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音楽は空虚なものでしょうか?

arayata333の回答

回答No.13

音楽に、醜悪美を求めても、その価値化は不可能に近い気がします。 私は 貧乏ですので、CDとかもほとんど買えません。 でも肉体労働者として いろいろな工事の手伝いをしてる時に、引越しでCDを大量に捨てていった人がいまして、 その大量のCDがヘビメタでしたので、同じに何かの強烈さはあるかなと思い また本気でその中にもきっと美しさと言えるものもあるのではと、たぶん同じ思いでだと思うのですが、片っ端から聞きまくってみたことがあります。 最初の頃のロックに見られたシャウトの中には 叫びなのにある意味究極の美(機会があれば説明してみたいですけど、ここでは抽象的なまま略しておきます。)とも言えるようなものを感じ取ることはできました。 同じ謙虚な聞き方をしていれば きっと何か見つかると思って、何度か試してみましたが そのうちにいやになってしまったという経過を体験しています。 たぶん、楽器での音の追求なのですから 醜悪はそのまま美となることはありえないのです。 あるいはありえないぐらい難しい世界なのだと思います。 逆発想の価値を求めるならば 本当はその意図を総合的な表現の一部として効果的に演出すべきところでしょう。  そうではないわけですから、  おそらく何かの作曲者や演奏者の求道の過程とか表現のわがままとかが、 ビジネス的にはマッチングするニーズと結びついてなりたってしまったので社会的にもそのポジショニングを得てしまっただけの音楽なのではと思います。 醜悪美は、舞踊とか歌とか絵とかでは価値的である可能性はあるかと思います。  むずかしい世界ですが、不可能ではないと思っています。 でも その前に、それだけの対極の中に美を追求できるということなのですから それこそ美の世界の確信にいたった人でないと無理かと、私は思います。 * 楽しさを通して 人の心に影響を与えるという点では音楽と歌と舞踊は似ていると思います。  絵は そのへん複雑な世界だと思いますが、 でも影響の与え方は  直感的ですね。 ストレートに何かを感じる人に影響を与えます。  それに対して、演劇や映像での場面の組み合わせとかの力では、哲学がしっかりしているかがまず問われるでしょう。  すべて総合的にも考えることはできますが、 別なジャンルとして検討もできる世界だと私も思っています。 * 繰り返しますが、私は音楽をむなしいものとは思っていません。 まず そのへんは、やはり、一番最初の音楽との出会いのお話から書かせていただきます。 わたしは、子供の頃、いじめにあい、実際に恐怖から気が狂ってしまった体験も二度ほどある人間です。  気が狂うというのは 実際にはその渦中には苦しくもなんともありません。 詳しくはともかく その前後が極度の惨めな世界です。  しかも、はっと気がついてわれにかえった時にはその一部始終を記憶する脳には ちゃんと憶えているので、特に子供だった私は、ちょうど物心ついたばかりの頃、自分がたった今どうなっていたのかリアルに解かってしまうわけですから惨めでした。 その頃体も壊し、何度も重い肺炎で死の床をはいずっています。 右の肺胞が全部つぶれ、左の肺胞も残り少ない時に医者が「後三日の命です」と宣告するのをはっきり聞いたりもしました。  …、 三日目の峠を越えて助かったわけですが、 その頃のわたしは、生還してもなおまだ地獄の渦中だったわけです。 もはや、心身廃人となりそうなぎりぎりのところで、 それまで泣いて訴えても信じてくれなかったいじめにも両親がやっと気がついてくれて、わたしは、とある海辺の虚弱児施設に入ることができたのです。 こんどは、逆にまるで天国です。 楽しい友達達、美しい海、優しくおおらかな先生がた、  私一人が 太る率がずば抜けてもいました。 そんな中で 私は音楽と出会ったのです。 クラッシック音楽なのですが、その施設での消灯時間に、毎晩、放送室からいくつかのクラッシック音楽が流れてきたのですが、 その中でかならず毎日流れてきたのが「アンダンテ・カンガビレー」と「トロイメライ」と「ユモレスク」の三つの曲でした。 周りのみんなも それまでは大騒ぎしていたのが、急に静かになり「お母さん」とか言いながらすすり泣きをはじめたり、それが伝染していったりしたのでその音楽には心を動かされているのが伝わってきたのですが、 私の場合は たぶん地獄のあとだったからなのでしょうが、 始めて聞くその音楽は、 もう なんというのか、 あまりにも その細かい細かい細部の音までが 胸の奥の奥にまで響いて、     言葉でそれをどう言ったらいいのか解からないですが、 全魂ごと聞き入っていたと言う感じです。 そんな感動の仕方は ほかには自分の人生ではたった一回しかありません。 大人になってから、そのぐらいの感動(それ以上かもしれません)で 自分のたましいがゆすぶられたのは、 ごく普通のアマチュアのオーケストラでペールギュントを聞いていたときです。     感極まった時のそのことを 一体どうやって言葉で語れるでしょうか? しかし、音楽がそのようなものであるかぎり、 これはおそらくですが、心理学で無意識といわれてる意識の世界にはすこしでもゆったり聞けた時には入り込んでいると思います。   (私の考えでは 無意識というのは意識下とか意識が無い状態とかいうのではなくて、 あまねく意識になんらかの状態でしみこんでいるかのように存在している意識なのですが、普段はすぐにはっきりと気がつかない意識の数々です。いろいろあるかと思いますが、詳しくは今は略します。) そして、それは確実にある影響を人の心には与えるのだと思っているのです。 真心の世界です。 人はウソもつけるように出来ています。そのような想像力を持っているからです。 だから口だけで人を愛していると言うことができます。  ウソ偽り無くあなたを愛しているよとも そんな心が一つも無くても言えます。  真心は逆に、口ではひどいことを言ってもほんとに愛してる場合だってあり、 そういう愛の面での本心の世界、自然な世界です。   本当に美しい感動を呼ぶ世界は、 そういう力を必ず無意識的には人に伝えてるのだと私は 思いこんでいます。 それは、音楽の場合、リズムとメロディーを通して作られますが、 それに想いの世界を載せて歌にする場合でも 音声での表現の部分は音楽と直接的に重なりそれをさらに彩ることが可能な世界だと思っています。 そのへんが歌と音楽の重なりの部分だと思うわけです。 日本人は 歌は音声の部分は聞き取る人が少ないと聞いています。 そうだとすれば、歌の大きな価値の半分を聞き逃してる感じがします。 * そこから 逆に私の そちらの質問への回答へとつながっていくのですが(かならずしも解答とかではないですが、せいいっぱい、言葉は尽くしてみたいのです。ほんとうに音楽の存在に感謝しているからです。 知識の貧しさから言えば、私などは ほんとに素人も素人なのですが、…。) 小室さんが、そちらの言われるアカデミックなむなしさを作り出してしまった象徴かもしれません。 しかし、おそらくあの人は、総合的なコピーは、新しい新鮮なものをも生み出すと信じていたのではないかと思います。  それを確信して一人孤独にアカデミックに過去の音楽と新しい音楽の世界を総合化していってみたのだと思うのです。  結果 若い人の中に 今までに無いリズム感を植えつけることには成功しました。  若い純粋な魂の中では、そのリズム感もメロディーの世界と折重なってもいるはずだと思っていますが(無意識的にです。)、でも、表の音楽界にはこれが作り物の音楽リズムとメロディーの創作の世界へとしか 開かれませんでした。  全部が全部というわけではないし、やがてそれは リズムが若い魂のなかで消化され昇華していくにしたがって花と咲く日はかならず来るでしょう。 わたしは、そう信じています。 でも、今のところ、その流れは まさにリアルさに欠けた音楽として小室氏の求めていた流れを作り出せなかったとも言えるかと思います。 たぶんですが、彼はこうして、さらに孤独にも家族にさへ内緒で、  たぶんですが、わざとすべて失敗してみせたのではないかと私には思えるのです。 「大丈夫ですよ、いつかあなたの誠意は いつかはではあっても必ず報われるときがきますよ。」 とその孤独なプロデューサーの心に、言ってあげたい気持ちになります。 でも、これは、 でもこれは、世界的にも 同じ流れもあるかと思います。 こうして書いてゆくと話は、独り言でどんどん進んでいってしまいそうです。 回答ですから、それもいいのかもしれませんが、  やはり私の回答は対話をも求めてるところです。 本物の音楽は、 聴き方にもよるかとは思いますが、その「美」の世界はけして夢のように消えてしまうものではないと私は思います。 ただ楽しいだけでなく、この生の中に さまざまな豊かな人の心と交流しつつ、シンクロしつつ、やがて人間の人間らしい「真心」の世界を育ててくれるものの一つだと思います。 また その楽しさの世界も その「美」の世界はですが、深みとか味わいのある楽しさの世界であり、 それは気づくほどに豊かな世界だと思います。 そういう「美」の世界の中でも最高の心の宝物だとおもいます。 「美」は空虚なものではない。 今回書きました点について h1g2h1g2さんは、どう思われますでしょうか?

