りとかも切られて当然、というお立場なんでしょうね。 皮肉じゃありませんよ。 私も多少はそういう思い多少はありますから。 ただ、その一言で有無を言わせず一刀両断、というのはどうなんでしょう・・・。 企業としては約束を履行しているだけだから、何の躊躇や見直しも検討する必要はない、ということとはまた違うような気がしますけどね。 >でも、家を買う契約書ならちゃんと読むが、こういったサイトの契約は読まない? :さすが鋭いですね。 3年ほど前、そういうことありました。 必死で読みました。^^ >だけど、良心的なサイトだってことは、はっきりわかります。 :わかりました。 私だって、別に悪の枢軸とか言ってるわけじゃありません。 >総意は個人の見解の<集積>とはちょっと違うでしょ? :まあ、ちょっとだけですけどね。 同義と言ったわけじゃありませんから。 ま、このへんはどうでもいいか・・・。 >私に対する返信に入っていた。 個人の人格を否定し、個人を中傷する言葉がしっかりと入っていた。 :はい。 あれは確かに良くなかったですね。 あの質問者さんの場合、自分に対する罵倒なんかも冗談で受け流そうという態勢でした。 「大嘘つき」と言われても「ははは」と対応していましたし。 その流れで、おそらく深い意味で発せられた言葉では無いのだろうということも私は同時に感じたのですが、ご本人が不快に感じたという事実を尊重せざるを得ません。 ちょっと元気がなさそうな相手には、「語尾が老けていますよ」とかちゃかしたりして、いいとこある方なんですが。 むろん、だからいいのだ、とあの書き込みを肯定するわけではありませんよ。 良くないのは良くなかったと思います。 kigurumi さんは、(文調からの推測ですが)お若い割には大御所という風情も漂わせていらっしゃいますし、そういった意味での甘えもあったのでしょう。 私が不躾な口調になるのも同様の感覚があるからではないか、と自己分析しています。 いずれにせよ、おっしゃることはよくわかります。

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noname#91067
noname#91067
回答No.27

>現実社会においても、治安の維持や波風が立たないことを目的として過剰な管理が様々な集合体で行われることがしばしばあります。 >管理行為が(結果として)過剰である場合、人間の内面を不必要に萎縮させてしまう場合も多いように思われます。 過剰な制約、規則に反動を起こして夕凪となり、無風になって、残し方を間違ったり訂正を繰り返すよりは!白紙からやり直す方が罪は軽くマシかな?と思います。更に間違うよりは分からない方が賢いとも。 完全自由に順調な振りして盛り上がっても血肉にならない。 挫折?そこからこうして語り継ぐネタも増えるし、智恵を振り絞る思索が始まって、読み手以上に書き手の為になる。とも思いますし(以前師匠がサイトの規制について述べたこと) 慌てる者が助ける人を拒む自由があっても、助けようとしてくれた人には感謝して溺れるべき。不運を持ち出す人は、無責任発言はしなくても、自己中なことが多いです。結局お互い様だったり、見る立場や人によって様々だから、管理側としては自分可愛さでの判断ではないことだと思います。 不健全な残し方をするよりも、削除規制という不自由に甘えてでも有意義な交流が残ることならこれも人生塞翁が馬で、多分哲学カテでhakobuluさんに初めて回答して、恩返しになれてたら私の心は軽くなる。どんな経緯かをよく知らないのですが、そんな機会がもてて私的に良かった。 因みに私は削除魔?の時期がありました。事前に告知の上でしてましたが、それもこんな言い訳があったのです。哲学は犯人を捜してとっちめるためじゃなくて、どの解決策を採用するかですよね。 文字の記述自体に骨董品的価値が与えられるものでしょうか?言葉は使われてこそで生物(なまもの)という感じしてます。使えない推論は捨てるというのも哲学的方法だと思います。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >無風になって、残し方を間違ったり訂正を繰り返すよりは!白紙からやり直す方が罪は軽くマシかな?と思います。 :繰り返したりやり直したりする作業から『次第に』変革が為されていくのだと私は思うのですけどね。 >更に間違うよりは分からない方が賢いとも。 :ここは共感できそうです。 一面での真理ですよね、確かに。 でも、わかりたいものなんですよね・・・。 我侭でしょうか。^^; >完全自由に順調な振りして盛り上がっても血肉にならない。 :おっしゃる意味はわかります。 管理の程度の問題なんですね、おそらく。 自由も生物(なまものではなく いきもの の方)みたいですから、手を抜くとダメになっちゃうみたいですよ。 >挫折?そこからこうして語り継ぐネタも増えるし :なるほど。^^; >管理側としては自分可愛さでの判断ではないことだと思います。 :おっしゃることはわかります。 仕事ですからね。 私たちの自己変革によって、そのお仕事を少し楽にしてあげませんか? という質問でもあるんですよ。 お互いにいがみ合う性質(=排他性)が、管理を必要とする根本の理由ではないか、という示唆をいただいているところなのですが、どのように考えれば、この排他性と自己保存本能を両立させることができるだろうか、と模索している最中です。 >削除魔?の時期がありました。 :そうでしたか。 気が付きませんでした。 >事前に告知の上でしてましたが、それもこんな言い訳があったのです。 :わかりました。 >哲学は犯人を捜してとっちめるためじゃなくて、どの解決策を採用するかですよね。 :全くおっしゃるとおりです。 おいしい解決策はちらほろ見つかりつつあるのですが、欲張りなのでもっと大きなのが出てこないかと貪欲に待っている状態です。 >文字の記述自体に骨董品的価値が与えられるものでしょうか?言葉は使われてこそで生物(なまもの)という感じしてます。使えない推論は捨てるというのも哲学的方法だと思います。 :なんとなくわかるようなわからないような・・・。^^; もしかしてご忠告? 優しいですね。 有難く拝聴しておきます。  

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noname#82286
noname#82286
回答No.26

