• ベストアンサー

われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか

taco8chの回答

  • taco8ch
  • ベストアンサー率7% (11/146)
回答No.24

せっかく言霊の話だったので。こんな俺でも子供の時には、   あいうえお かきくけこ ・・・ といういわゆる五十音表を小学校で習ったわけですが、 このいかにも不器用な音の配列は、インドだかアラビアだか そこらへんの音韻表を参考にしただのしないだのではなかったかしら(もろ自信なし)。 この子音で揃えたシステマティックな「あいうえお」が、なにがしかの意味を成すのかどうかは分からないが、 少なくとも、今日の日本語ではおそらくこれといって意味を成さない。何つってもこれ覚えにくい。 なぜなら、五十音図の「あいうえお」は、インド人にはどうであれ、日本人には、もはや単なるアルファベットの羅列であり、 それは「記号」以上の性格がうすいからに違いない。 何よりまず「あ」の次「い」という発想が沸かない。「や」行なんて現代語では三つしかない。 「を」や「ん」をどうする。ほっとくのか?いいのかそれで。 ところで日本人はこれ以外にも他の配列をこっそり習っていて、ひとつは、ご存知   いろはにほへとちりぬるを・・・ という、もう頭坊主にしちゃうほどストイックな歌にして覚えちゃってる。この、「い」も「ろ」も「は」も、それだけでは記号にしかないが、 「いろ」と「は」はすでに意味と文法の息づかいを持っている。さらに「ゐ」とか「ゑ」の旧かなもちゃんとある。 それにしてもなぜこれら旧かなは失われたのか?だって「アルファベット」にすると「い」と「え」にかぶっちゃうしね。 だが、「ゐ」と「ゑ」を失くした和歌ははたしてどんなもんだろう? もうちょっと時代をさかのぼってみる。   ひふみよいむなやこともちろらね・・・(だっけ?さらに自信なし) もうこれ意味まったく分からない。分からないが、どこかしら怪しげな呪文っぽさをかもし出す数の和語表現は、 「ひ」、「ふ」、「み」・・・それぞれが、単に数を意味する以上に、何がしかの意味を持っているのかもしれない。 というのも、日本語にはこの1音節による単語が非常に多いように見える。   「ひ 一、日、陽、火、灯、引、退・・・」   「ふ 二、風、吹、拭・・・」   「み 三、水、見、身、実、箕、美、海・・・」 もちろん、音韻で語彙を成すのは、ご本家中国語でも同じ。同じではあるが、彼らは同じ「マー」でも、 音の抑揚による意味の区別というさらにシステマティックな使い分けを行う。 (いやはやまいったよ中国人。よその国のお寺で騒いじゃだめだよ) 日本語もそうした面はないことはないけど、中国語のそれほど明快ではないのではないだろうか。 (いや、中国語は毛沢東語録とワンタンメンくらいしか知らんけどね) アルファベットのもとをある程度たどったところのフィニキア文字では AもBもCもそもそもは象形文字で、それぞれに意味があったのだろうけど、「A」は「牛の頭」だと知ってる米国人はちょっと引く。 アルファベットは特別な用法と限られた語彙を除けば、2文字以上で語彙を形成する場合がほとんどだ。 遠回りしすぎですが、日本語の音韻はそれぞれが、それだけで重層的多義的な意味を内包していて、 話者が発したことばに、話者や聞き手の意思それとは別のところで、何か」が生きて作用するメカニズムを持っているのかもしれない。 言霊の問題ではないかもしれないが、和歌のかけことばは、忍者と焼き鳥好きの外国人から見れば駄洒落に過ぎないだろう。 しかしはたして駄洒落ほど饒舌ではないのは日本人なら分かるはずだ。 少なくとも和歌の鑑賞者は、その見え隠れする駄洒落を、言葉の地平にまで会いに出向かないといけないし、 そのためには一定の民族的なルールにのっとらなければならない。それは以心伝心と言えばそうなのかもしれないけれど。 文明人を自負する一部の白人から見れば、それは後天的な美しさと言うところだろうか。 結局、遠回りして行き着かないわけですが、 >ほかの国の人びととのコミュニケーションは  >どうあるのがよいか 安直に考えれば、明治以来のこれまで通りでいいんじゃないですか。 ことのはから霊を奪って「あいうえお」に代え、「ゐ」と「ゑ」をなくして「い」と「え」に代え、 「うつくしいくに」を「美しい国」に代え、 あとは特定危険部位つきの牛肉こっそり買ってれば、あっちからも理解してくれますよ。 ただ、そうした理解を得たのちの日本と日本人の姿は、昔や今とはずいぶん違ったものになるかも。 日本人がお互いを神と思ってるかどうかは、他の方の回答を楽しく拝見したいと思いますが、 俺に言わせれば、日本人は神であることをとっととやめようとしてますなんだけどね。 あっとそれから前の質問とやらは読んでおりません。あしからず。

