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われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか
taco8chの回答
- taco8ch
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またもや言葉のもつ別の側面とコミュニケーションについて。 最近の海外旅行本は本当によくできていて、『指差し○○語会話』という本があるのだな。 海外旅行先で使いそうなシチュエーションや日用品のふんだんなイラストを現地語を付して載せていて、 現地語が喋れなくても、行った先でその本を現地の人に開いて、指でこれこれと指し示せば、 言いたいことが伝わるという便利なのか面倒なのか、よくわからないがとにかくそういう絵本。 (おしむらくは「事故・トラブル」のページに「コンドームをつけてください」のイラストがない) この四六版という、どう見ても海外旅行には邪魔なサイズの絵本が暴いているのは、 そもそも言葉というものが、代替物かそれに近い一側面をもっていて、 おしである話し手が、耳しいである聞き手を前にして、 あらかじめ与えられた代替物を指で指し示している行為にしかないという事実なんだろう。 シュメール人とかメソポタミアそこらへんの文明創始期の頭のいい連中が、 線文字だの楔文字だのを発明する前段階として、粘土でこねた小細工を コミュニケーションツールに用いた(って、これ本当?え~?)のもそれに通じるかもだ。 そんで行き着いた究極の粘土細工は金の子牛だったりしてね。あは。 「いろはにほへと」や「ひふみよいむなや」の時代、 日本人の言語文化は今よりもけっこうある面豊かだったんじゃないかしら? 島国にぬくぬくと育った日本人は確かに、渡来人、南蛮人、朝貢、勘合符そして侵略を通して、 波状的に大陸の言語文化の流入を受けてきたけど、 日本人が最初に中国の文字体系を知ってから、それを取り入れようという大改革に至るまでに、 はたしてどれだけの時間をかけたのだろうか。(調べる気さらさらなし) そうして取り入れた漢字の成れの果てが、万葉仮名というただの記号であり、 オコト点という註釈であり、ついには漢字と似ても似つかない仮名の発明ですわ。 俺は#5の回答を積極的に支持はしないけれど、これもうむしろ「拒否」の姿勢では? このへん朝鮮半島ではどうだったのだろう?とも。 そんなへんちくりんな文字や註釈記号まで作りまくって日本人は日本語の何を守ろうとしたのか。 先に日本語の顕著な特徴に、きわめて短いあるいは単音韻の中に、 重層的に意味を折り込んでいる性質があるのなら、と適当にも言ったけど、 伸ばしこなし可変する47粒の粘土に例えてみるのは戯ごとだろうか。 しかしその47粒が、2つ3つそして文章として連鎖的に並べられたときに、 音素音韻の塩基配列が紡ぎだすタンパク質の結合が結肉上に何をもたらすのかはどうにもねえ。 陶芸師にでもなんないと分かんないかな。「愛の波動」(#26)とかは俺なんかはちょっとダメダメ。 言霊(質問者の興味するところの一次的コトダマではなく二次的な)は やはり読み上げられてはじめて作用するというのが正装のようだ。そういう意味では、 言葉に秘められた不思議な(と言ってしまえばハイそれまでよと)機能を用いた技巧(わざ)なのだろう。 羊のドリーは遺伝子工学の人知がもたらしたおまじないと言ったところだろうか。 ――けどまあ、これらはすべて比喩でありエッセイだけどさ。
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ところで はじめの《 HA.....》は 主観内面のことでもあれば その心の動きを感じさせてくれる当の山々の姿でもある。つまりここで 一気に文として扱えば それは 主題の表明でもある。 《山》のことを どういうわけで《やま》と言ったか分からないが 人はこれを得る。そして さらに 《所》の意味の《と》を得て これらを 合成すれば 《やま‐と》のかたちに その地を 言葉として持った。 文としては 主題(問い)と論述(こたえ)から成る。つまり やまと(山‐処)‐は うるはし。 人間は その思いを 表わさずにはいられない(!!??)。その内容を充実させようとする。 やまと‐は・・・・・ほ・・・・・うるはし。 《ほ》は 突出したものの相を表わし 《穂・帆・秀》であろう。ここに《ま / ろ / ば 》をも添えて やまと‐は ま‐秀‐ろ‐ば〔なり。 それゆえ〕うるはし。 と来る。こうなれば 意思表示としての言語は 文による表現(それは 判断である)を基軸として 文法規則としても やがてその現在にまで至る姿を現わしてくるものと思われる。 * * * 途中で次の箇所は この際 要らないものでした。削除しそこないました。 ~~~~~~~~~~~~~ つまり これは 中心主題相/ h / と指定相・断定相/ s /が働いたと《あとづけ》してそうなる事態ではある。ここに 自称相 / ’(=ア行子音)/で ~~~~~~~~~~~~