 いや~なかなか頑固というか、強引というか・・・真髄境地を極めたいというか、面白いのでもう少し  >>最低限、管理やルールが必要にならない構造の不満までに心がける」ということになると思います。 :そうですね。 「>最低限」の基準が人それぞれ違うので難しいのでしょう。>   同意です。  >>「全ての人間が」という条件と組み合わさった時、『管理不要である社会へ変わる兆しに成り得るかどうかは神のみぞ知る』ということになると思います。 :客観的状況としてはそういうことになりますが、実は私はこのあたりのことに関してはあまり拘泥していません。 論理性のある方法と納得できさえすれば、粛々とそれを目指し歩み続けるだけです。 今回の質問も、あくまで主観による思考の手順についてという範疇でお考えいただくだけで十分と思っています。 結果がどうなるかということにエネルギーを使うのは無駄に消耗する危険性があるので、敢えて避けるようにしています。>  なるほど >>「不満を持った人間に対して免疫をもつように心がける」や「不満をもった人間を察知し回避するように心がける」などとなります :これらは確かに有効な手段ですが・・・・・さらに、これらを他者の問題としてのみ捉えることには意味がありません。 あくまで自らの問題として引き寄せ、主観的視点から言うと、「私」はなぜ不満を持つのだろうか、それをどのように捌き処理すると、管理という無用の必要悪の出現を阻止することができるだろうか、ということになると思います。>  これはいわゆる不可能パラドックスが存在するように思います、他の回答者も仰っていますが「無用な管理」というのは他者との関係性で発生するので、主観的なモチベーションを気をつけるのは良いですが、それをどうやって主観的に「無用な管理方法に対するモチベーション」だと判断するのか?ということです、ご自身は「管理という無用な必要悪の出現を阻止することがきるだろうか?」という意味で姿勢と仰っていますよね?この場合、客観と関わる上で主観的姿勢というのを気にするから姿勢をどうしたらよいのか?と思われるわけであって、それを客観を抜きにした答弁は首を360度回転させるぐらい無理があると思います。私自身から言わせてもらうと客観の裏側に当然といって良いぐらい主観は示唆されるわけであって客観の説明が主観の説明を欠いているとは思いません。  >>管理者側に「気付かせるように心がける」「不条理性をやめさせるように促す」 :のは、あくまで二義的手法だというのが私の考えです。 ですから、この質問においてもこのサイトの管理を云々することが目的ではありません。 「管理の必要性が無い」という認識が自然に各人の内面に熟成されることが、最も適切で確実な方法だろうと思うわけです。 そのためには、陳腐ですが、相手を変えるより自分が変わる、あるいは視点の転換を図ることが肝要ではないでしょうかね。 先に揚げた二義的手法と平行して、このような一義的観点からアプローチしないと根本の解決(改善)には至らないような気がしますよ。 ただ、一義的観点のほうは、二義的のほうと違って、その手法なるものが(私の中では)不明だということです。 >  これも同じく、今回の質問の場合、一義的と二義的を切って考えることは難しいように思います、>「管理の必要性が無い」という認識が自然に各人の内面に醸成されることが、最も適切で確実な方法だろうと思うわけです。>ですからこの場合、主観を含めた必要性不必要性の見極めと行動を心掛け不条理な管理の発生を発生させないように心掛けることが必要になるように思います  >>個人〔小集団〕の行動様式 :の最初に > (1)心的投資、努力 が揚げられているようですが、 何に投資し、何を努力するのか、ということにもなるのだと思われます。>  これも今までの回答を読んでいただければ参考になるのではないかと思います  >>個人個人が不条理性に対して提案を促すのです、不条理性の不要性と打開策を提案するのです、 :何を提案するかによるでしょうね。> これは「必要性と不必要性の客観的判断明示」が利くかどうかは別にして明確にした方が良いかと思います、つまり地図代わり程度にという意味です >その気付きにいたる論理・手法を模索中、ということになるでしょうか。 >  まあそうなりますが、これは哲学というよりかhakobuluさん一個人の心のモチベーションの問題のような気がします、例えばAさんが納得してもBさんが納得しないのであれば幾ら並べ立てたとしてもBさんから違うと言われれば回答にはなり得ないわけですよね、そうするとBさんが不条理な管理を発生させないようにするためにはどう心掛けたらよいですか?と質問されればBさんと一度会ってBさんの心情構造を解読して、ではこうした方が良いではないですかと書かない限り永久に参考にしろ無理ですよね、そうすると>あくまで自らの問題として引き寄せ、主観的視点から言うと、「私」はなぜ不満を持つのだろうか、それをどのように捌き処理すると、管理という無用の必要悪の出現を阻止することができるだろうか、ということになると思います。>という気持ちに対しては回答者は回答者個人のモチベーションの思考形態や客観・普遍的な回答を述べるしかないわけです、なので模索中というよりか、それなりに回答は出したつもりです。  >>「落ち着き」→「見極め」「キャパ」→不満の不条理な置き換え軽減、と成り得るような気がするのですがいかがでしょうか? :「落ち着き」は手法というより姿勢ですね。 管理が妥当か否かに対する「見極め」ですから、「妥当」の基準が必要になります。 ここが確立できれば、それに沿った「キャパ」も発揮できるということになるのでしょう。> 自分が思うに極端な基準は必要ないと思うんですよ、あくまで個人が納得で入る範囲でよいのではないでしょうか? >「>不満の不条理な置き換え軽減」の意味が不明でした。> 不満を不条理な管理強制に置き換えるという意味です。

