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地頭をよくするには・・・

arayata333の回答

回答No.8

回答番号No6ですが、 ふざけてるわけじゃないです^^。 ともかく、もしや、まだいろいろ考えが交差したりして迷っておられる場合もあるかと思い、  推測なんて、大体人間なのですからあてになりませんので、   次には もっと真剣な回答も書いてみます。 * 経営者の場合の「意思決定」の“よすが”が そちらの迷いの世界を客観視するのに役に立つかもしれません。 まず、簡単に 円を書いてみてください。  心に想像するだけでもいいです。 つぎにそれを4等分してください。 縦線と横線をいれて中心を通る線を描けば、4分割できるわけです。 その図を《便宜上の思索実践循環、あるいは意思決定図》と名づけてみましょう。 便宜上というのは、仮に説明上説明しやすい形にしたもの、という意味です。 円の、左半分を思索循環線、 右半分を実践循環線と仮に規定するのです。 そうすると、まず、一番上の 一点が 意思決定の点となります。 思索から実践にうつる点ですからね。(これも 仮に そう決めることにすると考えてもいいです。) 経営者は、その意思決定時に、多くの迷い、戸惑いを感じます。  自分がもしかしたら路頭に迷う決断となってしまうかもしれないだけでなくて、 社員や社員の家族までそれに巻き込んでしまいかねないところ、 それでも経営者は、 新しいことへ挑戦しなければならなかったりします。 そこで、わざわざ「意思決定論」という実践的な学問が生まれたりするわけです。 その意思決定論の詳しいことは 少し後回しにして、  この思索実践循環が具体的には、どのようになっているのか?   そのへんをもう少し追いかけていってみましょう。 このうち、左側の思索循環線というのは、さらに上下二つに分かれます。 下が そちらの言葉を借りれば>知識を増やすことで<備えるもの、 意思決定に向かい備えを蓄えておく部分です。 学習の部分とも言えます。 できれば 其の実践なりの知識をたくさん仕入れておく部分です。 情報収集の部分とも言えます。 では、その思索循環の上の部分はというと、  ここは計画線と言える部分です。(後でわかりますが 全部仮の設定に過ぎません。つまり 便宜上の設定ということです。) たくさんの知識や情報を仕入れただけでは、 其の実践が何であれ、其の実践に向けての集中したまとまった学習とはなりません。 その実践の計画のために学習したことを集約する段階とも言えます。 ところが、konan0404さん、 そこまで計画したとしても、 人はなお、いざ実践に成功の確証は掴めない時が多々あります。 未来とは確率の世界であり、そして確率は過去の分析(統計の知識など)により高めることは出来ますが、  あくまで、確率の集合のようなもので、 絶対的に成功するということはこの世ではありえないわけです。 こうして意思決定時には、それがどうしても会社に必要だと思えることには、勇気とか「思いっきり」とか、勇断とかが必要になってきたりします。 そして、ほんとうはそのへんの詳しいそれなりの分析こそが意思決定論になるわけなのですが、 今はまだ省いておき、つぎへと進めていってみましょう。 もうお解かりかもしれませんが、 この思索実践循環図の円の線は 時計回りの意思決定エネルギーを持った線として(仮に)設定してあります。 時間的にも 時計回りの順番の図となっています。 そして、意志決定の次は、  右側の実践循環線となるわけです。 では、その実践循環線の 上の部分と下の部分とは何なのでしょう? 経営の世界では、上の部分を「やってみなければ、わからないでしょ線」と呼んだりします。(これは 半分冗談ですが^^) 意思決定の勇気を受けて ともかく“「思いっきり」行動してみる実践”を意味する線の部分です。 そちらの言葉を借りれば>猪突猛進<を実際に慣行する行動の部分です。 この段階の渦中にて、淡々と自己分析するのは間違いだとさへ言えてしまうような部分とも言えます。(それこそ、考えすぎはダメ^^なところです。) 経営者の場合 白を黒としてでも従業員をついてこさせる強引なリーダー性が求められたりもする部分です。  