• 締切済み

武士道と天皇制を重視する理由を見つけたい。

莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)の回答

回答No.8

 決して精通はしておりませんが、日本人として成長してきて、やはり優れた思想であり、見方、生き方、身の処し方だと存じております。  新渡戸さんや葉隠れを出しておられますが、新渡戸氏については他のもはともかく、武士道については存じません。山本常朝さま方方みなさま、今は文字でしか接することができせんので、私が景仰する内容がが、それだとは確信はありません。しかし論語にせよ、ヒンドゥの思想にせよ、そういうものではありましょう。後世に生きるものの宿命ですね。  〔昔の武士道や天皇制を重視する〕という、踏み込みにもさまざまのいきさつと角度があるものでして、また、その螺旋のレベルもありますから、いいとも悪いとも、これだけの言葉からは、当たり前とも言いにくいところがあります。私は、中学ころから下村湖人という、鍋島の作家、社会教育家を通して、論語や武士道のすばらしさを学んできておりますが、私の周りにはそういう方が子供のころからおられます。もちろん、同じイメージと内容で思っているかは分かりません。  これは単に西洋的なモラルの次元では私は考えておりませんで、人間、人生のあり方、存在の原点として捕らえてきております。どんな社会も、その時代の人は、世を慨嘆してきていますが、私はどんな時代でも、こういう哲学は個人の生き方として、通用するし、精進の道となると存じております。  私にはこれはヒンドゥ的哲学とも合い通じるものがあるわけです。  天皇制度ですが、国家形成する以上は、日本人として、日本国として天皇制を、このように確立し、維持してきた、明治の偉人たちのすばらしい見識を最大の評価をしております。  西洋的理屈や前提での理論構築は一見近代的で合理的、且つ、普遍の真理をいっているようですが、全て仮説であると存じます。天皇陛下のありかと、ご成育についての先人とその後継者たちのすばらしい叡智を私は、日本人として一番幸福に思うし、誇りにしております  〔「君の言う武士道と天皇崇拝は、一歩間違えれば太平洋戦争時の暴走やオウム真理教の暴走になりかねない」〕となることはありえないでしょう。条件が違いすぎますでしょう。  そうなるためには、のこと以外の、国民の気違い性や、いろんな社会的条件が必要ではないですか。  近隣の、古代から関係深い、海の隣のお国ではなにかアジテートが盛んですが、日本では、以外に庶民って良識と常識で生きていましてね。  おとなしい、温和。まぁ物足りないかもしれないが。  それに、先の時代の経験がありまして、先生方があなた様にいわれるようなことは、空想でしょうね。  わたしも、熱っぽく語るとね、そうでない人には敬遠されがちです。そりゃそうですよ、勝手に自分の内緒や、思いを、唐突に開けかすものではありません。それとなく、自分を持していればいいのです。  それが武士道でしょう、青々と盛んにしている、名誉、金、地位、ちから、手柄が大事な次元から、一歩も五歩も退いて、そういうものが行動の動機にならないことが、武士道なんでしょう。違いますか。周恩来みたいに、毛沢東に一番にならせ、二番で歴史を切り盛りする。名誉も何もいらない。なんといわれようと、理解されようがされまいが、そんなことは本質ではない。勝っつあんもいいけど、幕末の三舟、山岡鉄舟や泥舟もいいね。西軍の陣地に単身で、「幕臣・山岡鉄太郎、総督の部屋にまかり通る、」といって、西郷の座敷に上がりこんで、江戸の引渡しの談判をした鉄あにぃ。  何かと意気に感じて命を提供する、せご(西郷)どんも「金も命も、名誉も地位も要らないというやつは始末に往生したわい。」と嬉しそうに述懐したそうですね。これが武士同士です。  ヒンドウのクシャトリアや、中国の士大夫の美学でもありますが、西洋のナイトとは少し違いますね。  ヒンドゥはご存知のように、深遠な哲学にしております。  そして呼吸法から、日々の鍛錬、宇宙と創造との中での位置付けをしております。そういうところに、あの柔和で礼儀を重んじありながら、ヒマラヤの岸壁よりも動かない、融通をほしい人には邪魔なマハトマ・ガンディっていう命が出てきていたのです。  〔いい部分があれば、封建的価値規範である以上は悪い部分もある。 主君(家督、天皇陛下、または国家)に尽くし忠義を果たすという精神は、極端になれば昔の日本の失敗に逆戻りです。〕  失敗ではありません。それにしかも、戻ることはありません。  あれがよくない状況になったのは、武士道や天皇制のせいではありません。  精通?精通ってなんですか?思想史的にですか?インテレクチュアルにですか?  私は自分の思想としております。精通は如何なる意味でもしておりません。もうしわけありません。