hakobulu
質問者

お礼

(つづき) >ですからこの場合、主観を含めた必要性不必要性の見極めと行動を心掛け不条理な管理の発生を発生させないように心掛けることが必要になるように思います :そのための質問です。 「>必要性不必要性の見極めと行動を心掛け不条理な管理の発生を発生させないように心掛ける」 とは、それを日常的に発露させるとすれば具体的にどういう考え方が必要になるだろうか、という問いであるわけですね。 >これも今までの回答を読んでいただければ参考になるのではないかと思います :おっしゃる意味が良くわかりませんが、参考にさせていただいてますよ。 >回答者は回答者個人のモチベーションの思考形態や客観・普遍的な回答を述べるしかないわけです、 :当然でしょうね。 >なので模索中というよりか、 :私が模索中ということですが・・・。 >それなりに回答は出したつもりです。 :参考にさせていただいてます。 >自分が思うに極端な基準は必要ないと思うんですよ、あくまで個人が納得で入る範囲でよいのではないでしょうか? :そういうお考えがあっても別によろしいかと思います。 >不満を不条理な管理強制に置き換えるという意味です。 :ご説明いただきありがとうございました。         

hakobulu
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 >客観の裏側に当然といって良いぐらい主観は示唆されるわけであって客観の説明が主観の説明を欠いているとは思いません。 :いずれにせよ「自らの問題として引き寄せ」ることでしか変革は求められないだろう、ということを述べたつもりです。 つまり、他人かやるなら自分もやる、ではなく、他人がどのような対応であろうとも自分は "かく" やる、と言い得るだけの明快な論理を模索している、ということです。 >「無用な管理」というのは他者との関係性で発生するので、主観的なモチベーションを気をつけるのは良いですが、それをどうやって主観的に「無用な管理方法に対するモチベーション」だと判断するのか?ということです、 :「無用な」というのはあくまで結果から見た表現です。 私の書き方も良くなかったのでしょうが、「無用な管理」に対抗するための手段を探しているわけではありません。 まず、自らの思考を検証することによって、結果として管理が無用になるような状況を生み出せないだろうか。 ということです。 >この場合、客観と関わる上で主観的姿勢というのを気にするから姿勢をどうしたらよいのか?と思われるわけであって、それを客観を抜きにした答弁は首を360度回転させるぐらい無理があると思います。 :「他者」と「客観」が混同されているような気もしますが、また、「他者」と「管理者」を同義と捉えているようにみえます。 「他者を抜きにした自分」の想定は難しいですが、「管理者を抜きにした自分」を想定することはむしろ適切なアプローチではないか、と思いますよ。 他者イコール管理者ということにはつながらないわけですから、そこに固執しすぎると根本的解決への道筋は見えてこないでしょう。 その意味で、管理側の非に言及することが不要とは言わないが、あくまで二義的なアプローチである、と表現したわけです。 >これも同じく、今回の質問の場合、一義的と二義的を切って考えることは難しいように思います、 :「>同じ」ではありませんが、それはいいとします。 いずれにせよ、 「二義的手法と【平行して】、このような一義的観点からアプローチしないと根本の解決(改善)には至らないような気がします」 と述べています。 切って考えているわけでないことはご理解いただけるでしょう。 ただ、鶏が先か卵が先かとやっていても不毛なので、鶏でも卵でもどちらでもいいので、自らの問題として考えるのが良いだろう、ということです。

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noname#82286
noname#82286
回答No.25

なんか多少捉え間違いしていたようで >>もう少し具体的な明示をお願いしたいところです。 :端的に言うと、削除という管理は、その殆どが通報に基づいているはずです。警察が通報無しには殆ど動かないのと似ています。管理の本質は#22さんもおっしゃっているように国にたとえれば「国民の総意」なわけです。つまり、通報によって、国民の大多数は不満だろう、という認識がなされた場合に管理が実行されるわけでしょう。駐車違反にしても、スピード違反にしても、キャンペーン期間を除けば通報によるものは切符を切られるし、それ以外は野放しというのが実情ですよね。たとえ法律があったとしても、これが管理の実態です。ですから、「国民が他者に対し不満を持つ」ことが管理の「>必要性」と言っていいのではないでしょうか。他者への不満をどのように解決すべきか、という問題でもあるかもしれませんね。「不満だからチクッちゃえ」では、あまりに進歩がないのではないか、という気がするわけです。あくまで自らの問題として処理すべきではないかと考える次第です。#14さんは、「>自分の排他性を常に監視」することが肝要である、と述べておられます >  これは、たいしたことない現状に対する過敏性や不満の発散という動機に対してということですね申し訳ない。  その場合は、見極め、とご自身がよく回答に仰る「キャパ」ですかね? 色々見えてきました、「落ち着き」というのを打開策に付け加えてみてはどうでしょうか?つまり〔あくまで十分条件の一つですが〕「落ち着き」→「見極め」「キャパ」→不満の不条理な置き換え軽減、と成り得るような気がするのですがいかがでしょうか?

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >「落ち着き」→「見極め」「キャパ」→不満の不条理な置き換え軽減、と成り得るような気がするのですがいかがでしょうか? :「落ち着き」は手法というより姿勢ですね。 管理が妥当か否かに対する「見極め」ですから、「妥当」の基準が必要になります。 ここが確立できれば、それに沿った「キャパ」も発揮できるということになるのでしょう。 「>不満の不条理な置き換え軽減」の意味が不明でした。  

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noname#82286
noname#82286
回答No.24

