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聖書についてあなたの解釈を教えてください。

anonimusの回答

  • anonimus
  • ベストアンサー率12% (2/16)
回答No.31

もちろん、近親相姦によって、人類が増えていったのは、明らかです。実行されないことをタブーとする必要は無いからです。ただ、現在の科学では、精子バンク、人工授精、胎内に戻すことで、一度も、性交しない人間が、妊娠することは、全く、不思議でも、奇跡でもない。それを考えれば、全知全能の神が、不完全な人間より、早く、処女懐胎、クロー人間を作ることは、可能であった。と、考えても不思議でもない。当時の人間の技術では、不可能なことでも、神の技術では、既に、可能、人間の科学はまだ、発展途上であり、いまだに、太陽系に第10惑星の発見しているくらい、科学的知識もこれから、いくらでも、変わっていく可能性を秘めている。宇宙全体を創造した神が既に、処女懐胎、クローンの技術を既に、持っていた可能性は否定できないと、思います。人間は、いまだ、地震すら、予知できず、自然災害に全く無力で考えることを考えると、人間の未熟さは、まだまだ、レベルが、低すぎると言える。せいぜい、地球の周りをぐるぐる、回っているだけで、宇宙の果てに、すら、たどり着いたことがない。神のレベルは、宇宙を創造したわけですから、神と人間と言っても、雲泥の差が存在するわけです。そんなに、力量の差が歴然としているのに、人間は善悪の実を食べてしまった。それが、原罪で、その、罪をあがなうために、キリストが敢えて、磔となって、人類の原罪をあがなったのです。つまり、人類は、キリストに、原罪をあがなって、もらったので、生まれながらにして、救われているんです。神が、本当に、キリストの行為によって、全人類の原罪を許したかどうかの、確証は無い。しかし、それを、キリストによって、全人類の原罪があがなわれた、と、信じきるのが、キリスト教の信仰と、いえるのでは無いでしょうか。

nicodemo
質問者

お礼

お時間を頂きました。 ●発展史上の近親相姦について >実行されないことをタブーとする必要は無いからです。 まさにその通りですが、タブーの原因(近親相姦の弊害)に留意すれば、その主張はちょっと乱暴ではないか思います。  anonimus さんの主張に反対なわけではありません。(念のため) 近親相姦が発展史上に必要不可欠(他に手段がなかった)と推察されますし、遺伝的(イブ仮説)においても近縁での婚姻はあったと推察されますのでタブー視する必要がないということでよろしいでしょうか。 ●キリスト教世界の救いと信仰について >人類は、キリストに、原罪をあがなって、もらったので、 >生まれながらにして、救われているんです。神が、本当に、キリストの行為によって、全人類の原罪を許したかどうかの、確証は無い。 >しかし、それを、キリストによって、全人類の原罪があがなわれた、 >と、信じきるのが、キリスト教の信仰と、いえるのでは無いでしょうか。 要点を短くまとめておられます。感謝します。 キリスト教世界においうては、原罪の認識イコール神の認識につながりますが、『存在するという事は、すなわち知覚する事である。』(バークリの哲学)で理解することが可能だと考えます。  ええと、つまりですね、 『言葉(ロゴス)は神であった。』すなわち神のレベル(宇宙の創造・法則・秩序)を知覚する事によって、神は存在する。原罪を受け入れることにより、イエスはキリストとなる。  それにより、信仰者は救われる。  アクションとリアクションが逆転しますが、もたらされるのは共通の真理であり、これは神の矮小化にはならないとも感じます。

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