マージナル、マジョリティ、マイノリティとは?

このQ&Aのポイント
  • マージナル(・マン)という言葉の使い方について、異性愛者と同性愛者の関係や視覚障害者に関して考えてみました。
  • 同性愛者はセクシャル・マイノリティとして語られることが多いですが、両性愛の人々はマージナルと言える存在であり、マジョリティ集団でもマイノリティ集団でも属さない境界の人々です。
  • 視覚障害者の場合も、全盲の人がマイノリティとされる中で、見え方の異なる人々はマージナルと呼ばれます。マージナルは集団に属さず、理解されずに苦しむ境界の人を指します。
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マージナル、マジョリティ、マイノリティという言葉について(長文です)

こんにちは、よろしくお願いします。 マージナル(・マン)という言葉の使い方について、教えていただけますか。 例えば、セクシャリティについての話ですが。 異性愛者に対して同性愛者は、セクシャル・マイノリティとして論じられることが多いですよね。 マイノリティ解放運動的に、同性愛者の権利擁護を訴える運動が行われたりするわけですが・・・。 このセクシャリティの問題において語るときに、例えば異性愛と同性愛の中間に位置する両性愛の人々は、マージナルといえると思うのですが。同性愛者は、マイノリティとは言えども、少数の人で構成された集団に属していて、自分たちの権利擁護を訴えることも出来るわけですが、 私の認識では、両性愛のマージナルな人には、異性愛が強いか、同性愛が強いか、グラデーション的に色々な段階の人がいて、マジョリティ集団にもマイノリティ集団にも属することが出来ずに、時として一人で苦しむことがある人々であることがあって・・・マージナル・マンといったときに、こういった集団に属することが出来ずに一人で苦しむことがある、といった意味を含むように、私は感じているのです。 例えば、視覚障害者について。 目が見える人がマジョリティ、全盲の人がマイノリティとして、全盲の人が権利擁護の運動をしたりすることがありますが、中間の見え方の人々、人それぞれ色々な見え方をしていて、集団として区分されず、人から理解されず、苦しむ人をマージナル・マンと呼ぶことがありますが・・・。 そもそも、マージナルという言葉を、「境界の人」というだけでなく、多数派にも少数派にも属さない、境界であって集団に属さない人、という意味で使うことは出来るのでしょうか。

  • yab
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Yuki-A
  • ベストアンサー率35% (14/40)
回答No.1

そもそもマージナルマンとは、心理学者のk.Lewinが青年期は児童期と成人期との間に挟まった時期であり、青年は子供の集団にも属さず、大人の集団にも属さない中間の存在であるとした事から、青年を境界人と呼んだ事に始まります。 その後、倫理学的意味合いでは「複数の社会集団や文化の周辺や境界線上に位置し、そのいずれにも属さない人々のこと」と定義しています。 現在では色々捉え方があり、定義通りの意味で通じるかは疑問ですけど・・・。

yab
質問者

お礼

ありがとうございました。

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