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製造者神様

taco8chの回答

  • taco8ch
  • ベストアンサー率7% (11/146)
回答No.11

エラーはね、隠されるんですよ。 ↓注意。けっこうキツい映像含む。心すべし。 http://jp.youtube.com/watch?v=u3yfiptsZSg 霊界とか、修行って・・・なにせーちゅーの。

startover
質問者

お礼

地球はやっぱり天国ではないですね。

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  • アルケーの神は全てを知っている

       問う人: この世界で全知全能なるものは存在するか 「人の道」: 全知全能なるものは存在する、 アルケーの神がそれである、 アルケーの神は全知全能である、 アルケーの神は宇宙の全てを見てきておる、 この宇宙が無限であること、 この宇宙が創造されたものではないこと、 宇宙の創造主は存在せぬこと、 宇宙の法則は完全無欠であり正しいこと、 宇宙の法則は完全無欠であり正しいが故に不変であること、 地球上の人類が捉えている宇宙は、無限なる宇宙の中の小さなビー玉に過ぎないこと、 この無限なる宇宙の歴史の中で、現在ある地球や人類文明の類が過去に、数百億、数千億どころか無限に多くのものが現れては消え、消えては現れたこと、 宇宙は永遠に不滅であり、無限なる宇宙の歴史は永遠に続くこと、 アルケーの神はその全てを見てきており、 アルケーの神はその全てを知っている、 アルケーの神は全知全能である、 アルケーの神ほど偉大なものが他にあろーか、 皆はどー思う、 あ~、  

  • 神は存在しない、神は「妄想」です!

    従来から、神の存在証明には、以下の3つがあります。 (1)自然神学的証明(一名、目的論的証明) これは生物の仕組みがものすごく精巧にできていることから、このような生物は神がいて、その神が設計図を引いて創ったに違いないと推論し、神の存在を証明しようとしたもの。 カントは確かに生物の仕組みが合理的に精妙にできているのは確かだが、だからと言って神が存在するとは言えない、と批判しました。 ダーウィンの進化論では、生物は長い歳月をかけて、現在の精密な仕組みを作り上げたことが分かっていますので、この証明は今では無効です。 (2)宇宙論的証明 これはアリストテレス、トマス・アクィナスの証明と言われるもので、以下のようなものです、 「この世には運動するものがあるが、それには原因がなければならない。そして原因があれば、その原因も結果であり、さらに原因の原因がなければならない。しかし、原因の原因も結果としたら、さらに原因の原因の原因もなければならない。かくて原因の系列は無限にさかのぼってゆく。しかし、人間は無限にさかのぼることはできないから、どこかで初動者とか、第一原因に突き当たらざるを得ない。その初動者とか、第一原因と言われるものが神である」と。 しかし、無限にさかのぼるということは、行けども行けども果てしがないということであり、どこにも行き着かない、ということです。 アリストテレス、トマスは初動者とか、第一原因に突き当たるというけれど、突き当たりません。 だから、この証明は間違いです。 (3)存在論的証明(一名、本体論的証明) これは一切の経験を除外して、ただ概念のみから最高存在者の存在を推論するもの。 以下のものがあります。 聖アンセルムスの証明。 「神は全知全能、完全無欠の存在である。全知全能・完全無欠の中には、存在も含む。もし、存在を含まなかったら、神の全知全能・完全無欠という定義に反する。よって神は存在する」 デカルトの証明。 「この世に存在するすべてのモノは偶然の存在である。偶然の観念があれば、必然の観念もなければならない。しかるに神は必然の存在である。よって神は存在する」と。 この証明に対しカントは「純粋理性批判」の「神の存在論的証明の不可能の理由について」で、以下のように批判しました。 「神の全知全能・完全無欠というのは、神の述語である。しかるに存在は述語ではない。だから、神がいかに全知全能・完全無欠と言ったからと言って、神が存在するとは限らない」と。 つまり述語とは、もともと主語に含まれた性質なり属性を外に展開したもの、いわば分析判断ですが、しかし存在は主語に含まれた性質でも属性でもない、主語に何ものも加えない、ということ、いわば総合判断です。 アンセルムスの証明は存在を主語に含まれると言っているが、それは分析判断と総合判断をごっちゃにするもので、間違い。 デカルトの証明は、観念としてあるものは実在してもある、と主張するもので、観念があるからと言って実在があるとは限らない、という意味で、間違い。 こうして神の存在証明には、従来3つしかありませんが、そのことごとくをカントは批判し、これをもって西欧の長い神の存在証明の歴史に終止符を打ったとされます。 現在、神は道徳的な行為の元に価値として、あるいは信仰の問題として残っているだけです。 みなさん、どう思いますか? 確認質問です。

