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与謝野鉄幹の歌の解釈とは?
- 野に生ふる草にも物をいはせばや 涙もあらん歌もあるらん この歌は与謝野鉄幹の「東西南北」に出てくる歌で、その解釈について教えていただきたいです。
- ネットや本を調べたけど、与謝野鉄幹の歌についての解釈が載っている情報を見つけることができませんでした。ネットでは現代に訳したような意味が載っていましたが、先生の解釈は「野に生ふる草」を一般人と解釈していました。
- どの解釈が信じるべきか分からないので、正確な解釈を教えていただけると嬉しいです。
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先生は,「自由民権運動」の流れから鉄幹の歌を解釈されたのでしょう。 「自由民権運動」については社会科で学習するでしょうが, いろいろな科目を自分の力で総合して考えることで,知識が身につきます。 明治時代は立憲君主制が成立し,平民も政治に参加できるようになりましたが, 平民のすべてではなく,大金持ちの男だけに限られていました。 貧乏な男やその家族(女・子供)は立候補も投票もできませんでした。 (具体的には税金を納める金額によって決められていました。) (また当時の政治は個人単位ではなくて, (家父長(男)を中心に女・子供がいる家が単位でした。) 先生はそうした背景をもとに鉄幹の歌を解釈されたのだと思います。 ただ,歴史には踏み込まずに現代の視点に置き換えて, 「有名人・一般人」と説明されたのではないか,と思います。 野に生ふる草にも〔貧乏な男やその家族(女・子供)にも〕 物をいはせばや 〔政治的な発言権を与えたいものだ〕 涙もあらん 〔生活の苦しみの訴えもあるだろう〕 歌もあるらん 〔良い暮らしをもっと良くするような意見もあるだろう〕 という意味になります。 「そういう意味なら,はっきり言えばいい,「野に生ふる草」なんて意味不明」 という気もしますが,昔は政府を批判することをはっきり言うと それだけで逮捕されました。わざと意味不明にしていたのです。 意味不明だけどわかる人にはわかる。 そして逮捕されそうになっても言い逃れができる, というのが和歌の技術でした。 さて,あなたがネットで調べたという貫之ですが, おそらく,「古今集」の「仮名序」(貫之が書いたひらがなの前書き)の 「生きとし生けるもの,いずれか歌をよまざりける」という言葉と 鉄幹の歌とが似ているということでしょう。 貫之は平安時代の貴族でした。 しかし,貫之は紀氏であって藤原氏ではありません。 この時代のことも社会科で学習すると思いますが, 貴族の中で藤原氏だけが政治を独占していました。 貫之にはほとんど発言権などありませんでした。 それにこの時代は物事をはっきり言うことは逮捕どころか死刑でした。 貫之はそれでも何とか言葉を残し,歴史に名を残しました。 鉄幹は貫之を大先輩と思っていたのかもしれません。
お礼
ありがとうございます! 大変参考になりました。和歌1つでこんなにも深い意味があるんですね。先生の解釈が良く分からなかったので丁寧に詳しく教えてくださって助かりました。本当にありがとうございました。