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武士道と天皇制を重視する理由を見つけたい。

20歳の大学3年です。普段からお年寄りや政治家、官僚のような教養高い人々と接しているため、私には昔の武士道や天皇制を重視するのが当たり前と言う考えがあります。これは同世代から古臭いと言われます。 しかし、今の思想のない社会だからこそ、モラルのない社会人が増えているからこそ、昔の武士道(私が言う武士道は新渡戸『武士道』や『葉隠』で述べられているような忠義)の善かった点を現代に再興し、後世に日本人の誇りを伝えていけないかと思うのです。 また、天皇制についてですが、私は天皇陛下が現人神さまではなかったにせよ、日本の象徴であることには間違いないから、日本男児として天皇陛下に敬意を示すことは当然であると考えています。 その一方で、国文学専攻で教養の高い大学生から言われることがあります。 「君の言う武士道と天皇崇拝は、一歩間違えれば太平洋戦争時の暴走やオウム真理教の暴走になりかねない」 確かに、彼の言うとおりです。いい部分があれば、封建的価値規範である以上は悪い部分もある。 主君(家督、天皇陛下、または国家)に尽くし忠義を果たすという精神は、極端になれば昔の日本の失敗に逆戻りです。 では、なぜ私は武士道と天皇陛下への敬意を重要視しているのか。その答えを見つけたいのです。 精通しておられる方、よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.18

そもそも武家社会が崇拝していた神は八幡神です 平家から源氏、足利、徳川までそして今日までそれは継続しています その八幡神と言うのは応神天皇の事です また源氏も清和天皇の子孫で平家も桓武天皇の子孫です 足利氏も清和源氏、つまり清和天皇の子孫です 徳川氏は伊勢氏(桓武平氏)の下で働いていたので桓武天皇の子孫かも? と言うわけで日本人なら先祖である神武天皇に尊敬の念をある程度持ってもおかしくはないと思います

回答No.17

天皇についても、武士道についても、もう少し掘り下げてみられることをお勧めします。 まず、「武士道」ですが、現代において、これを復活しようとするのは、無理があります。 封建制度が崩壊して久しい明治32年の時点で、 「武士道」の著者、新渡戸稲造は、 武士道は、封建制度に支えられ育まれたものであり、 時代の荒波に耐え得る哲学的体系には成長していなかったとしています。 武士道は、封建制度が消えてこれに代わる支えがない今となっては、 魅力的であっても余命いくばくも無いとし、崩壊を歴史の必然と捉えています。 学ぶべきは、著者の視点です。 武士道の礼賛でも、武士道の再興でもありません。 出来合いの思想体系や既成概念に、そっくり染まろうとされるのは、近道でしょうが、 時代背景が違うだけに、迷路に迷い込むことになりかねないと拝察いたします。 分解した武士道精神も加味し、現代に対応した新たな哲学的道徳体系を模索しつつ、 男性脳の特徴も加味して、男性像についてのご自分のモデルを、 試行錯誤しながら探されるべきだと思います。 遠回りでも、この道しか無いと思います。 そして、天皇についてですが、先史時代にさかのぼって、お考えいただきたいと思います。 天皇をめぐる誤解や短慮の多くは、 近代的な価値観で天皇を説明しようとする為に生じています。 そんな理屈では、天皇の謎は解けません。 古事記をどう解釈するか、特に、神話時代の伝承についてどう解釈するか、 戦前は、これを天皇の神格化に利用し、戦後は、絵空事として無視してきました。 縄文時代について学べば、学ぶほど、「縄文の心と魂」は、 古事記の物語の中に、 そして天皇の御心の中に、 脈々と活き続けていると思えてきます。 天皇は、縄文と弥生の結び目に位置する存在。 そう考えながら、古事記を読み解くと、新しい解釈ができます。 奈良盆地における縄文時代の末期に、開拓者として入り、 周囲の縄文人達と協力関係を築きながら、 水田稲作を広めた中心人物が、初代天皇とされる神武天皇だったのでは。 縄文の心と魂を、水田稲作の技術や文化に融合させることに成功したからこそ、 水田稲作の適地にも非適地にも影響力を広げていけたものと推察します。 縄文と弥生の結び目に位置するからこそ、 天皇は、古代から広範な部族に支持を広げることが可能だったに違いなく、 現代においても、国民統合の象徴に最も相応しいと考えます。 だから天皇は、一見、庶民から最も遠そうな存在でありながらも、 逆に、庶民の心に最も近く、 庶民の心の奥底にも鎮座している「縄文の心と魂」に寄り添っていらっしゃる。 東日本大震災の被災者を見舞うお姿にも見られるように、 誰よりも、庶民の心に寄り添う事がおできになる。 人類史の中でも、奇跡的な存在でいらっしゃると思います。 <参考URL> 縄文の心と魂 http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page047.html 古事記の解釈・編纂方針と背景 http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page048.html 古事記の解釈・神代 http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page049.html

