学問・教育
- 物理化学 詳しい方よろしくお願いします
画像の1番の問題なんですが、横軸はrで、縦軸はwとFなのでグラフ自体は2つ作れ、ということでしょうか?また、w自体は簡単に求められますが、Fがよく分からなくて、公式からすると、wをrで微分するということですが、例えばrが0.1の時はFはどうなるでしょうか?よろしくお願いします。
- お答えお願いします。
質問が二つです。 youtubeのコメント欄、コミュニティ(欄)に1.相談文や質問文を投稿する場合、 手紙に書くのと同様、 「(youtubeのコメント欄、コミュニティ(欄)に)相談文を書く、記す、質問文を書く、記す、書き込む」と表現しても間違いではないと思われますか? 2.また、相談文や質問文に限らず、 文章、質問、相談を書く、記す、書き込むという表現も間違いではないと思われますか?
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- furukawa1997
- 日本語・現代文・国語
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- スコッチ 電気絶縁テープ
携帯電話の充電器の線のビニールの部分の一部が切れて中の電線が見えます。 交換がいいのでしょうが見えてる電線の面積は小さいのでスコッチ 電気絶縁テープを巻けば問題ないでしょうか。 よろしくお願い致します。
- 過去に大学で教えていたという方について
障害者施設の支援者が、自分は過去に大学で教えていたといい、 私はその人の教え子でもなんでもないのに、他の利用者は、自分のことを先生と呼んでるといってくるひとっておかしくないですか。 いつどこの大学で勤務していたのかも不明です。私は嘘かなと思うのですが。 非常勤講師をしてる引きこもりの会のスタッフのかたはそんなこといったことはないです。
- 宗教とは個人の信仰心を抑圧する制度なのか
さてと、信仰とは個人がおのおのに抱く内面の心をさす。 そうすると、宗教というのはその個人の心を抑圧する傾向がある。 しかし、社会を成立させるには宗教は必要か、または自然成立する。 ここに個人的見解として考えるところがありまして、今回の質問も哲学的な思考ゲームです。 「人間」という言葉を考えてみて、ごく自然に人と人がいる、その人同士がお互いを理解したら人間の成立となる。 西洋人は「人を信じる」という言い回しを「信じる」という言葉の誤用だと考える傾向があるが、人同士の相互理解に「信じる」という深く根差した言い回しを使用するのは本当に誤用だろうか。(質問その1) 神前で人同士がおたがいを認め合うという形で、宗教が社会成立に重大な作用をもたらしたのだとすると、社会の成立のおそらくは例外が乏しい原点である宗教によらず、人と人がお互いを信じあう無条件の肯定とは、心がけとして尊いのではないだろうか。(質問その2) 日本人の場合は、仏教の伝統で哲学的思考に人間研究が重きを置かれ、人間性の昇華に熱心だ。 そうすると、人と人が集まった場所で「相手が理解可能な人なのか」疑うことから始める習慣が乏しい。その心情を「人を信じる」と考えてみたけど補足はありますか。(質問その3) 「あいつらは人間ではない」そんなことを平気で言う奴もいますがどう思いますか。(質問その4) 現在は教育により、宗教のごとく全員人間だと刷り込みを受けています。 何もしなくても人間であるという権利が与えられます。 個人的に疑問なんですが、本当に人間らしい人なんてその中でどれくらいの割合何ですかね? 個人の信仰が大切でも、その中に人と人が理解し合う示し合わせとして祭礼の類があり、社会の成立の伝統に沿って中心に神を頂くのが日本ですが、極端な話として、社会という概念と宗教という概念の区分がなかった時代から日本はあまり変わっていないと思います。 そうですね「人を信じる」という言葉を、人間であり社会を生活環境として選んだ限りは、否応なく他者を理解しようとしなければならなくて、そのためのふるまいなのだということでいかがでしょうか。 したがって、個人の信教を大切にするあまり、人と人がバラバラになる人間解体もいけないわけです。その補足事項として一方的に宗教を押し付けるのも相手を人間だと認めていないことの明白な表れでしょう。 要するに特定の閉鎖的集団に帰属する連中からは「あいつらは人間でない」とみなされていて隷従させることが救済だという発想です。(邪教だと思います) さて考察中の要素を色々と書き出してみました。 なにか酒の肴になるような面白い意見をお聞かせください。 趣味の哲学遊びです。 今回は過去からの研究の中から、断片要素を書きだした質問で、今後の材料の発展に結び付けたいと考えています。
- 実務計算。
C=k×nーkC2 n=21 k=7 C=? Cを求めるにはどうすれば良いでしょうか? 答えは637になります。。 電卓の型番はfx-jp500です。
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- Kuroda-178
- 数学・算数
- 回答数2
- なぜ犬の鳴き声は「ワンワン」?
