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人生とは

以下の文章、表現の誤謬があったり、言葉足らずな部分があるかもしれませんが、ご了承ください。 自分は今年大学受験を控えている高校生ですが、人生について皆さんからの意見を頂きたく思い質問している次第です。 そもそも自分がこの様なことを考えるきっかけとなったのは倫理を独学で学ぶ中で、人生について興味を持つようになったからです。もちろん、倫理を学ぶと言っても所詮は受験レベルですし、私自身はまだまだ人生経験は浅く、見識も狭いですが、自分の人生に対する考えの結論は厭世主義的な結論に辿り着きました 独自の考えですが、誰しもが自らの生きる意味は無いとわかっているのではないでしょうか?所詮、生まれてきて、死ぬのも嫌だから皆生きているだけではないでしょうか?ただ「自己の生きる意味」の否定は自己の存在の否定になるため、皆、楽観的に人生を捕らえ、勉強・勤労などをして、「自己の生きる意味」の否定を避けながら過ごしているのではないでしょうか? 私自身も悲しいことに人間として生まれている以上、煩悩に束縛され、さまざまな欲望はありますが、それらも少し離れたところから見ると、とてつもなく空しくなり、人間として生まれたことを厭うばかりです(もちろん人間以外が良いとも思いません) 今のこの理不尽で空虚な世界を生きる意味とは何なんでしょうか?何のために人は生きなければならないのでしょうか? 烏滸がましくもこの様な雑で傲慢な文章を書いた私に少しでも皆さんの意見を与えていただけると幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • marusaku
  • ベストアンサー率50% (2/4)
回答No.1

私も生きる意味をよく問うてしまいます。 でも、特定の答えがあるとしたら残酷だとおもいませんか? 個人の人生を正解と不正解でカテゴライズできるなんて・・・。 幸せを感じ、日々に満足しているときには、人生の疑問は浮かばないものだと思います。浮かんだとしても、その問いの答えを突き詰める必要を感じず過ごしてゆけるでしょう。自動的に生きることを肯定する心の状態になっているからだと思います。 質問者さんは、今、自分が辛い状況にあるので、理由を求めたいっていう心の状態になっているのではないかと思います。 きっと、楽しいと思えることができれば、この疑問に向き合う必要も感じなくなると思います。 花は生きかたを迷わないっていう言葉があるそうです。植物や動物は、なぜ自分が存在するのかを考えて苦悩することはないですよね。でも、子孫をのこすって言う、自然界のルールにはしたがっているわけです。そして、自分が生まれついた境遇を嘆くこともしていないと思います。 人間は社会的な生き物なので、自分の理想で人生を設計したり、社会を変革することが出来ます。また、社会的な生き物であるからこそ、一般の理想や常識に縛られて融通がきかなかったりもします。それで不満などが生まれるのではないかと私は思います。 たとえば宗教などに入れば、人生に対して特定の意味は与えられるとは思いますが、 本当に人生を豊かにするのは、頭で幸福の公式を理解することではなく、生きることの喜びを感性的に感受して、心が満たされていることではないかと思います。 うまく答えることができませんでしたが、応援の気持ちをこめて回答させていただきました。 最後に、あなたの存在を願い、この世に産みだし、育ててきた人がいることも、忘れないでください。きっとその人たちは、あなたが存在し続けることを願っていると想います。

