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生きる意味

自分は今、高校生です 数ヶ月前より「倫理」の勉強(所詮、高校でやることなのでかじる程度ですが)をやりはじめ、さまざまな思想家などについて学ぶにつれて、改めて生きる意味を考えるようになりました。 例えば、人生を80年と仮定すると、人生は一般的には「生まれる→学校に通いう→大学卒業→就職→退職後→余生を過ごす→死ぬ」という流れだと思うのですが、この人生を生きたところで何になると言うのでしょうか? 若い内は生きるために勉強や仕事をするが故に制限を受けたり、束縛されたりし。ようやく退職して開放されたと思ったら、そのころには老体になり、(たとえ矍鑠であったとしても)座して死を待つのみという状態になるのではないでしょうか。まさしくこれこそ「生き地獄」ではないのでしょうか? 果たして、人生を生きることには意味とはなんでしょうか? 乱雑な長文で申し訳ないです。 (もちろん、この質問の答えは人それぞれですし、そもそも答えは無い物と思いますが、)少しでも皆さんの考えを参考にして、自分の考えを深めるためにも回答して頂けると幸いです

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noname#78261
noname#78261
回答No.1

私の生きる意味は「誇りを持って死ぬために生きる」です。 生きていれば、さまざまな喜びが、悲しみが、あります。 それを喜び感謝しそして自分を高め人に尽くし人間という高等動物に生まれてきてよかったと思えることをいっぱい感じます。 あなたの言う人生の流れはごく一般的ですが、一言でいえば生まれてから死ぬまでずっと「勉強」です。生まれてからは、歩きたいと思い歩くことを学び、自分で食べたいと食べることを学び、話したいと言葉を学びます。 義務教育では教えられたくないのに教えられているという感覚がある人もいるようですが、サル社会でもおきてや生きる方法があります。複雑になってしまった人間社会に入るためには教育という過程がないと生きていけなくなってしまっているのです。 また、学習項目だけでなく人との付き合いも人を育てることもすべて勉強です。 就職しても勉強は終わりません。日々変わる情勢に対応していく力が必要です。でも、生きがいがあるので喜びがあります。退職しても日々自分を高め、人の役に立つために私は生きます。 人生の中で束縛というのは考え方によると思います。 数が増えれば考え方が違うのでルールは必要です。その必要性がわかれば束縛であるとは思いません。 小さい頃はそうは思っていませんでしたが今では、「勉強」は謙虚であり前向きであり可能性を秘めている素敵なものだと思います。 すべては、最期に「ああ楽しかった、私なりに頑張った」と微笑んで死んでいけるようにです。生きている時間のすべてを楽しみたいのです。 ですから、どうか戦争や事故では死にたくないですね。

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noname#76141
noname#76141
回答No.16

 生きる意味は、主として「幸福感を味わう」ことにあります。  生まれた時はゼロであり、更に赤ちゃんが自力だけで生きていくことはできません。  現在まで生きれているということは、様々な人や動植物や日光・空気等の恩恵を受け続けて来ている証であり、それを改めて実感してみれば大変幸福を授けられていることになります。  また、数百年前の時代を思えば、現代はその間様々な人々の研究開発等のおかげで、電化製品等に囲まれて大変幸せな状態で暮らすことができています。  まず、このように多大な恩恵を授けられていることを認識するだけで幸福感を感じることはできるのです。  次に、もっとスケールを広げて言及します。  人間=肉体+魂であり、肉体は物質ですから老朽化すれば死に至りますが、ちょうどパソコンが老朽化して廃品となったところで、電気映像等は老朽化しないように、魂は物質ではなくて電気・電波のようなものですから、魂は肉体が死んだら肉体から離れて存在し続けるだけのことです。  更に、気体や電波が比重や波長に応じて階層等がわかれるように、魂もその比重・波長に応じて階層が分かれます。  例えば他者を憎んだりする状態は比重が重いですから地下深くに沈殿するような感じになり、それ自体苦しいですし、反対に他者の幸福のために動き回っているような人の比重は軽いですから上空に浮かぶような感じになり、それ自体幸福です。  つまり、人格の成熟度が深まり増して行くほどに、幸福感は深まり、増して行くわけです。  例えば同じ医療等関係の仕事をしている人間であっても、悪どいことを考えている人と、普通に誠実に働いている人と、ナイチンゲールやマザーテレサのような人とでは、心境に明確な違いがあり、幸福感にも違いがあるわけです。  あの世では心境の違いがある人と会うことは困難ですが、この世で同じ肉体というぬいぐるみのような物質に入ることで、違う心境の人に会うことができますので、よりすばらしい人格の人と触れ合うことで人格を成熟させていくことができるわけです。  また、スポーツ選手が監督になった際に、自分の優勝時よりも教え子の優勝時の方がはるかに幸福だと感じたりするように、指導者もまた後輩をすばらしくすることに一層の幸福を感じることができるわけです。  更には、体操選手がいつまでも鉄棒で前回りばかりやり続けるのは物足りず、むしろ難しい高度な環境に挑戦してみたくなるように、この世で順境のまま過ごすよりは難しい状況の中で立派な生き方をしてみたいと、自ら望んでチャレンジするケースも多々あるわけです。   このように、人生には色々すばらしい意味があるのです。

serumanu
質問者

お礼

多くの回答ありがとうございました 学生ながら、様々な意見を通して色々な事を考えました しかしながら、(当然のことですが)まだまだ自分なりの答えは出せていないので、これからの人生を通して答えを出せたらと思います