日本語の不思議です。 なぜ犬の鳴き声は「ワンワン」と教わるのでしょうか? 正しくは「アウッアウッ」ですよね。 犬だけではありません。 例えば鶏も日本語では「コケコッコー」と表現されますが、正しくは「オエッオッオー」ですよね。 海外の人に動物の鳴き声を日本語で発音しても伝わらないと聞きます。 なぜ日本語はこうなってしまったのでしょうか?
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- oilon11
- 日本語・現代文・国語
- 回答数5
- 自分を大切にしなさいってなんですか?
自分を大切にしなさいと言われるような人ってそもそもの自己肯定感が低く「自分に価値がない」等と思ってしまってる人が多いと思う(私もそうです)が、「自分を大切にする」じゃあいったいどうやって大切にすると? 自分本意でわがままで過ごせと言うことですか? たぶんそういわれて「そうですかわかりました」にはならずどうしてもついて回る劣等感を振り払われないから辛いんだと思うんだが…
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- noname#248885
- その他(学問・教育)
- 回答数5
- 【医学】血液をサラサラにする血栓症予防薬を服用する
【医学】血液をサラサラにする血栓症予防薬を服用すると多汗症は改善する?それとも悪化する? 血液がサラサラになると多汗症が改善するのか教えて下さい。
- ベストアンサー
- asuszenphonemax
- 医学・歯学・看護学・保健学
- 回答数1
- 「ざふしき」ローマ字で書いてください
現代において旧仮名遣いが使われていると仮定して、「ざふしき」(雑色、京急の駅名)をローマ字で書くとどうなりますか。
- 締切済み
- NKM_Chitose
- 日本語・現代文・国語
- 回答数5
- 化学のヘンリーの法則について
自分はヘンリーの法則の解釈がなかなかピンと来ません、先生に質問しても、教科書の図をみてもよくわからないです。なので結局自分はボイルの法則を使って問題を解いています。どなたかボイルの法則の解釈の仕方を教えてください。ちなみに添付した画像はその図(書いてある文字は気にしなくて良いです)です。
- 締切済み
- sotasotawave
- その他(学問・教育)
- 回答数1
- 部活を辞めるかどうか悩んでいます
(長文になります) はじめまして。わたしは高校1年で音楽部に所属しています。 中学で吹奏楽をやっていたこと、そして姉がOGとして先生と繋がりがあったこと、もちろん演奏がかっこいいと思ったことも理由で音楽部に入りました。 ですが、退部しようかどうか迷っています。 中学2年の春頃から絵を描く、ということがとても楽しくなりそれからずっと暇さえあれば絵を描いています。そして先々月頃私は将来、キャラクターイラスト・デザイン系の専門学校に行きたいと強く思い始めました。 うちの部活は平日は毎日活動、休日も半日でどちらもあります。正直、絵を描く時間が無いな…と思っていました。 今日、先輩が『1年生は大会に対する意識が低すぎる。一年以上吹いている先輩でも残ったり早く来たりしているのに、ふざけるな。と言いたい』と言っていました。もっともだと思います。私は時間の関係で朝練には行けませんし、食べるのが遅かったり実技系の科目が多い学科なので移動教室等でなかなか昼も行けません。(その分休日に早く行ったり、半日の日もお弁当を持って言って午後自主練したりしてはいるのですが) 正直、きついなと思いました。そして私はそこまで吹奏楽に対して本気にはなれないと思いました。絵と吹奏楽を比べれば圧倒的に絵を優先したいです。 専門学校に行ってその後は絵を仕事にしたいと思っているのに部活に時間をかけていていいのか、と。 でももう既に部活内での繋がりもあります。パートの先輩、1年生の仲間、先生など。 もちろん先輩達は本気ですから、退部するのも目が怖いというか…。パーカッションなのでパートメンバーが1人減るだけで他の人の負担は大きく増えます。さらにうちのパートは3年生の人数が多く、3年生が抜けると私を含めて3人になってしまいます。私以外のふたりは高校から吹奏楽を始めたのでそれにも気が引けてしまいます。 相談すれば、親は真面目に話し合ってくれると思います。私が絵を描くのが好きなのも知っていますし、吹奏楽出身なので。 私がどうするかの問題なのですが、どうするのが良いでしょう?お答え頂きたいです。
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- demerits222
- 高校
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- BOOK・OFFで勝手に売られてしまいました
前回の質問で回答して回答してくださったかたありがとうございます。 その続きのようなものになってしまうのですが、友達が持って行ってしまった漫画を没収されてBOOK・OFFで売られました。 下校中電車で漫画を呼んでいたところ担任に見つかり降りる駅まで着いてこられ着きエレベーターに乗ったところで没収 ↓ 次の日職員室前にてなぜ持ってきたかなど、また「返す予定はありません」と ↓ 1ヶ月のペナルティー ↓ ペナルティー後反省文(200字×5枚)を持ち返して欲しいと頼みに ↓ ため息をついたあと「持ってくるのが遅すぎる、言われてなくても反省してるならもっと早く持ってくるべきでしょう?」 「遅いのでBOOK・OFFで売りました」 没収で卒業後に返すなどなら分かります(現在中一です) 流石に売るのはおかしいのではないでしょうか? その友達によると傘にアンブレラマーカーをつけて没収された先輩が(中3)ペナルティー中に返して欲しいと頼んだらが「図々しい」と言われ、約2年間返されていないから終わったあとに言うべきだと思った らしいです ほかの友達ですと、筆箱を2個持ってきた子や、ピアノがのっているの雑誌?を没収されています きちんとものを返してもらう方法はありますでしょうか?
