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他者に何か訴えかけようrとするとき、

arayata333の回答

回答No.22

No6です。 表現における嘘(虚構とも言われている)の世界の問題と 映像におけるノンフィクションとフィクションの問題について 質問のコメントをいただきながら、  回答 おそくなりました。 映像におけるドキュメント表現の世界は ナレイション(言葉での映像説明)との関りのあたりが 昔から深く追求されていたりするようです。 そのへんも 映像表現の中のおもしろい課題でありつづけていたりしますが、 そのことについては また書く機会があったらいう形にさせていただき、  映像の方も ドラマ(虚構)の方のモンタージュ(ドキュメントでも取材してきた映像を組み合わせて効果的に表現していきます。)について 私の知っているところをお話してみたいと思います。 映像も含め 閻魔様に舌を抜かれるような嘘つきとなってしまうような虚構(物語)とは?  あるいはその逆の物語とは?ということで、 その《物語るという技術》と《心》の世界を追いかけていってみたいと思います。 他の表現の勉強もかなりしてきたし考えてきた者といっても その中で専門は踊り心の世界です。  それも一人で追求してきたので 正しい意味で専門と呼べるのかどうか? ともかく 映画のモンタージュの世界の勉強をしたのも、 踊りのそれを生み出す心の世界は 言葉以上に深い地点の映像をともなうイメージの世界の積み重なりや 組み合わせで 豊かになったりふくらんだりしっかりと大地をつかんだりして おそらく映画のモンタージュと同じようにして高まり深まってゆくのではないか? と 若い頃(その頃 すでに踊りの追及の道に入っていたわけです。) いくつかの映画をみたりしてるうちに思いつき、      それをモダンバレーの先生に、 踊りの世界ではそのへんどうなっているのでしょう?と  質問したのですが、(最終的には直接にはふたりのモダンバレーの先生にたずねています。)  「 そういうことは 演劇の先生方がくわしい世界ですので、そちらで聞いてください」との返事しかもらえず、    実は そういったことから もちろん演劇の勉強もすることになり、  こうして 映画の世界にも 勉強の部分は首を突っ込むこととなった  ということにすぎません。 踊りの世界も、正直に言えば  いまでもたった一人です。  これは踊りの構成の世界には学ぶべき人とかを見出しても  なんといったらいいのか  踊りそれ自体の世界は、  その世界の主流といわれてる世界にしても、私には    なんと こんなにいっしょうけんめい追求してきたにに    まったく意味が不能のまま 理解できないでいる世界となってるんです。    自分が ひとりで進みすぎてしまった部分と 遅れている部分とのギャップとかがありそうなのですが、  このまったく違った世界に見える 現象のまえに、 踊りの表現の世界に関しては今のところまったく立ち往生しています。   専門家もなにもあったもんじゃないですね。 ただ、これだけは言えるかと思います。  舞踊史の 娯楽舞踊 宗教舞踊(儀式舞踊)表現舞踊という 3段階発展説は 完全に荒削りな史実認識の世界です。 なんでこんなに いい加減な論法なのか わたしにはこれは完全に疑問です。  間違っていると思っています。    昔の人を差別しています。 昔には表現舞踊も表現表出舞踊もなかったかのような  野蛮な精神しかなかったかのような?      詳しくはここではいえませんが ともかく それは間違っています。 話がそれたかのようですが、  ともかく 私の考えてきた舞踊の世界でなら 踊りの心の世界というものは その表出表現の世界に嘘というものは混じりえないのです。     絵でのタッチそのものの世界、 歌でいうならば 音声そのものの音楽にのった現れの世界には、同じように嘘は混じりえない ということになります。 演劇には しかし嘘は必須となります。 演劇で嘘がつけない部分があるとしたら、眼差しの部分です。 でも この文明社会にてはこの目もだましのテクニックの内となってしまいえます。    が、 本物の俳優の眼差しの その部分は親が伝える涙のように 真剣であり真実そのものであり、 それを通して 嘘を越えて 無意識的にも 何かのメッセージを伝える大事な部分となりえるところ、  眼差しの部分というのは、この場合音声(歌の真髄)や手先のタッチ(絵の線)や 純粋な表出表現舞踊のように、 嘘の無い世界と考えることは出きるところです。 しかして、 実は言葉は すべて嘘をつける記号の世界で出来ています。 そして ドラマ(演劇脚本)は 嘘(虚構)です。 本質的には 演劇は 歌や踊りとともにあってその真実をより高めるものとも私は思っています。(絵はこの場合すこし別な地点にあります、詳しくはここでは略しますが。)  でも その本質のためのミュージカルにはなっていないのが今のミュージカルの世界です。  