>正常値というのは、管理というより、たとえば年金の・・・・・便利な仕組みということになるのでしょうね。・・・・私の意図する管理とは異なりますから、正常値とおっしゃる意味はわかります。この点に関しては、#22さんのお言葉を拝借すれば「水が腐らないように」監視しておけばいいわけですから。>  分かっていただいて幸いです、根底下を解読せずして焦点を絞るのはきわめて難しいと思ったので、とりあえずという感じでした。 >>その不条理なルールの要因を発生させないように心がけるということで管理する側の不条理なルール強制が(過失的な要因を除いては)発生し得ないことになりますよね? :そのとおりですね。 そのためにどうしたらよいだろうか、という質問内容です。>  ん~これはありすぎるというか構造的(脳、メンタル、心理、もしくはそれを取り巻く社会構造、経済、環境、など)な部位の話になるような気がするですよ、例えば他の回答者が仰っていらっしゃる『不満』だったら「不満を持たないように心がける、最低限、管理やルールが必要にならない構造の不満までに心がける」ということになると思います。無論条件付になって、その条件が「全ての人間が」ということになると思います、なので一個人が心がけることはできますが、果たしてそれが条件を満たすかと言われれば無理とは言いませんが完全100%は極めて難しいわけで「全ての人間が」という条件と組み合わさった時、『管理不要である社会へ変わる兆しに成り得るかどうかは神のみぞ知る』ということになると思います。  なので別に『不満』でなくても『防御』でもいいわけで「不満を持った人間に対して免疫をもつように心がける」や「不満をもった人間を察知し回避するように心がける」などとなります、僕の国語能力が足りないのか分かりませんが、それを全て普遍的に表現するのは難しいわけで、なので僕からしてみると「>〔条理、不条理〕ルールや管理などの必要要因を発生させないように心がける>」ここまでしか述べるのは難しいです。もし、なにか普遍的に上記の説明を表現できる何かがあれば、お聞きしたいです。   >>、(被害を被害と思わない、問い質す、など)その場合なども含め表現するならば :という箇所の意味がよくわからなかったのですが、具体策と関係ありますか?>  直接関係ないですが、無関係ではないわけで、例示として述べたのですが、例えば相手を脅してルールや管理をさせないという行為であっても可能で方法が無限とは言いませんが一つとも限らないと思うんで、具体的にと前回答では求めたんですが、多様性が存在するということ事態今一理解できていなかったようなので・・・ >>もう少し具体的な明示をお願いしたいところです。 :端的に言うと、削除という管理は、その殆どが通報に基づいているはずです。警察が通報無しには殆ど動かないのと似ています。管理の本質は#22さんもおっしゃっているように国にたとえれば「国民の総意」なわけです。つまり、通報によって、国民の大多数は不満だろう、という認識がなされた場合に管理が実行されるわけでしょう。駐車違反にしても、スピード違反にしても、キャンペーン期間を除けば通報によるものは切符を切られるし、それ以外は野放しというのが実情ですよね。たとえ法律があったとしても、これが管理の実態です。ですから、「国民が他者に対し不満を持つ」ことが管理の「>必要性」と言っていいのではないでしょうか。他者への不満をどのように解決すべきか、という問題でもあるかもしれませんね。「不満だからチクッちゃえ」では、あまりに進歩がないのではないか、という気がするわけです。あくまで自らの問題として処理すべきではないかと考える次第です。#14さんは、「>自分の排他性を常に監視」することが肝要である、と述べておられます >  なるほど、そうじゃないかなと思っていました、僕やこの前「道徳規範は愚の骨頂〔?〕」を投稿した人と同じというか似たような問題を発見したんですね、わかる人が出てきて嬉しいです。  ん~これ、昔から考えていたんだけど、その不条理性を生み出している管理者側に「気付かせるように心がける」「不条理性をやめさせるように促す」ということが必要になるんではないかと思います、(自信ないです)、いや~上記にも書きましたが、これは構造論的なもので下手な話、不条理な削除をしないように体が動くまでに発展しないと、心がけるという行為が不条理なルール管理を是正するようになるかどうかは一概には分からないわけで、それを個人はどう心がけたらいいのか?といわれても難しいな~ガイドラインが通報しか存在しないわけですからね、!思い浮かびました、(NO14回答者さんに被りますが)あくまで群衆の総意が必要になりますが個人によって波紋を広げ普遍性を変えて不必要であると気付かせ、規制やルールの見直しを促す、ということは必ずしも無理とはいえません、社会心理学の本で小集団から集団への影響というのがありますね、その調べた人が言うには個人〔小集団〕の行動様式が (1)心的投資、努力(2)自立性(3)一貫性(4)堅実さ(5)公平さ いわゆる信憑性の行動様式が集団の総意を変えるということが成功する場合があります。  時間が掛かりますよね・・・時間がかからずにというと・・・・!〔自分は無理なような気がしますが〕ケチをつけるというよりかは、個人個人が不条理性に対して提案を促すのです、不条理性の不要性と打開策を提案するのです、〔〕内に滲み出てますが自信がないのであくまで方法の一つとしてどうでしょうか?

hakobulu
質問者

お礼

(つづき) 社会心理学の本に記載されていたという、 >個人〔小集団〕の行動様式 :の最初に > (1)心的投資、努力 が揚げられているようですが、 何に投資し、何を努力するのか、ということにもなるのだと思われます。 >個人個人が不条理性に対して提案を促すのです、不条理性の不要性と打開策を提案するのです、 :何を提案するかによるでしょうね。 なにしろ、管理に浸っている人々にとっては、その提案自体を受け入れる態勢が整っていないはずですから。 やはり、自らの気付きがないと根本の解決には向かえないのではないかと思います。 その気付きにいたる論理・手法を模索中、ということになるでしょうか。    

