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啄木の歌 「あれ」と「なむ」

Parismadamの回答

  • Parismadam
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回答No.4

No.1です。早々のお返事を有難うございます。補足質問にお答えします。 ご質問1: <「あれ」は係助詞「も」との係り結びの関係というお答え、成る程と思いましたが、「こそ」と同じ関係であるという論拠となる文法書など教えて頂ければ幸いです。> 回答はいつも文法書を見ながら回答しているので、すべて頭の中に入っている知識から引き出しながら回答しています。 ですので、現在手元にはお薦めできる文法書は存在しません。日本に戻れば見つかると思いますが、現在こちらに持ってきているのはほとんど専門分野の書籍です。 ちなみに専門は国語ではありませんので、あまりそれに関する学術書はありません。回答欄にある「経験」というのは、大学時代大手予備校における国語の講師のアルバイトと、こちら(海外)のインターナショナルスクール(高校)で(請われて本職の空き時間に)国語の教師をした経験です。後者の経験中の参考書などは全て学校の図書館で補いましたので。 ただ、ご質問の論拠は古語辞典などにも見つかると思います。ちなみに古語辞典は金田一春彦のものを使っています。 1.「も」は元々「こそ」と同じように、語気・意味を強める強意の用法のある係助詞の働きがあります。 例: 「これを射も殺し、斬りもころしたらんは」(平家物語・6祇園) 「凡夫の所為とも覚え候はず」(保元・上) 2.一方「も」には、「こそ」と結びついて連語で「もこそ」+「已然形」の用法で使われていた事例が、平安時代からあります。 これは係助詞「も」+係助詞「こそ」の連語になります。 3.この場合の意味は「~するといけない」「~するおそれがある」などとなります。 例: 「からすなどもこそ見つくれ」(源氏・若紫) (現代語訳)「からすなどが見つけでもしたら(大変だ)」 4.ご質問の「も」はこの意味で使われていませんが、恐らくこの「語感」をそのままもってきて、「もこそ~あれ」→「こそ~あれ」=「も~あれ」という流れで使ったものと推測できます。 5.「も」も「こそ」もどちらも同じ「強意の係助詞」という働きがあるので、どちらを省略しても同じニュアンスと考えたのでしょう。 6.特にご質問の詩では、「こそ」を使うと現代語の「こそ」にある、「限定的な強調」のニュアンスに解釈される怖れもあります。 例: 「それこそ、私が言いたかったことだ」 それを避けるために、現代でも強意の用法のある「も」が使われたのではと思われます。 ご質問2: <「なむ」は眺望ということですが、それなら一般に「語り出で」は未然形の筈ですが> おっしゃる通りです。 1.ここは「終助詞」に引きずられて「命令終止」のニュアンスで早とちりしてしまいました。 2.願望の「なむ」は未然形接続ですから、「語り出で」は未然形になります。失礼しました。 ご質問3: <解釈について> 1.なお、No.2にある詩の全文を拝読すると、この部分は、既に回答のある「命令形の放任用法」だと思われます。詩の一部だけでしたので、全容がつかめませんでした。 2.そうすると、文脈・文意からすると、この「なむ」は 完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」+意志推量の終止形「む」 の連語だと思われます。なお「な<ぬ」には強意の助動詞の用法はありません。 3.そして、この連語には「可能性に対する推量」の用法もあり、「~することができよう」という意味になります。 例: 「殿の中には立てりなむやとのたまふ」(源氏・常夏) ご質問文の「な+む」=「なむ」は、まさにこの解釈がぴったりあてはまします。 4.以上を踏まえてこの詩の解釈は以下のように置き換えて下さい。 「しみじみと語れる友がいればなあ、君のことなど語るおとができるだろうに」 という、一種の仮定願望と意志・可能推量のニュアンスが混在した訳になります。 以上ご参考までに。

sasa8787
質問者

お礼

懇切なご回答、まことにありがとうございます。当方の力不足で十分理解できない部分もありますが、勉強させていただきます。お礼まで。

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