その他の回答 (8)

noname#76141
noname#76141
回答No.9

 私は、ある本に出会うまでは、人生の意味(何のために人は生きているのか)が、全くわかりませんでしたが、ある本を読んだらその答が書いてあり、私には感激を伴う納得を得ることができる内容でしたので、簡単に紹介します。  人間は幸福感を味わって行き、またそれを深めて行くために生きているということだそうです。  幸福感には色々ありますので、それはそれでいいのですが、深めて行くポイントは、神仏の境地に近付いて行くことだそうです。  更に、付け加えておきますと、  人間=肉体+魂(心)であり、肉体は物質ですから老朽化して焼却されても、魂は物質ではないため焼却されずに存続します。  ちょうどテレビ本体が老朽化して廃棄されたとしても、電気電波は存続しているのと同様のようなものです。  それで肉体から離れた魂は、ちょうど気体が比重によって分かれて存在するように、あの世でその比重・波長(趣向)によって分かれて存在することになるそうです。  つまり、他者をだましてもうけることに夢中であった人、誠実な善人だった人、更なる研究開発をなして行くことに夢中だった人、他者が幸福になって行くことを自分の喜びと感じて生きた人、等、それぞれの心境に応じて分かれて存在するようになるそうです。  心境が変われば住む世界も変わるそうではありますが、ある程度の限界もあるようでして、そのためまたこの世の肉体に宿ることで、あの世では出会うのが困難な様々な人々と出会い、様々な体験をして行き、また自分の器を広げ、深め、高めて行くことに幸福感を味わって行くことができる、ということのようです。  試行錯誤はあるでしょうが、それはやりがいを実感できるということでしょうし、要はよりよくして行けばいいわけです。そこに充実感を伴った幸福感を味わって行くことができる、というわけです。

回答No.8

考える上で、言葉の意味を明確に、具体的にしていくと 考えやすくなります。 ここで、「生きる」とは具体的にどういう行為を指すのか 明確にしてみましょう。 これは僕の考えですが、生きるという行為を生命活動だと 解釈すれば、生命活動とは食べること、排泄すること、眠ること などが主にあります。 次に「意味」という言葉を明確をします。 国語辞典で調べたもので五つの意味があります。 次にそれを挙げると (1)言葉・記号などで表現され、また理解される一定の内容。 「単語の―」「この文は―が通らない」 (2)ある表現・作品・行為にこめられた内容・意図・理由・目的・気持ちなど。 「―もなく笑う」「彼が怒った―がわからない」「感謝の―で贈る」 (3)物事がある脈絡の中でもつ価値。重要性。意義。 「ここであきらめては努力してきた―がない」「歴史的―」 (4)表現によって暗示的にほのめかされる深い味わい。含蓄。 「言外の―」 (5)ある表現・行為・物事などのもつ内容を表すこと。 「赤字はマイナスを―する」「あの微笑は何を―するのか」 三省堂提供「大辞林 第二版」より となります。 それぞれ1~5までの意味を考慮して生きる意味を考えるのは 面倒なので、その内の1の意味における生きる意味を考えます。 生きるとは生命活動、意味とは「生きる」という言葉が表現する 一定の内容なのだから 生きる意味とは、生命活動のことであると言えます。 他の2,3,4,5については自分で考えてみてください。

回答No.7

みんなが生きながらにして生きる意味の否定を意図して避けているのではありません。 元来、楽観的なのです。楽観的でないと自己保存を続けられなかったのです。 パンドラの箱に残った「希望」は、ものごとがそうであるからもつ精神性ではなくて、ものごとがそうであるにもかかわらずもつ精神性です。 何のために・・という答えは極単純に楽観と希望にあるのです。 悲観と絶望の種は絶滅しているにすぎません。 つい吸い込まれそうな魅力がありますけどね。そりゃ楽だからね。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.6

[今のこの理不尽で空虚な世界を生きる意味とは何なんでしょうか?何のために人は生きなければならないのでしょうか?] あなたの心の底からの要求があなたが目にしているものではないということだけですよ。あなたが捜し求めているものに出会うまでは空虚でもたえるしかないんでよ。それが青春という時代なんです。誰しも通らないといけない年月ですね。空虚な年月は、誰しもあるのですから「勉強にいそしんで」時間に耐えることしかないですね。例えて言えば、山を登るようなものです。だらだらいつまでも続く山道を登っているのが青春時代ですね。それを越えると小さな峠に達します。一休みして更に上ると突如として眼前に海が見えるんですね。きらきら光る海を見ると、青春時代の意味がわかるというしこうなんですね。そういうことで間違いないんですよ。あなたに限らずみんな同じですよ。山道の途中で道を外して迷っているのもたくさんいますが、こんなのを真似ないようにネ。