hakobulu
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 >最低限、管理やルールが必要にならない構造の不満までに心がける」ということになると思います。 :そうですね。 「>最低限」の基準が人それぞれ違うので難しいのでしょう。 >「全ての人間が」という条件と組み合わさった時、『管理不要である社会へ変わる兆しに成り得るかどうかは神のみぞ知る』ということになると思います。 :客観的状況としてはそういうことになりますが、実は私はこのあたりのことに関してはあまり拘泥していません。 論理性のある方法と納得できさえすれば、粛々とそれを目指し歩み続けるだけです。 今回の質問も、あくまで主観による思考の手順についてという範疇でお考えいただくだけで十分と思っています。 結果がどうなるかということにエネルギーを使うのは無駄に消耗する危険性があるので、敢えて避けるようにしています。 >「不満を持った人間に対して免疫をもつように心がける」や「不満をもった人間を察知し回避するように心がける」などとなります :これらは確かに有効な手段ですが、あくまで対症療法にすぎません。 今回の質問は、根本的に、人間が思考という領域において進化できるための糸口がないものだろうか、ということです。 さらに、これらを他者の問題としてのみ捉えることには意味がありません。 あくまで自らの問題として引き寄せ、主観的視点から言うと、「私」はなぜ不満を持つのだろうか、それをどのように捌き処理すると、管理という無用の必要悪の出現を阻止することができるだろうか、ということになると思います。 >わかる人が出てきて嬉しいです。 :そうですか。^^; 嬉しいと言われると嬉しいですね。 >それを個人はどう心がけたらいいのか?といわれても難しいな~ :簡単であれば質問してませんね。^^ ただ、 >管理者側に「気付かせるように心がける」「不条理性をやめさせるように促す」 :のは、あくまで二義的手法だというのが私の考えです。 ですから、この質問においてもこのサイトの管理を云々することが目的ではありません。 「管理の必要性が無い」という認識が自然に各人の内面に醸成されることが、最も適切で確実な方法だろうと思うわけです。 そのためには、陳腐ですが、相手を変えるより自分が変わる、あるいは視点の転換を図ることが肝要ではないでしょうかね。 先に揚げた二義的手法と平行して、このような一義的観点からアプローチしないと根本の解決(改善)には至らないような気がしますよ。 ただ、一義的観点のほうは、二義的のほうと違って、その手法なるものが(私の中では)不明だということです。

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回答No.23

 回答番号:No.19  私は、小学校から高校、浪人までは管理されることに真っ向から抵抗してきました。満身創痍で、世間など糞喰らえと。  そして一面そのど性骨を自ら他愛なく、一応受け入れて折り、法学部、ゴチゴチ。  でもないが、60年安保、ラディカルなる闘争の大学の教職員労組書記長、10年。そこで46年。  晩年というか、大学体制側管理者となり、管理の制度を推し進める一端を担う。  ○唯々諾々と従うべきではありません。参加できる管理であるべきです。このサイトもそれへ向けて完成を企図するべきです。国や自治体もそうです。選挙という名目名文で済ませているべきではありません。  しかし、私達は管理から自分を引き離して、確保しているべきです。  ○管理は管理としての存在もあるという一面もあらざるを得ません。法と国家は便宜と国民と文化、人権のための機構であっても、それは存立する以上は、それ自身として存立します。  最高の価値と理念、そしてジャスティファイのものが上記であろうとも、それはそういうものから独立して存立の基盤と論理を持つ、という面もなければならない宿命があります。  使命終了の管理と規制は無用の、放浪者、彷徨遺物となりましょうが、人間という者の、この世、地上の継続ということからは、完全にはそうなりません。  ある程度いき、また戻り、またある程度人間と社会が進歩し、まだ戻る。  そういうものでしょう。そしてなにごとも完全にならないが、いい方向に企図し、ある程度いき、また戻る。  管理と規制のありかたもこれと同じです。  理想論はいろいろ言われ、だされ、活動されるでしょう。  そしてそれはそれなりの効果とはなりますが、また戻る。  この繰り返しのドラマが人生であり、この地上でしょう。  こうっと、決めても決まらないところが歯がゆくてまた、それが緩衝地帯ともなり、助かっている、存在を持てている人、面もあり、それが全体の存在になっている。  そういうものでして。だから投げやりでいいのではないが。  年寄りの無責任かなぁ。そうと思いますか?

hakobulu
質問者

お礼

たびたびご回答していただきありがとうございます。 色々な経験をされてきたのですね。 今は懐かしさがこみ上げてくることもおありなのでしょうね。 >唯々諾々と従うべきではありません。参加できる管理であるべきです。 :ご経験から発せられた言葉として有難く参考にさせていただきます。 > 使命終了の管理と規制は無用の、放浪者、彷徨遺物となりましょうが、人間という者の、この世、地上の継続ということからは、完全にはそうなりません。 :そうなんでしょうね。 「管理と規制」の質がどのように変化させていくのか、ということも前段階としては検討の対象になるのだ、ということかもしれません。 >そしてなにごとも完全にならないが、いい方向に企図し、ある程度いき、また戻る。  管理と規制のありかたもこれと同じです。 :そうかもしれませんね。 #14さん、おっしゃるところの、 「>ある特定の個人の行動は、その社会を変えると同時にその個人も変化させているというダイナミズムがある」 ということにも関連してきそうですね。 >こうっと、決めても決まらないところが歯がゆくてまた、それが緩衝地帯ともなり、助かっている、存在を持てている人、面もあり、それが全体の存在になっている。 :なるほど。 「>緩衝地帯」という視点が新鮮でした。 >そういうものでして。 :krya1998 さんに、こう言われると反論しようがありませんね。^^; >年寄りの無責任かなぁ。 :いえいえ、そんなことはないでしょう。 そういった構図を把握しているか否かの差は大きいんじゃないか、という気がしますね。 ご経験に基づいた貴重なご見解をお示しいただき、どうもありがとうございました。   

