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仏教と戦争

識者の皆様、よろしくお願いします。 仏教では戦争をどのようにあつかっているのでしょうか。 不殺生などの言葉がありますが、例えば仏教が一般的に言う戦争、宗教戦争など限らず、反戦という立場をとっているとしたら、そのよりどころとなる教えは仏教学的に見てどこにあるのでしょうか。 また、もし過去において、実際に起こった戦争と反戦という教えの整合性(政治的な意味合いも含めて)をとるという意味合いから、こうした反戦争の立場が調整されたといったような経緯があるでしょうか。 観念的なご回答よりも、仏教学的におこたえいただけると助かります。 また、こうした疑問に参考になるウェブサイトなどご存知でしたらご紹介いただけると助かります。 こちら海外につき、いろいろな文献を手に取って目を通すような環境にありません。 皆さんからのご意見をよろしくお願いします。

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回答No.3

涅槃経に 「善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、応に刀剣・弓箭・無槊(むさく)を持すべし」 とあります。 経典には小乗経典と大乗経典があります。 小乗経典は釈尊の死後百年後、大乗経典は紀元前後にできたといわれています。 涅槃経は大乗経典です。 釈尊の死後、しばらくの間は活字化された経典がない状態が続いたといわれています。 つまり、みなが釈尊の教えを口伝えで伝えていたんですね。 涅槃経は釈尊の死後、数百年後にできたといわれています。 アショカ大王は、仏教帰依後は戦争をやめたようです。 カニシカは仏教を尊びつつも、インド攻略は続けていたようです。 宗派によってよりどころとする経典はまったく違います。 うちは法華経をメインテキストととらえます。 他の経典はサブテキストです。 お念仏を信じておられる方などは、 浄土三部経をメインとされ、他をサブとされるようです。 (間違ってたらごめんなさい) 詳しくは天台の五時八教などを参照されると良いでしょう。 (文献学的に五時八教は間違っているのでは、という説もあるにはあります。) 僕自身は法華経を小さな頃から信じていましたが、 「大乗経典は釈尊死後数百年後にできた→大乗経典は釈尊の直接の教えではない」 という説を知ってから、かなり悩み、いろいろな宗派の考え方を知ろうと努力しました。 結局、理屈ではどの宗派が正しいのかは、最後までわかりませんでした。 ただ、僕は法華経に帰依しているとなんとなく心地よい、生活が上手くまわる、法華経を捨てるだけの理由がない、といった風に、 信仰を捉えるようになりました。 僕はあくまでも専門家ではないので、 もっと詳しい方にいろいろ聞いてみられると良いでしょう。

aholucy
質問者

お礼

詳しくありがとうございます。 アショカ王の事など、ケースを押していただき、わかりやすくなりました。 それにしても宗派によってメインテキストとサブテキストが違ってくるというのは面倒ですね。 うちのメインテキストの方が価値があるなどと言い争いになったりしないのでしょうか。それともそれぞれの立場が尊ばれているのでしょうか。後者でしょうねきっと。

その他の回答 (3)

回答No.4

どちらの宗派が優れているか、 どちらのメインテキスト、教えが正当か、 言い争いになる場合もあります。 「法論」といいます。 現代でこそ下火になりましたが、 過去にはよくあったようです。

aholucy
質問者

お礼

ご丁寧にお返事いただき、ありがとうございます。 法論ではまさか武力衝突にまで発展しなかったと願いますが。 よく宗教の話になり、仏教起源の戦争をほとんど聞かないと。 キリスト教では中世のクルセイダーを初め、つい最近までアイルランド紛争などもありましたし。 イスラム教ではジハードは拡大解釈になるのかどうやら武力は完全に肯定されているようですし、その他の宗教も似たり寄ったりのようです。 それこそ観念的な話をすれば、どこかにはっきりとした本質的な違いがあるのが簡単に説明できるのでしょうね。