関連するQ&A

  • 内部告発と武士道精神

    昨今、企業における内部告発が問題視されています。 武士道精神という観点からすると内部告発とは如何なものだと思いますか? 私の考える武士道精神とは【武士道とは死ぬことと見つけたり】 山本常朝の『葉隠』であります。 主君に対して絶対の忠誠を誓う、絶対の奉公の道をとく。この観点から見ると内部告発など武士道精神に反すると思えてしまいます。 一方、新渡戸稲造は、「武士道」を通して天に恥じない生き方をするべく精神性を磨くことを伝えようとしました。 こちらの観点から見ると内部告発は(天に恥じない)という意味において武士道精神に則したようにも考えられます。 私は葉隠派ですので、反すると思うわけですが。 企業の自浄作用が働くといった利点もあるわけですけれど。 回答宜しくお願い致します。

  • 武士の教育について

    昔の日本の武士の教育は今と違って、 ものすごく厳しかったようですが、 どれくらい厳しいのか知りたいんですが、 何か、お勧め本があったら教えてください。 新渡戸稲造の武士道は内容が難しく、 よく分かりませんでした。

  • 天皇の仕事

    天皇の仕事 無職みたいなもんですよね どこどこ訪問とか・・観光みたいな 中学の時に歴史の先生が天皇陛下は歴史上で大切な役割をしてきた 昔は天皇陛下は神なたいなもんで何とか宣言をしたとか言ってて最後に でも今の日本は平和でほとんど天皇陛下の役割はなくなってる 会ってもなんとも思わない人が多いでしょと・・ 確かにTVの映像見てても老人しか握手求めないですもんね・・ 今、天皇は必要ですか?

  • 天皇陛下に敬意=右翼…?

    この前学校で、天皇陛下は素晴らしい方だよね、日本人の誇りだよね、と話したら右翼かよ、と笑われました。冗談めかした感じで言われたのでそのまま流してしまいましたが、家で思い出したらなんだか腹が立って来ました。右翼の意味がわからなくなったので調べたところ、保守主義者、資本主義者を指す言葉と解釈できたのですが、それと天皇陛下に敬意を示すことに何の関係があるのかがさっぱりわかりません。しかも笑われるなんて訳がわからない。 右翼には私が考えている他にも意味があるのですか。

  • 外国の人に「天皇陛下」の立場を正しく教えるには?

    以下は私の個人的な考えです、スイスで日本の天皇陛下の立場はどうなの?と聞かれて ん~ …と悩んでしまったので… 失礼な意見なので腹が立ったら素直に怒ってください、受け入れますので 天皇陛下は「日本の象徴」と言われていますし 昔は 天皇陛下=神様 まで言われた時代があったと思います 時は流れ 現代の日本で 天皇陛下を神様のように敬う若者がどれくらい いるのでしょうか? それに男女平等を主張している現代の中 天皇陛下には男しか継ぐ事を許そうとしない 女が継ぐ事に対して強い反発がありますよね 政治に関して言えば馬と鹿のような政治家が税金を無駄遣いしています それに対して天皇陛下は ノータッチ…?何かしてますか?…みたいな そこまで政治に関わる権限をもっていないのか…その程度なのか… (↑スイスの友人に このような事を言われました) この現代でボランティア活動や各地海外訪問 等をしている天皇陛下ですが 現代の生活の中で天皇陛下は どうしても必要な存在でしょうか? 「日本人の象徴」と言うには あまりにも あやふやな存在に思えます 天皇陛下の立場ってどう思いますか?

  • 【法律】警察は天皇陛下を法律違反で逮捕しますか?

