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宗教は政治にどこまで関与出来るのか

chokmahの回答

  • chokmah
  • ベストアンサー率30% (11/36)
回答No.8

>私は真宗の教えは一人のものと心得ています。 すばらしいと思います。 昨今の信者は闇雲に教団の教えに従い、自分で考えることをしなくなった者が多い。 そして自分の意見を表明する際は神の名を借りて言う。 人の弱さと醜さの表れのように思えてしまう。 5大宗教であるキリスト教も仏教も、今では多くの派閥にわかれ書物の内容も原初に作られたものからは程遠い内容に改ざんされてしまった。 しかし、それ以前に実際はイエスも釈迦も、経典となるようなものは作るな(特に釈迦)、と言っていました。 そして、その教えは、神は自らの内に存在するものである、ということを両者とも言っていました。 話がそれましたが、ローマのキリスト教のように、当初政治が宗教を利用し国政をひいたのです。 そのおかげで逆に、キリスト教も一気に拡大することとなりました。 (ちなみに私の家は浄土真宗らしいです。 死んだときに必要だから宗派書け、と上司に言われ、親に聞いたら判明しました。) 国家で宗教を持っていることは、感情抜きに「それは何か」と分析すれば「求心力」です。 宗教とは本来一人一人に、内面の平和をもたらすべきもの。 しかし実際は国民を束ねるのに扱いやすい「求心力」として利用しています。 その求心力は芸術などのすばらしい遺産も遺しましたが、宗教戦争などという血塗られた歴史をも残しました。 そしてその宗教に属した人間は本当に心の平安を得られたか。 平安を得られた人もいるでしょう。 しかし、自己を失ってしまった(すべて神のせいにし自分で考えることをしなくなった)人のほうが多い。 宗教はある一定のレベルまで人間を統制し教育を施すことができる。 しかし、それが完了したならば卒業させ自分の意思で未来を切り開いていかせなければならない。 でなければ人間の成長を阻害するものであり、だからこそ今まで平和な世界が訪れたためしがない。 >言わば真宗教学の現代のトップクラスです。 この時点ですでに、、階級のようなものをしいている時点ですでに、人間一人一人を救おうという意思ではなく、政治に組したいという社会欲が表現されています。 かつて、その霊性から存在を見出され「星の教団」のトップに持ち上げられたクリシュナムルティは、真理とは組織によってもたらされるものではなく、一人一人がそれに近づけるように努力すべきものだ、として星の教団を解散しました。 私も、真理とは誰かから与えられるものでなく、自分の目でこの世界を見て、自分の手でこの世界に触れ、自分の足で必死に歩み、そうした一生懸命この世界で生きようとする行為の中で、魂の琴線に触れいるもの、それが真理だと思います。 >「 仏教徒(真宗門徒)として仏教的(真宗的)立場から政治的主張・行動をする 」ことは正しい そうではなく、今の政治に不満を持っているならば、信州門徒幹部という肩書きを脱ぎ、政治の世界に足を踏み入ればよいのではないか、と思います。 そうでなければ、真宗門徒を率いる数の力をもって政治の世界を支配することであり、真宗門徒皆さんを数の力として利用しているにすぎないのですから。

takajizou
質問者

お礼

 「真理とは組織によってもたらされるものではなく、一人一人がそれに近づけるように努力すべきものだ、として星の教団を解散しました。」   実は真宗の開祖親鸞聖人も教団を作ってはならないとおっしゃっています。ところが今は真宗が日本最大の教団です。聖人の「教団を作らず」の意図はクリシュナムルティと通ずるところがあります。

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