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.22

再度 kigurumiです。 『「悪いのなら」とのことですが、そういった判断が「誰か」によってされるのを漫然と待つのではなく、「自分」が判断していく必要があるのではないでしょうかね。』 言いたいことはわかります。 えっとですね。 法律ってなんのためにあると思いますか? 人を罰するため? 規制して自由を奪うため? いえ、 人が安全に暮らすため。 だから、人が安全に暮らすには、ルールが必要なんです。 『その規約自体に不備があるのではないか、という指摘であったとも言えます。』 規約自体に不備があった? 私は気づきませんでしたけど。。。 IDを取るとき、規約読みましたよね。 そして規約に同意したので、IDが取れたんですよね。 契約をよく読まずにサインしてしまったのなら、あなたのミスになります。 その場合 契約の解除をすることで、その規約の支配下にはなりません。 しかし、、、規約におかしいところがあると、私は思わないんですけどね。 『民主主義という人格があるわけではなく、それはあくまで個人の大雑把な総意ですから、その構成分子としての自らを自覚するか否かによっても見解が異なってくるのでしょうね。』 まあ 普段は意識しませんから。 そういえばこんなサイトがありました。 投稿するとき、必ず「規約に同意します」というボタンを押さないと投稿できなかった。 それでも、規約に書かれていることを守らず、違反する人多かった。 契約書って読まないですもんね。 駐輪禁止って書いてあっても、みんな駐輪していたら、駐輪しません?苦笑。 でも、誰も駐輪していないところに、駐輪しずらいですよね。 ニューヨークは殺人事件が多いですが、街のらくがきを消したところ、殺人事件が減ったそうです。 公共物に落書きをしているのが無いと、しずらいじゃないですか。 だから町の安全を向上させる側の管理側が、どんどん落書きを消していった。 すると殺人事件も減って町の治安がよくなった。 落書きを野放しにしたら、心がすさみ、あげくは人が殺されることにもなるんですね。 『悪いのなら変えるというアクションを起こすのも民主主義の一端じゃないかと思いますけどね。』 で、この民主主義のコミュニティーのどこが悪いとお考えなのでしょう?? 例えば「こっちの議論は削除されないのに、こっちは削除されて不平等だ」ってことですか? 不快感がキーワードかも。 社会全体に不快感を与えたかどうか で、議論になっているところでも削除されないってことも 多々あるんじゃないかと。 議論を目的と最初からしているかどうかだと、削除になるでしょうけど、質問からだんだん議論になっていった場合は、スルーじゃないかと。 『民主主義が未成熟のまま停滞しているのではないですか、という提議であるわけです。』 ってことは、このコミュニティーの参加者が未成熟ってことですよね。 んーー 極端も悪。 バランスがとれている状態が義(徳)があるって状態じゃないかと。 アリストテレスだったかな? えっとですね、勇気と無謀。 王様は裸だって思っているが、いくじなしだといえない。 「ああ 俺はいくじなしだ」って人は、勇気を持てば言えるわけです。 逆にすっごい怖い独裁者に対して 「義をみてせざるは勇なきなり 」と戦いを挑んだ場合、高確率でボコボコにされる。 勝ったとしても、そういうことをしたので、今度は自分も同じ目にあう可能性があるわけです。 だから、どっちか極端じゃなくて「中庸が徳があるってことだ」みたいなことをアリストテレスは言っていたような。 古代ユダヤにゼロテ党っていたんですね。 無謀だったようで、ユダヤ市民を煽動して、ローマとの戦争にかりたてた。 結果民族2000年も放浪することになった。 自分たちは正義だって確信したんだと思いますが、無謀さが民族全体を不幸にした。 じゃあ 黙っているって言うんじゃないです。 適切な内容なら抗議していい。 ただ、今回不適切だってちっとも思わないんです。 それに罰じゃなくて、不適切だったからじゃないかと。 適切な内容なら、削除されなかったと思います。 だって削除される理由が無いから。 暇じゃないので、やる必要の無いことはしないでしょ? 『過半数だろうが「安易に判断されたこと」には間違いが多いんじゃないでしょうかね。』 ええ だから 間違えにくい って言葉にしたんです。 集団の価値観は時代により変化する。 それに正義だったとすることも、必ず勝てるわけじゃない。 勝った方が正義になるだけの危ういもの。 だって人間は絶対的な正義が何かしらないから。 自分たちにとって都合のいいものを正義だとしやすい。 多数者が「これが正義」って考えることが、当面のその集団にとっての正義になる。 で、やっぱり何が不服なのか、もわからない。 管理者が独裁でやっているわけじゃあないとわかりましたよね。 管理者だけじゃなくて、参加者の判断が参考にされているとわかりましたよね。 で、削除されたものは、規約に同意したにも関わらず違反を犯してしまったってこともわかりましたよね。 「だけど、他はスルーなのに、どうしてこっちはダメなんだ 確実にやれ」というのなら、<最初から議論目的であって質問が目的ではない>とかだと高確率で削除されるし、質問から始まって議論になっても、異なる意見に耳を傾けていた場合は、削除されない。 どうしてか、他人に不快感を与えないから。 削除される前の回答者の投稿なんこか読みましたけど、不快感を表す投稿 いくつもあった。 そのとき、質問者側は、相手の不快感を消すようなコメントを書けばよかったんですよ。 なにより 屁理屈? こねまわして、回答者をふりまわさなければ、あそこまで呆れられることはなったと思うんですね。 つまり管理者でも回答者でもなく、投稿者の他者とのコミュニケーション能力が高いか低いかも、結果に大きく影響を与えたと思うんです。 『定額給付金なんて、その最たるものでしょう。』 定額給付金はどういう目的で給付されるとお考えですか? 消費を拡大させるためですよね。 消費が拡大すると、店の人売れるわけじゃないですか。 すると他の店から今以上に購入できるじゃないですか。 そのほかの店も、いつもより儲けるので、消費しやすくなるじゃないですか。 国が税金として市場に出回っている通貨を吸い上げるわけです。 その分、市場に出回る通貨が減る。 通貨の流通が停滞する。 消費が落ち込む。 経済が冷え込む。 ね? だから貯金しないで使ってって呼びかけているんですよ。 国税局で紙幣を印刷して、ばらまくわけにはいかないんですよ。 そんなことしたら、物価高騰しますから。 勝手に印刷してばらまいたら、どこから金が出たのだってなるじゃないですか。