補足
ふむふむ。これだけのエッセーになれば 何かを言うのは不粋というものですな。前回(No.24)は ヒッシで書き込んだんだけど。 ● も=もも(百) ち=千 そのあと ろ=よろづ(万) が分かった。あと(《ら ね》)が分かんない。 ● 1.《ず/づ じ/ぢ》の書き分けは やはり必要ではないだろうか。 ・誰かが言っていたけれど 《躓き》を 《つまずき》と書くと 《妻好き》と思えるそうな。 2.《を》を使うのなら たしかに 《ゐ》も 《ゑ》も 復活させたほうがよい。 3.《ヴ( v / vu )》を使うのなら いっそのこと va =ワ゛〔ワ に ゛(点点)〕 vi =ヰ゛ ve =ヱ゛ vo =ヲ゛とやりたい。 ● ★ 音韻で語彙を成すのは、ご本家中国語でも同じ。同じではあるが、彼らは同じ「マー」でも、/ 音の抑揚による意味の区別というさらにシステマティックな使い分けを行う。/ 日本語もそうした面はないことはないけど、中国語のそれほど明快ではないのではないだろうか。 ☆ 声調は 漢語は 四声。広東語は 六声。タイ語は 歌っているみたい。文字が めちゃめちゃ〔だと こちらには映る〕。ビルマが ミャンマーだったのは いいとして ラングーンが ヤンゴン アウンサンスーチーさんは Suu Kyi なんだね。 文字どおりに 《決して》発音しないのは ケルト語のアイルランドとスコットランド。お早うございます が おぉっす となるように 略してしまうみたい。ウェールズは それほどでないよ。ブルトン語はやっていない。・・・・・・・・・・・・・・・ フィリピン(タガログ語)は 語幹に 接頭辞・接尾辞だけではなく 接中辞をもつけて それもかなり規則的に付加して 語をつくっている。けっこう論理的になるんじゃないかと思えるんだけれど。 ☆ やまとことばについては わたくしも 《Q:ソシュール: 「もの」が先か「言語」が先か?= http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3187871.html 》で かなり書いています。 ● どうも taco8chさんは われは 言葉なり / われは 言語の動態的な体系なりというような社会総体の立ち場で ものを言っておられる。このわざは どこから来るのか。そのへんが わたしには分からないのだが その随想に適確にお相手するすべも 身についていないようだ。いかんせん 自分の学んだところをそのまま出すしか能がない。 先ほどの《Q:ソシュール・・・》への回答で気に入っている文章を再掲載して おなぐさみに代えます(ANo.69)。言霊について参考になればと また そこから さらにご投稿が得られればと思いつつ。 * * * 奈良(ちなみに na-ra=地‐ら⇒奈良。cf. no-ra=野‐ら)の三輪山あたりの地で のちに《たたなづく 青垣 山隠(ごも)れる》と形容されたその風景を見て われらが祖先の誰かが HA..... と発出した。この場合 ただ ハアーッという息の音を出しただけかも知れない。溜息をついただけかも知れない。でも その主観の内には何らかの心の動きがあるはづです。あったはづです。 HA.....SI。 というふうに 続けて 舌や口の筋肉のはたらきにものを言わせて さまざまな形にして 発声した。音で いま目の前の世界の風景を切り取った。また その心の状態をも取り立てた形だと思われる。 HASI . / はし。 こうなると 心の状態が あたかも表わされたかに思える。《愛(は)し》。つまり これは 中心主題相/ h / と指定相・断定相/ s /が働いたと《あとづけ》してそうなる事態ではある。ここに 自称相 / ’(=ア行子音)/で う。 アルイハ うる(⇒裏・裡・心)。 と作って これを添えれば うる‐はし。(麗しい) とつなげて いまの心持ちをそれとしてさらによく取り立てて表わすことができたようだ。