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凶悪事件が起きるたびに出る死刑存続・廃止論あなたは。。

noname002の回答

  • noname002
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回答No.15

1、凶悪事件が起きるたびに出る死刑存続・廃止論あなたはどちらですか? 2、何故、死刑存続・廃止論なのですか? かつて起きた「女子高生監禁・コンクリート詰め殺人」という事件と、その後の犯行当事者たちの情報を見聞すると、こういう事件、こういう犯罪行為者が存在する以上、私としては死刑廃止の主張が軽々しく聞こえてしまうのが正直なところです。 いまの自分には、これ以上のことを述べる判断力はありません。したがって、1、2、ともに私個人は一言で言うなら保留です。 ただ、(全ての御回答に目を通してはいないのですが)No.11さまとNo.13さまの御回答は興味深く思いました。 死刑の、凶悪犯罪に対する抑止力効果に関して、信頼の置ける新たなデータが出てきているのでしたら、これは大いに注目に値することだと思います。 死刑制度が実行されることによる、われわれ一般市民一人ひとりの心情的負担感を負いたくない、という面で考えますのなら 死刑よりも残酷なのは、究極まで自由を剥奪した終身刑のほうが、むしろ、より残酷な刑、ということをどう考えるのか、という問題も問われることになってくると思います。 また、以前チラと見かけたのですが、精神疾患等により、責任能力を問えないような立場の者でも、本当に等しく一個の人間として遇するならば、その犯罪行為に見合った分の刑に服させるべき、という考えかたもありました。 まあ、あくまで自分側の利害または感情によって他人を死に至らしめる行為をしてもよい、という思想があるのでしたら、そういう思想にもとづいた価値判断で行ったわけですから、その犯行者を極刑に処するのは、むしろ当人の思想信条を尊重してやっている、という見方もできるでしょうか。 但し、こちら側が、そんな思想信条に納得共感しているわけでは毛頭ない、というところがジレンマになってしまいますね。 「万人の万人による戦い」の世界なんて、ほとんどの人は厭なはずですもの。 いっそのこと、単に、この者の場合は、こういう思想信条とか価値観を堅持している、ということを重んじての死刑だ、とでも割り切れればいいのかもしれません。 あるいは、いや、そういう思想信条、価値観を、社会の安寧にかなうレベルに至るまで矯正していくべきなのだ、という考えも、もちろんあるでしょうが、矯正などとは、それこそ人権無視の強制だ、よろしくない、などという意見も出てきそうです。 もし死刑は全廃、終身刑まで、と決定するなら、まず刑務所の増設や、諸々の維持費のアップ等を実行せねばならないですし、これだけ寿命が延びてますから、いかなる時代においても凶悪犯罪というものも必ず一定の割合をもって発生してくる、ということと、どう折り合いをつけるのか、とか、これはこれで難しい問題が山積しそうです。 質問者さまは仏教思想に絡めた意見をお求めなのでしょうか、それでしたら私は疎いので、とくに申し上げられることはございませんが、「カルマであるから」云々を言ったところで、全員が仏教思想にしたがっているのではありませんし、やはり現実論としての説得力がなければ社会的合意は不可能だと思います。 とにかく、抑止力についての信頼に足る研究を進めていってほしいです。 それと共に、凶悪犯罪を未然に防ぐ社会全体で取り組むギリギリの努力は当然、必要だと思います。 それは、私たちの個人的な領域からして もう問われていることなのだと思います。つまり、他人事ではないということです。 犯してしまった後のこと以上に、犯させないという努力は、「カルマ」なるものにも反することはないのではありませんか?そこは私、よく存じませんが。

noname#96011
質問者

お礼

昨日も死刑が執行されたようですが、中々難しい問題では有ると存します、裁判員制度も始りますし、色々は皆様のご意見をお聞きし考えさせられる質問と成りました。 回答して頂き有り難うございました。

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