  • ap10
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回答No.15

「最後は死ぬ」 これは変わりませんよね では、「だから今生きる事は意味が無いのか?」 その点を考えてみて下さい 自分の30年ちょっと程度の経験から言うと、 「何年後かは判らないけど、何時か死ぬ」 「だが、それだからといって今を無駄にする方がもったいない」 「いつか死ぬが、あと数年ぐらいじゃ死なない。なら、その数年を価値あるものにしたい」 という結論に達しました これは快楽主義からの発想です ちなみに、今現在生きている時間を地獄のような世界にしない為の努力を常にするという事にも繋がります 色々考えてみれば、違う答えを見出せる事でしょう 色んな勉強をしてみて下さい 勉強とは学校だけでできるものではなく、書物や先人の知恵に触れる事も当然含まれますが、雨が降る音を聴いたり、風が季節の匂いを運んでくれる事を感じる事すら含まれます がんばってみてくださいね

  • sikikinn
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.14

今生きているのは、何のために生きているのかを探すためだとぼくは思います。

回答No.13

人生の過程が大切なのです。 生きている間に幸せになる答えを見つけることも人生です。 何も、ただ死をまつだけが人生とは限りません。 生きている間に社会貢献をすることも大切です。 生きている間に人に喜ばれることをして、人の助かるように生きて。 人のお役にたつ生き方をして幸せの種まきをすることも大切です。 人間生まれてきたら何かしらの使命を持たされています。 その使命を悟り全うしていく生き方が大切です。 人生において辛いことや苦しいこともあります。 それを試練として受け止めて立ち上がっていくことも大切です。 辛いことも苦しいことも乗り越えていくことが大切なのではないでしょうか☆ 人生を生きる意味は困難を乗り越えてそして幸せになることに意味があるのではないでしょうか☆ 私は幸せの種まきをして幸せになることが人生の生きる意味だと思っております☆

  • clover0707
  • ベストアンサー率32% (552/1694)
回答No.12

>人生を80年と仮定すると、人生は一般的には「生まれる→学校に通いう→大学卒業→就職→退職後→余生を過ごす→死ぬ」という流れだと思うのですが、この人生を生きたところで何になると言うのでしょうか? おおざっぱすぎるでしょう~(^^;) 「旅行に行く→家に帰って来る」何の意味があるんですか? って聞いてるようなものです。 「どうせ家に帰って来るなら旅行に行く意味はない」でしょうか? その間の経験や思い出はどうなりますか? 人生を成立させるには、星の数ほどのディテールが必要です。 あるとすれば、その中に意味があると思います。 もうちょっと心の目の解像度を上げて世の中を見てみてくださいな。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.11

生きる意味は人それぞれが自分自身で考え出すしかないでしょう。 そういうものを考え出せないと生き地獄に感じるかもしれません。 仕事や勉強に意味を持っている人は拘束されているなどと感じないし、仕事を終えることを開放されたなど思わないでしょう。 ちなみに自分は「自分が生きたなにかしらの傷跡をこの世に残すため」 自分の友人で良いことをいったなと思ったのは「人生の思いでつくりのために生きている」です。

noname#74627
noname#74627
回答No.10

生きるではなく、生かされているかもしれませんね。 生命やいのちというのはまだ成長・進化の途中です。 基本として「死んで終わり」と考える限りは、その疑問と向き合うことになります。(経験上そうでした) いのちや生物が物質を越えた存在であることを、理性で実感するために生きているということだと思います。 あとは、愛とはこういうことなんだ!と感じるために生きているのかもしれません。

回答No.9

 高校生になんと話したら良いか分かりませんが? 中年の私の生きる意味は仕事をすることと、家族を守る事です。  私は学習障害(ADHD)のあった私を大学まで行けるようにしてくれた、父母と先生達に感謝しています。  そしてその恩に報いるためにも今の仕事をやり続けたいと思いますし、私の子供には将来私以上の人物になって欲しいと思います。  貴方のご家族は今そのために貴方に一生懸命に愛情を注いでいる事だと思います。  どうか貴方のお父様を超えるような人物になってください。でも人の値打ちは金じゃ無い事も分かってください。

