• ベストアンサー

読みやすい本を教えてください。

ghostbusterの回答

回答No.3

ひゃー、ごめんなさい。失礼なこと言っちゃいました。 “おバカ”なんかじゃないじゃないですか(汗)。 目のつけどころ、ずいぶん鋭いじゃないですか。 中山元の『〈ぼく〉と…』の第五章「他者と相互承認」以降の章は参考になるはずです。 #1の方があげていらっしゃる中岡さんの本、いい本だと思います。 あとはソキウスで『リフレクション――社会学的な感受性へ』という本が読めるんです。 http://archive.honya.co.jp/contents/knomura/ref/ref.html#toc これは第五章でG.H.ミードのコミュニケーション論からハーバーマスの公共性概念まで押さえてあるんですが、読みやすいので、最初からの通読をお勧めします。 特に第四章、権力のところはフーコーの「権力」のとらえ方を見ていくとき重要。 第六章は質問者さんがお持ちの問題意識とも関連してくるのではないかしら。 このサイトのブックガイドから、ハーバーマスの参考文献もたどっていけます。 『公共性の構造転換』はわたしは読んだことがないので、二次文献としてどんなものを読んだらいいのかちょっとわかりませんが、このサイトは参考になると思います。 ここらへん、わたしもあまり詳しいわけじゃないんですが、ハーバーマスはフーコーの権力論を批判するなかから、公共性の概念を打ち出していったんだと思うんです。 だから、当然ハーバーマスの文献を読んでいくと、フーコー批判、デリダ批判が出てくるはずです。 フーコーやデリダ、正面から取り組むとそれはそれは大変なので、とりあえずハーバーマス経由で読んでいくといいんじゃないかな、と思います。 がんばってね。

参考URL:
http://archive.honya.co.jp/contents/knomura/ref/ref.html#toc
tacoya-king
質問者

補足

ボランティア活動って文字通り自発的な活動だと思っていたんですが、実は、ボランティア活動にもフーコー的な権力作用が作用していることを最近実感しました。 権力作用の及ぶ範囲内でしかボランティア活動ってできないのかなぁ。権力作用の拒絶してボランティア活動をするとイラクの日本人人質事件のようになってしまいまう。。

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