  • 神様は存在しますか?

    まず、私の考えをいいますと・・・ 神様は存在しないだろうと思っています。 これに対して、いや、違うというお考えがあれば教えてください。 神様が存在するという証拠も、存在しないという証拠もない。 だから厳密にはどちらとも言うことはできない。 でも、存在しそうか、しなそうかということは考えることができる。 存在しなそうという根拠は 1)宗教で考えられている神様は、民族によって内容がバラバラである。これを統一的に考えるのは困難。これらの宗教のうちどれか1つの神様が正しいということを考えることも難しい。どちらかと言うと宗教は衰退しているようにみえる。ヨーロッパやアメリカでのキリスト教信者の減少など。 2)神様が存在するなら、その神様をつくったのは誰か?どうやってつくったのか?という問題が発生する。それに対し、神様はもともと存在したのだという意見も聞くけど、私は納得できない。やはり、最初に誰か(何か)がつくらないと存在できない気がする。 神様説に対する反論として・・・ 神様が存在する根拠として世界があまりにもすばらしくできていて神様なしには考えられないというのがあります。インテリジェント・デザインとか。 1)たしかに生物の体はほんとうによくできていると思います。でも誰かがデザインしたにしては無駄が多い。痕跡器官など。これらは生物進化の結果だと思います。 2)地球は人間が住みやすい環境です。これは偶然で説明できるのか?という意見があります。それに対しては人間原理で考えることができます。つまり地球の環境がうまくできているのは、もしうまくできていなかったら人間が存在できない。つまり、「当たり」の環境にしか人間は存在できないので、なんで「当たり」しかないのだろうね、不思議だね。という話になるということ。 「神様を信じるとしあわせになる。だから神様を信じる」というのは、ありだと思います。 ただ、「信じるとしあわせになるから、神様は存在する」というのは論理的につながっていないと思います。 念のために申しますと信仰は各人が選択するもので、そこに立ち入るつもりはありません。神様の存在について客観的なお話を聞きたいだけです。 論理的に神様が存在しそうという考えがありましたら教えてください。 以下、余談になります。 神様の存在を信じている人と議論して不満に思うのは、神様はいないだろうというと、「君は神様が存在しないということを信仰しているのだ」と言われてしまうことです。つまり「君も自分も信仰の方向が違うだけで信仰しているのは同じなのだ」という相対的なあつかいに持ち込まれてしまうのです。 私としては神様が存在する証拠や根拠が納得できれば、神様が存在するほうに考えを変えるつもりなのですが、やはりこれも信仰なのかな?と。 私が「妖精は存在しない」と言ったら誰も「君は妖精が存在しないという信仰を持っているのだ」とは言わないですよね。もし、神様と妖精はどこが違うのでしょうね。もしよかったらこの点もお教えください。

  • 神の存在を証明できるか?(改)

