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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人間にもパターンはあるのか)

人間の外見パターンとドッペルゲンガーの謎

このQ&Aのポイント
  • 人間には外見のパターンが存在するのか、ドッペルゲンガーの現象を通じて考察。
  • 自分に似た他者を発見することが多く、外見や性格がある程度パターン化される可能性について探求。
  • 心理学的視点から、似たような外見や行動が存在するのは何故か、学問の領域とも関係がある。

質問者が選んだベストアンサー

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  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2129/8001)
回答No.2

人間の顔認識能力は曖昧さが大きくて、似ていると間違える事がしばしばあります。私も若い頃の叔母さんとそっくりの人に逢った経験があります。ニュースを見ていると、中学生の同級生にそっくりの人が出ていて、死刑になったりしています。似ている人は結構いるものですよ。日本人の顔なんて、類型では100種類を超える程度しか無いのだそうです。欧米人ではそっくりさんが大勢いるのが当たり前の国もあるそうです。日本は1億2000万人も人口がいますから、そっくりさんは大勢いると考えた方が良いでしょうね。

その他の回答 (3)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11125/34629)
回答No.4

宮崎あおいさんと二階堂ふみさんが見分けがつかなかった人は多かったと思いますし、瀧本美織さんと土屋太鳳さんはパッと見せられただけだと未だになかなか見分けがつかないし、ゆきぽよちゃんを見かけなくなったと思ったらゆうちゃみちゃんが出てきたし、中川大志さんと福士蒼汰さんに至っては中川さんのお母さんが「息子が出ていると思ったら福士蒼汰さんだった」ってことがあったみたいなので、よく似ている人はいるんだと思います。 私はビビアン・スーさんが大好きなのですが、日本でプロモーションをし始めた当初は「台湾の裕木奈江」といわれていましたし、山本舞香さんとクロエ・モレッツさんは「よう似とるなあ」と思います。人種が違っても、似る人は似る。 性格に関しても、私は映画の「Ted」を見て「お前は俺か」と思ったので、中身も似ている人はどこかにいるのだろうと思います。 サル園のニホンザルは、私らは全部同じ顔に見えますけど、飼育員の人は顔を見るとそれぞれの名前が分かるんですよね。そういうもんですよ。 ちなみに海上自衛隊の中の人から聞いた話なのですが、潜水艦乗りの人は自分の潜水艦の見分けがつくそうです。海上自衛官でも当事者じゃないと「全部同じだろ」ってなるのに。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10023/12547)
回答No.3

以下のとおりお答えします。 >いわゆるドッペルゲンガーというものだと思いますが 例えばある番組を観ていたら、自分の高校時代の同級生そっくりな人が出て、年齢、苗字、出身地等、当たり前ですが全部違うし、そもそも100%別人なことはわかってはいますが、「99.9%あの人じゃないか」と感じる出来事があったり 病院のある看護師の方は、自分がバイト入りたてのころのお姉さんに80%ぐらい似ていると感じたり (この方も100%別人なのはもちろん分かっていますが) 自分が生きてきた狭い範囲ですらそういうことがあると、人間の外見や性格や喋り方とかってある程度パターン化できてしまうのでしょうか? (まあそれが心理学とか学問として扱われているんでしょうけど…) ⇒確かに、そういうことはよくありますね。私も何度か似たような経験があります。ただし、これは、ドッペルゲンガー*というより、デジャヴュ*に近い経験と言えるかも知れません。興味がありましたので、少し調べてみました。 *ドッペルゲンガー(ドイツ語doppelgänger:doppel「写し」+gänger「出歩く人」):自分の姿(分身)を自分で目にする幻覚現象。 *デジャヴュ(フランス語déjà vu:déjà「すでに」+vu「見られた」):それまでに一度も見たことがないのに、かつて見たことがあると感じること(既視感)。 それはともかく、なぜこういう錯覚・幻覚がしばしば起こるのでしょう。どうやら、脳の左右(左脳と右脳)による認識方法の違いが関係するようなのです。M・ポラニー『暗黙知の次元』という本によりますと、近年大脳生理学が進展し、人間の左右の大脳半球の機能分化が明らかになったそうです。この知見によれば、「大脳の左半球が言語的・武関的・合理的な認識を優位にうけもつものであるに対し、大脳の右半球は直感的・総合的な認識をうけもつとされる」そうです。 つまり、大脳の左半球は、いわばディジタル方式で物事を客観的かつ明晰に把握するのが得意であるのに対し、右半球はアナログ方式で物事を主観的に看取してその全体像を描くのを得意とするようなのです。そして、それぞれの脳がその持てる力量を発揮するのに寄って立つ基本的な手法が、左脳の分析的差異化であるのに対し、右脳のそれは総合的同化なのです。つまり、右脳が物事を認識するときによりどころとする手法は、物事と物事の《似ているところを探す》ことにある、ということになるわけです。 このことから我々は、物事を視覚的に判断する際に、しばしば「前に見たことがある」とか「これはあれと似ている」とか「どこかで会ったことがあるような気がする」という印象を抱くことになるわけですね。あなたの言う「高校時代の同級生そっくりな人」や「バイト入りたてのころのお姉さんに似ている」と感じたのは、右脳の働きによる認識のせいでしょう。ということで、おっしゃるように、「人間の外見や性格や喋り方とかってある程度パターン化」する面があるのは確かなことだと言えるでしょうね。

  • sknbsknb2
  • ベストアンサー率38% (1158/3035)
回答No.1

人間の記憶というのは曖昧で、いつのまにか改竄されていることさえあります。 「そっくりだ」という認識自体が、曖昧な記憶によってそう感じたり、その人を見た瞬間に記憶が改竄されて、そっくりだと思い込んだという可能性があります。 あと、ドッペルゲンガーというのは、同じ人が同時に2箇所に存在する状態のことなので、似た人がいるという話とは違います。

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