noname#80116
noname#80116
回答No.5

 ★ 誰しもが自らの生きる意味は無いとわかっているのではないでしょうか?   ☆ 《わかっている》というのは もし決定的なものであるなら そこから 人生=無意味の論を立ててください。理論を立てることが目的ではないとすれば そのようにしてください。《未熟であるゆえ あいまいにしか分かっていない》とすれば さらに 探究をすすめてください。  ★ 所詮、生まれてきて、死ぬのも嫌だから皆生きているだけではないでしょうか?  ☆ これは ひとの勝手です。  ★ ただ「自己の生きる意味」の否定は自己の存在の否定になるため、皆、楽観的に人生を捕らえ、勉強・勤労などをして、「自己の生きる意味」の否定を避けながら過ごしているのではないでしょうか?  ☆ もしそうであれば くだらんと思います。取り上げるに足りません。もっと直截に述べれば そういう人たちは 死んでいます。  ★ 私自身も悲しいことに人間として生まれている以上、煩悩に束縛され、さまざまな欲望はありますが、それらも少し離れたところから見ると、とてつもなく空しくなり、人間として生まれたことを厭うばかりです(もちろん人間以外が良いとも思いません)。  ☆ そうですか。  ★ 今のこの理不尽で空虚な世界を生きる意味とは何なんでしょうか?何のために人は生きなければならないのでしょうか?  ☆ 《生きなければならない》と言うひとも いるでしょうし 簡単にそう言うのではないひとも いるでしょう。  ★ 今のこの理不尽で空虚な世界  ☆ 《今》以外の時代は 別だったと思いますか?  同じく 人間とその社会は つねに 《理不尽で空虚な世界》であると 決定的に分かったとしますと 最初の問いに戻ります。  もう少し詳しく考えるとすれば こうです。  ○ 理不尽でない行ないや場面や情況は 知っていますか。  ○ 理不尽ではなく結構おもしろく または とうとい社会事実が 部分的にあったとしても それを蔽ってしまうほどの空虚が 世界の本質だということでしょうか。  ○ そしてそれを すでに 決定的に知ってしまったということでしょうか。  ☆ そうして それゆえ 問いは あくまで   ★ 〔この世界は生きる意味がないと 明らかに 分かっているにもかかわらず なお〕・・・生きる意味とは何なんでしょうか?  ☆ ということでしょうか?  ご自由です。そのように問いを立てることは 自由です。そして その前提が間違っていると 生理的に 思っていて 生きている人びともいます。そのような人びとの存在をも 前提としているのでなければ そして 両者が 互いに 話し合いを持つかたちを採るのでなければ 厭世倶楽部の仲間だけの質疑応答になると思います。というよりは 答えが決まっています。たいして おもしろくもないので あまり読もうとは思いません。  参考URLは 《質問番号:4317574=存在と存在理由とは どちらが大切ですか》というわたしの質問です。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4317574.html
noname#194289
noname#194289
回答No.4

私は頭の中の世界と外の世界を分けることにしています。外の世界には何も意味はありません。もともとないのだろうと思います。よく言われる天地無常[無情)というものです。人間は脳が発達したため頭の中に別の世界を作っています。頭の中の世界には自分しか住んでいません。人間は初めから孤独です。脳も体の一部ですから体によって支えられて存在していますが、脳の中の世界は体と直接の関係を持っていません。体は外の世界に属していますが、厭世的ではありません。人間以外の生物は体として生きていますから外の世界に属しています。彼らもまた全く厭世的ではありません。厭世的でない体に支えらているのだから自分も厭世的でない方が良いとは考えられないでしょうか。またあなたが持っている欲望を支えるために生きてみようというようには考えられないでしょうか。つまりあなたの体があなたを支えているようにあなたも欲望を支えているというように立場を変えてみるわけです。