  • easy_all
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回答No.16

私が今、切実に思う問題そのものです。 貴君の文脈にそって、私が信ずる所を述べます。 >今の思想のない社会だからこそ、モラルのない社会人が増えているからこそ 今、伝統の文化を棄て去ってしまった日本だからこそ、 アイデンティティを喪失した、 年老いた子供のような、社会に貢献できない大人が、こんなに増えてしまった社会だからこそ、 伝統の文化を、 私たちの父母・祖父母が、いかなる理想を描き、それを世に実現せんと、渾身の力をふりしぼったかを、 誇り高い日本人とは、何かを、・・・ 真摯に追究すべき。 私も、そう信じています。 >私が言う武士道は新渡戸『武士道』や『葉隠』 まったく、この二冊は私の愛読書です。この書物について、語りつくせない程、コトバにするのが、まどろっこし程の思いが、私の 心にあります。 >主君(家督、天皇陛下、または国家)に尽くし忠義を果たすという精神は、極端になれば昔の日本の失敗に逆戻りです。 まさに、この解答を、私は見つけられた気がしています。 構造主義の哲学(特に、バルト、エドマンド・リーチ)と、エリクソンのアイデンティティ論に拠って、です。 エリクソン著「アイデンティティ」金沢文庫(私が持つのは、2003年版)を、 『境界線の、引き直し』『従来の境界線を疑ってみる』(つまり、パースペクティブの再構築)という構造主義の観点から、一読してみて戴きたいです。 ぜひとも、ご感想お聞かせください! 未熟成、まことに歓迎!です。あくまでもアマチュアとして、会話を楽しみたいです

noname#91067
noname#91067
回答No.15

Ano15です。 先ほどの昭和天皇とマッカーサー会見の時のURLが繋がってませんでした。http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/kaiken/sub_kaiken.html ↑こちらです。 マッカーサーは天皇が命乞いをするだろうと軽くあしらっていた。 しかしその後「日本一の紳士」と称えました。

noname#91067
noname#91067
回答No.14

日本は義務教育でも国旗や国歌の意味を教えない。 そして憲法で核兵器、戦争の放棄をしている世界でも珍しい国ではない でしょうか。 いつ戦争を仕掛けられても不思議じゃないです。 戦争仕掛けたところで得も徳もない日本です。 侵略されて他国が得になるかもどうかわかりませんけども。 特徴のなさもオンリーワンな国だな~と思います(笑) 武士道について日本の教科書で学べませんが、海外の教科書に採用され ていたり、不思議です。それも賞賛されていたり。 外国から日本の武士道や天皇に対する認識を逆輸入してみると面白いこ とがわかります。「木を見て森を見ず」日本の中にいては日本を正しく 理解出来てないのというのがわかりました。 武士道に学ぶ http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-category-45.html 昭和天皇とマッカーサー会見の時 http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-enoo/Sensou/kaiken/sub_kaiken.html

