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キリスト教について。

kigurumiの回答

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.10

No.7です。 いえ、天国に行くという考えはキリスト教ですよね。 ユダヤ教には死後天国に行くという考えは無かったと思います。 (イエスはエリアかと言われたようですが、エリアが死亡した記録が無いので、死者だとエリアはされていなかったんですね。) 従って、今回のことはキリスト教で考えなければならないと思うんですね。 キリスト教会と契約を交わすとき、誓いを立てるんですね。 クーリングオフの無効な契約ですので、十分吟味され、信者になられているのだと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E5%BE%92%E4%BF%A1%E6%9D%A1 これらのことを信じると誓った場合のみ、使徒に公式に認定される。 そして使徒はエヴァによって倒され。。。あれは新世紀エヴァンゲリオンでした。汗 使徒信条にある内容は、人間というか、この世の生き物では不可能なことです。 ただし、教団の意味する死刑が破門のとこであったとするなら、理屈は通ります。 2千年前にあったある教団は、破門を決定したものを、死人として扱っていたそうなんですね。 死装束を着せ、穴の中に入れて、本当に埋葬したかのようにして、3日後にその宗教団体から追放していた。 そして、永遠にその追放した人と財産を分かち合うということはしなかったそうです。 ところがイエスの時は、教団の勢力が東と西で二つに別れ、イエスは一度波紋になったが後で破門が解かれた とするのなら、話が現実的になります。 在家信者の元でしばらく過ごした後、またその宗団の本部に帰っていったとすれば、もう在家信者の人たちはイエスを見ることはできず、宗団で行われる裁判の時だけ、陪審員みたいな形で出てくるだけ。 イエスが復活させた人がいましたが、私の推測では、その宗教団体の規律に適用するなら、その人はその宗教団体から破門扱いになって、イエスはその人の姉妹のマリアから破門になったと聞き、だがすぐに動けず、しばし考えなければならなくなり、結果 自分が不利になっても、破門を解くべきだとかけつけたのではないかと。 その破門になった人も、金持ちとの話に出てきて、アブラハム(を襲名した人)と一緒にいるとイエスが述べたことから、幹部だったと思えます。 イエスはこの行動により、どちらにつくか意思を表明したことになり、、今度は自分の立場が不利になってしまった。 何が原因で宗教裁判にかけられたのかいまいちわかりませんが、一つ聞いたことには、ヨハネの処刑に関与したという疑いがもたれたから だとか。 (こちらの方は破門ではなく、ヘロデ家の者によって殺された。) ガブリエル(と襲名された人)によって破門を解かれたと思えます。 そして復権して幹部に戻った。 つまり天の国の住民に戻った。 そう考えると、天の国というものが何をイエスは指していたのか、わかるのではないかと。 宇宙とか異次元とかにあるのではなく、地球上のパレスチナの砂漠に天国とされるところがあった。 では、キリスト教はどうしてそのような解釈をしないのか。 イエスが再臨して、死者も蘇らせ最後の審判を下すと教えているのか。 イエスに会ったこともないパウロにより広められた彼の考えが発端かもしれません。 パウロはエルサレム教会から破門されているようです。 エルサレム教会の初代責任者はイエスの兄弟とされるヤコブ。 そのヤコブを殺そうとしたのがパウロ。 パウロの手紙にエルサレム教会が認めてくれなかったことに対し、怒りを表しにしてようです。 パウロとヤコブのイエス理解が違っていた。 そして今のキリスト教はパウロの神学が基礎部分なんです。 イエスの思想をひきつぐエルサレム教会の主だった人たちは、ユダヤ戦争の前にエルサレムを脱出している。 残ったのはローマ帝国に広めたパウロの思想。 そこから初期教父たちは、パウロの礎の上にキリスト教を建築していったわけです。 そして、教会の教えがイエスの教えと同一であるとして、ローマ帝国に食い込んでいき、やがて皇帝と利害が一致したことで、国教にまでなったわけです。 新約聖書はギリシャ語で書かれています。 マタイに関しては、元の文はヘブライ語だったと思えるようなんですね。 それでいくと、キリスト教の教義に誤りがあることになるそうです。 新約聖書を買うより、図書館で http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AF%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E8%AA%9E%E3%82%92%E8%A9%B1%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%8B-%E3%83%80%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89-%E3%83%93%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3/dp/4895861376/ref=sr_1_4?ie=UTF8&s=books&qid=1195663770&sr=1-4 を読んでみてはどうでしょうか。 天の国についても書かれています。 今回の質問についても、天の国が一体どういったものかを理解する上で参考になるんじゃないかと思います。 せっかっくの思想が、人間がやったのではなく、宇宙人が地球にやってきてやったかのように語ってしまっては、そのやった方にとても失礼だと思うんですね。 神とするべきじゃなかった。 魔法使いに奉るべきじゃなかった。 空しさは死ぬまで続くと思うんですね。 架空の現実不可能なことは、不可能なまま。 脳の中でのみ可能で、それは現実じゃない。 夢の終わりは現実の始まり。 新世紀エヴァンゲリオンでレイがそう言っていたと思います。 ただ、現実があまりにも辛い場合は、夢に世界に逃避するのもありだとは思います。 だけど、いつか目を覚まして自分独自の人生を歩まないと、生まれた意味すらなくなってしまいます。 そうなれば死者。 自分の人生を生きていないから死者。

noname#103681
質問者

お礼

む、難しいです... お奨めの本、機会があればぜひ読んでみたいと思います。

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