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われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか
taco8chの回答
- taco8ch
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せっかく言霊の話だったので。こんな俺でも子供の時には、 あいうえお かきくけこ ・・・ といういわゆる五十音表を小学校で習ったわけですが、 このいかにも不器用な音の配列は、インドだかアラビアだか そこらへんの音韻表を参考にしただのしないだのではなかったかしら(もろ自信なし)。 この子音で揃えたシステマティックな「あいうえお」が、なにがしかの意味を成すのかどうかは分からないが、 少なくとも、今日の日本語ではおそらくこれといって意味を成さない。何つってもこれ覚えにくい。 なぜなら、五十音図の「あいうえお」は、インド人にはどうであれ、日本人には、もはや単なるアルファベットの羅列であり、 それは「記号」以上の性格がうすいからに違いない。 何よりまず「あ」の次「い」という発想が沸かない。「や」行なんて現代語では三つしかない。 「を」や「ん」をどうする。ほっとくのか?いいのかそれで。 ところで日本人はこれ以外にも他の配列をこっそり習っていて、ひとつは、ご存知 いろはにほへとちりぬるを・・・ という、もう頭坊主にしちゃうほどストイックな歌にして覚えちゃってる。この、「い」も「ろ」も「は」も、それだけでは記号にしかないが、 「いろ」と「は」はすでに意味と文法の息づかいを持っている。さらに「ゐ」とか「ゑ」の旧かなもちゃんとある。 それにしてもなぜこれら旧かなは失われたのか?だって「アルファベット」にすると「い」と「え」にかぶっちゃうしね。 だが、「ゐ」と「ゑ」を失くした和歌ははたしてどんなもんだろう? もうちょっと時代をさかのぼってみる。 ひふみよいむなやこともちろらね・・・(だっけ?さらに自信なし) もうこれ意味まったく分からない。分からないが、どこかしら怪しげな呪文っぽさをかもし出す数の和語表現は、 「ひ」、「ふ」、「み」・・・それぞれが、単に数を意味する以上に、何がしかの意味を持っているのかもしれない。 というのも、日本語にはこの1音節による単語が非常に多いように見える。 「ひ 一、日、陽、火、灯、引、退・・・」 「ふ 二、風、吹、拭・・・」 「み 三、水、見、身、実、箕、美、海・・・」 もちろん、音韻で語彙を成すのは、ご本家中国語でも同じ。同じではあるが、彼らは同じ「マー」でも、 音の抑揚による意味の区別というさらにシステマティックな使い分けを行う。 (いやはやまいったよ中国人。よその国のお寺で騒いじゃだめだよ) 日本語もそうした面はないことはないけど、中国語のそれほど明快ではないのではないだろうか。 (いや、中国語は毛沢東語録とワンタンメンくらいしか知らんけどね) アルファベットのもとをある程度たどったところのフィニキア文字では AもBもCもそもそもは象形文字で、それぞれに意味があったのだろうけど、「A」は「牛の頭」だと知ってる米国人はちょっと引く。 アルファベットは特別な用法と限られた語彙を除けば、2文字以上で語彙を形成する場合がほとんどだ。 遠回りしすぎですが、日本語の音韻はそれぞれが、それだけで重層的多義的な意味を内包していて、 話者が発したことばに、話者や聞き手の意思それとは別のところで、何か」が生きて作用するメカニズムを持っているのかもしれない。 言霊の問題ではないかもしれないが、和歌のかけことばは、忍者と焼き鳥好きの外国人から見れば駄洒落に過ぎないだろう。 しかしはたして駄洒落ほど饒舌ではないのは日本人なら分かるはずだ。 少なくとも和歌の鑑賞者は、その見え隠れする駄洒落を、言葉の地平にまで会いに出向かないといけないし、 そのためには一定の民族的なルールにのっとらなければならない。それは以心伝心と言えばそうなのかもしれないけれど。 文明人を自負する一部の白人から見れば、それは後天的な美しさと言うところだろうか。 結局、遠回りして行き着かないわけですが、 >ほかの国の人びととのコミュニケーションは >どうあるのがよいか 安直に考えれば、明治以来のこれまで通りでいいんじゃないですか。 ことのはから霊を奪って「あいうえお」に代え、「ゐ」と「ゑ」をなくして「い」と「え」に代え、 「うつくしいくに」を「美しい国」に代え、 あとは特定危険部位つきの牛肉こっそり買ってれば、あっちからも理解してくれますよ。 ただ、そうした理解を得たのちの日本と日本人の姿は、昔や今とはずいぶん違ったものになるかも。 日本人がお互いを神と思ってるかどうかは、他の方の回答を楽しく拝見したいと思いますが、 俺に言わせれば、日本人は神であることをとっととやめようとしてますなんだけどね。 あっとそれから前の質問とやらは読んでおりません。あしからず。
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補足
なるほど!! 《言霊》というからには 言語そのものをも取り上げなければ 非常に貧しい議論になるのじゃないかと。 わたしの関心は 《以心伝心》だけに集中していました。つまりはまた コミュニケーションというからには そのまじわり・交通・交流・意思疎通 つまりむしろ 関係性のほうに この質問の場合には目が向いていましたね。 taco8chさん(えらくめずらしいお名前ですね) ご回答をありがとうございます。 ★ 俺に言わせれば、日本人は神であることをとっととやめようとしてますなんだけどね。 ☆ ふうーむ。《日本人は神である》ことがあったわけですね? おもしろそうですが。 ★ ひふみよいむなやこともちろらね・・ ☆ も=もも(百) ち=千 ろ ら ね : これらが分かりません。 ちなみに 母音交替で成り立っているようですね(大野晋)。 一 hito 三 mi 四 yo 二 huta 六 mu 八 ya ★ あいうえお かきくけこ ・・ ★ いろはにほへとちりぬるを・・・ ☆ 文字としては もともと無かったのだから 仕方がない。五十音表は たしかにサンスクリットの音表に倣ったものですよね。あ から始まって ん で終わる。 あ‐ん で 阿吽だし a-um で いやな感じがつきまとうオウムですね。α と ω (あっ ギリシャ文字が入力できますね)のごとく。 ゐ は 為の草書体 ゑ は 恵のそれ なのだから 文字にかんしては 日本語は 後発国。 ところで 日本語において 事霊=言霊に則った《存在》の表わし方を ちゃんと決めたほうがよいと思うのですが。まぁ 《我れ有り / わたしはある》に落ち着くのでしょうが。 『出エジプト記』3:14の例の 神がモーセに向かって自分の名を告げる一文をめぐって うつくしくてきれいな日本文をおしえて欲しいのです。 A型:わたしはある。わたしはあるという者だ。(新共同訳1987) B型:わたしは、「わたしはある。」という者である。(新改訳) C型:わたしは、有って有る者。(口語訳1955) B型 〔ヘブル語〕 : E-hweh aser e-hweh. 逐語英訳 : I-am who I-am. 〔フランス語〕: Je suis qui je suis. A’型 〔英語〕 : I AM ; that is who I am. 〔ドイツ語〕 : Ich bin der Ich-bin-da. C型 〔ギリシャ語〕: 'Εγω ειμι ′ο ων. ( Ego eimi ho on. ) 〔ロシア語〕: Я есм' Суши. ( Ya esm' Susi. ) 逐語英訳: I am Being. C'型 〔中国語〕 : 我 是 自有永有的。 wo shi zi you yong you de. 〔韓国語〕 : (ハングル文字は 入力不可能) na - nun susuro issnun ja-nira. 逐語和訳 : 我 ハ オノヅカラ有ル者-ナリ * 補助記号は 捨象しています。