回答No.3

映画「マトリックス」よろしく、ようこそ厭世主義の世界へ… ひとまず私はこの言葉をあなたに送ります。 恐らくserumanuさんは今街を歩けば、周りの楽しいはずの情景が 何だか遠くの世界の出来事として感じ取ってしまっているではないかと思います。 小坂修平『イラスト西洋哲学史』の中の一片、「哲学とは星空を見ること」。 広大な風景を見ると、誰もが日常から解放されて人生とは何だろうかとつぶやいてしまう。 しかし、serumanuさんは何でもないはずの日常そのものまでを「現実」というカッコでくくってしまう。 では一体なぜこのようなカッコ付けを行ってしまうのか? これは様々な表現方法があると思います。 大人になるための試練だとか、科学者の仕事は既成の世界をぶっ壊すこと、 また小説家は自ら周囲との関係を断ち切って閉じこもりながら執筆する… すべて「世界」と「自分」との関係のぎこちなさを述べたものです。 けれどもひとつアドバイスというか、わたしの経験をいうならば、 「世界」と「自分」は決して分離してはいない、ということです。 serumanuさんは 「私自身も悲しいことに人間として生まれている以上、煩悩に束縛され、さまざまな欲望はありますが」 と言います。その通りだと思います。 人間はどうやら物質的に欲望(食べること、子孫を残すことなど)の塊でできているようです。 この人間的物質を起因とした社会の事件ばかりをみていると本当に疲れます。 けれども人間には「言葉」がある。 ここが大事です。 もう少し広げて表現するとこの「世界」に既に存在する社会的な言葉を取り入れながら、 人間は「自分」を形成していくのです。 蛇足かも知れませんが、今の脳科学では物質的な脳(=人間の心?)がどのようにして 社会性(ネットワーク)を獲得していくかが主流の研究目的なのだそうです。 あなたよりは少し長く生きているという権限できっぱりと申し上げますと、 倫理を学んで厭世主義にたどり着くのではなく、まずはじめに厭世主義ありきなのです。 私はよく読書するのですが、自分のもやもやをはっきりと言葉にしてくれる本によく出会います。 逆にいうと、既にこのもやもやを考えてしまっている人がいる、と自分の普通さを嘆きます。w つまり、昔の人々が直面してきた様々な難問をどのように考えてきたかが倫理学でもあるのです。 だから今までの問題を認識するとともにserumanuさん自身の問題を考えていくこと、 幸いにして大学ではそのような場所をお金に関係なく提供してくれます。 最後に今の私自身の人生の目的を述べると「意味とは自分で創り出すもの」です。 これは多くの人が述べていることなのでちっとも創り出してないではないかと突っ込まれそうですが、 身にしみて感じていることです。 10年後にserumanuさんが同じような質問をしている受験生に対して どのような回答を用意しているのか、それを想像しながら大学生活を送っていくのも良いかも知れません。 それでは受験がんばって下さい。 以上

  • h1g2h1g2
  • ベストアンサー率10% (2/19)
回答No.2

本来は生きる目的などないのではないでしょうか。 言葉がなく、観念がなかった大昔はそうでしょう、生まれたばかりの赤ん坊だってそうだと思います、ただ在るというだけです。 言葉をもち、思考をもち、概念や観念ができたことによってあらゆることについて考えてしまったのが運のつきというか、やっちゃったなって感じですよね。 こうなってしまった以上は仕方ないので空虚な世界というのもそうですが、現在の自分の生命に責任を持ってあらゆることに自由に挑戦することが本質だと思います。 挑戦は周囲との戦いであり自分との戦いでもあり大きな危険をはらんでいます、言ってみれば賭けですね。危険な遊びでもあります。 絶対的に自分に賭けることで生命感を感じとる、これだと思います。

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