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死後の世界が正確に分からないのはなぜ?

hosiboshiの回答

  • hosiboshi
  • ベストアンサー率9% (15/158)
回答No.12

ひとり一軒の家を与えられて暮らすことになります。 人生80年として、死後50年。 時が来ればまた赤ん坊として生を受けます。 記憶が被ることはないので前世のことや、生まれる前の記憶はありません。 この世は修行の場でもあり、永遠に幸せに暮らすための世界でもあります。 死んだ後、えんまさまとお話をして、後の動向を決めます。 よっぽど行いが悪いと 罰を与えられます。 基本的に我の存在が消えることはなく、人は永遠に孤独であるとも言えます。 自分と同じ人間がいる国へ行くことになり、あの世よりも、この世のほうがいろんなことがありますが、良いといえるでしょう。 それ故に生きて身を寄せ合って、遊んだり、会話したり、食事するのはとても幸福な時間で有ります。 基本的に人は「生き」なければいけません。 各個人の修行によりレベルがよほど高くなれば、それなりの有識者が現れ、ある程度教えてくれたり、導いてくれたりします。 しかし様々な運や、積み重ねた徳や、判断が絡むでしょう。 死んで名を上げるという行為も、全くの無駄ではないのではないのでしょうか。これはよくわかりませんが。 おそらく信じられないし、確かめようがないでしょう。 まあ皆とうまく共存して、あまり迷惑をかけないよう、「ぜんに基づいて」この世をできうる限り思い切り楽しむのがべすとじゃないっすか? 更に言えばたくさんの人や命や人ならざる存在を楽しませつつ、楽しむ。 想像ですが良い魂を持てば高いレベルの宇宙へ。 悪ければ下がるのだと思います。 この現宇宙は、多次元。 様々なレベルが混在し、修行や、救いの場として恵まれた場であると同時に、まだまだ理不尽、安定していないといえます。 ま、とりあえず正解とか答えじゃなくて禅問答の一種としてお受け取り下さい。 人間ひとりの存在はとても重く、不思議なひともたくさんおられます。 見たところ、本を読む と実践の修行を50対50で積み上げていくのがベストの状態だと思います。 たくさんの人と出会い、会話していってください。 友達と自分自身を大切に。

noname#48679
質問者

お礼

回答ありがとうございます。人生を修行と考えると、それが本当ではないとしても、より良い生き方につながりそうですね。人生が良くなるように考えることが大切だと思いました。

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