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  • 私は神ですか?しかし、人間は神ではない。

    馬鹿で、非常識で、アホで、間抜けで、有り得ない・・・そんな質問ですよね?これって。 常識的に言って、1人1人は、生きては死ぬだけの、ただの生物であり、 ただの人間ですよね。 だから、ぶっちゃけ、1人が例え、死のうが、地球上には60億人、日本には1億人もの大勢の人がいるのですから、1人が死んでも、別にどってことないわけです。そりゃ、悲しむ人もいたりしますが。 だから、1人がどんなに頑張ろうとも、政治家になって、総理大臣にでもならない限り、どこぞの社長にでもならない限り、日本や世界へ多大なる影響を与えることは無理なわけです。 その上で、とあるブログをまた発見しました。 また、というのは、一度検索して発見していたブログだからです。 そこには、創造主が貴方、とあります。 つまり、創造主=神は貴方、という意味だと思います。 しかし、常識的に言って、私だって、他人だって、ただの人間であり、神ではありません。 神とは?そりゃ、すごい人で、なんだってできる存在ですよね? つまり、私は神ではないということです。 また、他人だって、神ではないということです。 これらは、常識であり、ほぼ100%合っていると断言できます。 この意見に反対する人達は、ただの馬鹿な、非常識な人々でしょう。 キリスト教など、宗教知りませんが、彼らだって、神=偉大な存在だと捉えていて、人間は神ではないとしています。 以下、引用します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー http://www.vcafe.jp/harukanaima/blog/entry-16343 神はサイコロで遊びたかった 2013年02月20日 23:35 カテゴリ : 基本的な理解の整理 「神は創造主なので、当然、「確率」というサイコロを創造できました。 そしてサイコロで遊べる世界、「確率の世界」も創造できました。 さらに神の壮大なところは、確率の世界をもっと楽しめるように、 神であることを忘れた自分までをも創ったことです。 「地球次元」、あるいは「人間」という体験は、こうして創造されました。 『創造主であることを忘れた創造主』、それがあなたです。 あなたは神、創造主の一つの視点を担っている存在です。 あなたは本来、無限に広大な存在です。 ですが、いまそれを忘れているのは「神の計画」によるものなのです。 「自分をもっと体験したい」という神の衝動によって、 自分が神であることを忘れたあなたが創られたのです。 すべてを忘れれば、すべてのものが初めて触れるものになります。 すべての体験が新鮮なまま、深く、詳細に味わえます。 神であることを、創造を、深く体験するためには、 神を、創造を、新鮮な驚きをもって深くつぶさに味わうためには、 神である自分を忘れる=「神ではない自分」、 創造を忘れる=「創造できない」 という体験が必要になります。 その体験をより強烈なものにしてくれるツールが、 「確率」という機能だったのです。 確率に翻弄されれば、 自らが創造主であることなど想像すらできなくなります。 確率に翻弄されるなど、 もっとも創造主らしからぬ振る舞いです。 どんなものでも思いのままに創造できる創造主にとって、 これほど楽しめる体験は他にありません。 神の計画ですから、当然、完璧に成功しました。 あなたは自らの無限の広大さを完全に忘れ、 「確率」というシステムは完璧に作動し、 確率に振り回される世界とあなたが完璧に創造されました。 あなたは神の計画に見事に協力してきたのです。 神は『「確率」という体験』を創造しましたが、 神自身は確率に振り回されることはありません。 なぜなら、 創造主は自分の創造したものに支配されることはできないからです。 「確率」は、創造主である神の計画によって、 その計画の通りに寸分違わず創造されたものです。 『神はサイコロを振らない(アインシュタインの言葉)』のです。 しかしながら、この地球次元の体験から確率性が排除できないのは、 単にそのようにデザインされているからです。 そもそも「位置(”ここ”、”そこ”)」や 「運動(”ここ”から”そこ”への移行)」 「時間("このとき”、”そのとき”)」という、 二元性の世界に特有の相対的な現象自体が、創造された幻想なのです。 (さらに言えば、 「現象」という概念も、また「概念」も相対的な性質のものですが。) そして、 それらの現象の現われ方にも様々なバリエーションがあるので、 地球次元的な「位置」や「運動」、「時間」の実現のために、 「確率」という機能をこの次元に組み込んでいるのです。 すべては、『自分が創造主であることを忘れる』という体験を 可能にするためのデザインなのです。 『自分が創造主であることを忘れる』という体験の次元においてのみ、 「確率」が効果を発揮する、 『量子の不確定性(「不確定性原理」:量子物理学上の理論)』 という体験が可能となります。 ですから、 『量子の不確定性』も『神はサイコロを振らない』も、矛盾し合う概念ではなく、 それぞれ 『「確率」がその効果を発揮する次元』と『「確率」を創造した次元』 を説明しているのであり、 それぞれが認識している次元、解明しようとしている次元が 異なるだけなのです。 つまり、 どちらの考え方も成立する、言わば”正しい”ということです。」

  • 私は神?