noname#80116
noname#80116
回答No.13

 日本人の思想は オホタタネコを市民の代表とし 市民からの推挙を受けて立った崇神ミマキイリヒコイニヱを市長としたミワ(三輪)市政に始まると思います。(紀元300年ごろ 奈良・三輪山付近)。  §1 シントウの原形またその確立  ――《ネコ‐ヒコ》連関 あるいは《イリなる歴史知性》の誕生――  三輪山に祀ったオホモノヌシなる神が 聖霊となって イクタマヨリヒメに生ませたのが オホタタネコだと言います。ある時 疫病が出て困り 市長は このオホタタネコを探し求めたそうです。祟りという認識でしたから 祀れば 平らかになるだろうというものでした。(この同じ系譜のスサノヲやオホクニヌシの記述には 薬草を求め医療に熱心であったともあります)。  けれども 《ネコ》は 根子で大地の子であり 《ヒコ・ヒメ》は 日子(彦)・日女(姫)で太陽の子です。これは 一人の人における身体(=ネコ)と精神(=ヒコ)とに当てはめられるでしょうし あるいは 市民政府として 市民一般(=ネコ)と市長および公務員(=ヒコ)とに やはり当てはめて捉えてもよいと思います。つまり 社会形態としても そのように確立し始めたと考えられます。  つまり この《ネコ‐ヒコ》連関は 基本的に一人の人間において 《身体‐精神》の総合なる存在を表わし また かれ(かのじょ)が 社会的にも 《市民(わたくし)‐公民(おほやけ)》の両要素の連関から成る存在であると主張します。  そしてそのような内容をもって 《イリ(入り)》なる歴史知性の誕生を見たと捉えます。  崇神(いわゆる天皇としては 第十代だが)ミマキイリヒコイニヱのミコトの名にある《イリ》であり《ヒコ》のことです。そういう歴史知性であり これは 人の自然本性(=《ネコ‐ヒコ》連関)にそのまま《入り》したというその自己還帰のことです。市民のほうは その代表として あたかも概念として 《オホタタネコ》が当たります。  §2 歴史知性の以前――《ヨリ》なる歴史知性=原始心性――    《オホタタネコ‐ミマキイリヒコ》連関の社会の以前では イクタマヨリヒメというように《ヨリ(憑依)》の知性だったわけです。アニミスムないしシャーマニスム(たとえば 卑弥呼を想え。つまり崇神ミマキイリヒコの少し前の三世紀のことである)であり 何ごとにも寄り憑くというべき歴史知性以前の知性です。原始心性とも言います。これも シントウの原始的なかたちだろうと思われます。その《何ごと》は 《かみ》と呼ばれたのですから。  人は 《イリ歴史知性》の自覚のもとに ものごとに対して 《ヨリ原始心性》としての寄り憑くことが少なくなった。このように 歴史的な(――つまり 農耕のように 種まきから実のりまで時間の経過を人も共に生きるそのような時間的な・相対的な――)自然本性に自己が到来するなら 人間の生活は そしてさらには 人類の社会と歴史は すでにふつうに 営まれていくと言えます。(そこでは 潜在能力が ただちに現われようとして待機している状態にまで来たと言えるでしょう)。  §3 《イリ》歴史知性からさらに《ヨセ》なる超歴史知性の出現  イリなる歴史知性に基づきつつも まだ 昔のヨリ(憑依)なる原始的知性の状態にある人びとは 残っていました。これを導こうとして 自らの力のもとに かれらを《ヨセル(寄せる)》ということを行なう人間が出ました。  すでにその原形が 卑弥呼(ヒメのミコトの ヒとミとコで 中国の史書に載ったか)のシャーマニスムでした。アニミスムの親分というような性格の心性です。しかも こんどは すでに 歴史知性に芽生えたあとの《ヨセル》です。これは すでに イリ歴史知性を その知性の能力にものを言わせて アマガケルところのスーパー歴史知性です。たぶん 観念の帝国を すでに いの一番に 思い描くのでしょう。  神功皇后オキナガタラシヒメのときに この《ヨセ》の記事はあるのですが その後も かのじょの系譜に見られるという意味で この《ヨセ》なる超歴史知性を 広くアマテラス族と呼びます。《タラシ》でもいいはづです。アマテラスのほうが 一般性があります。正確には 崇神ミマキイリヒコも アマテラス族ですから やはり それとは区別するなら スーパーアマテラスと呼ぶといいでしょう。  §4 《イリ歴史知性》を基礎として 《ヨリ原始心性》および《ヨセなる超歴史知性》とが 共存する  アマテラス(天照らす)というのは その言葉どおりに もともとは ヒコ(日子)と同じであろうと考えます。人間の精神であり 理性の光であり 社会的な役割としての公民です。崇神イリヒコなるアマテラスの系譜には のちにタラシ系統(スーパーアマテラス)から出た雄略ワカタケによって 謀略に遭い殺されたイチノベノオシハのミコがいます。その双子のオホケ・ヲケは 命からがら逃げて あとで 身分を明かし名乗り出るといった歴史があります。そのあと 市長と(顕宗ヲケ=弟・仁賢オホケ=兄の順序で)なったとき 父の仇の雄略ワカタケの陵墓から ほんの少し土をけずって 復讐に代えたという逸話があります。  つまりふつうのイリヒコ系アマテラスと ヨセ=タラシ系のスーパーアマテラスとのちがいを 見たいという主観です。  したがってというほどに 後者の《ヨセなる超歴史知性》は けっきょく そのヒコ=アマテラスなる指導者の地位を 専門化させ 社会から単独分立し 市民政府ではなく その上に社会的な第二階を築き そこを 自分たちの住み処としてしまいました。市民たちは 国譲りをして かれらに好きなようにさせたのでした。  §5 では 何が問題か    ですから ここから オホタタネコの父親とも言われる神(霊)なるオホモノヌシは けっきょく 第二階に住むスーパーアマテラス族のための神となったかも知れません。(あるいは 三輪山に 元のまま あがめれているとも思われます)。また もともと やはり 市民たちの宮であった伊勢神宮(その前身の外宮)も かれらのための制度となりました。(この伊勢神宮については むしろ崇神ミマキイリヒコの時代の制度発足として記事があったりしますが どうでしょう)。  このいわゆる二階建ての国家の問題は 天武オホシアマ天皇の――六七二年の乱を経ての――改革によって 一定の収拾を見ました。市民が主役であるという考えをできるだけ採り入れようとしました。(八色の姓)。国家という二階建ての形態は その後も残ったわけです。  ちなみに すでに 崇神イリヒコのときに あたかも スーパー歴史知性による《ヨセ》としての統治ではないかと思わせる記事があります。日本の各地に《四道将軍》を派遣して 王化の徳を及ぼそうとしたと書いてあります。つまり 服属させたわけです。  えこひいきして言えば これほど素晴らしい《イリなる歴史知性》を自覚した人びとが ほかの隣人に 伝えてやりたいと思って やったことでしょう。それほど奇異なことではないように思います。《宣教という愚かな手段》(パウロ)のことです。    かくて 社会は 平屋建てではなくなり スサノヲ市民圏( Susanowoschaft )とそしてアマテラス公民圏( Amaterasutum )との二階建て形態が いくらかの期間――世界史においても――つづいております。  《わたしは無宗教です》というように 現代の日本人は もう崇神ミマキイリヒコの社会を忘れているのだと思います。無宗教であっても イリ歴史知性のことを忘れなければいいわけですが この社会は 神話としては スサノヲのイヅモの国での須賀の宮のことだと考えられます。これは のちに子孫のオホクニヌシの代になって アマテラス国から 服属の要求を受け かれは非戦論であったので 国譲りをしています。  アマテラス公民天国という事態は 伝統ではありません。わたしたちは 何が何でも自分たちが一番だというスーパー歴史知性に対して 好きなようにさせたのだと考えます。長すぎました。そばが延びてしまいました。そういう情況にあると考えます。  * 武士道は よく分かりません。