- 締切済み
- strideblimp
- 中学校
- 回答数1
- どうして人間は「料理」する?
どうして人間は料理をするようになったのですか? 他の動物のように、自然にあるものをそのまま食べない(もちろんそのまま食べるものもあります)、食べられないのでしょうか。
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- sleepyhead_de
- 生物学
- 回答数6
- 文構造における存在基盤について
長年にわたって英語指導(読解・文法・作文)に携わってきた者です。ところが、学校文法はいわゆる伝統文法と呼ばれるもので、その正当性の根拠や論理的整合性において矛盾や曖昧さを様々に含むものです。それでも、そうした枠組みに依拠した指導がこれまで(恐らく今後も)続けられてきたのは、主に指導の簡便さによるものだと思われます。実践的観点から言うと、指導において論理的整合性はそれほど要求されません。生徒が実際的な知識をおおざっぱに身につければそれでよいと考えられてきたと思うのですが、高校段階の英語指導という観点から見れば、私もそれでよいと考えます。 ただ、伝統文法に対する根拠づけが可能だとしたら、それがどのような形になるのか考えてみたいと思います。それを今回実践しますが、分析結果に対してご意見を頂けたらと思います。 根拠をどこに求めるかということですが、伝統文法の発想は自然科学の発想と軌を一にしています。ということは、ニュートン物理学の発想が根本にあるということです。すなわち私としては、時間及び空間的な制約がいかに言語対象に適用されるかを見てみようと思います。言いかえると、伝統文法の根拠づけを伝統文法の内部から行おうというわけです。すなわち、三次元空間と時間という認知形式において伝統文法を照らし出してゆくわけですが、学校文法において基礎的な学習事項とされている文構造(語・句・節の働きの総体をその定義としておきます)について多少なりとも統一的な尺度でもって分析できれば、それでよしとしようと思います。 なお、語の分析においては中核的な要素に焦点を当て、周縁的な要素は分析対象から外すことにします。なぜなら、長い間の言語的発展のあいだに基の原義が消滅したり変化したり、あるいは他の品詞として使用されるようになったりもしているからです。また、Water is a clear pure liquid. といったようなカテゴリー表現は分析対象としません。カテゴリーは三次元空間と時間という認知形式の外にあるものだからです。ただし、I drank water. というふうにカテゴリーの部分、すなわち実体を表す場合は分析対象とします。 分析にあたっては、文中で使われる主要な語・句・節にどのような空間性・時間性が見られるかを分析することになりますが、その際に、空間性・時間性を直接的に発見しようとするだけでなく、空間メタファーも活用します。要するに、文中の語・句・節がそれなりの空間性・時間性を持つことを示すことで、存在論的基礎を示そうとするわけです。 ただし、その際に説明が込み入ったものだったり、重層的にメタファーを使うことは避けようと思います。恐らく、間投詞以外はすべての品詞が空間性・時間性を持つものと予想されますが、その説明はできるだけシンプルなものでなければ意味がないと思うのです。複雑な説明だと不自然なこじつけとしか受け取られません。 さて、文というものが成り立つためには、主語と動詞がなければなりません。一般に<モノ>を表すものと<動き(変化や持続も含む)>を表すものとで、この世の主たる出来事や状況が言い表されるわけですから、これは当然のことです。<モノ>と<動き>が組み合わさることで文が生まれる、すなわち世界に対する叙述が生まれるわけです。 ここで、文中に主語と動詞が存在することは一体何を意味するのかを存在論的に考えてみます。主語はもちろん名詞です。名詞は文中で使用されない時はただの概念ですが、文中で実体として使われる時は、形や姿を現すものとして空間的制約が与えられます。その制約の存在を示すのが限定詞です。実体であっても空間的な制約が存在しない場合は無冠詞で使われます。つまり、空間において一定の位置を占めるわけですが、これが名詞が文中で使われることの存在論的な意味です。 同様に、動詞の場合も文中で使用されない時はただの概念ですが、文中で実体として使われる時は、過去・現在・未来を表すものとして時間的な制約が与えられます。その制約の存在を示すのが時制です。実体であっても時間的な制約が存在しない(時間を持たない)場合は原形で使われます。つまり、時間(または空間)において一定の位置を占めるということですが、これが動詞が文中で使われることの存在論的な意味です。 