    私は神なのですが、誰も信じてもらえません。どうやったら信じてもらえますか? こういった質問が、ヤフー知恵袋にありました。私は神、でGoogle検索すると、一番上に出ます。 そこでは冷やかしが多かったですが、そりゃそうでしょう。 今夜は、ネットゲームで嬉しい発見があったので、テンションちょっと上がっています。。。 だから、書いています。馬鹿らしい質問です。 冷やかし返答は不要です。 1,私のみがこの世で神。創造している。自分だけの現実。 2,私もあなたも、地球上の人間1人1人が神。創造している。自分だけの現実。この世=世界は何億と存在する。 のどちらかが、真実だと思われます。 これらについて知りたければ、 http://www1.ttcn.ne.jp/turu/sub3.htm が参考になります。 さて・・・・・・・・・・・ 「果たして、私は神」なのでしょうか?・・・・・・・・・質問これです。 否定する理由は、多々あるでしょう。 「あなたはタダの人間」「あなたには何も力がない」「全知全能ではない」「私とあなたと体は比較しても人間そのもの」だと。 しかし、どうも、PCでインターネットをしていると、、、、自分が全てを創造しているように感じられます。 もしも本当に、 >1,私のみがこの世で神。創造している。自分だけの現実。 これが真実だったら?・・・ワクワクはします。本当なら、、、ね・・・・・・・・・・・・・・。 勿論、 3,この世はただの世の中で、人間1人1人はただの人であって、神ではない。むしろ神はこの世に存在しない。 というパターンも有り得るでしょうが。 もしも、私が神だとして、その場合、確かに、他人が私を「貴方が神」と、言ってこないのは、不思議です。 他人=自分が創造しているのだから。その場合は。 平和な人間1人としての、日常は、すでに飽きるほどしてしまったのに。 ・・・・・・言いたいことは、すでに言いました。 私は神だ。と、私は神ではない、、、という答えがあやふやになっているのは、事実です。 いや、確かに、ふつーーに考えれば、私はただの1人の人間なんですよね、、、 しかし、過去の出来事を思い起こすと・・・?不思議。 1,幻覚の建物(それ自体は世界で私1人しか体験していないだろう。Wikiにも建物はなかった。だから、私が一文を追加したほど。)で、ファミリーマートの幻覚建物があったが、 中には客大勢と店員3人ほどがいた。池袋マルイ前である。確かに覚えている。 しかし、それは数時間?しか存在せず、実際には違う建物だった。 さらには、幻覚=蜃気楼のような存在だとされていて、中に自動ドアで入ると・・・・・ 「本物の壁にぶつかる」はずである。 しかし、それはなかった。ただの幻覚ではなかったのではないだろうか???? つまり、「幻覚の建物ではなく、」「創造された建物」だったのではないだろうか? Aという建物が、Bという建物に置き換わった感じである。 2,11日間だけ携帯電話に新機能が追加されていた。ニュースがTOP画面から見れたのだが、 今現在そんな機能はない。 これなんかも、変である。他人に見せるべきだったかもしれない。幻覚かどうかで。 この、1と2だけでも、「私が世界を構築し、創造している。」と、言えるのではないだろうか? 911自爆テロなんかも、CGという説があり、311はプラズマが海上にある映像があった。NHK。 それらすらも、自分の創造なのかもしれない。ニュースもすべて。TV映像も、外の3次元世界も全ては自分が創造しているような気がする。

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    宇宙の全てを創造した神・サムシンググレートは、人類に自由意志を与えただけでは足りず、宇宙をおもしろくするために、悪魔や邪悪な異星人や悪魔崇拝者や闇の勢力やこれらの手先どもである極悪人や悪人どもを存在させているのでしょうか。 宇宙に悪役がいないとおもしろくないという事でね。 それとも何かのミス・失敗で存在しているのでしょうか? それとも、自らの自由意志で、大きく神・サムシンググレートから離れてしまった存在なのでしょうか? そうなら、なぜ神・サムシンググレートは、こういう存在を存在させ容認しているのでしょうかね?