noname#63054
noname#63054
回答No.12

>なぜ私は武士道と天皇陛下への敬意を重要視しているのか。 お話しを伺う限り、「好きだから」というしかないですね。 鉄道マニアとか、自衛隊マニアと同じで、神道や武士道や天皇制が ファッションとして好きなんだと思いますよ。 そもそも、自分の哲学にするためには、その価値や自分がなぜそこまで 入れ込むか自分で説明できなきゃ、ファッションと同じレベルですよ。 カッコイイと思うからでしょ。 その理由まで他人の理屈借りてこようという姿勢に至っては三島由紀夫 が生きていたら竹刀で殴られてますね。

回答No.11

 何の思想、哲学であれ、国家観であれ、民族性やその心性を脱色したものはないと存じます。  仮に私がよその民族やそこの心性にいる方を祖とした思想や哲学、ないしは国家観に傾倒しても、そこの民族性、民俗性、そして心性を勉強しても、所詮は日本の人間であります。  思想や哲学、ないしは国家観というものは、時もによりては論理構築というものが表にあり、立派な構えであります。  そしてそれと同時に基礎構築の建築材料や状況はやはり、そこの民族性、民俗性、そして心性であることが多いものです。いえそういうものなのです。そして違う文化の成育をしてきているものが、その知的構築物とその構造から、そしてそれを、自分の文化性の中で受け取り、構成しなおすということが、多いものです。いえそうせざるをえないものです。  ANo.10 11さまのご指摘はまことにその通りで、なんらの反論も批判もしないものです。仰せの恐れや危惧もよく分かります。  質問者がどんな角度で、どんな動機と契機で武士道や国家構造論の一としての天皇制に関心の目を向けているのか、理解はできません。  私は、日常的心情心性という、生き方論として、優れた、そして普遍性のある哲学と国家論だと存じております。  要するに対外敵視をしながら気違い(差別用語を赦されよ)にならないようにするべきだと存じます。  ヒンドゥや欧米の哲理、探求の仕方の、日本的原点として見直しているだけであります。  日本固有であり、且つ、異なる文化にも共通普遍している。ということであります。  マハトマジ、ガンジーがその「わが夢のインド」で語るように、日本には日本の理念があると存じます。やはり受け入れ、消化していく中でやさしい文化を創ることではないでしょうか。インドは霊的、宗教的真理が根本でしょう。  お互い、そういうものは、国民や国家の隆盛や拡張以上に大事なことだと存じますから、ガンジー、マハトマとともに「やさしい日本を何よりも愛する。でも日本がそういうやさしさを逸脱することがあれば、そんな日本は滅びるがよい」(先の我が夢のインドにおける、ガンジー・マハトマの場合は、宗教的真理とインドの特性、世界への役割をいっているのですが。)と存じております。  