    【法律】警察は天皇陛下を法律違反で逮捕しますか? 天皇陛下が生前退位のご意向を示されたとされるが現在の法律では天皇陛下に私的発言は認められていない。 天皇陛下は法律を破って逮捕されても天皇陛下を辞めたいらしい。 宮内庁も法律に熟知しており、新聞社やテレビ局などの報道やニュースを否定した。 否定しないと法律違反で天皇陛下は犯罪者になってしまうから。 まず天皇陛下の私的発言を許可する法律改正が必要。 その後に生前退位の法律を作るという2段階の法律改正手続きが必要だったのに天皇陛下は犯罪を犯して私的発言をして、宮内庁の意見も聞かずに暴走して犯罪者になってしまった。 検察庁も警察も犯罪者の天皇陛下を逮捕するんでしょうか? 完全に法律違反をして逮捕出来ると思うんですが黙認しますか? 法の番人なのに黙認する人と逮捕する人を選んでいる時点でもう日本の警察は機能していないのでは? 天皇陛下の私的発言を禁止している法律は法律じゃなくて憲法だったりして。 憲法違反だともっと重罪では。

  • 天皇制でなくなったせいでこんな価値のない世の中になったの?

    日本はかつて天皇を生き神として奉り、 神の国大日本帝国民として武士道のもと誇り高く生きていました。 しかし最近では堕落し腐敗し生きる価値さえ見出せないような世の中になってしまいました。 先人が命を捨ててまで守り建てた日本国がこのような有様とはまことに嘆かわしい限りであります。 私は天皇陛下のためならば命は惜しくありませんし、 大陸の脅威を排除するためならば玉砕覚悟で戦い桜と散るほうがよしと思います。 日本のすべては天皇制でなくなったためにこんなおかしなことになっているのではありませんか? さらに言うならば第二次大戦で勝利していたならばこんな弱腰な国家となり下がり、 国民までもが卑屈にひねくれて馬鹿げたことを毎日しでかすような愚かなことにはならなかったのではありませんか? かつて天皇日本のために死んでいった御霊になんと言っていいのかわりません…

  • 天皇について誰も言わないのは右翼が怖いから?

    意味不明です。まず。あの戦争で日本人を多く殺したのは、アメリカ兵ではなく天皇です 天皇陛下のために万歳した結果、燃料半分しか積まずに特攻するしかなかったのでしょ? アメリカは正しいです。なぜなら自国を守るための行動だから 相手が攻撃してくるなら、防衛のために攻撃するのは当然です 相手が怪物でモラルも無く、市民すら竹やりで襲ってくるなら、核だって落としますわ 地球に襲ってきた醜いエイリアンを核で殲滅させて、誰が悲しむでしょうか? 一方、日本は自国を守るための行動でしょうか?違いますよね。開戦に踏み切った敬意も 曖昧で意味不明なものです。天皇と、その周りに発生している「空気」で行動した結果です その天皇は現在、みんなの税金で暮らしています。その事について誰も言わないのは 右翼が怖いからですか? 騒音で意味不明な事を言って辺りに迷惑をかけているあの右翼です そんなものに誰も何も言えないのですか?誰も立ち向かえないのですか? 日本人は言葉を話せる生物なのに、あまりにも貧弱すぎでは?