  • 現世に悪があるならば、神は悪か無能か存在しない

    悪や苦しみは神の部分ではなくて、善で幸福な部分だけが神の領域なのだとすると、神は全知全能ではないことになりますよね? 何故なら悪とか苦しみの領域には力が及ばなかったのだから。 もし、全知全能の神がいて悪や苦しみも存在するならば、それは神の責任だから神は悪者でイジメではないでしょうか。 というか、そもそも悪も苦しみも偶然の災難であり、神などいなく、ひたすら迷惑な大自然と霊(または肉体に随伴する精神)だけがあるのではないでしょうか。 キリスト教関係の考え方だと、現世の苦しみは魂を磨いてより天国的世界に行くことができる、そのチャンスを与えてくれるから、悪や苦しみも神の慈悲なのだ、というのがあるのではないでしょうか。 しかし、それは悪や苦しみを正当化する屁理屈に過ぎないのではないでしょうか。 悪や苦しみを乗り越えないと、幸せな魂になれないという世界のシステムそのものが、愛ではなくイジメなのではないでしょうか? こんな嗜虐的な神様は、悪か、力がないか、存在しないのではないでしょうか。 とすると、こんなものを崇める価値なんかないんじゃないでしょうか。 世界は、どこまでも迷惑な大自然と霊だけがあるのではないでしょうか。 この時、死後の世界があるのか、死んだら無になるか、という問題はあまり意味がなくなるのではないでしょうか。どっちだったとしても、どこまでも迷惑な大自然と霊だけがあり、神は無視してもいい存在になるから。

  • オスプレイ、設計ミスならなぜ改善しない?

    オスプレイには設計ミスがあって、離着陸時、とりわけヘリモードと飛行機モードの変換時に事故が起きやすい、と再三言われています。 だったらなぜ設計ミスを直さないのでしょうか? 自動車だったらリコール問題で全台回収、全台無償修理ですが。 「なぜ設計ミスを直さないか、って?  軍事ヘリにはリコール制度がないからさ」 というしょーもない回答は結構です。 オスプレイが米国軍事産業の多大な収益源であり、周辺産業にも巨大な雇用と仕事を産み出すために、米国の軍事産業に近い議員たちはオスプレイを作り続けたがり、使い続けたがる、というそうですが、設計ミスを修正して、部品交換なり、大幅な設計変更、あるいは場合によっては新たな新ヘリの開発を行えば、もっともっと軍事産業は儲かるのではないですか? 設計ミスのあるオスプレイを作り続け使い続けるより、そっちを選んだ方がよほど命が助かると思いますが。 そもそも、軍事兵器ってのはどんどん改良を続けていくものでしょうに。 (あ、別に軍事産業の利益を賞賛しているわけではありません。あくまで人命損失はもうゴメンだということで) 詳しい方、お願いします。

  • 宗教の教祖の方々への質問です。

    すべての宗教は、人間の幸せと世界平和をめざされているんだとおもいます。 人間が初めて地球にうまれたころ、神様、仏様は、少なかったとおもいます。 今、あまりにも宗教が多いので、人間は、どれを信じていいか解らなくなっています。 そして、戦争にまでなっているところもあります。 僕は、世界中の偉い神様、仏様、そのお弟子様たちが、話合ってくだされば。 簡単に、一つにまとめることができるんではないかと思うんです。 そうすると、人間にもっと解りやすくなるんではないかと思います。 なぜ、人間に教える前に、お集まりになって話合っていただけないのでしょうか。 最近、最初の神様、仏様が、嘆き悲しんでいるような気がしてならないんですけど。