そのぐらい思い切らないと始まらないということです。 しかし、もちろん、その真ん中を通り越したら、次の行動があります。(詳しく言えば、これも計画の内だったりしますが、そのへんは略します。)  改善とか 引き返しとか ともかく行動を修正してゆく段です。 行動の目的や 目標の内容にもよりますが、 通常の私たちの思索や実践の世界では、このへんはすべて、もっと曖昧です。  それが普通です。   もちろん経営の世界でも 心にはユトリも必要です。 でも次から次へと実は「意思決定」していかなければならなかったりする厳しい世界が経営の世界のようです。 あくまで 曖昧さが全く必要でないというわけではないです。  歯車があまりユトリ空間がなければまったく動かなくなってしまうのと同じです。 が、しかし、 それと同時に、経営者は再び 時代に後れないように、時代を先取り出きるように、左側の学習の世界にも、再び時間をとって舵取りしてゆきます。 循環は再び左側の思索循環線に循環してゆくということです。 これが経営者のような人が必要としているきびしい「意思決定」をめぐる実践と思索の循環の 全体像です。 では、この時、  一番上の点は「意思決定点」であるとして、そのほかの三つの点、 縦線と横線によって記された 他の三つの通過点は、経営のような世界ではどのように呼び得るものでしょうか? 「意思決定点」 の次は 「反省点」です。 単純ですが解かると思います。(詳しくは略します。) では、円の一番したの点はというとそれは、 「非常にもどかしいけれども、再び知識を増やすことで捕らえなおす必要が出てきた点^^」です。 でもです。 ほんとうは、ここまでは簡単なんです。 最後のその次の 学習線と計画線の間にある点、 これが実は   実は ほんとうはですが、 実は、  >考えても考えても不透明な部分<がある点であり、 >一番重要だったりするのに< なかなか 本物とはなれない点なのです。 もったいぶって書きましたが 本当のことなのです。 簡単に言えば それは「情熱点」という名前の点です。  これが意思決定のエネルギー全体のエネルギー自体を決定する点とも言えます。 これがあって始めて 其のエネルギーは時計回りに流れ、 思索も実践も順序よく循環していきます。  血液に例えれば 血液循環の心臓部のようなものです。 ところが ここにけっこう 偽物もあったりするということです。 こここそ大事だということなのです。 経営者の場合は、それが会社の徳の世界 理念といった世界です。 その商品が人間の生涯価値に照らして価値のあるものか?を永遠に追求していったりする世界とも言えます。   (経営論ではないのでここではこれ以上追いかけませんが) そして、経営者の場合は、ここから やがて、その円自体を越えてもゆきます。 簡単に言えば、 費用と時間を計算して次から次へ二宮尊徳になっていき、失敗が予測される場合もその費用と時間は計算しておき、あとはすべてまさに   >猪突猛進<これあるのみ、  がしかして同時に勉強につぐ勉強の時間ももぎとれ! こんな 超きびしい世界となるのです。 右側と左側が一つになってしまうようなものです。(ここでは略しますが 実はこの奥にこそ、経営者の本当の意思決定論があるのだと、私は思っています。) それこそ猪突猛進しながら同時に >淡々と自己分析ができる<状態にまで、 自己を 磨き続けるのが経営者の道と言われている世界なのです。 彼らは その意思決定の責任を 地頭のせいにはしません。 泣き言は言ってる暇はありません。  彼らは   ただ、精進あるのみなんです。 Konan0404さん、 私にはあなたが、どのような目標や行動の中で 地頭について迷っているのか 私は知りません。 さあ、それでも 倒産するこの社会の厳しさを その時にどう思われますか?     それでもまだ  迷いつづけますか? だとすれば、 そちらの求めている世界は、哲学です。 ようこそ、哲学の世界へ。^^/。 この存在の中で >一番重要だったりする<のは 何なのでしょう。 いっしょに考えてゆきま笑。 参考になりましたでしょうか?   (頭は悪いけれど人生の経験者より)

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