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山月記
noname#32389の回答
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国語教師です。 ちょっとだけ前の部分から見てみましょう。 長短凡そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁さんは感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか、と。 彼の詩風が格調高雅で意趣卓逸な事から、彼自身が才能にあふれ、非凡な人間だと分かります。 ところが、その彼の作品は、「第一流の作品となるのには、何処か欠けるところがある」わけです。 つまり、人物的には詩の才能があるけれども、実際の詩は一流ではないと言っているのです。(その理由は彼の性格、彼の過去の行動にあるわけですが。) では、どこが一流になるために欠けているのかということですが、ここでは「非常に微妙な点において」としかありません。 作者は具体的な詩も具体的な欠けている点も示していないのです。 袁さんが「漠然と」感じていることで、しかも「何処か」というふうに表現していますので、ここは素直に「何処か」で解釈します。 つまり、何処がというふうにはっきりいうほどの欠点があるというわけではなく、本当にほんの少し…つまり非常に微妙な点において、惜しくも一流と呼ぶには今ひとつ足りない詩だとえんさんは感じたというわけです。
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