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.10

私は一生命として、全ての生きとし生けるものに慈悲喜捨の念をいだき、人として善く生きる道を矛盾なく論理的に理性的な態度をもって解りやすく具体的に語られたブッダに敬意と感謝をいだきます。 天皇陛下の人格や何を説かれ何を実践している方なのかまったく理解していないので敬意はいだいていません。慈悲喜捨の念は持ちます。 「象徴だから敬意をいだいて当然」と言うのは論理がとおりませんね。人格者だから、人の役に立つことをしたから、正しい生きる道を説いたから敬意をいだくなら理解できますし、理性的です。 忠義もいまいち解らないです。まず我々は生命のネットワーク内で生きているのですから基本的に生命に対しては慈悲喜捨をもとうとして共依存がようやく成り立ちます。その中でも自分に対して繁栄を望んでくれたり、安穏に導いてくれる方には感謝の念とその方のいだいてくれたことをその方に対しても持つことが生命にとって必要なことで、そうでないのに「忠義」といって尽くすのはなんだかしっくりきません。し、下手したら多くの苦しみを生むことになりかねません。 文化としてみんなと仲良くするために何かをするなら問題ないのですが。 いちどテーラワーダ(大元のパーリ語の三蔵)仏教の宗教的でない理性的で論理的で道徳的な最後まで個人の自由を尊重する具体的で実証的な教えに触れてみてください。 他に手を伸ばす必要がなくなるかもしれませんよ。 僕も神道とか武士道に興味を持っていた時期があるので、この理性の塊にきっと驚くことと思います。 スマナサーラ長老の書籍やサンガ出版の「仏法」などを読んでみてください。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~

  • Vwiyoonn
  • ベストアンサー率35% (162/455)
回答No.9

 象徴された『超越』に対する希求が強いのでしょう。  よほど不遜な人でもなければ、人は自己を超越したもの──たとえば神──を希求するものですが、それが一度、ある程度の具体性を有した人や物、思想、現象に象徴されてしまうと、人は個としての倫理的判断をなおざりにして象徴への同化-融合そのものを至上の目的とし、それをかなえるためだけに救いがたい愚行や蛮行へと突っ走り、どうにもとりかえしのつかないことをしてしまいがちなものなのです。  こと、ロゴスの罠に落ちた人は言語に自己の存在を絡めとられ、言語の外の『世界』が見えなくなり、言語の枠の中の『超越』(矛盾した概念なんですが、言語は己の中に矛盾を含んでいるためこれはこれで成立するんです)への同化へと暴走しがちで、お知り合いの方はそのあやうさを危惧なされたのだと思われます。  ──多分、質問者さんは自分が帰属感を得たいと思っている思想が、古臭さを感じさせるから、お知り合いの方は危惧を抱いたのだと思われているのかもしれませんが、危惧を覚えたのは『超越』との同化-融合によってもたらされるであろう恍惚(軍国少年的エロスとでもいうべきかな)をあなたが激しく求めているように感じられたからなのではないか、と思われます。  いってみればあなたは『超越』に逃避したいのではないでしょうか。そして、あなたの場合、その『超越』がたまたま武士道と天皇制というものに表象されたのであろうと思われます。