noname#80116
質問者

お礼

 言霊に関係する日本語として 《わざ / わざはひ / わざをき / ことわざ / わざうた 》の意味を 次の箇所に辞典から抜き出して掲げました。  《Q: 輪廻と業によれば 被害もすべて自業自得ですか= http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3965802.html 》そのNo.54のお礼欄です。  中で  ▼わざうた【童謡】  《ワザは隠された意味の意》  政治上のことなどを風刺する歌。落首。児童に歌わせたので《童謡》と書く。  これは 《風刺する》という意味内容にかかわらせて 《わざ》が言われているとすれば そうだとすれば 言葉を発することによって その言葉どおりの内容が現実となれというのではなく そうではなく あたかも隠れた神意の現われと言うべきような結果(たとえば 悪政のむくいとして その為政者の退陣というような結果)を願っているのだと考えられます。ですから 《のろい》とも異なると言うべきでしょう。    そうだとすれば 第一次の《事霊=言霊》と 第二次の・けっきょく似而非言霊(つまり仮りに言って 言葉霊)とは 区別されてくると思われます。  《わざ=隠れた神意》とすると 本来の言霊では 《言葉(意味内容A)→神意→結果(意味内容A' あるいは はっきり B でもよいという祈りの中味)》のごとく つながっている。しかるに 《のろい・まじない》などの場合 《言葉(A)⇒結果(A)》というような浅薄なつながりとその内容を 念力によるかのごとく 祈念している。  こう仮説されるでしょう。

noname#80116
質問者

補足

 なるほど!! 《言霊》というからには 言語そのものをも取り上げなければ 非常に貧しい議論になるのじゃないかと。  わたしの関心は 《以心伝心》だけに集中していました。つまりはまた コミュニケーションというからには そのまじわり・交通・交流・意思疎通 つまりむしろ 関係性のほうに この質問の場合には目が向いていましたね。    taco8chさん(えらくめずらしいお名前ですね) ご回答をありがとうございます。  ★ 俺に言わせれば、日本人は神であることをとっととやめようとしてますなんだけどね。  ☆ ふうーむ。《日本人は神である》ことがあったわけですね? おもしろそうですが。  ★ ひふみよいむなやこともちろらね・・  ☆ も=もも(百)     ち=千    ろ   ら   ね : これらが分かりません。  ちなみに 母音交替で成り立っているようですね(大野晋)。  一 hito    三   mi     四   yo  二 huta    六 mu     八  ya  ★ あいうえお かきくけこ ・・  ★ いろはにほへとちりぬるを・・・  ☆ 文字としては もともと無かったのだから 仕方がない。五十音表は たしかにサンスクリットの音表に倣ったものですよね。あ から始まって ん で終わる。 あ‐ん で 阿吽だし a-um で いやな感じがつきまとうオウムですね。α と ω (あっ ギリシャ文字が入力できますね)のごとく。  ゐ は 為の草書体 ゑ は 恵のそれ なのだから 文字にかんしては 日本語は 後発国。  ところで 日本語において 事霊=言霊に則った《存在》の表わし方を ちゃんと決めたほうがよいと思うのですが。まぁ 《我れ有り / わたしはある》に落ち着くのでしょうが。 『出エジプト記』3:14の例の 神がモーセに向かって自分の名を告げる一文をめぐって うつくしくてきれいな日本文をおしえて欲しいのです。  A型:わたしはある。わたしはあるという者だ。(新共同訳1987)  B型:わたしは、「わたしはある。」という者である。(新改訳)  C型:わたしは、有って有る者。(口語訳1955)  B型  〔ヘブル語〕 : E-hweh   aser  e-hweh.   逐語英訳  : I-am   who   I-am.  〔フランス語〕: Je suis qui  je suis.  A’型  〔英語〕   : I AM ; that is who I am.  〔ドイツ語〕 : Ich bin  der  Ich-bin-da.  C型  〔ギリシャ語〕: 'Εγω ειμι ′ο  ων.           ( Ego eimi ho on. )  〔ロシア語〕:   Я    есм'   Суши.           ( Ya   esm'   Susi. )  逐語英訳: I   am   Being.  C'型  〔中国語〕 :   我  是    自有永有的。            wo  shi   zi you yong you de.  〔韓国語〕 :   (ハングル文字は 入力不可能)           na - nun susuro  issnun  ja-nira.   逐語和訳 :    我 ハ オノヅカラ有ル者-ナリ  * 補助記号は 捨象しています。

