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最初に言い出した人の出方によって後の人の出方も左右する?
例えば、「万引きする人に対してどう思いますか?」という質問に対して Aさんは 『悪い事だと思います。 でも、しなければならない状況にまで苦しめられていたのなら同情の余地はあります』 と答えたとします。 Bさんは 【そんな奴はバカ以外の何者でもない。 同情の余地などあるわけない!!】 と答えたとします。 このような場合、Aさんが一番手で回答したらずっとこういった 優しさ交じりの回答が続き、 Bさんが一番手で回答したらずっとこういった 批判めいた回答が続く傾向があるように感じるのですが、 こういうのって心理学的に何かの法則があるのでしょうか? <最初>というものの力の不思議を感じたので質問してみました。
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- Diogenesis
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#4です。 先ほど長々と書きましたが, 御質問を改めて読み直してみますと ><最初>というものの力の不思議を感じたので ここが要点だったのですね。 だとしたら, 「係留効果(アンカリング)」というのが一番しっくりするような気がします。 この用語は心理学のさまざまな分野で用いられますが, 錨(アンカー)につなぎ留められたかのように 先行する刺激に引きずられて後続の刺激に対する認知活動が影響を受けることを言います。 御質問の件でいうなら, 最初に表明された意見が判断の枠組みを規定し, その枠組みからはみ出さず枠組みを補強するような意見が集まりやすくなるということです。 賛否のみならず,回答の「生真面目さ」の度合いなども 最初の書き込みに影響されるような気がします。 社会心理学っぽくいうと,質疑応答の場においては 最初の意見表明が「状況の定義」を提供する。 もう少し俗っぽくいうと, 最初の意見が「場の空気」を規定する,てなことでしょうか。 もっとも ここの回答者の中には他の回答をまったく見ない人, 「空気」を読まない人も少なくないようですから, 最初の意見の影響力も限定的なのでしょう。
- Diogenesis
- ベストアンサー率49% (859/1722)
情報が乏しく客観的な基準が見当たらないような状況下では 合理的根拠がないままに多数派への「同調行動」が生じがちであることが知られています。 ただ御質問の件は盲目的な同調ではないようですね。 思うに多くの人にとって 自分の意見が肯定され承認されることが 自分の意見を表明する行動の強化子となっているということなのでしょう。 最初に書き込む人にとって 自分の意見が他の人に肯定されるか否定されるかは賭けみたいなものですが, 2番手の人が最初の人と同じ立場の意見を表明するときには すでに少なくともひとりの人によって肯定されることが確実なわけです。 そのことが意見を書き込む行動を容易にさせるのでしょう。 3番手,4番手ならなおさらです。 賛成意見を書き込むことはその意見のもっともらしさを増大させる働きをします。 合意性バイアス(自分の特性や見解が世間の標準に近いという思い込み)や 確証バイアス(自分の見解を補強する情報を選択的に取り入れる傾向)といった 誰もが陥りがちな認知バイアスも影響しているかもしれません。 結果,我も我もと勝ち馬に乗る現象,いわゆる「バンドワゴン効果」が生じるわけです。 一方,すでに表明されている意見と対立する論陣を張るにはそれなりの労力を要します。 少数派になるリスクを負いつつ 既出の意見の矛盾点を衝いたり,根拠となるデータを探したり。 しかもここでは回答者同士の直接対話は禁じられているので, 遠まわしな表現を選ばざるを得ません。 要するにめんどくさいのです。 なので既出の書き込みに対して「ちょっと違うな」と思いつつも あえて書き込みをしない人は結構いるのではないでしょうか。 私は多数意見にあえて異を唱えるような書き込みをすることがありますが, 世間ではそのような人を「へそ曲がり」とか「あまのじゃく」と呼ぶようです。
- kigurumi
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最初の人の発言によって、その後の発言の種類が固定されるという現象ですか? うーーん、、、これって語彙は思いつきませんが、<印象操作>が近いかも。 裸の王様も一種の印象操作。 他人の自分に対する印象を操作しようとして「見えている」という発言をした。 白とも黒とも言いがたいどっちつかずなものがあった場合、「黒だ」と誰かが言うと、どっちつかずだったほかの人も「黒だ」と言い出す。 どっちつかずの天秤に最初の人が重石をのせたことで、黒って決定したわけです。 だから最初の発言の人は、無意識に質問に対する他人の受け止め方を操作してしまったことになり、後の人もそれに続くことになる。 主流の意見と違うマイノリティーな意見って言いづらいですよね。 他人と同じになることで安心感を得ようとするのが群れを成して生きる動物。 人は孤独 嫌いますからね。 だから個性が大事という時代に流行を故意に作り出して消費者に与えると、個性が大事だとする人たちは、たちまち全員その新しい個性を身につけ、全員同じ格好をして没個性になる。 でも流行に沿っているので、自分が他の人と全く同じ格好をしているのに、個性があると錯覚する。 みんなと全く同じでないと安心できない人たちの心理を印象操作したメーカーの勝ち。 あえて多数者と違う意見を言えるってのは、ある意味集団依存した人ではなく自立した人。 他人の意見や価値観に依存していないので、自立ってことですね。 他のちゃんとした名称があるのかもしれませんが、残念ながらドンピシャな語彙は知りません。
日本人特有の現象だと思います。日本人は場に合わせて意見をいいます。自我が弱いからです。外国人の場合は人の意見に左右されません、自我が強いから
面白いご質問ですね?議論において争点が展開(変わる事)は逆にあると思います。ケースによりますね! (1)【A者の意見】【B者の意見】、ご質問者様のように最初の意見・争点が基本に話が展開する場合 おそらく協調を重んじるグループ(つまり女性が多い)場合ではないでしょうか? もちろん女性に意見が無い言っているわけではありませんが、発言者のグループ内での【発言力】に依る所が大きいのです。 男女その様な事ありますが、それは意見を出し合って結論を導き出す本来の議論在り方とずれています。 議題に関心が無いか?そもそも議論を展開できる程の論理力がないかです。コミュニケーショはお話をする意味ではありません。【意思疎通】であって、意思を伝えるという事です。 極端に協調求める事は、群集心理【Mass Psychology】で、大多数の意見従う場合があるのではないですかね? 【Brain Storming】は議題との関連性が失われない範囲で自由に意見・視点を出し合いますよね。それでも群集心理は働きますが、少しは ましですね。 A者は女性的ですよね? B者は男性的ですよね。事の事実を問うのが男性で、背景に理解を示すのは女性だと感じます。 僕の少ない個人的な経験からでは、事実=事象=わかりやすい事実に視点を絞るのは、議論ではなく、そもそも議論する必要もありませんよね!あまり賢いタイプではありませんね。 A+Bでつまり、事実認否+事実にある背景を酌量して、正しい判断が下せるのではありませんか?