noname#100196
noname#100196
回答No.8

まずは本題と外れますけれども、<人生を80年と仮定すると、人生は一般的には「生まれる→学校に通いう→大学卒業→就職→退職後→余生を過ごす→死ぬ」という流れだと思うのですが、この人生を生きたところで何になると言うのでしょうか?>とのことですが、この「一般的な人生」を生きられる人は実はそうそう、多くはありません。 人は大体、いじめられたり、浪人したり、就職に失敗したり、結婚できなかったり、貯金ができなかったり、事故に巻き込まれたり、犯罪者になってしまったり…と、人生のどこかで必ずつまづきます。つまづき方は人それぞれですけれども、もし、質問者様が漠然と考えているような「人生」がつつがなく送れる人がいたとしたらその人は天才です。大抵の人はそういったつまづきにあい、その上で歯をくいしばって「一般的な人生」から外れないように無理をして生きていくものなのです。諦めた人はいつの間にか消えてしまいます。五年後、あなたのクラスにも消えてしまう人がいますよ。 さて、まず大切なのは「人生の意味」とは何か、ということです。 「「大衆消費社会」と呼ぶべきものである。モノによってしか、自分をアイデンティファイできないのが現代の大衆なのである。(略)モノに託して自分を他人の眼差しにさらし、そのことによって自分を認定してもらう」(「欲望」と資本主義 佐伯啓思著 P158) …「モノ」の充実度によって定義される? 「「あなたが生活の中で重視していることとは何ですか」という質問をし、「やりがい」「成長・成功」「ステイタス」(略)などの選択肢から自分に当てはまるものを選んでもらった結果、「個性・自分らしさ」を選んだ人が30~34歳の男性の階層意識「下」の人で多かったのである」(下流社会第2章 三浦展著 P117) …それとも、「自分らしさ」によって定義される? あるいは、人生に意味などなく、私たち人間が生きるために造り出したものでしかないのか。 「<わたし>の存在にはなにか必然的な理由や根拠があるわけではない……。(略)わたしが<わたし>であるためには、そしてそのわたしの幸福というものを見さだめるにも、物語が必要なのである。そしてそこに、必然の糸がたぐりよせられる。(略)苦しさを自分で引き受けないで、そこにある必然的な理由を仮構する」(死なないでいる理由 鷲田清一著 P73) 以下は、私なりの「日本人」的な「生きる意味」です。 1)「ハッピー」と「ラッキー」なしに存在しえない「生きがいのある人生」 人間は、不幸であってはならない。ハッピーでなければ、ラッキーでなければ、そうでなければ、意味がない。後悔のない人生だけが意味がある。今日の私たち日本人はそう思ってはいないか。 「いやあ、何の後悔もしていません。『恋愛=結婚』なんて発想、私にはありませんから。」(なぜ結婚できないのか 菊池正憲著 P138) これが、私たちの生きる意味?この「不幸であってはならない」、つまり「不幸でないこと」=「後悔しないこと(後悔していないふりをすること)」に意味があるとする考えは非常に定着しているように思える。 「充実した人生を送るためには、自分はどんなことが好きで、どんなことが得意であり、将来どんな人になりたいのか。これらがわかってないと(略)行き当たりばったりで行動し、後悔する」(「伝説の就活・青」 プロデュース株式会社就職課編 P226) とはいえ、「充実した人生」も「後悔」も制限されていない。ここで問題になってくるのはとどのつまり、「自分」で決めるべき「幸福の基準」である。 「勝ち組みなんて幻想にしがみつくより、一旦もう日本が破綻しているってことを認めてさ、その新しい地平から考えた方がこの時代に生まれてきた意味が実感できるんじゃない?(『フリーターズフリー』一号より)」(3年で辞めた若者はどこへ行ったのか 城繁幸著 P127) この「基準」の曖昧さこそが私たちが信じる「自由」であり、私たちが生きる上で前提としているものである。故に私は、人生の意味とは今日の日本では「自分で決めること」である、と考える。 もちろん、そういった考えを尻目に「<わたし>の存在にはなにか必然的な理由や根拠があるわけではない……。」という考えが浮かんでいるけれども。 「こんにちは、○○さん。 おすすめ商品があります。本人でない場合はこちら。 」(amazon.jp より) 「―わたしが<わたし>であるためには、そしてそのわたしの幸福というものを見さだめるにも、物語が必要なのである。そしてそこに、必然の糸がたぐりよせられる。(略)苦しさを自分で引き受けないで、そこにある必然的な理由を仮構する。」

  • charmin
  • ベストアンサー率34% (10/29)
回答No.7

私は、人は理由があって生きているのではなく、 生まれてきたから、生きているから何かをする、と考えていました。 つまり、この「何か」というのは生きる目的ではなく結果だと。 生まれてきた結果、何かをするのだと。 最近まではそう考えていました。 幸いなことにこれまで私は死にたいと考えたことはなく、 ずっと生きてきました。そして最近なんとなく気づいたことは、 何か大切な人やモノ、こと、のために人は生きるのではないか ということです。 生まれてきた結果、何かをして、その結果、生きる目的を見つける のかなあと思います。 つまり、結果が目的になることもあるのだと思っています。 私はまだ大学生で子供はいませんが、将来子供ができたらその子の ために生きると決めています。 その子にとっては、生まれてきて、中学生、高校生くらいになったら 「私の生きる意味はなんだろう」と考えるかもしれませんが、きっと 気づいてはいませんが、その子は私にとっての生きる意味となって いるのです。 「生まれてきたから、生きているから何かをする」と書きましたが、 本当はそうではなく、人は誰かのために生まれてきて、誰かのために 生きることになるのだと、今はそう考えています。

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