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キリスト教について。

frisk_blue_loveの回答

回答No.8

質問者さんは、無宗教との事ですからあまりキリスト教っぽくない話からスタートしましょう。 苦労して高レベルに育てたゲームのセーブデータがレア・アイテムごと吹っ飛んだと思ってみて下さい。ゲーム機本体は無事だし、ソフトもメモリーカードも無事です・・・だから、またLv1から育てればいいや、と考える人は少ないでしょう。そこには必ず喪失感があります。何故なら失われたのはデータだけではなく、それに費やした時間と苦労した思い出も決して還ってこない事を悟るからです。 ゲームのデータですら悲しいのですから、親しい人や愛する人が失われたらどれだけ辛い喪失感があるでしょう? あるいは、何かの記念日にもらったカップやお皿が割れてしまった場合、資産的価値は無くとも、やっぱり喪失感があり悲しいと感じるでしょう。何故なら、それらの品にまつわる思い出や記念がこの世から失われてしまったからです。たとえ、同じメーカーの同じ絵柄のカップやお皿をそこに飾っても空しいだけです。それは同じに見えて決して同じ物ではないからです。 物ですらそうなのですから、愛する人が死んだらどれだけ辛い喪失感があるでしょうか? 死んだ人が天国で安らかにしている、と信じていても、この世に残る者の心の喪失感は埋まらないのです。特にかけがえの無い大事な人や愛する人が死んだ時には、その喪失感は格別に強いでしょう。 愛する人と明日会えると分かっていても、夜分かれる時辛いと感じるのが本当の愛ですよ。ましてや、自分が死ぬまで会えないのであれば、その辛さは何倍にもなるでしょう。生と死の間は、簡単に行き来できるものではありません。それはどんな宗教を信じていても、辛い事には変わりは無いし、悲しい気持ちに変わりはないのです。 ただ、永遠を生きる&死後天国で会える、と信じている人は、それを心の拠り所にする事ができます。それを慰めと言ったり希望と言ったりします。 だから、キリスト教を本気で信じていてもやっぱり悲しいのですよ。 死んだ人が天国に行けるのは良い事ですが、この世に残る我々の悲しさは別のベクトルなのです。 また、地球で過ごす一生が一瞬だとすれば、その一瞬の生き方で永遠の天国が手に入るなんて図々しくありませんか?死すべき定めの我々には、生きている今日は、これからの永遠と等しい重さを持っているのですよ。だから、たとえ後の世に永遠が用意されているとしても、今は一瞬ではなく、残りの人生と同じ長さを持つのです、過ぎてみれば一瞬にしか感じられなくても。 (アガサ・クリスティの「いと高き昇進」という作品を読むと、永遠の天国と短い地上の行いについて考えさせられます) と、言う訳で、キリスト教を信じていようといまいと、人が死ねば悲しいのですよ。悲しむ必要はありません、けど悲しいのです。 P.S. キリスト教について、との質問なのにどうして誰も聖書の一節も引用しないのでしょうか?>>回答者ALL ヨハネによる福音書の11章にイエスが親しい友人のラザロの死に際して涙を流された記述があるじゃありませんか。その後で、ラザロを復活させているのにですよ?イエス=キリストすら、友の死に涙を流されるのだから、キリスト教を信じている者が身内の死を悲しんで泣いて何が悪いでしょう? むしろ、隣人を愛しているからこそ、私は泣きますよ。

noname#103681
質問者

お礼

回答者様の書かれている例え(データとカップやお皿)についてですが、私が仮定している失われた人に自分が死んだときまた必ず再会できるというところはどこにあるのでしょう?ゲーム機ソフトは無事、同じカップは手に入れられるというところですか?もしそうなら、自分がいずれ死んで天国へ行けば死んだ人に再会できるが、姿かたちや性格は同じでも実は生前のひととは別人だというケースに近いと思います。そうでないなら、失われたことについてのみの例えで、必ず再開できる部分については触れていないということですね。 私は友達や家族が死んだらもちろん悲しいです。私は死は永遠の別れ、その人の存在の消滅だと思っていますから。けれど、もし、そうじゃないとしたら? 自分の生きている何十年間の間絶対に会えないというのと、もう永遠に会えない、その人の存在は消滅してしまったというのでは、悲しみが明らかに違うと思っています。 だから、もしまた会えるのならそんなに悲しまなくてもいいんじゃない?という意見が少ないことが少し意外です。 『愛する人と明日会えると分かっていても、夜分かれる時辛いと感じるのが本当の愛ですよ。』 自分が死んだら必ず再開できるとわかっていても、今、これから死ぬまでは絶対に会えないということで悲しいんですね。

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