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啄木の歌 「あれ」と「なむ」

tatsuohの回答

  • tatsuoh
  • ベストアンサー率33% (5/15)
回答No.5

疑問は疑問であり、反語は反語であり、詠嘆は詠嘆である。ただ、それを決めるのは作者であって、それを見極めるのを読解である。文法はあくまでも手段で目的ではない。文法が目的ならば、国語学という学問になる。 思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを     (古今和歌集) 百敷の大宮人はいとまあれや 桜かざして今日も暮しつ      (新古今和歌集) あだ人は時雨るる夜半の月なれや すむとてえこそ頼むまじけれ   (詞花和歌集) 古今集の小町の歌の【寝ればや】は、已然形+接続助詞「ば」+係助詞「や」 であるから、理由を表しながら、疑問で受けている。つまり、あなたを思いながら寝たから、夢にあらわれたのであろうかと自問しているのである。 已然形+接続助詞「ば」+係助詞「や」 の 接続助詞「ば」が欠けて、已然形+係助詞「や」の形になります。この係助詞「や」が、疑問にふれたり、反語にふれたりする。新古今の歌は、疑問にふれている例だが、これが一般的な用法である。 疑問や反語は、そのまま驚きの表現になる。現代語でも「愉しくない」というのは、愉しいのだ。「どうしてこんなに可愛いの」というのは、疑問ではなくて、可愛いという詠嘆である。こうしたことは、人間の感情の問題であって、文法の問題ではない。つまり、作者の思いが表現になるのであって、表現があってそこから思いが伝わってくるのではない。したがって、われわれは表現(ことば)を介して、作者の思いを読み解くしかないのである。 詞花集の歌では、作者が詠嘆で用いているから、詠嘆である。もちろん、新古今の歌も詠嘆である。 啄木の歌の読み違いも、啄木が何を伝えようとしているのか考えないことから生ずるのである。たとえば、【もぞ】【もこそ】が不安を表すのではなくて、係助詞「も」が、暗示されるものをしめすことがあるだけで、日本人は心配性であるため、不安が示されたにすぎないのだ。かくのごとく、哲学のない文法論議は不毛である。

sasa8787
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。お説、ごもっともと思います。文学作品の鑑賞・解釈にとって文法は補助にすぎないこと、そのとおりと思います。反面、作品は作者から離れたものと考えることも大事で、作者の境遇や事情、立場(有名作家などの場合特に)に添い過ぎないことも大事であると常々思っています。お礼まで。

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