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思想家の本について
思想家(哲学者・経済学者等)達の様々な本を読んでいる方はどの様にしてよまれているのでしょうか? 私自身(現在は新大学生)も、哲学に興味があり、「本を読めば何かしらわかるんじゃないか」という甘い考えとある種の自己陶酔の下に「方法序説」等の本を大学受験時の現代文で身につけた大事なセンテンスの見つけ方と、三色ボールペン、そして自らの主観的判断に基づいて線を引きながら読んでいるのですが、如何せん読むという行為に終わっている感じが否めません。 いちよ、哲学の様々な初心者向けの本を読んで基礎知識を身につけたりしているのですが、読み終わっても「特に得る物もなかった」という風になってしまうことが多々あります(もちろん、内容を完全に理解することは不可能だと思っています)。 みなさまはどの様な目的で、どのようにして思想家達の本をよまれているのでしょうか?
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>読むという行為に終わっている感じが否めません。 本の内容を抜粋して、こういう場(ネット掲示板)で自分なりに回答するのもいいですよ。自分のために知識を吸収しようとして経験則を超越してることはなかなか実感が伴わなかったり、日常に追われるうちすっかり忘れたりしますが、他者の介入があると比較検討したり、自分の考えを上手く纏めようと頑張れるので。 一人で整理するより哲学もリアルさが増すし、人間は五感をフルに使うほうが記憶しやすくなるものだそうで、「どんな人がどんな時どんなことを言って」と想像してその前提で自分の至らなさ、新たな自分を発見する面白さや、自分は行かないところまで連れ出され(思考理論の誘拐?)以外な解決策が見つかったり、別の興味までつい膨らんだりして面白くなります。 専門家でないのに回答するのは場を共有したいという集団欲を満たせるのと、自分が知識を増やしたり、復習するのにネットが便利だからで、本を読むより回答したくなるのが正直先かも。 そこから調べたり、本を探しに行くことも多いです。なので誘致してくれる質問者さん、ヒントをくれる回答者さんって賢いなと思います。 幸運にも哲学を日常でも語れるようならいいのですが、変な奴に見られる恐れがあるので!日常では控えてます。 >読み終わっても「特に得る物もなかった」…になってしまう。 思想家の原書や翻訳本は専門用語のオンパレードで難解なせいもあるんじゃないでしょうか?まず哲学辞典や解説本や定義集を読んで輪郭を掴んで自分のボキャブラリーに引き寄せておくのもいいと思います。 いい大人で気取った外国人が和食店で味噌汁をスプーンで飲んでいるのを見たことがありますが、違和感を感じるのは慣れ親しんだ習慣や先入観が邪魔して正誤を判断したがるせいです。初めて口にするものの味は箸でもすすって飲んでも同じはず。先入観なしに真似るか、自分の手元にまで賢人の言葉を引き摺り下ろし(?)咀嚼するのが楽か、これは人それぞれにやり方はあるでしょうね。
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- HANANOKEIJ
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最近は、あまり本を読みません。「方法序説」の本は、何種類くらいありますか?岩波文庫、中央公論、とにかく、複数の翻訳を比べて読んでみて下さい。 デカルトは、フランス人ですね。 http://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/index.html 1月16日放送の「近代的自然観」を聞いてみてください。 清水書院センチュリーブックス人と思想「デカルト」伊藤勝彦著を読んでみて下さい。 中学校、高校の数学で、座標平面を学習しましたね。デカルトの発明です。図形を座標平面にあらわすことで、図形と方程式など、代数と幾何を結び付けました。xy座標をみたら、デカルトを思い出してください。 本を読むのは、解決を迫られた現実の問題、課題を解決するためです。 分析と総合です。 デカルトを批判している人の本をよんでみてください。対話と討論です。福岡正信「自然に還る」春秋社のなかで、デカルトの合理主義を批判していたような気がします。
脳の思考は限界があります。脳は大宇宙では、不完全、不調和な存在です。だから自然と対立して、自然を破壊しました。だから哲学や思想は言葉の遊びになる危険があります。脳の世界は成熟しました。これ以上はありません。脳を否定している思想に、人の生きるヒントがあります。中国の老子は、脳の思考による人の知恵を否定し、無知をすすめています。仏教の釈迦の教えは、脳を自我を否定し、無我になれば人は救われると言ってます。それを禅では、座禅で実行しています。日本の伝統文化も、脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを追求しています。2012年の予言では、この世界から、脳と自我が消滅し、無我の世界になるといわれています。
- tosiro
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同じです。”教養を身につける”+”自己陶酔”。あとはしいて言えば何が書いてあるんだ?という興味ですね。 え~と、読んだうち9割は内容も覚えてません。 しかし、逆に言えば1割は何かしら引っかかったって事です。 乱読あるのみですよ。
- macchan2
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「プロジェクト杉田玄白」の中に、方法序説の良い訳文がありましたよ。読みやすい現代文で読まれてはいかがですか。
ムズかしい本を読むときでもアホでもよめるようなほんをよむときでも、 その本をえらんだ理由というものがあります。 なんらかの自分の中のテーマがあって、その軸にひきつけて読みます。 でもそういうのは勉強になる読み方ではない。わたしのは純粋に趣味の読書ですね。 それでも漫然と「読むという行為に終る」よりはマシだが。 現代文で身につけた大事なセンテンス、三色ボールペン、アンダーライン、それなんのためにやってるんですか? お勉強のつもりで「ためになりそう」ということでとりかかったんですよね。 要約の下作業「だけ」やって何の意味があるのかしら。 ○○さんが考えたことを書いた本を読んで、その要諦を自分なりに整理したら、 それを念頭に○○さんの他の本を読んで検証してみるとか、××さんの本の「だいじなところ」とくらべてみるとか、 線引いたあとにもうちょっとやること思いつくでしょう。 あなたは「思想したい」「哲学したい」のでなく「思想、哲学みたいな分野にとりあえず詳しくなりたい」わけだから 当面、受験で身につけた方法をベースに地味にがんばればいいとおもいます。
補足
様々な意見ありがとうございました 「方法序説」は岩波文庫のものを読んでいます。 もちろん「方法序説」以外にも様々な本、例えば「ツァラトゥストラはかく語りき」なども読んでいます 本に線を引くのは要約の為と言うよりは、自分なりの理解を深める為にやっております これから長い時間を掛けて、じっくりと本を読んでいきたいと思います。