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キリスト教について。

kigurumiの回答

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.7

他の方も言っている通り、しばしの別れを惜しんでいるというのが、表向きの解釈だと思います。 と書いて終わってもなんか 説得力ないので、、、 アメリカ国民の90%は神の存在を信じているそうです。 2000年ほど前、エギゼル書から、2000年後に起こったノストラダムスの大予言と同じブームが起こったようです。 AD何年に起こると信じられたかは忘れましたが、それで悔い改めろというブームになりました。 しかし、元言いだしっぺの人たちは計算の年になっても異変が起こらなかったことから、その最終の年の数え方を間違えたと思い、再度計算しなおして、別の年に起こるとしました。 でも、やっぱり起こりませんでした・・・・・。 日本でも2000年7月が過ぎても変化が無かったので、そう主張した人は、別の月に起こると言い直し、やはりそれが過ぎても起こらず、テレビ会から消えてしまいました。 2000年前は、テレビの普及がなかったので、伝達が遅く、伝達内容も口から口ですので、歪んでいったんじゃないかと思うんですね。 いつのまにか、イエスがまたやってきて、今度は死んだ人を蘇らせ、生きた人も一緒に、裁判を下すという話になった。 それがキリスト教になったわけです。 本当に神の存在を信じていたら、2000年のときにもしかしたら、イエスと会えるかもしれないと、信者はお祭り騒ぎになったハズですが、実際は「イエスに会える」という歓迎ムードにはならず、コンピュータ問題で、下手したら核ミサイルが飛び交い、地球は崩壊するかもしれない ということをマジに考え、イエス歓迎など誰もやっていなかった。 微塵でも思っていたら、2000年にイエスと会えるかもしれないと期待したはずですよね? では、何故アメリカ国民の90%は神が存在すると信じるか というアンケートに イエス と答えたのか。 正義というものを信じている という意味だと思うんですね。 それは、イラクが石油を持っており、それを力ずくで奪っても勝てば、それは神の正義が自分達に力を貸してくれたから という考え。 自分達が勝つ=神の正義が勝利した。 自分達が負ける=今回は神は手助けしてくれなかった。 くらいの感覚だと思うんです。 で、天国、地獄ということについてイエスは言っていない。 天の国 というのは、読む限り、作家が属していた教団の幹部クラスのことだと思えるんです。 カトリックで例えるならバチカン。 ここが天の国。 このバチカンの正義の価値観が、世の中の価値観になる というのが、天の国が地上に降りてくる というもの。 カトリック教徒が天の国に入るというのは、カトリック教会はヒエラルキーがあり、そのバチカンの幹部たちの中に入るってこと。 こういうことを聖書作家はイエスに言わせていたのだと思います。 でも、イエスはまた来るって言ったじゃないか? はい、確かステファノの時、また姿を現し、ステファノの裁判を見ていたとことが、聖書にしるされています。 幹部になると、ひょいひょい 出てこないんですね。 教会の歴史資料に、イエスは70歳超えるまで生きていたという記録があったそうです。 その後、ユダヤ戦争が起こり、その後イエスはどうなったのか、それどころじゃあなくなった。 イエスを看取った人はいたのか???? その関係の資料は見つからないので、イエスはまだ生きていることになっている。 何千歳でしょうか。 イエスは創造主 神だとは原始キリスト教では思われていなかった。 ユダヤ戦争が起こらなければ、キリスト教は違う形だったかもしれないですね。 最後の審判は、エジプトの宗教に同じものがある。 日本の弁護士のバッチにもなっているあのマークが審判。 天秤にマアトの羽が置かれ、ジャッジが決まるという思想だった。 マアトはティアマートとなりシュメール・バビロンで崇拝されたようです。 ファイナルファンタジーのリバイアサンみたいな感じでしょうか。 マートはマルドゥクのブレスにより倒され、バラバラに切り裂かれ、その肉体で地上ができ、彼女の涙が川になった という伝説がある。 創造主は前の創造主を倒し、そこから母権社会から父権社会になっていったようです。 ティアマートの涙、マリアの涙。 マリアを倒してどうするの?って感じですね。 しかし、原初の母への信仰は今もいきつづけている。 頭がすりかえられているようですが、信仰において残っている。 それは死んでから行く というものではなく、帰還するという考え。 死ぬことは帰還すること と考えると怖くなくなるんですね。 帰還するところは天国でも地獄でもない。

noname#103681
質問者

お礼

自分には知らないことが多く大変難しいです。ここまでいろんな方の回答を読ませていただいて、キリスト教に限定せず、ただ天国があると仮定して質問するべきだったかなと思っています。 キリスト教にもいろいろとあって、神を信じれば神の国へと行けるものとすでに神の国へ行けるものは神によって選ばれているもの、マリアは特別な人間だとする教えと普通の人間と変わらないとする教えがあると聞きます。教えによって、天国と地獄が存在するものと帰還するところが天国でも地獄でもないというのがあるのかなと思いました。 近いうちに聖書を手に入れて自分で読んでみたいと思っています。

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