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    「天皇陛下」という呼び方にとても違和感があります。 明治期に制定された皇室典範により、天皇・皇后に対しては「陛下」という呼び方をすることが 規定されているそうです。 しかし、そもそも「陛下」という語は、天皇に対して上奏をする際に文書中で天皇を指し示す語で あったということです。 すなわち、天皇ご本人に上奏するなど畏れ多くて無理なので、「陛下」、つまり玉座へ続く階段の下、 にいる取次ぎの従者に対して申し上げるという形式をとっていたとのことだと思います。 同様に、文書中で天皇の事を指し示す場合は文書の種類に応じて 「天皇」「天子」「皇帝」「陛下」などを使い分けていたのですが、 (これは大宝律令?に定められているらしいですが) 発音する場合は全て「すめらみこと」と発音したといいます。 そもそも、日本の統治者の日本語での呼び名は「すめらみこと」であったのが、 自国に文字が無かった為に漢語で「天皇」「天子」など相応しい文字を当て字にして 表記したのでしょう。 また、天皇を呼ぶ際には他にも「御門」や「禁裏様」などが用いられ、 いずれも婉曲表現として天皇がおわします場所を呼ぶことで 天皇ご本人を表しているものです。 これらの様な事を考えますと、明治の皇室典範にあるように 天皇に「陛下」という称号を付けてお呼びすることは、どうにも不自然な気がします。 まず、「陛下」とは上奏という特定の状況において、天皇を指し示す語であり、 言葉本来の意味は「取次ぎの従者がいる場所」です。 上奏文の中で「陛下に申し上げる」というのは至極妥当ですが、 現代のように天皇ご本人に対して「天皇陛下」と呼びかけるのはどうなのでしょう。 いわば、天皇ご本人に対して「天皇の階段の下の従者」と呼びかけているようなもので、 むしろ失礼ではないでしょうか。 また「天皇」を「テンノー」と音読みする様になったのも同様に明治期からであるとのことです。 本来やまと言葉では「すめらみこと」が正しいはずです。 他にも天皇が軍服を着たり、人前に姿を表したりと、 明治期には天皇に関する事に対して多くの伝統破壊があったのではないかと思っています。 もちろん西欧列強に対抗する為の政策として必要であったのかもしれません。 ただ、明治維新の立役者の多くが下級武士で有った事を考えると、 「陛下」という意味や用法も良く知らずに決めたのではないかとも思えてしまいます。 言葉は変わっていくものだ、と言われればそれまでですが、 国の最高位の方に対する呼び方ぐらい、自国の伝統的な言葉でお呼びしたいものです。 また、右翼や国粋主義の人達が主張する「伝統的な」日本とは、 多くの場合この様な明治期に作られ、昭和初期にかけて強化された作られた日本像 であると思います。 そのくせ、「2000年以上の皇室の伝統」とか「万世一系の天皇陛下」などと さも古来からの伝統であるような言い方をします。 「てんのうへいかばんざい」などというやまと言葉が一切ないフレーズを 「日本人の心意気だ」などと言います。 本当の日本の伝統とは、そのようなものではなく、明治維新が起きる前の 日本の姿なのだと思います。(良いか悪いかは別にして) その中で天皇は「すめらみこと」であり「禁裏様」と呼ばれ、お歯黒をし、 京都の宮中でひっそりと雅の世界を守っていたのではないでしょうか。 もちろん権力などは無かったでしょうが、少なくとも、現在の今上天皇のように、 自由を全て奪われ、国家の為に決められた仕事をひたすらこなし、 内閣の命令に従い、さらに崩御なさるまで引退も許されないといったような、 (ご無礼を承知で言えば)まるで奴隷のような状態ではなかったと思います。 昨日の文化の日、役人が決めた文化勲章受章者に対し、モーニング姿で勲章を親授される 「天皇陛下」の姿をテレビで拝見し、その様に感じました。 質問が分かりにくくなってしまいましたが、「てんのうへいか」という呼び方に対して、 詳しい方のご意見をお聞きしたいです。 どうぞよろしくお願い致します。

  • 江戸時代以前の人々の天皇に対する認識

     現代の日本で、天皇制や天皇陛下の存在を知らないという人はいないと思いますし、天皇制についてはともかく、今現在の天皇陛下については素朴な好意というか敬意というか(←うまく表現できません;;)そういうものを多数の人が持っているんじゃないかと思います。  これに対して、江戸時代以前の人々はどうだったんでしょうか?ある本で「江戸時代の民衆で京都に天皇なるものがいるなんてことを知っていた者は少なく、国学の書物などを読み『公方様より偉いお方がいるのか!』と驚いた者も多かった」みたいな記述がありました。  「うそ~」と思ったのですが、実際のところ、江戸時代やそれ以前の時代において天皇に対する認識、意識はどの程度のものだったんでしょうか?  知らなかった。知ってはいたけど尊いものという認識はなかった.etc・・・もちろん個人差はあると思いますが、大多数を占める一般の民衆における傾向を教えていただきたいと思います。