hakobulu
質問者

お礼

(つづき) >バランスがとれている状態が義(徳)があるって状態じゃないかと。 :ここも同感ですね。 全くおっしゃるとおりでしょう。 >じゃあ 黙っているって言うんじゃないです。 適切な内容なら抗議していい。 :そうですか。 よかった・・・。^^; >適切な内容なら、削除されなかったと思います。 だって削除される理由が無いから。 :まあ、しかし、その「>理由」自体に異議を唱えているわけですからね。 >多数者が「これが正義」って考えることが、当面のその集団にとっての正義になる。 :むろん、そうです。 前にもお聞きしたと思うのですが、これについてもお聞かせください。 つまり、 多数の支持する価値観は常に変化し。あるいは逆転するものですよね。 その契機はどこにあるとお考えでしょうか。 >で、やっぱり何が不服なのか、もわからない。 管理者が独裁でやっているわけじゃあないとわかりましたよね。 管理者だけじゃなくて、参加者の判断が参考にされているとわかりましたよね。 で、削除されたものは、規約に同意したにも関わらず違反を犯してしまったってこともわかりましたよね。 :おっしゃってることはわかります。 しかし、「>規約に同意したにもかかわらず」ということを盾に取るのは、逆に「>独裁」を表明してしまうことになると思います。 民主主義であるならば、あくまで、その規約自体の正当性を主張できるだけの根拠が確立していなければならないでしょう。 あるいは、変化すべき際には迷わず変化させて新たな手法を取り入れるべきでしょう。 それが民主主義ではないかと浅学ながら考える次第です。 この点において、繰り返しになりますが、 「意見を表明せぜずして、あるいは議論せずして哲学カテでの質疑 はできないのではないか」 という問いを発しているわけです。 >だから貯金しないで使ってって呼びかけているんですよ。 :そうですね。 しかし、時代は変わりましたね。 節約が美徳なんて、ほんと昔話ですもんね。  

hakobulu
質問者

補足

たびたびご回答いただきありがとうございます。 いやあ、それにしても kigurumi さんのお話は面白いですね。 質問に関連させて述べられる歴史的エピソードなども、ただで読ませてもらうのが勿体無いぐらいです。 博識な方は羨ましいな・・・。 閑話休題。 打って変わってその論理にはいささか首を捻らざるを得ません。 >IDを取るとき、規約読みましたよね。 >契約をよく読まずにサインしてしまったのなら、あなたのミスになります。 :って、そんなあなた・・・。 違法利率で営業する街金だってそのぐらいのこと言いますよ。^^; 業者の言い分に筋は通っているでしょうが、それが社会的に認められるかどうか、ということではないでしょうか。 そして、社会的という以上、その判断は(業者が行うものではないのと同様に)その社会に参加する人々の総意によって形成されるものではないでしょうか。 総意とは個人の見解の集積でしょう。 そのうち誰かが決めるものでも、契約を掲げたものに絶対的な権限があるものでもないと思いますが、いかがでしょうか。 現状がどうなっているか、ということについての分析・ご認識についてはおかげさまでよくわかりました。 それで良いと思われるかどうか、という点についてお聞かせいただければ有難いと思います。 >規約におかしいところがあると、私は思わないんですけどね。 :私がおかしいと思ったのは、#9の補足欄をお借りして提示しているように、たとえば、 「意見を表明せぜずして、あるいは議論せずして哲学カテでの質疑 はできないのではないか」 ということです。 >駐輪禁止って書いてあっても、みんな駐輪していたら、駐輪しません?苦笑。 でも、誰も駐輪していないところに、駐輪しずらいですよね。 :これは珍しく完全一致です。^^; ではありますが、駐輪禁止にすべきではない(=工夫したり手間をかけさえすれば禁止する必要が無い)という場合でも駐車禁止にしているケースだって必ずあると思うのです。 >例えば「こっちの議論は削除されないのに、こっちは削除されて不平等だ」ってことですか? :そういった一貫性の無さ、ということもありますが、先述したように、 「意見を表明せぜずして、あるいは議論せずして哲学カテでの質疑 はできないのではないか」 ということが骨子ですね。 >不快感がキーワードかも。 :これは新しい視点ですね。 貴重な切り口を提示していただいたのかもしれません。 う~む・・・。(-_-;) この視点に関連して少し話します。 すでにご覧になったかもしれませんが、#14さんの 「個人としては、自分の排他性を常に監視し、改め、行動に反映していくということになる」 という見解に今のところある程度共感していまして、 つまり、人間が本来持っている排他性のゆえに管理が必要にならざるを得ない、ということだと思われます。 で、この排他性というのはほぼ本能的なものと思うわけです。 であれば、本能の輩たる人間としては管理されるのもまた止むを得ない性であるというか、当然の帰結である、という理屈も成立するやもしれないのですが、片や一方では、人は本能のみにて生きるものには非ず、でもあったはずです。 その後者の(わずかな)可能性を浮かび上がらせ、するほうもされるほうも不毛の(制御という意味での)管理を不要にすることはできないだろうか。 といったような質問でもあるようです。

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  • 交通法の質問は意見表明や議論喚起と言えるでしょうか

    歩道を塞ぐようにして停まり歩行者や自転車の通行の邪魔をしているクルマは 交通法違反じゃないのですか。 という質問をしたところ ここの運営から ご自身の意見を表明することを目的とした内容、または議論喚起を目的として議 題を掲げる内容であり、当サイトの趣旨にそぐわないものと判断しました。 という理由で質問を削除されたのですが 違反かそうでないか質問することは意見表明や議論喚起と言えるのでしょうか。 答えは違反かそうでないかのどちらかで有り 意見や議論が出たとしても法的な答えはひとつしかありません。 交通法はここでの意見や議論では変わるものではありません。 なのにもかかわらず意見や議論の目的質問と勝手にみなして削除してしまうのはおかしいのでは ないでしょうか。