  • magga
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回答No.2

こんにちわマッガです。 大元のブッダのゴータマシタッダの教えとして定評の有るパーリ語の仏法を学んでいます。識者でもありませんが回答してみようと思います。 「戦争」 これは言うまでも無いと思いますが、無知・欲・怒り・害意から来るものですね。それらは仏法の推薦するとことろにありません。 「宗教戦争」 言論による無知な、根拠の無き批判などは、真理の護持で「私は正しい、他は間違っている。」とはしてはならない、範囲と根拠を示しこのような思索の上にこのような見解を持っていると。これを真理の護持という。しかしそれだけで真理を知るとは言わない。…などともっと詳細に対話に対する注意点が書かれています。 「反戦という立場」 いかなる行為に関しても「怒り」による行為は推奨していないと思います。慈悲に基づいた自他の迷惑にならない役に立つ行為なら賞賛するものですね。 パーリ語の仏典など拠り所にしたものを読めばすぐにこの根拠が見つかると思います。 スマナサーラ長老のポッドキャストも数多くありますからそれらを聞くのも根拠を見出すのに役に立つかもしれません。最近のもので戦争についての説法もあったと思います。ぜひ参考にしてください。 手に入れられるのであれば、サンガ出版の「仏法」は仏法の哲学面からの視点で仏法を集めた教科書のような書籍ですからオススメです。スマナサーラ長老の書籍はどれもオススメです。「ブッダの実践心理学シリーズ」も詳細に知りたかったらかなりオススメです。 実際におこなわれた反戦運動はちょっと私は知りませんが、インドで核実験に成功したというときにインドの仏教徒を牽引する佐々井 秀嶺さんと仏教徒が行進して抗議演説したようです。「破天」や「男一代菩薩道」などに詳しく載ってます。 慈悲喜捨こそ完全な反戦と思いますw 役に立てば幸いです。

aholucy
質問者

お礼

スマナサーラ長老の情報、ありがとうございました。 少し調べてみます。

回答No.1

仏教にはいろいろな宗派があります。 うちの宗派では、反戦、不殺生のよりどころを「悉有仏性」に見ます。 仏教徒からキリスト教徒、無神論者、犬、猫からウィルス、草木、大地、塵の一粒にいたるまで、 あらゆる生命に「仏性」が備わっている。 仏性とは、生命の尊厳であり、尊び守るべきものであり、成仏の可能性です。 仏性を「尊厳なるもの」、 もし西欧哲学の考え方を拝借しても構わないなら、 カント哲学で言うところの、 「等価物のないもの=他にかわりのきかないもの」として とらえるところから、 不殺生の思想が生まれます。 悉有仏性→不殺生→反戦といった、論理の流れでしょうか。 他の宗教と比べると、仏教が原因で起こった戦争は少ないように思います。 ただ、一向一揆に見られるように、皆無ではないと思います。 仏教では布教の手段として武力を肯定はしませんが、 仏教を守る手段として、武力を肯定しています。(涅槃経) 承久の乱の時にも、敵軍調伏を、僧侶が必死に祈ったようですし。 僕は仏教徒で、仏教に誇りを持っていますが、 やはり権力と仏教が結びつくと、 権力者や僧侶、有力な信徒によって、 仏教が利用されてきたのが、現実の歴史だと思います。

aholucy
質問者

お礼

詳しい解説と根拠を示してくださりありがとうございます。 仏教を守る手段として、武力を肯定してあるという部分ですが、これは教典ができた当時から、その教典に明確に「武力肯定」と記述されているのでしょうか、あるいは武力行使が行われたあとで拡大解釈が行われたのでしょうか。 もしよろしければこの部分の記述についてもう少しだけ詳しくご紹介いただけないでしょうか。 また、宗派がいろいろあるようですが、宗派間によって、認めているあるいは認めていない教典などに差があるのでしょうか。あるいはすべての宗派がおしなべて同じ教典を認知しているのでしょうか。 宗派間によって戦争についての姿勢が異なるのでしょうか。

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