h1g2h1g2
質問者

お礼

長かったですがかなり興味深い内容です。 対話形式を望んでおられるようなのでまず、なぜ僕が醜悪美にこだわっているのか少しお話しましょう。 別に音楽ではなくてもアニメでもゲームでも漫画でも小説でもなんだっていいのです、その人の視点からその人にとって新たな価値を見いだせれば。 あなたのように音楽を本当に自分の生活や人生に取り込んだ人はいいのですが、たいていの人は美しい美に耽ってしまう。(ここでの美しいはカッコイイ、カワイイ、きれいなども含む) もちろん本当に洗練された美しさというのもあると思います、みんなが美しいと思うような。 それは恍惚感が伴うと思います、そして触れている間はいい。 でも、離れると案外その時や場だけの雰囲気にとどまる場合がけっこうあるんです、ロマンチシズムはいいですがここにウエイトを置いてるのには僕は空虚に感じてしまいます。 美しい音楽は多くの人には流れていくだけのような気がします。 しかし、醜悪美はどうでしょう? 対極の中での緊張、夢を見ることを許さない。とても現在の現実にシャープに迫ってきます。 不愉快に感じてしまうかもしれない、しかし今の自分に惹きつける何かがある。音楽にもそんなのがあればとてもいいなと思います、かなり難しいことではありますが。 >「美」は空虚なものではない。 一口に美といっても様々だと思いますが、一般的な美(人工美)はやはり空虚なのではないでしょうか? 作者がリアルに感じた事を美しく音楽にする、そうするとかえって現実の方は醜く歪んでくるような気がします。 なぜそこまで装飾を施すのでしょうか?なぜそこまで意図的に美しくするのでしょう? 現実はそこまで美しいものでもないでしょうし、目を背けるべきではない。そう思います。 作者の方々にはその辺をもっと追究してもらいたいなぁと思います、メンドクサイからやらないだけなんですかね? ヘビメタも今、多くは形式的なのではないでしょうか。 そうなるともういけませんね。 あとは、ミクスチャーなんかもそうだと思います。 高度に作られているのもありますが、結局は既存の物を融合させるアプリケーションにすぎない気がします。

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