名詞と動詞が存在論的基盤を持つということは、必ず空間と時間の両方において一定の位置を占めることを示しますが、両者の性質上、空間と時間のどちらかにウェートが置かれます。今後は名詞は空間的性質を、動詞は時間的性質を持つものとして話を進めます。こうした観点からすると、品詞分類においては名詞と動詞が上位に分類され、それ以外の品詞が下位に分類されてもいいと考えます。 形容詞の分析に移ります。限定用法であれ叙述用法であれ、形容詞が表すものを属性だと定義して、その属性に空間性や時間性があるかを考えてみます。形容詞の有り様からして、名詞とのからみで見ていかなければなりません。よって空間性のみを見ることにします。 例えば、He is tall. / He is a tall man. においてtallは段階を持つ形容詞です。各段階の差異は空間性を示します。また、比較級・最上級の存在も空間性を示します。上の2文の状況を図示しただけでも空間性が示されます。 supremeといったような段階を持たない形容詞の場合、段階を持たなくても度合いを持ちます。supremeが内包する度合いを数直線上に表した時、supremeという語は数直線上の最右翼に位置します。空間的に位置を占めているわけです。度合いという考え方はbusyのような一時的な性質を表すものにも適用できるし、redのような恒常的性質のものにも適用できます。 又、red applesはapplesという外延全体のうちの一定部分に言及したものです。このように数量的限定を名詞に与えるという意味においても空間性を表します。dirty waterも同様。 以上、形容詞が空間的性質を持つことを見ました。 次に、副詞を動詞との関わり(それが中核的な関わりです)で見ていきますが、場所や時や頻度や数量を表すものはそれ自体空間性や時間性を持つと言えます。又、程度や様態や確実性を表すものは形容詞の場合と同じく度合いのレベルとして空間性が見て取れます。 ただし、yes, noなどの肯定・否定を表す場合や、文副詞のように話者による評価や態度を表す場合は空間性や時間性の発見は困難です。やろうと思えばできるかも知れません。例えば、yesという副詞の場合、yesとnoを二項対立的な要素集合ととらえることによって空間性を見て取ることができます。ただし、空間メタファーを利用したアクロバティックな強引なものです。説得力を持つことはないと思います。よって、周縁的な要素として処理するのが適当だと思われます。すべてがきちんと説明されなければならないわけではないと考えます。 前置詞については、そもそも名詞との絡みでしか考察することができませんから、空間的性質があるのは自明のことです。例えばin the parkが形容詞用法であろうと副詞用法であろうと、「中」を表すことに違いはありません。また、The book is still in print. におけるように補語として使われた場合でも、刊行されている状態の範囲内にあるわけですから、やはり「中」を表します。 ただし、「中」を表すとする判断はin / the / parkというふうに要素に分解することに意味を認めた場合の話です。話は変わりますが、because he had a cold that day という節においてbecauseを一つの単独の品詞として分析対象とすることに意味がありません。節全体を分析対象にするのでなければ有意な分析は行えません。そのことは前置詞句にも当てはまるのと思います。 だとすると、in the parkは形容詞用法の場合は空間的基盤を持ち、副詞用法の場合は時間的又は空間的基盤を持つと言えます。The book is still in print. においては、現在の状況が示されていることは明らかです。 これは形容詞句の分析の一例ですが、その他の形容詞句においても何らかの形で分析が可能だと予想されます。 代名詞は空間的性質を持つ名詞の代理表現ですから、言わずもがなです。 接続詞はどうかと言うと、これは語と語を、及び文と文をつなぐものなので、それ自体は空間的・時間的性質とは無関係と考えるべきです。だとすると、名詞と動詞を核とする品詞の集まりにおける周縁的なものと位置させるのがよいと考えます。そこで、分析にあたっては接続詞を含む節単位で考えるしかないと考えます。同じことは関係詞節や疑問詞節にも言えます。 重文や複文を構成する文は<モノ>と<動き>が組み合わさったものです。すなわち、空間的性質と時間的性質の両方を備えたものです。それに、接続詞・関係詞・疑問詞が付加された時、両性質が消滅することはありません。 間投詞は対話の相手との直接的なやりとり(相づちや気持ちの表現)を文中に押し込んだもので、そもそも文の構成要素になりません。他の品詞との連携もありません。当然、時間的・空間的性質も持ちません。 以上です。ご意見をお待ちしております。