• 締切済み

聖書についてあなたの解釈を教えてください。

genesis200の回答

回答No.38

聖書読書の初心者です。 聖書には、比喩と真実が混在していて、多くの矛盾もありますが、他の理路整然とした本には無い、素晴らしさを感じているこの頃です。  さて、アダムとイブの話は、地球上に人類が誕生したときの象徴であると思っています。つまり、複数の男性と女性が神との交流をして、平和に暮らしていたが、やがて相体と比較、競争の見方を憶えて追放され分裂していった・・。   <イエスの言葉について>  「私によらなければ・・・、」これは、釈迦やモーゼを批判した言葉ではなく、形式と習慣と規律に縛られて、神様の愛を分からなく成ってしまった当時の人みんなに訴えた切実な愛の言葉ではなかったかと思います。  イエス以前にも、「愛」は在ったけれど、刹那に消えていた人間の本質の一つが、「愛」という言葉で隈取ることで、一貫した生き方になることが出来た、素晴らしい指導者であったと考えます。  キリスト教が弾圧されていた当時の信徒を励ますために、パウロなどの手紙も他の信仰を批判しているように思えます。その点、イエスは千年2千年未来に向けて言葉を送っているように感じますが、その使徒の言葉は、当時の信徒を励ますことがなにより大事にされて、現在においては修正の余地ある言葉と受け取っています。  私個人の聖書の読み方は、いろいろの牧師先生が語る解釈を自分の心深くに放り込んで、自分の中にある、神様のかけらとでも言えるものが反応することを味わうようにしています。  クリスチャンでは有りませんが、機会があればメッセージを聞くように努めています。そのようにして、以前苦手だった聖書が少し好きになっています。(^^)v

関連するQ&A

  • 新約聖書について。

    新約聖書について。 マタイの福音書1章1~17節にあるイエスキリストの系図があります。 アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロン移住まで14代、バビロン移住からキリストまで14代とあります。 何の気なしに見ていたのですが、ところどころ人が抜けていたり、数えても14にならなかったりします。 これは間違いなのでしょうか?

  • 聖書を本にした漫画ありませんか?

    アダムとイヴから始まってイエスキリストとかが漫画で書いてある本知りませんか?

  • 新約聖書の存在意義

    ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は旧約聖書は共通と聞いています。 キリスト教には新約聖書は必要と思いますが、ユダヤ教、イスラム教にとって新約聖書の存在意義はどうなのでしょう。イエスキリストをメシアとして必要とするか否かで分かれると思うのですが。

  • エドガーケーシーは、新約聖書の愛読家でしたが、聖書に書いてあることはす

    エドガーケーシーは、新約聖書の愛読家でしたが、聖書に書いてあることはすべて真実で正しいことばかりでしょうか。 聖書も所詮人間が編集したものだから、キリスト教徒みたいに盲目的に信じたり、鵜呑みにはできないと思うのですが。 もちろん、すばらしい教えなどもいっぱい載っているのですが。

  • 新約聖書で

    最近キリスト教に興味を持ったのですが、ルカによる福音書8章22節~25節の「嵐が静まる」という部分で、聖書は何を伝えたかったと思いますか? ただ、イエスは凄い人だと言いたかったのでしょうか?恐らく「ねらい」となるものがあると思うのですが・・・

  • 聖書はどの部分を順番に読むのが良いでしょうか?

    新約聖書と旧約聖書を読みたいと思うのですが、分量が多いので、初めから全部読むよりも、読むとよい部分から順番に読むのが良いのではないかと思っています。 とりあえず4つの福音書を読みましたが、その後にどの部分を順番に読むのが良いか、アドバイスをいただけたら嬉しいです。 なお、私はキリスト教を含めて、宗教を信仰する気持ちはまったく持っていません。単に知識として聖書を読んでおきたいだけです。 しかし全部読む必要は無いと思うので、読むと良い部分の順番を教えて欲しいと思っています。

  • 歌詞の中にキリスト教関連の言葉が出てくる歌

    歌詞の中に、キリスト教関連の言葉 (アダムとイヴ、バベルの塔、キリスト、福音・・・等?) が出てくる歌を、教えてください! たとえば、Mr.Childrenの『シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~』 の一節♪アダムとイヴの時代から~♪のように、です。 現代音楽のカテゴリに入れてしまいましたが、もちろん、現代音楽じゃなくてもいいです! どなたかよろしくお願いしますー!

  • 西洋哲学と聖書の関係

    聖書は神の著作物であるとされます。それゆえなのか、内容は大変に深いものがあります。その深さに気づけばいいのですが、多くの人は浅い理解のままで、「これが聖書だ!」と決めつけて しまっているように思います。私は、西洋哲学・神秘学の多くが聖書の部分解釈の結果であるように感じています。 例をあげましょう。 ニーチェの超人哲学ですが、多くのクリスチャンが彼の超人思想を、反キリスト的だと見做しますし、彼個人も「神は死んだ」と叫んでいます。 私は、彼の超人思想も聖書思想の断片だと思っています。新約聖書を読みますと、イエスの弟子が沢山登場します。例えば聖ヨハネですが、彼はイエス様に出会う前までは漁師である父の手伝いをしていた、ごく普通の人ではなかったかと思われます。そんな彼がイエス様に見い出され、人間が変わった。彼は後に「ヨハネによる福音書」を書いていますが、この福音書はとてつもなく霊的に深い書物です。聖霊の導きがあったとはいえ、このような書物を書く人は、私にはとても凡人だとは思えません。まさに超人だと思います。 新約聖書では、弟子たちのとてつもない変貌(「超人化」あるいは「キリスト化」だといっていいもの)が、さりげなく語られています。人は超人になることが目的ではないからでしょう。超人になって、神と隣人に奉仕することが目的だからだと思われます。 人は、全能の神由来の「いのちの息」を持っています。その特性は、私の想像ですが、いのちの息とは本来「永遠性・超人性を持ち、愛に満ちた」ものであったと思います。ですから、イエス様によって罪が赦された者は、いのちの息が本来持っている特性を回復するのではないでしょうか。 以上、ニーチェの超人思想と聖書の関係を述べましたが、他の哲学でも聖書の断片的な解釈をしているように思われるものが沢山あります。それを単に批判的に忌避するのではなく、聖書解釈の新視点と見て、聖書を深く知る手掛かりにすることも大切な作業ではないかと思います。

  • イエス・キリストの言葉について

    新約聖書の「マタイによる福音書 24 15~16」と、「マルコによる福音書 13 14」に、イエス・キリストの言葉として次のように書いてありますが、  「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら(読者は悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。」 この文で、「読者は悟れ」と言う文言も、イエス・キリストが言ったことなのですか?  それとも、「読者は悟れ」というのは、マタイやマルコが書いた文言なのですか?

  • ミトコンドリア・イヴ

    キリスト教(&ユダヤ教)の神様って同一人物ですよね? この神様が最初につくった人間、アダムとエバは 結局、どんな容貌だったのですか? イスラエル人みたいな感じ? それともやっぱりアフリカ系? ミトコンドリア・イヴの件で、アフリカ系の女性が 本来ならエバなのでは、と思いました。