関連するQ&A

  • おすすめの本

    少々時間の余裕ができたので、普段は漫画ばかりの私ですが、本を読んでみようと思うようになりました。 最近はダヴィンチコードを読んでます。 おかげでキリスト教の歴史なども知りたくなりました。 わかりやすくて興味深い本をご存知の方いらっしゃいますか? また、私が普段好んで読んでいるのは主に日本の歴史もので、司馬遼太郎、井沢元彦の作品が好きです。 こんな私に何かおすすめの本はありますか? 歴史以外でももちろん結構です。教養を増やすべく読んでおくべき本、これを知らないと恥ずかしい本などをご紹介下さい。

  • 日本人は不吉な事や嫌なことを言いたがらない?

    日本人は不吉な事や嫌なことを言いたがらないと思いますか? 作家の井沢元彦は、日本人には言霊という精神があり、不吉なもの、嫌なものを言いたがらないというようなことを言っていました。 一つ印象深かったやりとりがあります。 私が見つけたある質問は、悲惨な想定の国際情勢に関わる内容だったのですが、 それは悲惨なことだから簡単に質問していいことではない・・・子どもも見ている・・・(前者と後者は別の回答者によるもの)というような回答が書かれていました。 私は、不快感を覚えるような内容なら重要な事であるので目を逸らしてはいけないのではないか(それは質問サイトの趣旨に合っていると思う)と思う方なのですが、逆に不快だから質問すべきで無いと考える人もいるようです。 みなさんはどう思いますか? それは、日本人に限った話なのでしょうか?

  • 歴史

    司馬遼太郎さんの本を読んでから時代物の本にはまっています、日本についての時代物ばかり読んでいるんですが最近ほかの国についての本を読んでみたくなりました。皆さんの読んだ中で面白かったものを教えてください、よろしくお願いします。

  • 面白い歴史小説

    歴史小説が好きでよく読みます。最近「これは!」というような歴史小説家にめぐり合えません。司馬先生、津本先生、柴田先生の様な「古典」でなく最近の作家で面白い歴史物を書いてらっしゃる方をお知らせ下さい。代表作・おすすめ作も。ちなみに私は井沢元彦先生と、亡くなられて久しい隆慶一郎先生のファンです(両氏の作品は全て読破しました。)。

  • 国盗り物語 その後

    私は日本の歴史にとても疎いのですが、お正月にやっていた10時間スペシャル「国盗り物語」を見てとても興味を持ちました。司馬 遼太郎は読んだ事がないのですがとても面白かったです。そこであまり難しくなくて、あのラストから続く話が楽しめる本や映画があれば教えて下さい。またそれ以外でも歴史物でオススメがあれば嬉しいです。m(_ _)m よろしくお願いいたします。