  • 質問番号1592829の削除理由

    上記の質問が削除されましたが、 削除理由として、意見表明や議論を目的とした投稿と有りましたが、 現在では確認できません。 「殺人を無くす為、道徳よりは利己心に訴えるべきだ!」 と言う意見表明が、削除対象なのか、 それとも、議論になった結果の削除でしょうか? 例えば、上記の意見表明に対する、問題点を精査希望とすれば、 削除の対象にはならないのでしょうか? 私も際どい所がありますので、ご存知の方、教えてください。

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    片側二車線の近所のバイパス(制限速度60km/h)の左側車線を、軽自動車でメー ター読み60km/hで走行していたら迷惑でしょうか と、質問したところ下記の理由で質問を削除されました。 ■対応内容 質問を削除しました。 ■対応理由 ご自身の意見を表明することを目的とした内容、または議論喚起を目的として議 題を掲げる内容であり、当サイトの趣旨にそぐわないものと判断しました。 そのうえ利用停止すると脅されています。 なお今後、当サイトのルールや規約をお守りいただけないと見受けられる投稿が あった場合、予告なくご利用を停止させていただくこともございますので、十分 ご留意の上ご利用くださいますようお願いいたします。 何で道路の走り方の質問が意見表明や議論喚起になるのか理解に苦しみます。 特に違法走行などはしておりません。 こちらとしては違反質問したつもりはないのに勝手に意見表明や議論喚起とみなされてしまい 何に注意をして質問すれば良いのでしょう。 そういう無理やりな理由をつけて削除するなら今後の質問には ※この質問は意見を表明することを目的とした、または議論喚起を目的として議 題を掲げる質問ではございません。 と、意思表示して質問してもよろしいですか。

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    ピントの外れた(と、少なくとも質問者が解釈した)回答に対して「そうではありません」と記述する事は議論目的・意見表明目的の投稿と取られて削除される事がありますか? ある場合、それの対策はどのようにすればよろしいでしょうか?

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  • このサイトは厳しい・・・管理下?

    管理が厳しいと聞きました。 先日から、色々と拝見していますが、管理者がバイトなんですか? お礼文の一つも書いていない者には、どの様に対応してるんですか? 拝見してると、えっ?何?と思う様な質問も回答もあります。 回答が寄せられるよう、以下を参考に、質問内容をわかりやすく入力してください。 OKWave では、個人情報の掲載や誰かの書いたものをそのまま転記するなどの著作権の侵害、質問ではなく議論を目的とする投稿などはできません(すべて削除対象となってしまいます)。 これも曖昧ですよね?議論する気は無いのに、議論に巻き込まれるケースも在るだろうし、通報をすれば済むはずが、通報しても放置されてるとか、現実として起きてますよね。 やはり、管理者がバイトでいい加減だからですか? ベテランの方、嫌な思いをされた方の意見を聞きたいので質問しました。

  • 質問とは?

    はじめまして。 私はいま大学で広く芸術の事を学んでいます。 先日課題で「たくさんの人の芸術に対する考えを聞け」 といわれ、自分自身も今後芸術と向き合うために幅広く聞いてみた いと思いました。 よければ皆さんの意見を聞かせて下さい。 (1)「芸術とは?」一言で (2)上記の理由 (3)性別 (4)職業(できるだけ詳しく、学生の方は学科・コースなども) という文を昨日載せましたところ 当サイトは、困っている方が疑問や問題を「質問する」ことによって、他の皆様が協力し合って回答を出し合い、質問した方が解決の糸口を見つける手助けの場です。いわゆる掲示板サービスのように意見を表明したり、議論や雑談をしたりする場所ではございません。質疑内容を確認させていただきましたところ、意見交流(意見募集)や議論などを目的とされた投稿のようでございましたので、大変申し訳ございませんが質問を削除させていただきました。 というメールを頂きました。 改めて読み返したらたしかに、「質問」とはちょっと違った書き方だったと自分でも思いました。 しかし、私としては上記に書かれている 「議論や雑談をしたりする場所ではございません。質疑内容を確認させていただきましたところ、意見交流(意見募集)や議論などを目的とされた投稿のようでございましたので」 というようなつもりはありませんでした。 たしかにキッカケはレポートのためでしたが、 私としても沢山の人のそのひとたちなりに出した答えを聞いて私なりの答えにたどり着く糸口にしたいと思い書き込みをしました。 それは質問とは違うのでしょうか?答えが決まっていることばかりが質問といものなんでしょうか? ここの掲示板の書き込みを色々見た所そういう質問だけではありませんでした。 質問の定義って一体なんですか?

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    「下記質問における質問者の方のやり取りを確認させていただいたところ、ご自分の疑問に対しての回答を見つけたいという姿勢ではなく、回答者とのやり取りをただ単に楽しんでいるように感じましたので、質問を削除いたしました。」 どうも管理者は「どう感じたか」によって削除するか否かを決めているようです。削除を決定された方は「哲学」における質疑というものが理解できていないようなので、ここに新たに質問いたします。 性を哲学するということは、どういうことであるか、具体例を示して回答して下さい。回答内容がどのような内容であっても質問者の私にとっては貴重な意見となり得ると考えますので、安易な削除はご遠慮願います。 お待ちしております。

  • 削除されちゃいました

    先ほど、このカテで質問したものが削除されました。 回答してくださった方、お礼がかけずすいませんでした。 メールによると、私の質問は意見表明としてとられたようでした。 ただ、このサイトを利用してて気になるコメントとかあったら 教えて欲しいなっていうものだったんですが これは「意見表明」なのですか? カテゴリー変えても同様に削除されてしまうんでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • Windows Office365(Excel)を使用して、複数行のテキストをオブジェクトとして貼り付ける方法を教えてください。
  • 目的は、リストアップされているタスクを付箋のようなオブジェクトに変換し、グルーピングと優先度付けをすることです。
  • 過去にどこかでやり方を見たような気がしますが、見つけることができませんでしたので、教えていただけると助かります。
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