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時制の表現とその意味について(関係詞節編の続き)

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  • yoohoo_7
  • ベストアンサー率55% (255/460)
回答No.1

>この考え方が正しいか、または、これと同じような考え方が、以前、誰かによって言われていたか、それを知りたいと思います。 正しいと思います。また、浅学のため以前誰かによって言われていたかどうかは知りませんが、私はこれまでに見たり聞いたりしたことはありません。一陣の心地よい風のような、全く新しい理論であると思えます。 ただ、基本的かつ重要な事項であるだけに、よく探してみれば関係詞が関係詞として用いられるようになった歴史的経緯についての調査、検討などであればあるのではないかと思います。

taked4700
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに歴史的経緯のようなものについての文献調査が必要かとおもわれます。 前置修飾か後置修飾かという問題は、とても、考えていると面白いものだと感じます。「ものの見方」そのものに関係するような感じがして、特に日本語との違いを意識すると、その差が大きく出て、いろいろ面白いと感じています。機能的というか、言語構造そのものとして、日本語は助詞によって文構造を示すので、どうしても後置修飾が取りにくくなっているのだと思います。同様に、英語も、関係代名詞という構造は、後置でしか使えないという面があり、意味とか感覚をのぞいた形で、それぞれの言葉の特徴として説明が可能だと感じるのですが、その元になる感覚のようなものがやはり先に存在するのかなとも感じています。結局、鶏が先か卵が先かという議論になってしまうのかも知れません。 ずっと、回答していただける方が出てこられなかったので、このまま、回答を締め切らずにおいておくか、それとも質問そのものを削除するしかないかと、考えあぐねていた時期でした。 その意味でも、回答していただき、とても感謝しています。

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