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時制の表現とその意味について(関係詞節編)
- 時制の表現とその意味について(関係詞節編)について解説します。
- 関係代名詞節を使うことで、時制の表現の意味が明確になります。
- 英語の後置修飾は意識の焦点の動きを伴うものに用いられます。
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質問者が選んだベストアンサー
>この考え方が正しいか、または、これと同じような考え方が、以前、誰かによって言われていたか、それを知りたいと思います。 正しいと思います。斬新で素晴らしいお考えだと思います。 以前誰かが言っていたかどうかは、浅学のため分かりません。ただ、私は聞いたり見たりしたことはありません。 さて、いつも賛同するばかりで何の役にも立たない回答をして申し訳なく思っております。その意味で、今回は敢えて(本当に、敢えてですが)いくつか疑問を述べたいと思います。何かのお役に立つようなことがあれば幸いです。 (1) >The boy who is very fat is my little brother. のような文章は、the boy だけを見てvery fat だと判断できるので、基本的に不自然な文章となります。That very fat boy is my little brother. がこのような場合は普通自然な文章になるわけです。 cleverであるかどうかは見ただけでは分かりませんが、それでも、That very clever boy is my little brother.のほうが自然ではないでしょうか。つまり、仰せのルールの適用範囲が明らかでないように思いますがいかがでしょうか。 (2) >英語の後置修飾は、意識の上での焦点の動きを伴うものに使うのが自然であり、それは、次の二つの場合だと言うことになります。 1.その対象の名詞だけを見ても分からないこと、 2.時制表現が必要なもの、 そのようなルールを理解したとして、学習者にどのようなメリットがあるのでしょうか。例えば、英語のニュアンスが分かるようになる、副詞をどの位置に置けばよいかが分かるようになる、英作のときにこの点で困らなくなる、など具体的なメリットが無いように思えますがいかがでしょうか。つまり、具体論の展開が乏しいと思いますがいかがでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 いつも、yoohoo7さんの鋭い切り口にすごいなと思っていた自分としては、何か、ほめていただくだけでは、yoohoo7さんのご投稿と思えないと感じていたのです。 ですから、こうして、いろいろおかしいのではと言われると、非常にうれしく感じます。 >cleverであるかどうかは見ただけでは分かりませんが、それでも、That very clever boy is my little brother.のほうが自然ではないでしょうか。つまり、仰せのルールの適用範囲が明らかでないように思いますがいかがでしょうか。 これは、自分でも書くべきかどうか迷った点です。つまり、「太っている」、「やせている」、「背が高い」、「背が低い」と言うのも、究極的には、比較の問題のように思えてしまうだろうな、とは感じていました。つまり、「すごく太っている」と言うためには、誰か比較の相手が必要で、そのためには、その相手に視点が動くのではという疑問が出るのではと感じていました。 これについては、実際、いちいち誰か比較の基準を具体的に思い浮かべるわけではないので、常識というか、一種のあるべき標準のような意識は、誰でもある程度は持っていて、それは心の中に、または、意識の中に組み込まれているので、それで判断でき、その意味で、視点が動かないと説明しようと思っていたのです。 cleverとか、その他の形容詞にしても、外面を表すものでないものがいろいろあり、それは、対象を見ただけでは判断できないと言えますが、これも同様に、考えられると思います。 He is a very fast runner. のような文章でも、a very fast runner と言う判断は、いろいろな経験でそれまでに意識の中に積み上げたもので判断しているわけなので、視点は動いていないと言って良いのではと感じます。この部分は、本来は、冠詞の解説で書く予定だったのですが、冠詞の使い方は、視点・意識の問題が非常に大きく、今まで言われていた「新・旧情報」と言う説明のしかたで確かに間違ってはいないのでしょうが、なかなか理解するのが難しく、違った説明の仕方があると感じていたのです。 長くなってしまったので、補足 へ続きます。 ありがとうございました。
補足
お礼からの続きです。 >そのようなルールを理解したとして、学習者にどのようなメリットがあるのでしょうか。 これは、すでに質問文に答えがあると思います。つまり、 以下の説明です。 >よって、The boy who is very fat is my little brother. のような文章は、the boy だけを見てvery fat だと判断できるので、基本的に不自然な文章となります。That very fat boy is my little brother. がこのような場合は普通自然な文章になるわけです。 >同様に、「その病気だった子供がトムです。」のような時制のずれを持った文章は、関係代名詞を使って、The child who was sick is Tom. となるわけです。これを、The sick child is Tom. としてしまうと、「その病気の子供はトムだ。」となり意味が異なってしまいます。 ただ、具体例があまりに少ないので、それをもっと入れる必要があると言うのは分かっています。今回の投稿は、考え方・説明の切り口 と言う意味ですから、これだけを読んでも、具体例があまり無いので、そんなに役に立たないかもと感じる場合があると思います。しかし、これを応用できる例は数多くあります。たとえば、「本を手に持っている生徒」は、生徒だけを見ていても「本」のことは分からないので、「本」の部分は後置になると言う説明ができますし、a student who have a book in the/his hand とも言えるし、a student with a book in the/his hand でも良いわけで、これは、時制が動かないので、関係詞を使わなくても表現できるからだと言う説明ができます。つまり、視点が生徒と本を一体として見ている場合に、with を使った表現になると言うことです。with の方が視点の動きが少ないので、きびきびした表現になると言う説明ができると思います。 かさねて、ご回答、ありがとうございました。