  • 「天皇陛下」という呼び方にとても違和感があります。

    「天皇陛下」という呼び方にとても違和感があります。 明治期に制定された皇室典範により、天皇・皇后に対しては「陛下」という呼び方をすることが 規定されているそうです。 しかし、そもそも「陛下」という語は、天皇に対して上奏をする際に文書中で天皇を指し示す語で あったということです。 すなわち、天皇ご本人に上奏するなど畏れ多くて無理なので、「陛下」、つまり玉座へ続く階段の下、 にいる取次ぎの従者に対して申し上げるという形式をとっていたとのことだと思います。 同様に、文書中で天皇の事を指し示す場合は文書の種類に応じて 「天皇」「天子」「皇帝」「陛下」などを使い分けていたのですが、 (これは大宝律令?に定められているらしいですが) 発音する場合は全て「すめらみこと」と発音したといいます。 そもそも、日本の統治者の日本語での呼び名は「すめらみこと」であったのが、 自国に文字が無かった為に漢語で「天皇」「天子」など相応しい文字を当て字にして 表記したのでしょう。 また、天皇を呼ぶ際には他にも「御門」や「禁裏様」などが用いられ、 いずれも婉曲表現として天皇がおわします場所を呼ぶことで 天皇ご本人を表しているものです。 これらの様な事を考えますと、明治の皇室典範にあるように 天皇に「陛下」という称号を付けてお呼びすることは、どうにも不自然な気がします。 まず、「陛下」とは上奏という特定の状況において、天皇を指し示す語であり、 言葉本来の意味は「取次ぎの従者がいる場所」です。 上奏文の中で「陛下に申し上げる」というのは至極妥当ですが、 現代のように天皇ご本人に対して「天皇陛下」と呼びかけるのはどうなのでしょう。 いわば、天皇ご本人に対して「天皇の階段の下の従者」と呼びかけているようなもので、 むしろ失礼ではないでしょうか。 また「天皇」を「テンノー」と音読みする様になったのも同様に明治期からであるとのことです。 本来やまと言葉では「すめらみこと」が正しいはずです。 他にも天皇が軍服を着たり、人前に姿を表したりと、 明治期には天皇に関する事に対して多くの伝統破壊があったのではないかと思っています。 もちろん西欧列強に対抗する為の政策として必要であったのかもしれません。 ただ、明治維新の立役者の多くが下級武士で有った事を考えると、 「陛下」という意味や用法も良く知らずに決めたのではないかとも思えてしまいます。 言葉は変わっていくものだ、と言われればそれまでですが、 国の最高位の方に対する呼び方ぐらい、自国の伝統的な言葉でお呼びしたいものです。 また、右翼や国粋主義の人達が主張する「伝統的な」日本とは、 多くの場合この様な明治期に作られ、昭和初期にかけて強化された作られた日本像 であると思います。 そのくせ、「2000年以上の皇室の伝統」とか「万世一系の天皇陛下」などと さも古来からの伝統であるような言い方をします。 「てんのうへいかばんざい」などというやまと言葉が一切ないフレーズを 「日本人の心意気だ」などと言います。 本当の日本の伝統とは、そのようなものではなく、明治維新が起きる前の 日本の姿なのだと思います。(良いか悪いかは別にして) その中で天皇は「すめらみこと」であり「禁裏様」と呼ばれ、お歯黒をし、 京都の宮中でひっそりと雅の世界を守っていたのではないでしょうか。 もちろん権力などは無かったでしょうが、少なくとも、現在の今上天皇のように、 自由を全て奪われ、国家の為に決められた仕事をひたすらこなし、 内閣の命令に従い、さらに崩御なさるまで引退も許されないといったような、 (ご無礼を承知で言えば)まるで奴隷のような状態ではなかったと思います。 昨日の文化の日、役人が決めた文化勲章受章者に対し、モーニング姿で勲章を親授される 「天皇陛下」の姿をテレビで拝見し、その様に感じました。 質問が分かりにくくなってしまいましたが、「てんのうへいか」という呼び方に対して、 詳しい方のご意見をお聞きしたいです。 どうぞよろしくお願い致します。

  • 江戸時代以前の人々の天皇に対する認識

     現代の日本で、天皇制や天皇陛下の存在を知らないという人はいないと思いますし、天皇制についてはともかく、今現在の天皇陛下については素朴な好意というか敬意というか(←うまく表現できません;;)そういうものを多数の人が持っているんじゃないかと思います。  これに対して、江戸時代以前の人々はどうだったんでしょうか?ある本で「江戸時代の民衆で京都に天皇なるものがいるなんてことを知っていた者は少なく、国学の書物などを読み『公方様より偉いお方がいるのか!』と驚いた者も多かった」みたいな記述がありました。  「うそ~」と思ったのですが、実際のところ、江戸時代やそれ以前の時代において天皇に対する認識、意識はどの程度のものだったんでしょうか?  知らなかった。知ってはいたけど尊いものという認識はなかった.etc・・・もちろん個人差はあると思いますが、大多数を占める一般の民衆における傾向を教えていただきたいと思います。