  • 「竜馬がゆく」を読み終えました

    司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読み終えて寂しくてたまりません。 長い時間をかけて読んだのでもうすっかり生活の一部に竜馬が入りこんでいて、彼がもういないのだと思うと悲しくて悲しくて泣けてきます。 こんな私にまたどっぷりとその世界に浸かる事のできる本を紹介してください。 ちなみに司馬遼太郎さんの本では「燃えよ剣」「坂の上の雲」「殉死」「この国のかたち」を読みました。 最近ずっと司馬遼太郎さんの本ばかり読んでいたのでたまには他の著者の本が読みたいです。 尚、私は元々歴史小説が好きな訳ではありませんので現代小説大歓迎です。 ただ、竜馬のようにどっぷりとその世界に浸かれるようなドラマチックでキラキラと輝く力があるような物語が読みたいです。 作品というか作家さんの紹介でもかまいません。 他に好きな作家は塩野七生です。 逆に井上靖さんや吉川なんとかさん・・時代物の。。は、難しくて読めませんでした。 宜しくお願いします!!

  • 斎藤道三についてですが・・・

    単純な質問で申し訳ないのですが、最近時代小説にハマってしまい司馬遼太郎先生の国盗り物語を読んでいます。そこで、どうしてもわからない熟語が出てきてしまって、気になってしょうがないので教えてください。 斎藤道三の旗印の「二頭波頭」ってなんて読むんでしょうか?知ってる方がいらっしゃいましたらお願いします。

  • 言霊と平和ボケについて

    これは、井澤元彦氏の本にかかれてあったことです。 「日本は言霊の国と言われている。現在の平和ボケもこれに端を発するのだ。」 言霊とは、例えば、受験生のいる家庭で、「落ちる」とか「滑る」という言葉を言うと、本当に滑るようになる、ということです。 皆さんも心当たりがありますね。 言霊の考え方を考えると、平和ボケの人の発想はわかりやすいですね。  自衛隊反対するのは、戦争のことを考えるからだ。  侵略があるなんて言うのは、考えるからダメなのだ。  こんなことを考えなければ、戦争なんか起こるはずがない。  日本国憲法にも戦争放棄が書いてあるから、戦争にならないのだ。 こんなところですかね。なお、この考え方は、戦前と戦後ではコインの裏表です。 そう、戦前の「戦争に負けるということを考えなければ負けない」ということと同じです。 皆さんはこのことをどう思いますか? 僕ははっきり言って、平和ボケしている人は念力主義だと思います。 「軍事を考えなければ戦争にならない」「平和を唱えれば戦争にならない」 こう題目を唱えていればいい、というのは、戦前の 「日本には神風が吹いて勝つことができる」 というのと同じです。 そう、「平和を唱えれば、神風が吹いて戦争が遠のいてくれる」とでも言いたいのでしょうか?

  • 悲惨なので質問すべきで無いというような回答

    とある古い質問に書いてあるのを見つけたのですが、それは悲惨なことだから簡単に質問していいことではない・・・子どもも見ている・・・(前者と後者は別の回答者によるもの)というような回答が書かれていました。 質問内容としては国際情勢と今後に関係するものです。 私は不快感を覚える内容、悲惨な内容ならそれこそ納得いくまで質問すべきだと思いました。 現に質問者は、悲惨な状況を回避するための質問であるという風に言っています。 作家の井沢元彦は、日本人には言霊という精神があり、不吉なもの、嫌なものを言いたがらないというようなことを言っていました。 質問内容が国際情勢ではなくて、「下記のような質問が実際に書かれていたとしたらどう思いますか?」というものなら、不快だというのも回答になると思います。 (何故不快に感じるかは別の問題として) 国際情勢の質問なのに、聞くべきでないと、こういうのはありなのでしょうか?

  • 明治~昭和初期の

    こんにちは。最近、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいます。これが非常に面白く、興味深いのですが、これを読んで明治~太平洋戦争あたりの日本の歴史や、日本人の気質、世界情勢などを冷静かつ、読み易く解説していて、また物語としての質が高い書籍がありましたら、教えてください。(単純な戦争反対!なものはちょっと・・) 当方、歴史には疎いもので、ある程度読み易いものがいいです。 あと、司馬遼太郎の、この年代移行について書いている作品って、「ひとびとの跫音」「殉死」くらいでしょうか?昭和初期について書いた長編小説というのは出ていないのでしょうか? よろしくお願いします。