今一です。 このへんは 映画でのミュージカルも おなじです。 演劇の世界で深いのは、 想像力をたくましくしないと役の世界を深く演じられない点です。 形だけをそれらしく真似る世界を 近代演劇では紋切り型といって嫌います。 それを克服する方法として考え出されたのが 有名な「仮定(もし)」の法則です。  “「もし」《わたし自身が》”その場その状況をそういう過程をへて生きていたなら   という「仮定(もし)」の想像力を働かせる。 ということです。   《わたし自身》が舞台にて、役を 実際に 生きる あるいは 生き示す、  という表現でも語られているところです。 これは、実は 演劇がうまくなる方法とかではないです。 あるいは最高の演劇論ともいえません。 しかし、この、近代演劇の始まった時に生まれた法則は、 俳優が役を演じる誠実さや想像への真剣さを生み出したという点では 最高の概念と私は思っています。 なぜ、映像モンタージュの世界の話に、 演劇の話が出てきたのかは、 よく考えてみればわかると思いますが 映画の画面をすくなくともそれが物語り(虚構である場合)において、最大に構成するのはその「近代演劇俳優」だからです。    では、ここで始めて モンタージュの例を掲げて見ます。 モンタージュの説明でよく使われる映画の例です。 映画が始まる。 空からのとある街の美しいパノラマ。 パノラマは一瞬急降下、 街の一点が大きくなってゆく。  と 突然 一転してそこは街の片隅の 街角のとあるレストランの ありふれた窓から中が見通せる ただのロングショット 。 カメラはその店の窓に近づいてゆく。(ズームアップしてゆく) 中には 幾人かのお客さん。 その中に 楽しそうにおしゃべししている一組の男女の姿が、 カメラのピントも手伝って ひときわさりげなくだが目立つ。    楽しそうだが 時どき 意味ありげな間(ま)も入ったりする。 ? と 男がたちあがった。 そっと 女性にあいさつする。  そしてひとり、先に立って店を出て行く。  ふりかえり、そして店のそとに。 何気ない ただ それだけの光景。 ↓ そのまったく同じ 光景が 最後にもう一度映し出される という映画なのですが、 そこから始まったその映画は、 その男女の過去の出会いから 語り合い触れ合い 心をときめかしての デートの世界、 深まりへ   と時が過ぎていき  そこにさまざまなドラマがあり、 こうして 再び その最初の画面となり 終わるという映画だというわけです。 最初には 何も感じなかった同じ場面が  最後には ほんのふたりの間(ま)の演技にすら  深く 観客は心ゆすぶられ、 そして胸がじーんと熱くなるという  そういう 映像の組み合わせのマジック  これが、 有名なかの 映像モンタージュの説明に使われてきた   場面転換の理合いの世界です。 同じ場面が まったく同じ場面が 組み合わせと組み重なりによってまったく違った深さで表現を高めてゆく効果、 これを映像モンタージュといいます。 そのテクニックは今では 昔よりはるかに高度化しました。   さて、 ここで一つの答えを書きます。 その映像技術の世界にては 今ではロボットに心があるかのようなファンタジーをその域を超えた表現にて 演出できます。  実際の感動を機械の映像が作ってしまえているのです。  でも  同じ表現者として わたし自身が《もし》閻魔様だったとしたら、そして その舞台にて即興の演技をするべく演出も自演するべき状況を 生きていたとしたら、 私ならば、 その映画の舌を抜いてしまう行為をそこに生き示すでしょう。 文字通り ファンタジー愛好者達へも 鬼となり、泣いてでも 表現者の魂がゆえに その映画の舌を抜こうとする演技を そこに 生き示すでしょう。 その代わりに それよりももっと 泣かせるロボットの映画を作り 人間はこんな映画も作れるよということも同時に示すでしょう。  それも虚構です。 しかし 私なら 私の舌は 抜かないでしょうし、  ただしい俳優がそれを演じ生き示す場合も 私を抱きしめてくれるだけでしょう。 虚構の世界自体が 進化しています。 真実の踊りも歌も絵もやがて明らかになって  ミュージカルも本物となり、 嘘は嘘でもそれはそのぶん「みつめられた嘘」 閻魔様に舌を抜かれない嘘へと進化してゆきます。 わたしは、真実を物語るものと言っても そこにごまかしがあることは嫌いです。   たぶん閻魔様も同じでしょう。     閻魔様と 私の違いは、 実際には 私はそんなに怖くなんかない(キパッ)ということです。 (うtt 痛て!???)  しーー 痛かった  まったく嘘ではなかったので 少し痛かっただけでしたが   もうこんな痛いのはいやなんで ( あ   あれ  この嘘は 大丈夫だったようです。)  次には やっぱり ドキュメントの方も書かせてください。  嘘だと思われても すこし痛いので^^。(コメントおまちしてますね。)

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